第231話「重要地点を調査することになったので、仲良く共同作業で準備をしてみた」
『聞いてもよろしいでござるか、我が主君』
「どしたのデス公」
『拙者はさっき、「闘技場の中から声が聞こえた」と申し上げたでござるよね?』
「そうだね」
『それを聞いた我が主君と皆さまは、拙者が聞いた声について調査をなさる、とおっしゃっておられる』
「うん。そのつもりだよ」
『どうして、そこまでしてくれるのでござるか?』
『闘技場』からの帰り道。
アイネの『お姉ちゃんの宝箱』から頭を出したデス公が、そんなことを言い出した。
『拙者は新参者でござる。見聞きしたものを気に掛けていただくほど、手柄を立ててないのでござるが……』
「手柄はそのうち立ててもらうよ」
僕は言った。
「デス公はパーティの仲間だ。気がかりがあるなら、解消した方がいいだろ」
『我が主君……』
「それに、デス公が聞いた声の主は『魔王の素体』に関わるものかもしれない。だから気になるってのもあるんだけどね」
デス公──正式名称『魔王鎧デスカタストロフ』は、文字通りに魔王のために作られた鎧だ。
たぶん、魔王と通信するための能力とかもあるだろう。
そしてリタは、「『闘技場』の中には祭壇があり、儀式の準備が行われてる」って言ってた。
調べる価値はあると思うんだ。
「でも、不思議なの。なぁくん」
「『武術大会』は魔王対策のためのものでありますよ。その会場に魔王が関わるものがあるというのは……おかしな感じがするのであります」
「アイネ、カトラス。落ち着いて聞いてくれ……」
これは、ずっと考えていたことだ。
いくら貴族だって、そこまでやらないだろうなー、って思ってたから、言わなかったんだけど。
「魔王がいなければ、勇者も英雄もいらなくなるんだ」
「「……あ」」
「正確には『魔王退治の勇者や英雄』だけどね。だからそういうのになりたい人は、魔王がいないと困るんだ」
物語では、魔王が存在しなくなったあとの勇者は、どこかへ立ち去るのがセオリーだ。
だから、勇者や英雄であり続けたい人は、魔王も存在し続けなければ困る。
というわけで、なにかの儀式で魔王っぽいものを呼び出したり、でっちあげたりするんじゃないかな、って思うんだ。
「──と、いうわけだよ」
「なるほど。すっきりしたの」
「ボクはまだ、よくわからないであります……」
カトラスは頭を振った。
「信じられないのでありますよ。勇者や英雄になるために、魔王を必要とする人がいるなんて……」
「……僕も確信はないんだけどね」
そこまではしないだろうな、って思ってる。
というか、信じたい。
そんな世界で、「働かなくても生きられる生活」を実現しても、あんまりうれしくないからね。
だから、自分の目で確かめたいんだ。
『参考までにうかがいたいのでござるが』
「なにかな、デス公」
『魔王に関わるものを呼び出したとして、それを倒した後、勇者はどうするのでござろうか。魔王がいなくなったら、勇者は必要なくなるのでござろう?』
「大丈夫。そしたら『大魔王』をでっちあげればいい」
「「『……なるほど!』」」
アイネ、カトラス、デス公が声をあげた。
「『大魔王』を倒したあとは『真の魔王』が。それを倒したら『超魔王』が。そのあとは『超絶魔王』をでっちあげれば、勇者をやりたい人は、100年くらい同じことを続けられるんじゃないかな?」
「……怖いお話なの」
「……たとえ話でありますよね? そうおっしゃってください!」
「……うん。たとえ話」
というか、魔王関係のものがあるってのの根拠は『デス公』の証言だけだし。
実際に確かめてみないと、なんとも言えないよね。
「とりあえず、『闘技場』に忍び込む前に、いろいろと調査をしておこうよ」
僕はアイネとカトラスに向かって言った。
「で、カトラスにお願いがあるんだ」
「はい。あるじどの」
「今日の夜。もう一回、『闘技場』まで付き合ってくれないかな?」
「警備状況の確認でありますね」
「うん。それと、フィーンの力も借りたいんだ」
