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第002話 未来(みりゃー)の侍(さむりゃー)をぶった斬るでよ!

「名古屋まっキンキン事件」から一週間が過ぎ、名古屋市は、元の落ち着きを取り戻しつつあった。

大須通商店街は商品がすべて入れ替わったため、元以上の活気となっている。

色だけは事件の余波を残し、そこいら中がまっキンキンであるが、名古屋は元からこんなものであるため、すぐに誰も気にしなくなった。


事件の張本人・徳川宗春は、ゴールデン名古屋城最上階で名古屋駅方面を眺めていた。ゴールデンモード学園・ゴールデンスパイラルタワーズに興味津々のようである。

「そこのおみゃーさん! あのたきゃー塔は、どーやって造ったんかのー! でーだらぼっちが捻り潰したみてゃーだぎゃ!」

現在の名古屋城では、天守閣最上階は展望台になっており、普通に観光客もいる。宗春はその中の一人に話を振ったが、その返答は怯えきっていた。

「ははははい! 土建屋さんが丹精込めて造ったんだと思います! ひええええ!」

観光客は後ずさりすると、併設されている売店に逃げ込んだ。

「いらっしゃいませ! 大丈夫でした? 『むだづきゃー』したくなってませんか?」

店員が笑顔で対応する。しかし、すぐに心配そうな顔つきになった。さきほどのやり取りを、遠巻きに眺めていたのだ。

「たぶん大丈夫です… 逆鱗に触れて、あのキンキラキンの刀で斬られでもしたら、ここでまっキンキンの味噌煮込みうどんを買わされる羽目になりますよ」

「あっはっは! そうなったらうちも助かるんですけど。でも、売り物を金ピカにされたらたまったものじゃないし、キンキラキンの制服なんか着たくありませんよ!」

名古屋まっキンキン事件は、全世界にテレビ中継されていた。地元民も観光客も皆、彼の暴挙を知っている。彼の怒吝嗇斬(どけちぎり)で一閃されたら、どんな目に遭うのかも。


愛知県警も何もできないでいた。事件の際に「犠牲」となった警官たちが、署の予算を「むだづきゃー」し始めたからである。白バイ…もとい金バイ隊長は、勝手に隊のバイクを改造しまくっていた。他の部署も、Windows2000しか動かない骨董品のパソコンを、勝手に最新式に買い換えだした。

会議室は連日どつき合いである。20XX年の公務員にとって、「むだづきゃー」は、他の何を差し置いても避けなければならない問題であった。名古屋のど真ん中で日本刀を振り回す男を放置してでも。


***


名古屋市議会は、予算の問題で紛糾していた。

実は名古屋城は、現在の鉄筋コンクリート造りから、建造時と同じ木造に建て替える計画があったのだ。しかし、宗春が全部まっキンキンにしてしまったために、計画や計上していた予算をすべて白紙にしなければならなくなった。

「名古屋城がまっキンキンになったことにより、かえって外国人観光客は増加しています! 建て替え計画は中止にすべきだ!」

建て替え反対派の筆頭である、名古屋市長が吼える。

「よくできた偽物が、よくできてない偽物に代わっただけじゃありませんか! 外国人が面白がるのは最初だけで、本当に日本の城が好きな人は離れていってしまいます! ちゃんと、江戸時代の通りの名古屋城を再建すべきです!」

賛成派の筆頭である野党議員が混ぜっ返す。

「しかし、『再建』したのは、当の名古屋城主だ! キンキラキンの日本家屋は、既に金閣寺がある! あれは北山文化の影響が少しだけ入った、『本物』の江戸時代の城だということもできるではないか!」

