第223話「リタとレティシアによる、子爵家脱出作戦」
──リタ・レティシア視点──
「レティシアレティシア! ナギたち、メテカルに着いたんだって!」
「はしゃぎすぎですわ。リタさん」
お昼前。
読書中に不意に声を上げたリタを、レティシアはたしなめた。
ここは『商業都市メテカル』の、ミルフェ子爵家の屋敷だ。
レティシアは父の執事に誘われ、実家へと戻ってきた。
その後、父から「ミルフェ子爵家の名を上げるために『武術大会』に出るように」と依頼を受けたのだ。
情報収集をするつもりのレティシアは、ナギ直伝の話術で──
「大変魅力的なお話ですわ。ぜひ検討させていただきます。もちろん、前向きに考えてみたいと思います。ただ、判断材料に乏しいので、もう少し情報をいただければ更に興味が深まるかと思いますわ」
──という感じで回答をした。
結果、それなら……ということで、実家に留め置かれ、大会についての資料を与えられることになったのだった。
「ちょうどいいですわ、リタさん。『武術大会』の資料がまとまりましたので、『真・意識共有』でナギさんに送っていただけます?」
「今はちょっと……もう少し、ナギたちが落ち着いてからの方がいいかも」
「そうなんですの?」
「うん。お風呂上がりのカトラスちゃんが、すっごく照れた顔で、ナギを見てるから」
「……?」
「あと、カトラスちゃんを見守るアイネが、すっごくいい顔をしてるから」
「わかりましたわ」
「わかっちゃった?」
「ええ。おふたりは『魂約』や『結魂』に関わることをしているのでしょう」
「レティシアってすごいわね……」
「以前、ナギさんと『魂約』したセシルさんがとってもいい笑顔でしたし、それを知ったリタさんが今のカトラスさんと同じように真っ赤に……って、こら。わたくしの部屋でごろごろ転がるのはおよしなさい」
「…………わぅぅぅ」
床に転がりかけていたリタが、膝を払って立ち上がる。
「でも、カトラスちゃんも『魂約』か。どれくらい強くなったのかな?」
「あなたたちの『魂約スキル』って、まさに『ちぃと』ですものね」
苦笑いして、レティシアは机の上の資料に目を向けた。
ここ数日かけて、子爵家でまとめたものだ。
元々。リタとレティシアは、この『商業都市メテカル』に人が集まっているという情報を聞いて、ここに来た。
人が集まる理由は『武術大会』だ。これは結論が出た。
けれど、この大会がなにかおかしいことにも気づいていた。ナギから『真・意識共有』で届いた情報で、それは確信に変わった。
「ナギさんによると『面接対策ポーション』なんてものを売りさばいてたそうですものね」
「人を暴走させるのが一般の冒険者向けで、上客には本当に効果のあるポーションを、だもんね……」
そのポーションを飲んだものは強くなる。
おそらく、貴族たちも使ってくるだろう。
「しかも『武術大会』には、シード枠というものがあるんですものね……」
これは子爵家に来てから知ったことだ。
通常の参加者は、予選を戦ってから決勝戦に進む。決勝に選ばれるのは12名。
しかし、そのうちの8名は主催者が選んだ、シード枠だ。
「シード枠に入ってるのは、『貴族ギルド』の最強剣士、タナカ=コーガ。北の町ハーミルトの領主、ゲルヴィス伯爵。剣士ヤマゾエ=タカシ。それと、子爵家令嬢レティシア=ミルフェ、ですわね」
思わず頭痛を感じて、レティシアは額を押さえた。
「わたくしは第3試合まで勝ち残り、最強剣士タナカ=コーガと接戦の末、敗れる。しかし、その美しさと勇気がたたえられ、ミルフェ子爵家は名を上げるそうですわ」
「ベスト8まで残ったことで、王家が新設する組織の一員になれるんだもんね……」
「「……はぁ」」
リタとレティシアは、そろってため息をついた。
この武術大会は出来レースだ。
すでに誰が勝つのかも、誰が優勝するのかも決まっている。