「なぁくんなぁくん。アイネはなにをすればいいの?」
「アイネは『闘技場』について詳しく聞かせて。元・地元民として」
「わかったの」
そんな話をしながら、僕たちは宿に戻ったんだけど──
「ずるいですお兄ちゃん! イリスにも仕事をさせてください!!」
「なんでみんなそんなに働き者なの!?」
イリスまで仕事をすることないんだけどなぁ。
「僕たちは警備の隙をついて『闘技場』に忍び込むだけだよ? 別に戦闘がしたいわけじゃないし、ただデス公が聞いた声の正体を確認するだけなんだから、イリスは休んでてもいいんだよ?」
「……『闘技場』に忍び込むだけなのですね?」
「そうそう」
「となると、イリスは警備状況について、商人から情報収集をすればよいのですね?」
「……そうなるの?」
「そうなるのです」
イリスは勢いよく、首を縦に振った。
「イリスたちはイルガファ領主家が主催したツアーとして、この町に来ているのでしょう? そこで起きた事件に対して、イリスだけが仕事をしないというのは……」
「というのは?」
「……あとで旅行の思い出話をするとき、イリスだけ入りづらくなってしまいます」
「そんな理由なの?」
「はい。お兄ちゃんとの寝物語のネタは、できるだけ多い方がよいですから」
「寝物語かー」
「とにかく、イリスだけ仲間外れ、ひとりぼっちは嫌、ということですね」
なるほど。
そういうことなら、しょうがないな。
「わかった。じゃあイリスは、商人さんから情報収集をして」
「かしこまりました。この町にも『港町イルガファ』と関係が深い商人がおりますので、そちらから話を聞くことにいたしましょう」
イリスは服の裾をつまんで、一礼。
「これで安心です。イリス、仲間外れではなくなります」
「そこまで気にしなくてもいいんだよ?」
「お兄ちゃんのせいですよ?」
「僕のせい?」
「イリスはお兄ちゃんやみなさんと一緒にいるのが心地よくて……ついつい、一緒のことをしたくなるのです。なので、イリスを働かせるのは、お兄ちゃんの責任だと思います」
「そういうものなの?」
「そういうものなのです」
「ひとりぼっちで、仲間外れにならないように」
「はい、ひとりぼっちで、仲間外れにならないように」
「……こほん」
せきばらいが聞こえた。
振り返ると、レティシアがいた。
「……イリスさんが情報収集するのなら、護衛が必要ではありませんの?」
レティシアはちらり、と、横目でこっちを見た。
「ちょ、ちょうどわたくしは手が空いておりますわ。護衛を務めてもいいですわよ?」
「レティシアが?」
「今回、わたくしはうっかり子爵家に閉じ込められてしまいましたからね。なんとか逃げられたのは、ナギさんたちのサポートのおかげですわ」
レティシアはそう言って、うなずいた。
「わたくしはナギさんたちに借りがあるのですわ。護衛くらいさせてください」
「でも、レティシアは貴族に顔を知られてるよね?」
「……確かに」
「商人なら、貴族とも付き合いがあるからね。そこからレティシアの所在が知られる可能性がある。護衛を務めるなら僕が適任だ」
「いえ、変装すれば大丈夫だと思います」
イリスが言った。
「ちょうど『幻想空間』の新しい使い方を研究していたところです。それをレティシアさまに試していただきましょう」
「……イリスさん」
「レティシアさまだけを、仲間外れにはできませんからね」
「……いえ、そういうことではないのですけれど」
「ひとりぼっちにはいたしませんよ?」
「……ですから。そういうことでは…………って、ナギさんも、どうしてそんな優しい目をしていますの? 違いますからね。誤解しないでくださいな!!」
真っ赤になってるレティシアのことは、とりあえずおいといて。
僕たちは『闘技場』についての調査をはじめることにした。
その日の夜。
僕とカトラスは、『闘技場』の近くにやってきていた。
薄暗い町を、月明かりだけが照らしてる。
その中に浮かび上がった『闘技場』は、まるで黒いオブジェみたいだ。
『闘技場』の入り口にはかがり火が焚かれている。