「はぁ?」

議論が白熱しすぎて、市長も議員も名古屋弁を隠さなくなっていった。

「中にエレベーターと売店があって、外側以外は鉄筋コンクリートの『江戸時代』ィ? そんなもんあるわけにゃーがや!」

「江戸時代人だって、エレベーターと鉄筋コンクリートがあったら、迷わず使っとると思うがね! 名古屋に、無駄な予算なんかありゃせんでよ!」

「無駄とはなんでゃ! おみゃーだって、生えもせん頭に、育毛剤使っとるじゃにゃーきゃ! おみゃーに払っとる税金(ぜゃーきん)こそ無駄の中の無駄だがね!」

「なんじゃわりゃあ! おみゃーさんのカツラのほうが無駄じゃにゃーきゃ! とっくの昔にみんな知っとりゃーすのに、隠す必要あれせんがや!」

「うるせゃあ税金泥棒!」「なんじゃ隠蔽体質!」

そこいら中で罵倒を始めた議員や市長を、議長が慌ててなだめる。

「皆さん、落ち着いて! ここでの議題は予算ですふぎゅう!」

何者かが、議長の頭を踏んづけた。喧嘩をしていた議員ではない。その足に飾られているのは、女物の高下駄である。


「おーっほっほっほ! 萬五郎ちゃんに呼ばれて来てみれば、尾張名古屋もずいぶんしみったれたもんでござーますわねー! 城一つ建て替えるかどうかで、禿と禿の喧嘩になるなんて! どっちもケガないように、なんて験担ぎでござーますの?」

議長席に突然現れたのは、尼であった。しかし、紫の法衣と頭巾こそしているものの、それらは赤だの青だのまっキンキンだのの刺繍で埋め尽くされているばかりでなく、あちこちはだけて太ももや胸の谷間が見えている。履物は前述のとおり高下駄である。尼のコスプレをした花魁といったほうが正確な表現かもしれない。

踏んづけられた議長が、上を向いて怒鳴りつけた。

「うひょお絶景! …じゃない、ちょっと、あんた! いきなり現れて何だ! 足をどけなさい!」

尼のような花魁のような謎の女は、言われて素直に足をどけた。怒りでゆでダコのようになった頭に、くっきりと二の字がついていた。

「はい、どけ…た!」

「むぎゅう!」

確かに、足「は」どいた。しかし、代わりに全体重のかかった、巨大な尻が乗っかった。

「ふわ、やわらきゃー…じゃない、ここは神聖な議場ですぞ! それをそんな破廉恥な服で、しかも議長を侮辱してぐぎゅう!」

女は、尻を少し浮かせ、今度は議長の頭ごと、机に叩きつけた。彼は鼻っ柱をへし折られ、それっきり動かなくなった。

「だまらっしゃい禿げ茶瓶。天下一の高下駄、天下一の尻でござーますわよ! 乗っていただいて恐悦至極にございます、でしょ?」


名古屋市議会の本会議場は、議長席がど真ん中にあり、議員席がそれを円形に取り囲んでいる。議員たちが席越しに謎の女を見守る中、彼女は、真正面にある一番立派な席に座っている男―名古屋市長を睨みつけた。

「そこでふんぞり返ってるお殿様、萬五郎ちゃんはどこ?」

女の尻は、議長の頭の上から動かない。市長の怒りは心頭に達していたが、なんとか標準語に戻して答える。

「私は殿様ではない! 市長であり、市民の代表たる議員達とは対等の存在である! 萬五郎なんて奴は知らん! そもそも、誰だお前は!」

女は、議長の頭に座ったまま足を組み替え、胸の谷間から扇子を取り出した。殆どの男性議員と一部女性議員は目を爛々とさせてそれを見つめ、殆どの女性議員と一部の男性議員は、露骨に嫌そうな顔でその議員達を見ていた。

しかし、彼女が扇子を広げ始めると、全員が警戒の表情に変わった。

「この紋所が、目に入りまして?」

誰もがテレビで見たことのある、葵巴の御紋。しかし、議場の誰も、テレビのようにひれ伏さなかった。

「おみゃーもか! おみゃーもあの、徳川宗春とか言ってるやつの仲間きゃああああ!」

「市政を丸く収める」という意味合いで、席が円形に並べられている名古屋市議会。しかし、ど真ん中の人間が怒りの中心ならば、その意味あいは正反対になってしまう。市長や議員たちは、いつもなら議長の頭越しにぶつける罵声を、議長席の女に浴びせかけた。

