10
なんとか床に降り立ったマルは、落ちていた服の下で人型に戻った。
服の下から現れた裸の花嫁を見たエイデンは動揺している。
「……エイデン、あっちを向いていて」
大事な部分は隠せているが、見られていると着替えにくい。
素直にマルの要望を聞いたエイデンは、無言でそそくさとダイニングを出て行った。どこへ向かったのかは知らない。
着替え終わってしばらくすると、彼が戻ってきた。木のスプーンは新しいものを用意してくれたようだ。
「マルは、その、可愛らしいハムスターですね。思わず、理性を飛ばしてしまいました」
「エイデンは、ハムスターが好きなの?」
「小さくて可愛くて、ふわふわしたものは好きです。ハムスターは、全てに該当します。それに、君自身も素直で優しくて魅力的だと思いますし」
「……!!」
真顔でそんなことを言うなんて、反則である。
照れから、マルの顔は急速に熱くなってしまった。
「ああ、そうそう。食事の後に患者さんが来る予定です。薬を用意しておかないといけません」
「私に手伝えることはある?」
「手伝いは特に必要ありませんが、病院の中を案内したいので来ていただけますか?」
「うん、もちろん!」
マルは、助けてもらった恩をなんとかして返したかった。とはいえ、その目処は立っていない。
エイデンはマルをさらった相手だが、彼への嫌悪感はなくなっている。
今の自分が大事にされていることは、ずっとエイデンを見ていれば理解できた。
食事後に、二人で病院内の一室にやって来る。
エイデンの作った料理はとても美味しかった。後片付けも、もちろん手伝っている。
周囲には、薬草の入った木の箱が積まれていた。壁にはたくさんの引き出しが設置されており、その中にも様々な薬の材料が入っているようだ。
「いろんな匂いがするね」
鼻をヒクヒクさせたマルは、興味深そうに周囲をキョロキョロ見回した。
エイデンが棚から順序よく薬を取り出していく。
マルは、それらの匂いを一つずつ嗅いでいた。
そんな様子を微笑ましく思ったのか、彼が一つ一つの薬草の名前を教えてくれる。
「これは、マリー草。熱冷ましの作用があります」
「へぇ……」
「こっちのエメリの花は風邪薬、ザサの根は胃腸薬です」
薬部屋は広く、たくさんの箱や引き出しがひしめき合っている状態だが、エイデンは正確にすべての薬の場所を把握していた。
「マル、こちらが診察室ですよ。向こうが待合室ですね……とはいえ、待機しているエルフや獣人はほとんどいなくて、来るのは主に人間です」
「なるほど。人間は賢いけれど、か弱い生き物だからね」
「ええ。だから、定期的に見て回るようにしています」
そんな話をしていると、本日の患者が訪れた。まだ若い人間とエルフの夫婦だ。
「……妻が、夏風邪をひいてしまったみたいで」
夫のエルフは、心配そうに人間の女性を抱えている。
「そちらにおかけください。いつ頃から症状が出ていましたか?」
「昨日の夜からだ。先に連絡した通り、熱が下がらなくて困っている。腹の調子も悪いらしい」
「他に目立った症状は?」
「ないと思う……」
エルフが人間の女性を見ると、彼女は静かに頷いた。苦しそうだ。
「わかりました、診察を始めますね」
エイデンは丁寧に女性を診察し、カルテにメモをとっている。
マルは、そわそわしながら彼の仕事を見ていた。
「うん、これだと……エメリの花が、もう少し多いほうがいいかな」
彼のその言葉に、マルが素早く反応する。
「私、取って来る……!」
「マル!? 場所はわかるのですか!?」
「匂いで覚えた!」
ダダダと薬部屋に駆け込んだマルは、迷わずエメリの花を手にして戻ってきた。
「……正解です。すごいですね」
エメリの花を受け取ったエイデンは、必要な薬をそれぞれ袋に入れて患者に渡した。
「飲み方は、中に入っている紙に書いてあります。今回の薬は、全部煎じて飲めば大丈夫」
「ありがとうございます」
人間の女性と夫のエルフは、大事そうに薬袋を抱えて病院を後にした。
「マル、お手柄でしたね」
「匂いを覚えるのは得意なんだ。薬や毒の匂いは、特にね」
その言葉を聞いただけで、エイデンはマルに何があったのかを大体察してしまったようだ。
泣きそうな顔で、ハムスター獣人を抱きしめてきた。
「ちょっと!? エイデン!?」
またしても、顔面が羞恥で噴火しそうである。
「あ、あの」
「もう大丈夫ですよ。二度とあなたに、そんな辛い思いをさせないと約束します。あなたのお家の事情は少し聞いています……可哀想に、獣人の国では命を狙われていたのですね」
「ハムスターがいなくなってくれれば、安心できたんだろうね。たまに毒を送って来る性格の悪い兄弟が数人いた。簡単に死んでやる気はなかったけど……」
「あなたが生きていてくれて、本当に良かった」
頭を撫でるエイデンの手を振り払えない。
優しい言葉をかけられて、思わず泣きそうになってしまう。
「ずっと気を張っていたんですよね? ここへ来てからも」
「…………」
「僕がマルを守ります、あらゆる敵から、だから、安心してください……とはいえ、すぐには難しいかもしれませんが」
エイデンは、そのあともマルを慰め続けた。
彼相手に気を許し始めた花嫁が、泣き疲れて小さな寝息を立てるまで。