入り口を守るのは、数人の衛兵さんだ。
「やっぱり、正面から近づくのは難しいか」
「こんな時間にも、警備の人はいるのでありますね」
僕とカトラスは路地の陰から、『闘技場』を眺めていた。
商業都市メテカルの『闘技場』は数代前の領主が作った施設で、イベントなどで使われているらしい。背の高い壁にかこまれた……僕の世界で言う円形闘技場みたいなものだ。
敷地はかなり広い。
北側には、参加者用の宿舎もあるらしい。
ちなみに正門があるのは南側で、僕たちが隠れているのもそのあたり──と、ここまではアイネとレティシアに教えてもらった情報だ。
「さすがアイネとレティシアだ。地元民だけあって詳しいな」
「昔のアイネどのは忙しくて、ここにはほとんど来ることはなかったようでありますが」
「当時のアイネは……一日24時間労働だったからね」
「あるじどのにお仕えしてからは、3分の1以下になったとおっしゃっているであります」
「めざすは12分の1くらいなんだけどな」
「桁違いの働かなさっぷりでありますな」
「『武術大会』の調査が終わったら、月イチで『食っちゃ寝の日』を導入するつもりだからね」
「こないだ『1日おひるねの日』を導入したばかりでありますよ。あるじどの」
「しょうがないじゃないか。みんな働き者なんだから」
話をしながら、僕は『真・意識共有』で繋がったリタから、情報をもらってる。
リタは少し離れたところで、僕たちの背後を守ってくれてる。
僕とカトラスに近づくものがいないか、『気配察知』でチェックしてるはずだ。
「……『闘技場』の側面に回ってみよう。そっちの警備も確認しておきたい」
「承知であります」
僕とカトラスは路地伝いに、闘技場の西側へと移動した。
──兵士がたくさんいた。
「……なんでこんなにいるんだろう」
「……今って、夜中でありますよね……?」
闇の中。鎧を着込んだ兵士が歩き回ってる。
位置がわかるのは、鎧が月明かりを反射しているからだ。
こっち側の衛兵さんは、なかなかいい鎧を着込んでるらしい。
「……北の宿舎の警備を厳重にせよ」
「……宿舎にはケルヴィス伯爵さまがいらっしゃるのだ」
「……1交代制だ。朝まで気を抜くな」
「……2交代制がいいなどという、甘えた者はおるまいな」
兵士さんたちは歩き回りながら、そんな話をしている。
……ケルヴィス伯爵か。
あの人は剣士を重んじる『元祖勇者ギルド』のボスだっけ。しかも、ヤマゾエの雇い主だ。
『闘技場』の宿舎に、その人がいるのか。
…………なにしてるんだろうな。
「これ以上近づくのは無理かな……」
今は衛兵が多すぎる。
ケルヴィス伯爵って人が『闘技場』にいて、要人警護のための兵士が大勢いるからだ。
チートスキルでなんとかするって手もあるけど──難しいな。
町中で派手なスキルを使ったら目立ち過ぎるからね。
……ケルヴィス伯爵のスケジュールがわかれば、対処法もあるんだけど……。
「せっかく来たんだ。ここから内部を探ってみよう」
「はいであります。では──」
「うん。フィーンを呼んでくれるかな?」
「承知であります!」
カトラスは胸に手を当てた。
神聖器物『バルァルの胸当て』に触れて、宣言する。
「来て欲しいであります。もうひとりのボク……フィーン!」
「お呼びでしょうか。あるじどの!」
『バルァルの胸当て』から、ふわり、と魔力が浮かび上がり──カトラスと同じ顔の少女、フィーンの姿になる。
「あたくしでなければできない仕事があるのでしょう? あるじどの」
魔力体のフィーンはふわふわと浮かびながら、僕の顔をのぞき込む。
「うん。フィーンの『神聖器物探索・改』で、闘技場の中を探って欲しいんだ」
『神聖器物探索・改』は、僕とカトラスとフィーンが『結魂』することで覚醒したスキルだ。
このスキルは近くにある『神聖器物』を見つけ出し、能力を見極めることができる。
効果範囲は半径数十メートル。だから、ここからでも『闘技場』まで届くはずだ。
「デス公さんに呼びかけていたのは、『神聖器物』かもしれないと、あるじどのはお考えなのですね?」