100年以上も前に倒れた幕府の権威など、誰も怖くない。しかし、これを振り回しているということは、この女も何らかの「むだづきゃー」をさせにきたに違いない。


「なんだ、萬五郎ちゃんをご存知じゃありませんの! もったいぶっちゃってまあ!」

「萬五郎」とは、徳川宗春の幼名である。しかし、そこまで覚えている議員はさすがにいない。

「あのキンキラ野郎なら、名古屋城でてきとーに遊んどるがね! だいいちおみゃー、徳川のもんだっちゅうのはわかったけど、名前はなんだぎゃ!」

議員の一人が早口の名古屋弁でまくし立てると、女は、扇子で顔の下半分を隠しながら、大袈裟に驚いてみせた。

「ぎゃーぎゃーみゃーみゃーうるさいですわねー! あたくしをご存知ないなんて、未来の明倫堂はどういう教育をしてますの?」

一部議員が怒りのボルテージを上げている。未来の明倫堂―愛知県立明和高校出身の議員である。

「あたくしの名前は、桂昌院(けいしょういん)。徳松ちゃんの母でござーますわ」

議員の4分の1ぐらいが反応した。テレビの時代劇で、よく忠臣蔵をみていた者たちである。

「まあまあ、名前もご存知ない! 徳松ちゃんも! 将軍・徳川綱吉の母を! 家光の妻を! 未来の尾張藩は、こんなボンクラばかりでござーますの!」

そこまで言われて、やっと若い議員も反応した。教科書に出てくる名前が出てきたからだ。


「徳川綱吉の母…つまり、おみゃーも『むだづきゃー』女じゃにゃーきゃ!」

「息子ともども、幕府の財政を傾けたやつだぎゃ!」

「おみゃーなんか、大石内蔵助に斬られてりゃよかったんだぎゃ!」

議員たちは、いっそう声を高くして彼女を罵倒した。親の敵よりも憎い「むだづきゃー」をばらまくテロリストが、また現れたのだ。

「吉宗公が、あんたの尻拭いにどんだけ苦労したか、わかっとりゃーすのか!」

「よ・し・む・ねぇ~?」

涼しい顔をしていた桂昌院は、その名を聞いて顔色を変えた。議長の頭から尻をどけ、先ほど「吉宗」の名を出した議員の前につかつかと歩み寄った。

「あ、なんだぎゃ!? 図星を突かれて逆ギレかやぐげえ!」

その議員は、後頭部に強い衝撃を受け、うつ伏せに叩きつけられた。桂昌院の肘が直撃したのだ。

「ああん? 吉宗吉宗うっせーんだよ!」

桂昌院のかろうじて上品そうだった口ぶりが変貌した。メッキが剥がれたというより、はじけ飛んだ。

「てめーら、あのドケチ野郎を持ち上げるために、徳松ちゃんの『天和(てんな)()』を馬鹿にしやがってよぉ!」

床に倒れ伏した議員の顔に、桂昌院は容赦なく蹴りを浴びせた。高下駄を履いた状態で。

「ちょっとあんた、やめなさい! 暴力はいけませんぶげら!」

止めに入った議員たちは、軒並み彼女の肘に倒れていった。

「これは… ちょっと、あの人に近づいちゃだめだ!」

「何言ってんだ! あんた、プロレスラーだろ!?」

「プロだからこそだよ! 肘は素人ほど危険なんだ! 変なところに当たると死ぬんだって!」

いきり立つ議員たちを、プロレスラーの議員は議場外縁に退避させた。

「何だ、未来の侍ってのは、ずいぶん情けねえなあ! 大奥と喧嘩して逃げるのかよ!」

「未来の侍は、刀ではなく、言葉で戦うことを誇りとするのです。あなたも侍の妻であり、母であるのなら、刀をお収めください」

プロレスラー議員は、落ち着いた態度で、しかし肘への警戒を怠らず、桂昌院に語りかけた。

「はっ! ちっとは骨のあるやつがいるじゃねえか! …あらあら、ごめんあさぁーせ!」

桂昌院は、元の口調に戻り、着物の乱れを直した。登場時と同程度に、だが。

「あたくし、実家が畳屋ですの。徳松ちゃんを不当に馬鹿にする輩は、自慢の肘で始末してましたのよ」

