第12話 続・お風呂の時間です。
風呂場から脱兎の如く逃亡することを決意した俺だったが、その体はあまりにも鈍い。
まずは自分の股間の辺りをタオルで隠す。
セーフ。いや、アウトだろうけど。セーフ。
次に目線を裸の茜から斜め上の空中へそらす。
いや、裸とは言っても、両腕を風呂の縁に乗せていて大事な部分は見えていないのだ。
ただし、その美しい美白の肩がむき出しだった。見るだけで顔が紅潮してしまいそうなだけである。
一通りの理由を頭に巡らせた俺は、次に体丸ごと振り返る。
そして風呂場から出ようとした――ところで、右足首に異物感。
ざらりという感触。そこには真紅の尻尾が絡みついていた。
「うぁ!」
強く足を引っ張られて、たちまち俺は胸と顔を木の地面へと打ちつける。
痛い。いや、それよりも何よりもやばい。
俺は手を木の地面へとつく。さらに足が引っ張られた。
突起のない木のタイルは、当然ながら俺の手を滑らせる。
無為な俺の体を綱にした引っ張り合いは、通称ミュリエルこと茜さんの圧勝だった。
「何焦ってるの?」
そりゃ焦るでしょうが。
「顔真っ赤。かわいい」
「やめなさい。そして離しなさい」
露骨に俺をいじる茜を尻目に、俺は毅然とした態度で語った。
まあ、視線は扉のほうに向いたままなんですけどね。
男は背中で語るものです。尻で語ってる気もしないでもないが。
「もー、そんなに逃げなくてもいいのに」
なんかばしゃって水の音が聞こえた。いやまさかね。
足首に引っ付いていた尻尾が外れた感触がする。
俺が隙を突いて逃げようとする前に、次は額に尻尾が巻きついた。
なんとなく、茜がしようとしていることが分かった気がする。
いや、やばい。やばいって。洒落なってないから。
俺の意思とは逆に、尻尾が俺の顔を背中側へ捻って、強制的に茜の方を向かされる。
目を閉じるなりなんなりすればよかったのに、俺は目を開いて、茜の姿を見てしまっていた。
「え、あ」
「勘違いしすぎだよ、常葉くんは」
茜は長いバスタオルのようなもので肩より下を隠していた。当然胸も隠れている。
ただし、サイズの問題でその盛り上がりは隠せていなかったが。
「あ、そ、そうですよねー」
「なに、期待してた?」
にやっと、茜の白い歯がこぼれた。
「んー、むしろ、安心してた」
「えー、流石に、そんな痴女じゃないよ」
「ははは……」
寝起きを襲って、朝のキスを敢行してきた人間の台詞とは思えない。
裸体を晒して、無理やり俺をその気にさせることもありえない話ではない、と思う。
流石にそれは俺の考えすぎなのかもしれない。
けれど、茜にはそれぐらいのことをしかねない勢いがあるから、俺は怖いのだ。
怖い。守るどころか傷つけてしまうかもしれないから、俺は俺が怖い。
茜に恐怖してるわけじゃない。
「とりあえず、湯船に浸かろう。常葉くん」
言いながら、茜は尻尾で木製の桶に風呂のお湯を入れて、俺にばしゃりとそれをかける。鼻に入るかと思った。
彼女の手にすっと引かれて、あっさりとお風呂の中に引き込まれた。
俺がやむなく腰を降ろすと、その横に茜が座る。
肩が少し触れ合うぐらいの距離だった。
緊張からか、体がむず痒い。横目で茜を見てみた。
白い肩と美しいうなじが、眩しかった。視線を少しあげると、うっとりとした目つきの茜がいた。
……この状態は色々とマズい。
「ちょっと恥ずかしい」
俺は茜から背中を向ける。
「うん」
無理やり体を向けさせられると思ったが、あっさりと了承される。どこか拍子抜けだった。
顔を向けたほうには、木の壁と、そして窓があった。視界には湯気もぷわぷわと浮かんでいる。
俺がぼーっとしていると、背中に何かが乗った感触がした。
顔だけ振り向く。茜の首筋が見えた。更に視線を下に落とすと、俺と茜の背中がくっついていた。
背中にあった感触は、濡れたタオルの感触だった。
……これはこれで、緊張する。距離が変な感じだった。
「でも、常葉くんと一緒にお風呂入ってるなんて、数日前だったら考えもしなかったな」
「あ、ああ」
「本当に常葉くんがこの世界に、この大陸にいるか、わからなかったし」
「うん」
「わたしと同じで、亜人種になってて、悩んでたらどうしよーって思ってた」
「……そっか」
その同じという言葉は、どこにまでかかっているのだろう。亜人種までなのか、悩んでたらのところまでなのか。
「でも、わたしはこの姿になってよかったなって思ってる。そうじゃないと『魅力的だ』なんて言われることもなかっただろうし」
茜は俺の言葉を引用する。
あのときのことを思い出すと……恥ずかしかった。俺は何を言ってるんだ。
「ねぇ、蛇が変温動物ってこと、常葉くんは知ってる?」
「ん……いや、知らない」
なんだろう、嫌な予感がした。
何か、重要なことを告げられるような。
「朝とか、寒いと体が冷えちゃうの。だからわたし――毎日常葉くんに体を温めてもらいたいんだ」
やっぱり、そういうオチですよね!
瞬間、腕が俺の首から通ってきた。やばい。
逃げる暇もなく、背中から抱きつかれる。
背中に……タオル越しに柔らかいアレが。ああああああああああああああ!
「やっぱりあったかい」
「絶対風呂のほうが温度高いけどね!」
逃げないと。
そう思った瞬間、開かれる。風呂から脱衣所へと続く、扉が。
現れたそいつは、目を見開いたかと思えば、次は目を細く鋭く尖らせる。その目は俺のほうへ向いていた。
そして、そいつの顔は赤く染まっていく。
「童顔……」
現れたのはラーニャさんでした。
「変態……」
何故俺のせいなんだ……。
「や、違う……」
否定するが、時すでに遅かった。
「変態!」
扉は強い勢いで閉められた。バン、という音がむなしく風呂場に響く。
「続きやろうか?」
俺の顔の間近で、茜は微笑む。
「やらないです……」
言ってから、自然と溜息が漏れた。