フィーンの質問に、僕はうなずいた。
デス公を作ったのは『古代エルフ』だ。
その『古代エルフ』は、アイテムや施設を作り、この時代まで残している。
だからデス公に呼びかけたのも、それに関わるものかもしれないって思ったんだ。
本当はもっと近づいてスキルを使いたかったんだけどね。
「わかりました。あるじどの。では……」
フィーンの身体が浮かび上がる。
そのまま建物に張り付くようにして、上へ。
カトラスが解説してくれる。今、フィーンは建物の屋根に腹ばいになってるって。
兵士に見つからないように、ぎりぎりまで近づいて──『神聖器物探索・改』を発動。
そして──
「ただいま戻りました」
フィーンは無事に、僕たちのところに戻って来た。
「結論から申し上げましょう。『闘技場』には『神聖器物』──のようなものがございます」
「──『神聖器物』のようなもの、か」
「それに近いものでした。それと、言葉を話すスキルと、意志を持っているところまでは読み取れました。けれど……通常の『神聖器物』とは少し反応が違うようです」
「……あるじどの。兵が集まりはじめているであります」
カトラスがつぶやいた。
見ると、『闘技場』のまわりを巡回する兵士たちが増えてきてる。
僕たちに気づいたわけじゃないようだけど……長居は危険だな。
「……警備の兵をなんとかしないと、入り込むのは無理か」
『闘技場』には、ケルヴィス伯爵が来ている。
そのせいで、警備兵が増えているみたいだ。この状態だと入り込めない。
「ここまでだ。今日は帰ろう」
僕たちはその場を離れた。
町中の施設だからね。調査は慎重にやろう。
「それにしても……ケルヴィス伯爵って人は、こんな夜中になにをやってるんだろうな?」
「夜は眠るものだと思うのですけれど……みんなで」
「うん。でも、今日は疲れたから普通に寝ようね」
「ええ、もちろんですとも、あるじどの」
フィーンは僕の肩に手をかけてふわふわと浮かびながら、そう言った。
それから、僕たちは宿に戻った。
ふたりには眠るように言って、僕は部屋で作戦を考えることにしたのだけど──
「とりあえず、ボクはあるじどのの肩をおもみするであります」
「あたくしは足をもませていただきます」
「……いや、眠ってって言ったよね」
「「『どこで』とはおっしゃいませんでした!!」」
「ご主人様に叙述トリックをしかけるのやめてね」
でも、血行がよくなったせいか、作戦はいくつか思いついた。
とりあえず『真・意識共有』でアイネとイリスに送って──
僕とカトラスとフィーンは川の字になって、眠ったのだった。
──翌日、イリスとレティシア──
「なるほど。今、メテカルでは、武器と食料の相場が上昇中、と」
イリスは、港町イルガファと取引のある商人の元を訪ねていた。
隣には、変装したレティシアが立っている。イリスの護衛役だ。
「…………変装とは、落ち着かないものですわね」
レティシアは金色の髪に触れた。
ふわり、と、やわらかい感触があった。
しかも縦巻きロールだった。
目線の高さは、いつもと変わらない。
いくら変装するといっても、身長を変えるのは難しい。視界が変わると動きも鈍くなる。それでは護衛にならないからだ。
視線を下げると──胸元に大きな膨らみが見える。
そのせいで足元が見えない。
これがリタやアイネ、ラフィリアが見ているもの──そう考えて、思わず感動しかけてしまう。
「…………ほんっと、落ち着きませんわ」
レティシアは部屋に置かれた鏡を見た。
金髪で縦巻きロールの、巨乳お嬢様が映っていた。
「レティシアさまだとばれないように、イリスが『幻想空間』で変装をほどこしましょう!」
馬車を降りる前に、イリスはそんなことを言っていた。
イリスのスキル『幻想空間』は、立体的な幻影を作り出すことができる。
それを使ってイリスは、レティシアの身体に『金髪縦巻きロールお嬢様』の幻影をかぶせたのだ。
さらにイリスは幻影に『竜の祝福』を加えていた。
