第189話「海岸地域攻略戦(その1) レティシアチームのぼうけん」
──数日後、『新人研修』現場にて──
「気合いが足りん! そんなことで『インスパイア・ヒュドラ』を動かせるか!」
緋色のローブをまとった男性──『教官魔道士』は、居並ぶ研修生に向けて叫んだ。
「「「はい! 申し訳ありません! 教官魔道士ロード=オブ=ヴァーミリオンどの!!」」」
海岸に並んだ『研修生』たちは、直立不動で答えた。
『教官魔道士』は剣を手に、彼らの前を往復しながら──
「この『新人研修』は、雇い主に言われたからとはいえ、お前たちが自分の意思で始めたものだ。なにがあろうと自己責任。嫌ならいつでも帰っていいのだぞ!」
「ほんとう、ですか。だったらわたし……そろそろ」
「ただし、途中で帰った奴は、自分で決めたことさえもやり遂げられない駄目人間だ! そのように雇い主やギルド、商会に報告する。あとの仕事がどうなるか、考えてみることだな!!」
「…………あぁ」
「さあ、ランニングが終わったあとは組体操だ。これによって魔力をオレに集めよ。みんなの心をひとつにして、使い魔を動かすのだ。協調性が十分かどうか、ここでわかるのだからな!!」
『教官魔道士』は手を叩いた。
それを合図に『研修生』たちが移動をはじめる。
ここは、保養地ミシュリラの北部にある、海岸地域。
砂浜にいるのは『研修生』たち。職場や知り合いのすすめで『新人研修』を受けに来た者たちだ。
性別も年齢もさまざまだが、みんな着ている服は同じだった。
ぼろぼろの布を、帯代わりの紐で留めたもの。表面にはグループ名と数字が描かれている。
「順番に移動。AからEグループ。各自点呼して、組体操を始めよ!」
「「「「「「──はい」」」」」
『研修生』たちはうつろな表情のまま『魔力差し出し組体操』の準備に入る。
それを見ながら『教官魔道士』は、腰にゆわえた袋から水晶玉を取り出した。
「オレ自身の『呪い』の影響は軽微。あと1時間は動けるか」
水晶の曇り具合を確認して、『教官魔道士』はつぶやいた。
この水晶玉は『呪い』を防ぐ効果を持つマジックアイテムだ。持ち主の代わりに『呪い』の影響を受け、限界が来ると完全に黒くなる。現在は灰色。彼自身の仕事はまだ終わっていないし、もう少し活動を続けるつもりだった。
「この砂浜は、まだ『呪い』の影響が弱いからな。護符があれば保つだろう」
『教官魔道士』は周囲を見回した。
砂浜の先には小舟が停まっていて、その向こうには『研修生』を収容する大型船がある。
反対側は岩山だ。
北の方に向かうと、砂浜がなくなり、切り立った崖に直接波がぶつかっている。
人魚が住んでいたのはあのあたりで、『呪い』の影響が一番強い場所でもある。
人魚の住処には、遠い昔に封印されたダンジョンがあるという。
そこは『呪われた地』の中心だ。護符があっても、長時間はいられない。
だからまず、耐性を持つ人間を見つけ出す必要があった。そのための研修だ。
さらにこれには、従順な働き手を作り出す効果もある。
研修が終わった彼らは貴族の屋敷やギルド、商会で、脇目も振らずに働くようになる。雇い主はみんな喜んでいる。
『教官魔道士』の組織としては、自分たちの協力者を送り込むことになる。一石二鳥だった。
「しかし……『呪い』に押しつぶされ、何も考えなくなる者ばかりだな。使えん」
『教官魔道士』は黒髪を潮風になびかせ、つぶやいた。
砂浜では『研修生』たちが組体操を始めている。
10人一組になっての、ピラミッド型の体操だ。全員が一体となることで、魔力を集める効果がある。砂浜には魔法陣が描かれている。彼らが集めた魔力を、『教官魔道士』が利用するためのシステムだ。
「きょ、『教官魔道士』どの……これ以上は、むりです」
「誰が口をきいていいと言ったか! グループD。1番から10番!」
「いえ……この人数では、かたちが……ととのわなくて……」
「言い訳するな!」
