赤いポシェット
なんでもそつなくこなす人と不器用な人がいる
勉強も仕事も家事も運動も恋愛も...
どうしてそんなちがいができるのだろう
人はひとりでは生きていけない
けれど人と関わりながら生きていくことも簡単なことではないと私は思う
ただ、どちらの人でも人はだれかに肯定されたいと願う複雑な生き物なのかもしれない
メロンソーダが好きな人だった
喫茶店では私もよくメロンソーダを頼んだ
彼はさくらんぼが苦手で、添えられているさくらんぼはいつも私にくれていた
しゅわしゅわと上へ昇っていく泡を眺めるのが好きだった
その彼とは高校を卒業する前に別れた
デートの日にいつも持っていた赤いポシェットはなんとなく使えなくなってしまっていた
麦茶を一口飲んだ
コップを傾ける
氷がからんと音を立てた
テレビでは高校野球をやっていた
青春時代を野球に捧げた球児たちが猛暑と言われるこの暑さの中、プレーしていた
その姿は尊い
彼らは偉大だ
画面は負けているチームのベンチを映し出した
泣きそうな顔で仲間を応援する選手がいる
泣いている選手もいた
試合は終わった
「君たちはすごいよ、甲子園の土を踏んだんだから」
ここで高校3年生の夏が終わったとしてもまた来年、夏はやってくる
甲子園優勝チームの高校3年生はどんな気持ちになるのだろう
そんな彼らにも来年の夏はやってくる
来年になれば高校3年生の自分は過去になる
私の高校時代はどんなだったかな
どんな青春時代を過ごしたんだっけ
そう考え始めたところで思い返すのをやめた
高校時代、自分がなにを考えていたのか、どう感じていたのか
今ではなにも思い出せなくなってしまった
大学に入学する前、私は髪を切った
定番すぎるかとも思ったが、今はこのすっきりした髪型が気に入っている
私は本当に普通の大学生活を送っていた
もうこの生活にもすっかり慣れた
ただ今でもたまに失恋ソングを聞いたりしてしまう
そんな自分自身を、自分で肯定することができずにいた
心のどこかではまだ完全に吹っ切れていないのかもしれない
時間が経つのは早く、春は終わって夏が過ぎ、秋が始まっていた
この大学も学祭前でどこか慌ただしくなっている
時折、金木犀の香りが通り抜ける今日は準備日だった
「これ2階の講義室まで運んでもらえるかな」
「あ、はい」
先輩からダンボールを託される
だらだらと階段を上り、角を曲がろうとしたときだった
「わっ」
人とぶつかりそうになったが相手が避けてくれた
「すみません」
この人はスタンドマイクを運んでいるところだったようだ
「俺こそごめん、大丈夫?」
どこかで見たことのある顔だと思った
「はい、大丈夫です」
しかし思い出せなかった
「あ、俺明日ライブやるんだ!
14:00からだから!よかったら見に来て」
私がマイクを見ていると勘違いしたらしい
ライブの情報を教えてくれた
明るい人だった
たぶん気まぐれだと思う
いつもと同じような一日の中でのあのちょっとした出会いがうれしかったのかもしれない
翌日、私はライブが行われる特設ステージに来ていた
とてもいい天気で、この時期でも日当たりの良い中庭は暖かかった
数人がステージに姿を現わす
バンドについて詳しくはないが、昨日会った人がボーカルだということはわかった
いきなり音が身体中を突き抜けた
私にとってそれは衝撃だった
ステージの上にいる彼らの熱がこちらまで伝わってきたような気がした
その日から私が聞く曲は変わった
私の中でなにかが少しずつ変わっていく気がした
動画もよく見るようになった
けれどやはり私のお気に入りは彼らがライブでやっていた曲だった
いつものように後ろから3列目の右端に座る
今日も休み時間に講義室でその動画を見ていた
「それ俺たちが学祭でやったやつだ」
声をかけてきたのはぶつかりそうになったあのボーカルの人だった
どこかで見たことあると思ったら、次の講義を一緒に受けていた人だったのか
「いい曲だよね
あの学祭のライブ見てから好きになった」
「なんか、そう言ってもらえるとうれしいわ」
彼ははにかんだ
自分の好きなものをだれかと共有できると、とても満たされた気持ちになる
「あ、それのCD貸そうか?明日持ってくるよ」
また明日、話すチャンスがあるんだと思えた
「じゃあ借りようかな
お願いします」
自然と笑顔になる
ふと、高校時代もこんな風に友だちと笑い合っていたことを思い出した
この人ともっと話したい、もっと仲良くなりたい
人に歩み寄るためにはなにが必要だろう
仕舞いこんでいたあの赤いポシェットを出してこよう
明日あれを身につけてくれば、少しの勇気をもらえる気がするから