それは屋敷に戻ってすぐ、父に聞かされたことだ。
思い出したくもなかった。
くどいほど繰り返された。
「お前を武術大会にエントリーするのに、どれだけ手間をかけたと思う?」
「子爵家が名を上げる好機なのだ」
「他の貴族にも『うちの娘は決勝に出る』と手紙を書いてしまった」
「貴族間のパーティでも話した」
「これが最後? そんなこと誰が言った? 『契約』など、親子間でそんな堅苦しいもの必要なかろう」
──そんな話を。
「そろそろ潮時ですわね」
充分な情報は手に入れた。着替えて、この屋敷から脱出するべきだろう。
そう思ってレティシアは、ドレスに手をかけた。
「資料はまとめましたが……リタさん。他に屋敷でしておくことはありますの?」
「待って。ひとつ、大事なことを忘れてたの」
「……なんですの?」
「レティシア。ちょっとそこに立って。右手を胸に当てて、左手は、スカートの裾をつまんで。そう、そのまま、こっちを見て」
リタはレティシアをじっと見つめながら、彼女のまわりを移動して、それから──
「もういいわ。着替えても大丈夫よ」
「どうしましたのリタさん。まさか、ドレスになにか仕掛けが?」
「ううん。ナギに、レティシアのドレス姿を見せてあげようと思って」
リタはにっこり笑って、言い放った。
その顔を見て、レティシアの目が点になる。
「……まさか、『真・意識共有』で!?」
「うん。だって、貴族のお嬢様姿のレティシアって貴重じゃない?」
「……リタさん」
「ドレス姿のレティシアって、すごくかわいいもの。見せてあげたら、きっとナギも喜ぶ──って、レティシア!?」
「もー! リタさん。リタさんってば!!」
ぽこぽこぽこぽこ!
レティシアの拳が、リタの肩を叩く。
もちろん、力は入っていない。
痛みもない。リタの胸が揺れただけ。
「交代ですわ!」
「交代?」
「むしろリタさんのドレス姿を、ナギさんに見せるべきなのですわ! 準備なさい」
「あ、あのね。『真・意識共有』は、私が見たものをナギに送るものだからね。自分の姿を送ることは──」
「ここに鏡があります!」
レティシアは大きな姿見を、リタの前に置いた。
ついでに別の鏡を後ろに置いて、リタの後ろ姿も見えるようにする。
「脱出前の一仕事ですわ。リタさんの貴重なドレス姿を録画して、ナギさんに送って差し上げなさい」
「わ、私が? で、でもでも、私、ドレスなんか似合わないもん」
「大丈夫です。似合ってますわ」
「でも……ドレス姿をナギに送るなんて……そんな恥ずかしいこと……」
「その恥ずかしいことをわたくしにさせた人がなにを言いますの」
「…………うぅ」
「わたくしはナギさんの親友です。その親友が、ナギさんの喜びそうなことを、彼の奴隷──いえ、嫁であるあなたにお願いしてるのですけれど?」
「……レティシア、ずるいよ」
「あなたのご主人様を見習ってるだけです」
レティシアは鏡の位置を調整しながら、ふっふーんと、不敵な笑みを浮かべた。
「それに、わたくしもナギさんに、いつもとは違ったかわいさのリタさんを見せてあげたいですもの」
「……もーっ。レティシア……」
「さぁ、どうしますの?」
決断を迫るレティシア。
リタはドレスの裾を押さえて、鏡に映る自分を見つめている。
その姿を「ご主人様に見せたい」と思うなら、『真・意識共有』は願いを叶えてくれる。
スキルを起動して、あとでナギに送ればいい。
かわいく撮れなかったら……削除すればいい──そう思ってリタは心を決めた。
「わかったわ……やってみる」
覚悟を決めたリタは、ドレスの裾をちょん、とつまんだ。
まずは貴族の少女がよくやる挨拶から。
恥ずかしさに顔を真っ赤にして、リタは最初のポーズを巧みに決める。
「いいですわ。じゃあ、次は──」
レティシアは鏡の位置を調整しながら、リタに指示を出す。