『教官魔道士』は叫んだ。
砂浜の上できれいに整った『魔力差し出し組体操』。
美しい光景だったが、Dグループのものだけがゆがみ、いびつな形になっていた。
「…………4番が……いません……」
「4番だと? 逃げたか……そいつの名前は?」
「…………」
「仲間の名前くらい覚えておけ! 連帯責任だ。お前たち全員ついてこい」
『教官魔道士』は研修生を引き連れて走り出す。
「この『新人研修』はヒルムト侯爵に依頼された重要な仕事だ。脱走など許すものか」
『教官魔道士』は、浅瀬に停まった大型船に視線を向けた。
あの中にはヒルムト侯爵と──もうひとりの『教官』がいる。
その顔を思い出した『教官魔道士』は、思わず奥歯をかみしめる。彼のライバルにあたるもう一人の『教官』は、すでに呪いに耐性を持つ者を何名か見つけ出している。船にいるのはそれを評価されているからだ。
『競え。勇者といえど、使えない者は棄てるのみだ』
「『Dグループ4番』を探しに行く。名前は知らぬ。性別は女性、髪の色は青だ。それで判断しろ」
『教官魔道士』は、研修生に向かって告げた。
「残りの者は組体操を続けろ。オレが戻るまでな。あとで休憩を──水分補給と深呼吸を許す」
「「「「「はい」」」」」」
砂浜にいる研修生たちが、うつろな目で答えた。
それを満足そうに眺めてから、『教官魔道士』はつぶやく。
「逃げる奴は『呪い』に多少の耐性を持つが、命令には従わない。従う者は耐性がない。難しいものだな」
『教官魔道士』ロード=オブ=ヴァーミリオンは走り出した。
──海岸近くの岩山近辺(呪いの圏外領域) レティシアチーム──
「では、作戦を開始しますわ」
集まった仲間に向かって、レティシアは言った。
ここは海岸にほど近い岩山。その中腹。聖女デリリラに教えてもらった安全地帯だ。
土地の『呪い』が影響を与える範囲は、デリリラの意見を聞いて、ナギがしっかりと地図に記してある。誤差も計算に入れ、安全距離を取っている。ここならは影響はないはずだ。
「ラフィリアさん。ナギさんからメッセージは来てますの?」
「『意識共有・改』ですねぇ。来てますよぅ」
岩山に生えた木々に隠れながら、ラフィリアはうなずいた。
「マスターたちはここから徒歩20分くらいのところで待機してるです。あたしたちが騒ぎを起こしたら、動く予定ですぅ」
「カトラスさんの準備は?」
「ただいまフィーンを呼び出すであります!」
カトラスは装備した『バルァルの胸当て』に触れて、目を閉じた。
「もうひとりのボク、フィーン! 索敵をお願いするであります!」
『了解いたしました!』
カトラスと同じ顔の──少し髪が長く、瞳の色が違う少女が、ふわり、と現れた。
『では、樹の上からまわりの様子を見てまいりますわ。詳細はカトラスに!』
そう言ってフィーンは軽やかに枝を蹴り、空中に飛び上がった。
魔力でできた身体を持つフィーンは、空を飛ぶことができる。索敵と偵察には得意中の得意だ。
『まー、なにもないとは思うのですけれどね』
フィーンは枝と葉っぱの間に隠れながら、一番高い枝まで登っていく。
『あたくしたちは相手の注意を引くだけの簡単なお仕事。なにもなければラフィリアどのに「火球」の2、3発もぶちかましてもらって──あらやだ。誰か来ますわ』
「異常あり、でありますな」
地上のカトラスがレティシアの方を向いて、言った。
「誰かがこっちに向かってきている、と。詳しくは……ふむふむ。若い女の子で、青い髪で……ひどく疲れているようであります、と、フィーンは言ってるでありますよ」
「武装しておりますの?」
「……してないそうであります。というより、戦える状態じゃないであります。顔色も悪く、目もうつろで、着ているのは数字が描かれた服……おそらく『新人研修』の研修生さんでありますよ」
そこまで言って、カトラスは報告を終えた。
『どうするのじゃ? 貴族娘よ』
レティシアの背中から声がした。