『竜の祝福』はスキルで作り出したものに、『物理強化』を与えることができる。
なので、今のレティシアの姿には、物理的な感触まで備わっているのだ。
(……触れる幻影、って、怖いですわね)
しかも、イリスの想像力は完璧だ。
今のレティシアはどこから見ても『金髪縦巻きロールお嬢様』だった。
「お忙しいところ申し訳ございません。メリディアさま」
当のイリスは、涼しい顔で応対をしている。
さすがナギさんの嫁──とレティシアは思う。
12歳にしてイルガファ領主家の仕事をしてきたイリスには、スキルを使いながら話をするなど簡単なのだろう。
「お時間をいただいてすいません。父──領主がメテカルの物価と相場を確認しろ、と言ってきたもので」
「いえいえ、イルガファの領主さまには、いつもお世話になっておりますからね」
メリディアと呼ばれた女性の商人は、おだやかな笑みを浮かべた。
「それに、私も『海竜ケルカトル』をあがめるものです。巫女のイリスさまなら、いつでも歓迎いたしますよ」
「武器と食料の価格が上がっているということは……商売の機会、ということでしょう?」
「イリスさまのお察しのとおりです」
「港町イルガファには海運で届いた農産物があると思います。必要であれば、イリスから領主家の方に手紙を出しましょう。メリディアさまには、間に入っていただければと」
「それは助かります」
「急に武器と食料が必要になった理由というのは、やはり『武術大会』の関係で?」
イリスは、子どもっぽい口調で言った。
「イリスはまだ経験不足なのか……世の中のことにはうといのです。やはり大きなイベントともなると食料が必要になりましょう。セキュリティのためにも、衛兵が武器を欲しがるのもわかります」
(……見事な話術ですわね)
レティシアは小さくつぶやいた。
イリスは好奇心で目を輝かせている。
けれど、これは演技だろう──そう思いながら、レティシアはうなずく。
イリスの表情が、ナギを前にしているときよりも、ずっとずっと固いからだ。
『武術大会』が、うさんくさいものだということは知っている。
それに、いくら一大イベントだからとしって、急に武器や食料が必要になるのはおかしい。
イリスは、弱冠12歳とはいえ、港町イルガファの財務処理を行ってきた。
そのうえナギと同じくらい「悪だくみ」の才能がある。
今も相手から情報を引き出すため、ひとつひとつ、言葉を選びながら話しているのだ。
(こう言われては、町が武器と食料を必要とする理由を、つい話したくなりますわね)
「実は……ここだけの話なのですが」
レティシアの読み通りだった。
商人メリディアは、声をひそめ、イリスに顔を近づける。
「『魔王軍』が、人の世界への侵攻をたくらんでいるという噂があるのです」
「……『魔王軍』? 魔王ではなくて、でしょうか?」
「魔王本人ではなく、魔王の配下が操る軍です。そのせいで魔物が活性化しており、そのうち、町まで来るのではないか、と」
「それにしては、皆さま落ち着いていらしゃいますね?」
「あくまでも噂ですよ」
暗い空気を払うように、商人メリディアは、ぱん、と手を叩いた。
「噂には続きがあるのです。「『武術大会』の強者は力を示し、魔王軍を打ち払う。そうして彼らは自らが勇者であることを示すであろう」とね」
「よくあるフレーズですね」
「ですから、心配はしておりません。ただ、万が一のために武器と食料を集めておこう。そういう空気なのですよ」
「空気を読むのも、商人に必要な技術でしょうね」
「さすがイリスさま。わかっていらっしゃる」
「その『武術大会』を主催されているのは、きっと立派な方なのでしょうね……名前は失念してしまいましたが」
「ケルヴィス伯爵です。北の町ハーミルトの領主さまですよ」
「そうでした。ぜひ、お目にかかりたいものでしょう」
「残念ですが、今は『武術大会』一般参加者の選考をされているそうです」
「おやおや」
「勇者を決める『武術大会』ですからね。予備面接。一般面接。貴族面接と、なかなか手間がかかるようです」