「はい。綱吉公の学問への貢献はよく存じております。これもあなたのご教育の賜物です」


***


プロレスラー議員がなんとか桂昌院をなだめていると、あの忘れようにも忘れられない名古屋弁が議場に響き渡った。

「おみゃーさんたち、桂昌院様を怒らせりゃーたのか! 命知らずだなもー!」

いつの間にそこにいたのか。市長の頭を踏んづけて、あの傾奇者・徳川宗春が立っていた。

すると、桂昌院相手にはあんなに強気だった議員たちの顔が、みるみる青ざめていった。


「ぴぎゃあああああああ!」

絹を裂くような叫び声。発している議員たちは、明らかにその形容に相応しくない見た目である。

しかし、議員として、己の声帯の限界を超えてまで、彼らはこの男が近くに現れるのを恐れていたのである。


「うぎゃあああ! 『むだづきゃー』させられるううううう!」

「斬られたら、次の選挙で落とされるがやあああああ!」

「野党に追及されるうううううう! 利権がどうたら言われるうううう!」


20XX年の日本国民は、国や自治体の「むだづきゃー」にきわめて敏感であった。

与党も野党もみんなそれに乗っかって、政敵の政策を取り上げては、何でもかんでも「むだづきゃー」だと揚げ足を取っていた。議会は何百回となく解散し、時には参議院議員の首まで飛んだ。

議員にとって、「むだづきゃー」のレッテルを貼られることは、政治家生命の終わりを意味していた。

畳屋の娘に肘鉄を食らっても議員は続けられるが、こいつの怒吝嗇斬(どけちぎり)を食らったら、議員バッジは二度と受け取れない。


全議員が、本会議場出入口に殺到した。しかし、我先に出ようと他の議員を押しのけるため、誰も外に出られなかった。

パニックを起こした議員の中には、先ほど桂昌院をなだめたプロレスラー議員もいた。彼は他の議員を殴り飛ばし、ドロップキックを放ち、投げっぱなしジャーマンで放り投げた。先ほどの彼の言葉は、完全に無意味になっていた。

「はっ! 偉そうなこと言っといて、金遣い一つでみんなして乱心しやがんのかよ!」

桂昌院は呆れ返り、議長席の上に胡座をかいて頬杖をついていた。議長は意識を取り戻したようで、既にいない。その先で、プロレスラー議員のフライングパワーボムを食らって再び昏倒していた。

「しょーがにゃーでよ。これも八木公方(はちぼくくぼう)の呪いのせゃーだがや。未来(みりゃー)(さむりゃー)の誇りも、こいつの(みゃー)ではこんなんなってまうんだわ」

市長席に胡座をかきながら、宗春は頭を掻いた。本来の主は、出入り口の椅子取りゲームに加わり、プロレスラー議員にシャイニングウィザードを食らわせている。

「しょうがありませんわねー! 徳松ちゃん、出番でござーますわよ!」

「はーい!」


元気な少年の声がしたかと思うと、名古屋市役所の窓という窓から、おびただしい量の毛玉が雪崩れ込んできた。毛玉は受付のお姉ちゃんを飛び越え、控えている警備員に体当たりを食らわせ、議員達が取り合っている本会議場の扉を突き破り、議場内に溢れ出した。

「なんでゃあ、こんなもん、叩き潰して…」

議員の一人が手をあげたが、すぐ引っ込めた。毛玉は、生まれて間もない子犬である。

「くぅーん?」

扉を占拠した子犬達は、ひしめき合ったまま、興奮さめやらぬ議員達を見つめた。議員達は、手を止め、後ずさりした。名古屋市議会は、全員が動物愛護の精神あふれる人物とは限らなかったが、彼等に手を出したら、「むだづきゃー」するよりも速く議員バッジが遠ざかるであろうことは察した。

子犬たちのつぶらな瞳が、桂昌院の太ももと胸の谷間が眩しい。しかし状況は、前門の虎、後門の狼である。「むだづきゃー」で議員バッジを失うか、「どーぶつぎゃくてゃー」で失うか。