ナギから預かった、魔剣のレギィだ。
『このチームはお主がリーダーじゃぞ』
「その『研修生』さんは新人研修から逃げてきたと思われます。保護しましょう。情報くらいはつかめるでしょう。ラフィリアさんはナギさんに、そのことを伝えてくださいな」
「わかりましたぁ」
『脱走者だと思わせて、研修を探りに来た者を攻撃する作戦ということもありうるぞ? そうなったらどうする?』
「どのみち、相手の注意を引くのがわたくしたちのお仕事ですもの」
レティシアは魔剣レギィを握った。
「罠があるなら、『ちぃとすきる』で食い破るだけですわ。協力してくれますわよね? レギィさん」
『むろんじゃ。主さまからは、貴族娘を助けるように言われておるからの。貸しひとつじゃぞ』
「いいですわ。どーんと来い、ですわ」
不敵な笑みを浮かべるレティシアと、鞘を鳴らすレギィ。
その間も樹の上ではフィーンが偵察を続けている。彼女から得た情報を、カトラスが伝え続ける。
作戦通り、ラフィリアは姿を消している。彼女はナギへの通信役。最後まで無事でいてもわらないと困るからだった。
「──来るであります」
カトラスが合図したとき──木々の向こうから、やせた少女が現れた。
「……はぁ。はぁ……もう、駄目。これ以上、はたらけない……」
震える手で草むらをかき分け、ふらつく脚で少女が駆けだしてくる。
汗だくで、髪はぼさぼさ。着ているのは布を帯でとめただけの簡素な服。ご丁寧に右下に「Dグループ4番」という文字が書かれている。
少女は地面に膝をつき、立ち上がろうとして──レティシアたちの存在に気づいて……
「ひ……ひぃっ! ち、違います。水を飲もうとしただけです……決められた時間しか飲めないのはわかってますけど……もう、のどが、かわいて……」
「落ち着いて。わたくしたちは通りすがりの冒険者ですわ」
「…………え……あ」
「あなたのお名前は?」
「…………Dグループの4番……青髪の小柄……です」
少女は涸れた声で、そう言った。
「朝食当番では第3グループに所属してます。声が小さいから、罰として週3回当番をやって……やらせてもらってます。本当は魔法を覚えたかったけど、そっちのグループに入るには条件が足りなかったので、近接戦闘組です。そちらはランクEで……」
「それはお名前ではないでしょう?」
レティシアは少女と目線を合わせ、優しく問いかける。
「……あ、あ……あ」
「落ち着いて。すぐに言葉にできなくても、誰もあなたを責めたりはしません」
「あ、わたしは、冒険者、で」
「はい」
「先輩に、言われて、『新人研修』に出れば強くなれるって……でも、適性がないって。何のために生まれてきたのかってことまで、言われて……恐くて」
「がまんできなくなったんですわね」
レティシアの問いに、少女はうなずいた。
カトラスが彼女の口元に、水袋を差し出す。少女はむさぼるようにそれに口をつけ、中の水を飲み干す。少女の手足は砂まみれで、肌もかさかさだった。
「……あの場所にいると……おかしくなりそう……なんです。みんな変なこと言ってるのに……それが普通のことのように思えてきて……戻れなくなるんじゃないかって……。
……でも、逃げ出したら……駄目人間だって噂を流すって、二度と仕事ができなくなるって。悪い噂を流すって……でも、がまんできなくて」
研修生の少女は自分の肩を抱いて、震え出す。
「……わたし、おかしいですよね? おかしいの、わたしですよね?」
「いいえ。あなたは正しい判断をしたと思いますわ」
レティシアは少女の肩に触れた。
「冒険者ギルドだって、そこまで愚かではありませんわ。それでも心配なら、港町の冒険者ギルドにお行きなさい。あそこは領主さまが変わったばかりで活気に満ちています。無理をしなくても、ちゃんとした仕事が得られますわ」
「…………はい…………はい!」
『研修生』の少女はしゃがみ込んだまま、泣き出し始めた。