振り返るリタの金髪が、ふわり、と揺れる。
同性のレティシアから見ても、リタはたぐいまれな美少女だ。
親友に動画を送るのならば、その魅力を十分に引き出さなければいけない。
「これは責任重大ですわ」
レティシアは表情を引き締め、リタに指示を出していく。
映像の中のリタが、最も魅力的に見えるように──
「リタさん、もう少し、動きのあるポーズをお願いしますわ」
「野性的な感じがいいのかなぁ。ちょっとドレスを着崩してみるのは?」
「やってみましょう」
こうして、リタとレティシアによる『動画撮影会』は続き──
「「…………はっ」」
気がつくと、2時間が経過していた。
「……あのね……レティシア」
「……なんですの、リタさん」
「この動画、ナギに送っても、本当に大丈夫かな……?」
「ちょっと暴走しすぎましたわ……」
「とりあえず、服をちゃんと着てから考えるわね」
「そういたしましょう」
リタはひとつしか留まっていないドレスのボタンを外し、皺になってしまったそれを脱ぎ捨てた。
レティシアも同じだ。
リタに見本を見せるために、うっかりドレスを着崩してしまった。
自分がどんな格好をしてたか思い出して、いまさら顔が熱くなる。
「でも、問題ないですわ。送るのはリタさんの動画ですもの」
「言いにくいんだけどね、レティシア」
「なんですの?」
「『真・意識共有』って、私が見たものを動画として、ナギに送ることができるの」
「知ってますわ。それで?」
「撮影中、レティシアは『こんな感じですわ』って、ポーズの見本を見せてくれたよね」
「ええ、リタさん、その通りにしてたじゃありませんの」
「うん。ちゃんとレティシアのポーズを見て、真似したから」
「そうですわね。リタさんはちゃんとわたくしのポーズを見て──」
はっ。
レティシアは目を見開いた。
『真・意識共有』は、リタの見たものを動画としてナギに送る。
リタはレティシアのポーズを見て、かわいいポーズを取っていた。
と、いうことは──
「……リタさん」
「……レティシア」
「動画をどうするかは……ここを出てから決めることにしません?」
「賛成。ここを出て、ナギに聞いてみよ?」
「それは駄目ですわ。ナギさん、絶対見たいって言うに決まってるじゃありませんの」
「そうなの?」
「そうですわよ。ナギさんならきっと『リタの可愛い姿なら絶対に見たい。永久保存してリピート再生する』とか言うに決まってますわ」
「さすがレティシア。ナギのことがわかってる」
「親友ですもの」
「親友の言うことだもん。間違いないよね」
「ええ、ナギさんは絶対にリタさんの可愛い動画を欲しいって言いますわ。消したら怒られ──あ」
「……『送信』っと」
「あ──────っ!」
子爵家令嬢レティシア=ミルフェが、墓穴を掘った瞬間だった。
──さらに数十分後 ミルフェ子爵家の廊下で──
「お待ちください! レティシアさま。お客さま!!」
廊下で控えていた兵士たちは、レティシアとリタの姿を見て、声を上げた。
ふたりとも、それぞれ革鎧と神官服に着替え、背中には荷物を担いでいる。
どう見ても旅支度だった。
「部屋にお戻りください! 『武術大会』の日まで、おふたりをお屋敷の外には出さないように、と、子爵さまからご命令が出ております」
「どうぞ、お部屋にお戻り下さい」
兵士たちは棒を交差させ、ふたりの行く手を阻んだ。
「まぁ、それは困りましたわね。部屋に閉じこもったままでは、身体がなまってしまいます」
レティシアはお嬢様っぽく首をかしげた。
「子爵家として恥ずかしくない成果を残すためにも、少しは身体を動かして、大会に備えなければ」
「訓練のスケジュールは、すでに子爵さまが用意されていらっしゃいます」
「お父さまが?」
「はい。練習相手の方が、これからいらっしゃるそうです」
「まぁ、それは失礼いたしました」
レティシアは、ふぅ、と、肩を落とした。