「面接会場に向かうのも大変でしょうね」
「『闘技場』近くの宿舎に泊まり込みだそうです」
(……だから『闘技場』のまわりに、伯爵家の兵士がいたのですわね)
レティシアはナギから聞いた情報を思い出していた。
ナギは、兵士が多すぎて『闘技場』に近づきにくいと言っていた。
ということは、伯爵をそこから引き離せば、警備の隙を作れるはずだ。
(……おやおや、イリスさんったら)
ふと見ると、イリスの唇が、かすかに笑うかたちになっているのが見えた。
レティシアと同じことに気づいたようだ。
「なるほど、ケルヴィス伯爵さまは、毎日泊まり込みで面接をされているのですね」
イリスは手で口元を隠して、そう言った。
「その熱意には頭が下がります」
「こちらとしては、商品を買ってくださるお客さまですけどね。そんなわけで、今は少々、武器や戦闘向けのスキルなどが不足しております。港町イルガファから送っていただければ、高価く売れると思いますよ」
「ならば、仲介をお願いできますでしょうか?」
イリスは言った。
「ケルヴィス伯爵さまと直接お目にかかり、どれほどの武器と食料が必要なのか、うかがいたいのです。そうすれば必要なものを、『港町イルガファ』に手配することもできましょう」
「おお。それは願ってもない!」
商人メリディアは身を乗り出した。
「私は商品の取引で、何度もケルヴィス伯爵にはお目にかかっております。ぜひ、仲介させてください」
「まずは伯爵の予定を聞いていただけないでしょうか」
イリスはレティシアと視線を交わしてから、そう言った。
「ケルヴィス伯爵は『闘技場』で面接などをされているご様子。空いた時間……面接が行われず、伯爵が『闘技場』から戻られる時間などはあるのでしょうか?」
「商人ギルドに聞けばわかると思います。確認してみましょう」
しばらくして、商人メリディアが戻って来る。
ケルヴィス伯爵の予定はすぐにわかった。
明日の夜、商人たちとの面会予定が入っている。イリスもそこに組み込んでもらった。
つまりその時間、ケルヴィス伯爵は闘技場には不在になる。
彼を護衛する兵士たちも、引き上げるということだった。
「ありがとうございました。では、よしなに」
そう言って、イリスは席を立った。
護衛として控えていたレティシアも、軽く一礼する。
「取り引きがうまくいくといいですね。イリスさま」
「イリスは必要な量を確認するだけです。実際に取り引きをするのは父ですよ」
「ですが、久しぶりに大口の取引になりそうです。私もわくわくしています」
「こちらとしては、ほどほどの取り引きであれば充分です。『魚群を追いすぎて、陸の位置を忘れることなかれ』ということわざもございますからね」
イリスはにっこりと笑って、告げる。
「荷を積み過ぎた船は足が遅くなるもの。いくら大漁の荷を積み上げても、船が沈んではなんにもなりません。ケルヴィス伯爵との取り引きも、数ある取り引きのひとつにすぎない。そう考えておりますよ」
「……ご立派です。私も、見習うといたしましょう」
「どうぞ。ご自愛ください。それでは……」
イリスとレティシアは、商人メリディアの屋敷を後にした。
馬車に乗り込んでから、イリスは「はぁ」とため息をついた。
御者台に座っているのはリタだ。
フードをかぶって顔を隠した彼女は、イリスとレティシアが合図すると、ゆっくりと馬車を走らせはじめる。
「『港町イルガファ』でもそうでしたが、名うての商人相手は緊張いたしますね」
「そうですの? イリスさん。見事に情報を引き出してたじゃないのですの」
レティシアはイリスの顔をのぞき込む。
「相手が答えたくなるような言葉をちりばめる。実に見事な話術でしたわ」
「お兄ちゃんには通じないのですが」
「そうなんですの?」
「はい。セシルさまやリタさまと、どのように愛し合ってるのか探りを入れているのですが……」
「答えたら逆に怖いですわよ」
「リタさまとアイネさまは、あと一押しなのですけれど」
「……さすがは『港町イルガファ』で領主家の仕事をしていたイリスさんですわね」