それを見つめるレティシアの耳元に、カトラスが語りかける。
「……フィーンより報告であります。追跡者が来る、と」
「──追跡者。もしかして……『インスパイア=ヒュドラ』!?」
不意に『研修生』の少女が叫んだ。
「『教官魔道士』が言ってた! やる気のない者……いらない者は、海辺に現れるという『インスパイア=ヒュドラ』が食べてしまうって! ああ。あああああっ!」
少女が叫んだとき──また、草むらが揺れた。
同時に、人の声と足音が近づいてくる。
「おや、こんなところに冒険者か。困るなぁ」
現れたのは、緋色のローブを身につけた男性だった。
その後ろには9人の男女が立っている。全員、少女と同じ服を着ている。彼らも『研修生』だろうか。彼らは全員、手に棍棒を持っている。棒の表面には文字が書いてある『やる気注入』だ。
即座に棒の使い方を理解したレティシアとカトラスが目を見開く。
「保養地の冒険者ギルドには『お願い』をしていたはずなんですがね。この地ではヒルムト侯爵主催の『研修』を行うため、一般人はなるべく近づかないように、って」
「それは失礼いたしましたわ」
レティシアは立ち上がり、脱走『研修生』の少女の前に出た。
「ですが、それはあくまで『お願い』ですわよね? 強制ではないのでしょう?」
「はい。自主的に。自分の意思で『近づかない』ことに決めるように『お願い』しただけ。こちらはなにも強制はしていません。その『研修生』のようにね」
「……『教官魔道士』ロード=オブ=ヴァーミリオン……さま」
「んん?」
研修生の少女の震える声に、ローブの男性──『教官魔道士』が彼女を見た。
「どうしたのかな、『Dグループ4番』。疲れたのかなぁ。言ってくれればあとで休憩時間をあげたのに、どうしてこんなところにいるのかな? 言ってごらん?」
「……ひっ」
『脱走研修生』の少女が後ずさる。
『教官魔道士』の言葉は優しい。けれど、顔が笑っていない。
眉をつり上げて、唇をゆがめて、今にも喰ってかかりそうな顔だった。
「言えないのか? 残念だな。『お互いの秘密を打ち明ける研修』は済ませただろう? なのにそんな口ごもるなんて、研修時間が足りなかったのかな?」
「わ、わたし……やめます。帰ります!」
「ほぉ……」
「……研修の施設から離れたら……自分がすっごい無理してたの……わかったんです。途中で投げ出してごめんなさい」
少女はふらつく脚で立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ということですわ。冒険者同士の相互扶助ということで、この子はわたくしたちが町へ連れ帰ります」
「……あなたがたは通りかかっただけなのでは?」
「相互扶助と申し上げましたでしょう? 傷ついた冒険者が助けを求めていた場合、他の冒険者は優先的に助ける権利があるのですわ」
レティシアは震える少女の手を取った。
その隣に、カトラスが移動する。左手に盾を構え、レティシアと少女を守る位置に立つ。
レティシアもカトラスも、まっすぐに『教官魔道士』を見つめている。
視線はなるべく動かさない。
他の2人の位置を、知られないように。
「あなた方の邪魔はいたしません。ただ、自力帰還が難しい冒険者を救助する。それだけですわ」
「ボクも以前、むずかしい資格試験を受けようとしたことがあるので、わかるのであります」
カトラスがレティシアの言葉を継いだ。
「資格も研修も、自分のことなんでありますから『興が乗ったわ!』で始めて、『だが、すでに興が乗らぬ!』で辞めればいいのでありますよ」
「あら、いいことを言いますわね」
「最近『かっこいいセリフ』の師匠ができたのであります」
「そうですか。その師匠さんなら、きっといいタイミングでわたくしたちを助けてくれますわ」
「ふふ。期待できるでありますな」
レティシアとカトラスは視線を合わせてうなずきあう。
「というわけで、わたくしたちはこれで失礼しますわ」「行きましょう。ボクたちと」
