第17話 鍵
「じっちゃん!」
俺の横腹に担がれてるラーニャは神竜に向かって叫んだ。
じっちゃんって……まさか、ラーニャのおじいちゃんなのか?
竜はその鋭いつり目をこちらへと向ける。
ラーニャの声が聞こえたのか聞こえてないのかは定かではない。
「グァァアアアアアアアアアア!」
その時、竜ではなくワイバーンが吼えた。地鳴りを起こすかのような叫声。
俺も一瞬そちらへと視線を向けてしまいかけたが、神竜が宙を泳いで近づいているのを視界の端で捉えて元の場所を見据えた。
「え、これってやばいんじゃ。縄張りを荒らされたとか思ってるんじゃないの?」
「口を慎め馬鹿者! 竜に縄張りなんてもの存在しない! じっちゃんは空のように広い心を持った人間だ。基本的には」
基本的にはってなんだよ、基本的にはって。
だがしかし、竜は刻一刻と迫ってきていた。
もちろん、俺の小さな片手剣で太刀打ちできる大きさではない。
その速度と迫力に足がすくんでしまった俺にできることは、ぎゅっと目を瞑ることだけだった。
豪風が吹いた。
俺の体は重力に逆らうようにふわっと浮くような感触がして、次の瞬間には体を強く打ち付けていた。
目を開く。
ごつごつとした地面が、俺の肌を撫でていた。
神竜は翼をはためかせて、すぐ近くで飛んでいる。
大きな口には黒い小さな竜――ワイバーンを咥えていた。かと思えば、そのワイバーンの体をいともたやすく噛み砕く。
さきほどなんとか倒したワイバーンをあっさり殺す姿は、簡潔に言えば圧巻だった。
それと同時に、大きな恐怖を感じる。
こちらへ目線を向けている竜と、ぴったり目が合っているような気がした。
「貴様」
「ぁっ」
声が声にならない。空気が震えない。
逆に俺の心は震えている。
「貴様が、連れてきてくれたのだな」
「ぇ」
「貴様が担いでいる我が孫、ラーニリアのことだ。違うのか? もしくは貴様が誘拐したのか?」
ラーニリア。ラーニャのことか。
「ぃゃ、いやいや違います違います」
「貴様が誘拐したのか!」
ギロリ。強烈な眼光が俺を見据える。
「ぁ、違うってのは! 誘拐してないってことです! 俺はこの娘を霊山まで連れてきただけです!」
「……そうか。それは失礼した。ラーニリア。ここまで来れば、家に帰ることが出来るな?」
「うん」
ラーニャは首を縦に振る。もう山頂は目と鼻の先だった。
俺はゆっくりとラーニャを降ろした。
力を抜くと同時に、強く腕が疼いた。長い間、持ちすぎていたのだろう。
ラーニャは千鳥足になりながらも、すぐに両足をしっかりと地に付けた。
その後、ちょこちょこと山頂のほうに走り出した……かと思えば、何かを思い出したかのように足を止める。
振り向いて、俺達二人のほうへ視線を据えた。
「童顔」
「だから童顔やめなさい」
「んと、蛇女も」
「どうしたの?」
改まって俺達のことを呼んだ。
「あの……あれ。感謝というか、なんというかその……感謝、してないこともない」
「ん。どういたしまして」
その少し捻くれた返答が、ラーニャらしくてかわいげがある。
「そんじゃ。また、会える機会があれば」
ラーニャは手を振ってまたちょこちょこと山道を走り出した。
「またねー!」
茜は大きな声を張り上げて返事するのだった。
「さて」と俺が呟いたとき、
「帰ろうか」と茜が言葉を合わせた。
俺達が振り向くと――まだそこには神竜がいた。
まさかまだいるとは。不意に「うおっ」という声を出してしまった。
「ラーニリアをここまで送り届けてくれたことは感謝している。貴様らのような亜人種に理解がある者達でなければ、危機が迫っていたやもしれぬ」
意外と、このおじいちゃんは孫に対して過保護なのだろうか。
草原の辺りの空を飛んでいたのも、もしかしたらラーニャを探していたかもしれない。
「礼には及ばないよ。それじゃ」
というか、ちょっと怖いから話を切り上げてすぐにでも帰りたかった。
「まあ、待て」
竜が俺達を声で制す。
「感謝はしているのだが、我は体を以ってその感謝を表現する方法を持たぬ」
「いや、言葉だけで十分だから」
感謝とか、別に欲しいわけじゃないんだが。
「しかし、それではこちらの気が済まぬ。そこで、我から貴様らに授けられるものを与えようと思う」
「や、別にいらな……」
「ちょっと常葉くん黙ってて」
「え」
茜に言葉を遮断された。
「授けられるものって、何なの?」
「そう、簡単に言えば、我が所有権を持っている土地だ」
「いや、土地なんて別に……」
そう答えようとしたら、ギロ、と茜ににらみつけられた。要らないことを言うなということだろうか。
「土地というと、少し漠然としているが、つまりは家だ。アルトピアという街にある、我が持て余している別荘のことだ」
「別荘……いや、そんなものもらったって……ぐっ」
茜の尻尾の先の辺りが、俺の口を塞ぐ。喋ることは愚か、口呼吸することも出来ない。
「喜んで受け取りましょう。ね、そうしようか、常葉くん」
俺が首を横に振ろうとしたが、尻尾がそれを許さない。それどころか、強制的に首を縦に揺さぶられた。
「そうか。それならば受け取るが良い」
空中から、突如小さな銀色の何かがゆっくりと落ちてきた。
それは俺の出した手に乗っかった。小さい。鍵のような形をしていた。というか、これは恐らく鍵だ。
そうして俺は、特に欲しくもない家の鍵を手に入れたのだった。