「そんなことはございません。お兄ちゃんと一緒にいると……ついつい、甘えてしまいますから」
「そうなんですの?」
「だからいつも、自分に言い聞かせているのです『魚群を追いすぎて、陸の位置を忘れることなかれ』──甘えるばかりではいけない。イリスはお兄ちゃんの奴隷なのだから……役に立つことも忘れてはいけない、と」
「あれは商人さんへのアドバイスではなかったんですの?」
「はい。いつも自分に言い聞かせているものなので、つい、出てしまいました」
イリスは照れくさそうに頬を押さえた。
「……『闘技場』に忍び込むのは、明日の夜がよいでしょうね」
「……その日であれば、『武術大会』主催者の伯爵は不在。護衛もいないとなれば──見つからずに済みますわ」
「イリスはケルヴィス伯爵と、実際に会ってみるつもりです」
「わかりました。わたくしが護衛をつとめます」
「お願いいたします。レティシアさま」
「ところで……この『金髪縦巻きロールお嬢様』の幻影を、そろそろ消していただけません?」
レティシアは自分の顔を指さした。
いまだ、イリスの『幻想空間』は起動中。そろそろ顔の横で揺れる縦巻きロールがうっとうしくなってきていた。
「せっかくなので。お兄ちゃんに見ていただいたらいかがでしょう?」
「ナギさんに?」
「ええ。お兄ちゃんが、親友のレティシアさまだと見抜けるかどうか」
「イリスさんと一緒にいるんですから、一目でわたくしとわかるのではなくて?」
「寝起きのお兄ちゃんならわからないかもしれませんよ?」
「……そうでしょうか?」
「たまには、着飾った姿をお兄ちゃんにお見せしたいとは思いませんか?」
「わたくしとナギさんとはそういう関係では……」
言われて、レティシアは思い出す。
着替え──おしゃれ。
そういえば子爵家にいた時に、リタに自分のドレスを着せたことがあった。
可愛いポーズを取ってもらって、それをナギに送ったのだ。
リタはドレスなんか着慣れないから、レティシアが目の前で着替えて、ポーズを取って──
それをナギに『真・意識共有』で送って──
でも、『真・意識共有』はリタの見たものを送るスキルだから──レティシアの着替えシーンと、ドレスを着崩してポーズを取ってる姿も──
「──────っ!!」
「ど、どうなさったのですかレティシアさま。真っ赤ですよ?」
「……自分の失敗を思い出してしまっただけです」
「イリスでよければ、おうかがいいたしましょう」
「……ここだけの話ですわよ?」
レティシアはイリスに、子爵家で起きたことを告げた。
話を聞いたイリスは、何度もうなずく。
それから──レティシアに見えない位置で──不敵な笑みを浮かべた。
「わかりました。レティシアさまのお話は、よーくわかりました」
「他言無用ですわよ」
「もちろんです。誰にも言いません。言いませんから」
イリスはレティシアの手を取った。
「このお話は、イリスの胸にしまっておきます。それと、今回の事件が解決したら、レティシアさまの記録が気にならないように、イリスがお兄ちゃんに対して作戦を考えましょう」
「……イリスさん」
レティシアは年下の友人を見つめながら、目をうるませていた。
なので──
「…………イリスちゃん、なにかたくらんでない?」
御者台から聞こえたリタの声には、気づかなかったのだった。
ただいま「チート嫁」11巻と「ゆるゆる領主ライフ」2巻と「辺境暮らしの魔王」の書籍化作業のため、ちょっと更新が遅れ気味になっております。
来月にはひとだんらくすると思いますので、ペースが元に戻るまで、もうしばらくお待ちください……。
いつも「チート嫁」をお読みいただき、ありがとうございます!
「チート嫁」2巻のaudible版が11月15日に発売になりました!
スマホやパソコンで聞けるオーディオブックです。総録音時間は約8時間で、2巻の内容がすべて収録されています。もちろん、いちゃいちゃや再構築シーンも満載です!
通勤・通学のおともに、ぜひ、聞いてみてください!