「お犬様! やっちゃえー!」

「きゃいーん!」

子犬たちは、少年の声を再び聞くや、議員めがけて一斉に跳びかかった。

「うわあああおたすけ…うひゃひゃひゃひゃくすぐったいがや!」

何千匹もの子犬たちが、75人の名古屋市議会議員を全身くまなく舐め尽くした。老若男女、頭の先から爪先まで、すべて犬の唾液まみれとなった。

肘やドロップキックを食らって伸びていた議員も全員目が覚め、のたうち回りながらも逃げ道を探している。

「あははははっ! かわいいでしょ、僕の『お犬様』!」

「うひゃひゃひゃひゃ…誰でゃあ、おみゃーは!?」

議員の一人が見上げると、そこにいたのは、年端もいかない少年であった。

「さっき、ママが言ってくれたじゃない。僕は徳松(とくまつ)。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉だよ」

「綱吉ぃ?」

議員は、信じられないというような顔で彼を見ていた。彼が本当に綱吉だとしたら、なぜこのような少年の姿で現代に現れたのか。

犬公方(いぬくぼう)がなんの用だぎゃ! 生類憐れみの令でも出しに来たのきゃ!」

徳松は、あどけない笑みを浮かべながら答えた。

「その必要はないよ。この時代は、お犬様の湯屋も、髪結(かみゆい)も、宿屋まである。食事だって、お犬様のためのものがそこいら中で売っている。僕の時代よりもお犬様に優しいじゃないか。ただひとつ、『ほけんじょ』とかいうのを除けば」

彼の姿を見て、桂昌院は花が咲いたように明るい表情になった。

「徳松ちゃああああん! よく来たわああああ! 会いたかったあああああ!」

「うん! 僕も会いたかったよ、ママ! 僕嬉しいよ、生類憐れみの令は、この時代まで続いてたんだね!」

桂昌院は、着物の乱れも構わず、徳松に駆け寄り、抱きしめた。

「そうよおおお! これも、徳松ちゃんがお利口だったからよおお!」


徳松と桂昌院が、人目もはばからず抱擁を交わしている傍らで、議長は笑い転げながらのたうち回っていた。

「うひゃひゃひゃひゃ…むっ、そうでゃあ! 議員の皆さん、席に戻りゃーす!」

議長は、ふと何かに気づいた。議員達に呼びかけながら議長席に這いずっていく。議員及び市長は、足腰が立たなくなりながらも、どうにかめいめいの席に戻った。

「全員座りゃーたな! では(けつ)を取るぎゃ!」

そこで、市長も議員もすべてを察した。ここで、名古屋城建て替え予算案を廃案にするのだ。一旦決まってしまえば、一事不再議の原則により、同一会期中に同じ議題をあげることはできない。多少は時間稼ぎができるだろう。

建て替え賛成派でさえも、同じ考えであった。不本意だが、怒吝嗇斬の魔力のもとで予算案が通ったら、どんな無茶苦茶な名古屋城が建つかわかったものではない。予算案は、後日改めて出せばいいのだ。

「名古屋城建て替え予算案、賛成(さんせゃー)の方は、ご起立しとくりゃーす!」

誰も立つ者はいない。議長は、胸をなでおろした。

「では、名古屋城建て替え予算案、これにてはいあぶげら!」

議長は、みたび議長席の机に顔面を叩きつけられた。桂昌院が、徳松を抱きかかえてのしかかってきたのだ。

(けつ)が、どうかしましたの?」

桂昌院は、そのまま何度も議長の頭に尻を叩きつけた。議長の顔がどうなっているのか、想像するだに恐ろしい。

「させませんわ! あたくしが呼ばれたのは、あーたたちに『むだづきゃー』の心を教えるため。八木公方の呪いを、四度も起こさせないため! 萬五郎ちゃん、やっておしまい!」

「おう! おみゃーら! 歯ぁ食いしばりゃあ!」


天井にぶら下がっていた宗春が、議長席に降り立ち、怒吝嗇斬で水平に薙いだ。議長席を中心に、黄金の衝撃波が円形に広がっていく。議員達は、着席していたために全く対応できず、衝撃波をもろに食らってしまった。

