第11話 お風呂の時間です。
宿で取った部屋に入って、荷物を一通り置いた俺は、まずベッドに寝転んだ。
立っているのが辛いぐらい、体は疲れていた。
木の天井を眺めて、俺は考える。
亜人。亜人種の街。外界から遮断されたような森。
そして、亜人の存在を知らないこの大陸の人間達。
俺もそんな人間達と同じく、亜人の存在を知らずに15年間生きてきた。
今までの人生に後悔があったわけではない。
俺は勇者になるため、大陸の歴史、そして魔王と勇者の戦いの歴史などを学んできた。
他の子供に比べて熱心に勉学には励んできた自信もあった。
けれど、亜人達について何も知らないと、なんだか自分がちっぽけな存在に思えてくる。
「……いや」
そう、自分はちっぽけなのだ。勇者候補だろうと、あくまで一人の人でしかない。
俺は小さな存在でいい。
世界を救うことよりも、身の回りの人間を守ることを最優先する人間になろう。
その方が俺らしいと思った。
でも……いや違う。だからこそ、小さな人間なりに、亜人種達について知ろうと思った。
「ふぁぁ……」
考えていると、少し眠たくなった。視界もブレる。
まだ食事も取っていないけれど、少し俺は眠りについた。
「お客様。風呂が沸きました。タオルを渡したいのですが」
畏まったような声が、部屋の扉の向こう側から響いてくる。
俺は目を開けた。まだ眠い。まぶたに重しを乗せられているようだった。
どれぐらい寝ただろうか。さっきまでは夕方といった日の傾きだった空が、今は青紫に包まれている。
俺は寝転んでいたベッドから足を落とした。ベッドの上に座る形になる。
「あ、鍵は開いてるので入ってきてもらっても大丈夫です」
「失礼します」
扉が開いて、鮮やかな金髪の男性が入ってくる。クランさんだ。
織り込まれた白い布、つまりタオルを2つ手に乗せていた。
小さなタオルと大きなタオル。大きいほうがバスタオルだろう。
「お客様。先程は失礼しました。ミュリエルさんの友達ということで、つい親しげな話し方をしてしまいましたが」
ミュリエル……って誰だ?
聞いたことがない名前だった。でも、クランさんがそんな脈絡のない話をするとは思えないし。
待てよ。そうだ。
俺は茜の名前を知らない。ミュリエルっていうのは、茜の名前じゃないか?
確証は持てないが、一旦、彼女のこちらの世界での名前はミュリエルだと考える。
「別にいいですよ。堅苦しいのちょっと苦手ですし。年上の人に敬語で話かけられてるのも、なんだか違和感があります」
「そうですか。あ、いや……そっか。君が言ってくれるなら、そうするよ」
「はい。よろしくお願いします」
「えっと……そう、お風呂が沸いたんだ。このタオル使ってくれていいから」
「ありがとうございます」
「先にラーニャ様には入ってもらったから。……多分。部屋からもしっかり返事があったし。結構前のことだから間違いなくもう上がってきてるよ」
間違いなくなのか多分なのかどっちなんだよそれ。
まあ、後で間違いなくって訂正してるんだから、多分上がってきてるんだろう。
「わかりました。入らせてもらいます」
「じゃあ、6ルピア」
「……え?」
「だから、お風呂代の6ルピア。ラーニャ様の分も合わせての額だから、安心して」
にっこりと笑って、クランさんは手を出してくる。
「は、はぁ」
もう風呂が沸いてるならば、拒否権はない。
商売上手と言えばいいのか、あくどいと言えばいいのか。
俺は素直にバッグの中から財布袋を出して、さっき宿で換金してもらった3枚の銅貨を渡す。
……そういえば、さっきも換金代で3ルピアを払ってるんだよな。
商売上手というか、もはや魔術師だ。
「確かに頂きました」
「それじゃ」
「うん。お風呂に案内するよ」
俺とクランさんは俺の部屋から、廊下に出た。しっかりと鍵を閉める。
「ミュリエルさんとは仲いいの? えっと……」
風呂場のほうへ歩きながら、クランさんは雑談に花を咲かせようとしてきた。
しかし、そこで言葉は止まった。
「あ、そうだ。名前言ってませんでしたね。俺はルーです。ルークリッドで、ルー」
「ルーくんね。それで?」
クランさんは、その先を催促してくる。
どうやら、興味があるらしい。善人だとは思うが、そういう人間らしいところもあるようだ。
「とても古くからの仲です」
「あれ? じゃあ、うちの街には来たことあるの?」
「いや、それはないです」
前世からの因縁なので。流石に、そう言うわけにはいかないかった。
クランさんはクエスチョンマークを浮かべるように、首を傾げた。
「まあ、いいや。ああ、そういえば……いや、これは僕の口から言うのはやめといた方がいいかな」
焦らすように、クランさんは言葉を紡ぐのをやめた。
「なんですか。それ」
「んーそれは僕からは言えないな。お楽しみということにしておこうかな?」
クランさんは微笑む。
この人、実はちょっとまともじゃないかもしれない。
とりあえず、善人という俺の評価が正しいことを願った。
「じゃ、この先が脱衣場だから。ごめんね頑張ってね」
「ん? あ、はい」
クランさんは去っていった。
えっと、頑張ってねって何をだ?
というかなんか今、謝罪みたいなのなかったか?
ぼーっと立ちながら考えていると、欠伸が出た。
もういいか。早く風呂に入って食事を取って寝よう。
俺は脱衣所へと続く扉を開けて、中に入る。
脱衣所の玄関に当たるところで靴を脱いだ。
割と広い脱衣所だった。ということは、風呂場も大きなサイズなのだろう。
ちょうど突き当たりに、2つの引き戸で出来た扉が見える。
バスケットのようなものが木の棚に置かれていた。恐らく、その中に服に入れておくということだろう。
俺は着ていた服を脱いだ。そのバスケットの隅にバスタオルをかける。
そして、小さいほうのタオルを持ち、扉へぽてぽてと木の地面の中を歩いていった。
「ふぁぁ……ねむ」
大きな欠伸で目を細めながら、俺は風呂場の中へと入っていく。
中からは少しもわっとした熱気が感じられた。
「いらっしゃい」
「ん?」自然と声が漏れた。
「んんー?」
風呂の中には、茜がいた。
目を大きく見開いた俺の顔を見て、小首を傾げる茜がいた。
裸だった。
そりゃそうだ。ここ、風呂だもの。
騙された。そうだ、俺は騙されたのだ。
……ごめんね、じゃねえよ!
そう、俺は心の中で叫んだ。