彼女の表情がゆるんだのを見て、衛兵たちも身体の力を抜く。
「そういうことであれば、これで失礼いたしますわ。お役目ご苦労様です」
レティシアはそう言って、深々と頭を下げた。
「これはこれはごていねいに」
「レティシアさまにそう言っていただいて、我々も助かります」
彼女につられて、兵士たちも深々と頭を下げる。
十数秒後。
やっと兵士たちが顔を上げると、レティシアたちの姿は消えていた。
「え? レティシアさまは……どこに?」
「部屋に戻られたんじゃないのか……?」
足音はしなかった。
振り返って廊下の先を見ても──彼女たちの姿はない。
兵士の立場で、貴族の令嬢の部屋に踏み込むわけにはいかない。
彼らは急いで屋敷のメイドを呼んだ。
「冗談じゃない。『武術大会』のために、俺たちは雇われたのに!」
「すぐに探せ! あのお嬢様方を連れ戻すんだ!」
兵士たちは叫びながら、走り出した。
「作戦成功ですわ」
「しばらくそのままでいいわよ。レティシア」
屋敷の廊下を、リタはレティシアを背負って走っていた。
こんなこともあろうかと、ナギから『屋敷脱出作戦』を立ててもらっていたのだ。
方法はシンプルだ。
リタとレティシアは最短距離で屋敷から出て行く。
途中で人に出会ったら、レティシアは『強制礼節』で挨拶をする。
その間、動けないレティシアを、リタが背負って走る。それだけだ。
「ナギさんの作戦はシンプルで効果的ですわよね」
「間違えようも外しようもないもんね」
ふたりは突き当たりの窓から庭に出た。
リタはレティシアを残して、庭木を駆け上がる。
一気に塀の上までジャンプし、カーテンを千切って作ったロープを垂らした。
リタが荷物を塀の向こうに落としているうちに、レティシアはするするとロープを登っていく。
「さすがレティシア、慣れたものね」
「子どものころから、よく脱走してましたもの」
半分まで登ったところで、リタの手が届いた。
「待つのだレティシア! どこへ行く気だ!?」
ふたりが塀の上に立つと同時に、声が響いた。
見ると──屋敷からレティシアの父、ミルフェ子爵と、衛兵たちが出てくるところだった。
「外に出ることは許さん! 子爵家はすでに『武術大会』にエントリーしているのだぞ!」
「お腹が痛いのでお休みしますわ」
「許さん! お前は第3戦まで進み、最強剣士にあと一歩のところで敗れると、話が決まっているのだ!」
「決まっているのなら、お父さまが参加すればいいのです」
レティシアは父を見下ろしながら、ため息をついた。
「あるいは、父さまの後妻の方の子どもでも、わたくしの代わりに子爵家を継がせる予定の従兄弟でもよいでしょう。そういう話が進んでいることは、もう10年前から知っていますわ」
「……レティシア。お前は」
「わたくしはもう、充分に仕事をしました。イルガファで行われた、『新領主おひろめパーティ』にも参加して、ミルフェ子爵家の名代として使命を果たしました。あれで最後という約束でしたでしょう? 自由にしてください。父さま」
「わかった。これで最後だ」
「……『契約』してくださいますか?」
「堅苦しいことを言うな、我が娘よ」
「そうですわね。わたくしも、堅苦しいことは嫌いですわ」
レティシアは父と兵士を見回して、一礼した。
小声でつぶやく。「発動『強制礼節』」と。
そして──
「さようなら。またお会いすることもあるでしょう。あなたがたの健康と平和を願っていますわ」
「「「「「これはどうもごていねいに──────」」」」」
「「「「…………はっ!?」」」」
ミルフェ子爵と兵士たちが頭を下げて──上げると──
レティシアとリタの姿は、屋敷から完全に消えていたのだった。
いつも「チート嫁」をお読みいただき、ありがとうございます!
第224話は、明日か明後日くらいに、更新する予定です。