「ぎゃあああああ…しかし…席を立つわけにはいかんでよ… この予算案…命に代えても…廃案にしてやるがやああああ…」

議員達は、桂昌院が議長の頭に押し付けているよりも強く、尻を椅子に押し付けた。名古屋市民の代表として、名古屋城を市民が望まない形にしてはならない。議員バッジなど、もはや惜しくはない。それに、自分たちだって名古屋市民だ。あんな男の言いなりになった名古屋城など、見たくはない。

「ふ…しぶてゃーでの…敵ながらあっぱれな侍魂だがね! しかし、これで最後でゃあ! 桂昌院様!」

「この禿げ茶瓶でござーますの? はい、どうぞ」

桂昌院は、尻をどけ、議長席を離れた。議長は鼻が変なふうに曲がり、朦朧としているものの、意識を失ってはいない。

「あ~、名古屋ういろうがふたつぅ… じゃない、おみゃーさんたち、まだ座っとりゃーすか! 今度こそ、予算案ははいあ…」

「怒吝嗇斬・丸八の構ええええええ!」

議長が言い終わらないうちに、宗春はもう一度回転斬りを食らわした。根性で着席していた議員たちを、再び黄金の衝撃波が襲う。さらに、中心にいる議長を、左に右に、八の字に斬り伏せた。

それでも、議員達は耐えた。民主主義最後の砦としてのプライドが、人間の限界を超えたのである。

「まーだ座ってますのね。あーた、女のくせに、侍に対抗してるつもりですの?」

桂昌院は、そばにいた女性議員に尋ねた。彼女は、汗だくになりながら着席を保っている。

「そうよ、私達は侍…でも、仕えているのはお殿様でも将軍でもない。私達を選挙で選んでくれた、名古屋市民よ!」

「『むだづきゃー』がたまには大事、ってあんたらの言い分も、少しはわかりゃーす…でも、そんなことは、市民が望んどらんのだわ!」

「私達は、市民の下僕。主人から預かった大切な税金を…こんなことで、『むだづきゃー』するわけにはいかないの! あんたたちとは、覚悟が違うのよ!」

桂昌院は、彼女らの気迫に圧されながらも、言うことが理解できないでいた。

「馬鹿馬鹿しい。百姓なんて、年貢を搾り上げてなんぼじゃござーませんの。もういいわ。徳松ちゃん!」

「うん、ママ! お犬様!」

このやり取りの間も議員にまとわりついていた犬達が、徳松の合図で、舐める速度を上げた。


***


それが、止めとなった。

「うひゃひゃひゃひゃ何するぎゃ、このマザコン野郎! おみゃーさんたち、この予算案、はん、はん…」

最後の力が、そこで尽きた。すべての議員は、膝小僧に撥条(ばね)でも仕込まれたかのように、勢い良く起立した。

「はん…反対(はんてゃー)反対(はんてゃー)だぎゃああああ!」

「おう! 賛成! 賛成(さんせゃー)だがね!」

「尾張名古屋に、景気よく金をばらまいたるぎゃあああ!」

最後まで抵抗を試みていた議長も、その脳味噌を頭頂部よりも輝くキンキラキンに変えられてしまっていた。

「全員起立しとりゃーすな! ではこの予算案、可決したぎゃああああ!」

「うおおおおお! 名古屋万歳(ばんぜゃあ)! 名古屋万歳(ばんぜゃあ)!」


全会一致による可決。外身も中身もまっキンキンに変えられ、市民への忠誠心も忘れさせられた議員達は、偽りの興奮に酔っていた。

必死の抵抗も、覚悟も、完遂できていないのでは意味がない。

どんなに滅茶苦茶であろうと、通ってしまった決議は、白紙には戻らない。名古屋城は、江戸時代から400年、戦災から100年守り続けてきたものを、失おうとしていた。


もうおしまいかと思われたその時。勝鬨をあげる議員達を制するものが現れた。

「ちょっと、待つがやあああああ!」

それは、怒吝嗇斬の魔力を逃れられた、ただ一人の人物であった。


(続く)

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