「……は、はい」
レティシアとカトラスは『研修生』の少女の手を取り、後ろに下がる。
『教官魔道士』は後ろ手になにかをつかんでいる。その背後では、他の『研修生』たちが叫んでいる。
「4番ちゃーん」「研修に戻ろー」「みんな待ってるよー」「ここまで一緒にがんばってきたじゃないー」
うつろな目で、感情のない声で、棍棒を手に。
「きみはできるこだってしんじてるよー」「みんなで力を合わせれば、できないことなんかないよ」「教官魔道士さまはきびしいことをいうけど、それは君を思ってのことだよー」「おいでよー」「こっちにおいでよ」
「ふむ。それがDグループの総意なら、4番を逃がすわけにはいかないな」
『教官魔道士』は剣を手に、告げた。
「それに4番には、呪いへの『耐性』──いや、隠れた才能があるようだ。もう少し教育して、役目を果たしてもらわなければな!」
「みんな仲間だよ」「待ってるよ」「一緒に帰ろう」「帰ろ」「帰ろ」「帰ろ」「帰ろ!!」
「君たちの自主性を尊重しよう。なのも考える必要はない。4番と、ついでにあの冒険者たちも取り押さえるがいい!」
「「「「はい。教官魔道士さま」」」」
『研修生』たちが棍棒を手に、レティシアとカトラスに向かって走り出す──
べちゃ。
その脚に、ねばねばしたものが絡みついた。
「みんな仲間」「がんばって帰ろう」「研修しよう」「しよう」「あれ」「あれれ」
ずざざざざーっ。
研修生たちが、一斉に倒れた。
レティシアたちを捕らえることに集中していた彼らは、足元を見ていなかった。そのまま、文字通りひとつの生き物のように固まって転がり、もがきはじめる。
「……スライム? ばかな! いつ現れた!? そんなものの姿は見えなかったのに!?」
『教官魔道士』が叫んだ。
「やはり『研修生』さんは応用が利かないのですわね」
レティシアはため息をついた。
以前、彼女とカトラスは商人のドルゴールの屋敷で『研修後』の人たちと戦っている。
彼らが『イレギュラーに弱い』ことは確認済みだ。
「「……援護に感謝 (ですわ)(で、あります)」
レティシアとカトラスは『教官魔道士』から見えないところで、「ぐっ」と親指を立てた。
草むらには『光学迷彩』状態のラフィリアが潜んでいる。スライムを放ったのは彼女だ。ここに来るまでの間に、下着を食べて増えたスライムは、ラフィリアと一緒に『光学迷彩マント』の中。研修生が駆け出すと同時に現れて、『触れるとあぶない水たまり』として、彼らの脚をすくったのだ。
「役立たずどもが。もういい、お前らはただの魔力源だ!」
『教官魔道士』は剣を振り上げ、叫んだ。
「『召喚』『使役』『研修生から収奪した魔力を使用』『疾くこの地に来たりて、我が敵を食い尽くせ』!」
「召喚魔法なのですぅ! なにか、魔物がやってくるですよ!」
ラフィリアの声が響くと同時に、『教官魔道士』の背後の草むらが光を放った。
「来たれ『インスパイア・ヒュドラ』!!」
地面が、揺れた。
木々の間から、大きなものが起き上がろうとしていた。
『ヒュィィィィイイイイイイイ!!』
複数の頭部を持つ蛇が、叫んだ。
大きさは──大人の3倍くらい。ナギだったら、4メートル弱、と言うだろう。
身体は、水晶のように透明だ。草がガラスをこするような音がして、レティシアとカトラスは思わず顔をしかめる。
起き上がったその生き物の、頭は5つ。形は蛇だ。長い舌を伸ばして、ぎろり、と、まわりを見回している。そして頭の中には深紅の結晶体。それが倒れた『研修生』から、光る粒子のようなものを吸い上げている。
「これが──『ヒュドラ』をインスパイアした魔物……ですの?」
「ボクもヒュドラ系の生き物は初めて見るであります。こんなに、強そうなのでありますか」
「いえいえ、マスターとセシルさまが倒したものに比べればザコですよぅ」
『こんなのを召喚してよろこぶなど、つまらない敵じゃのう。ぷーくすくす』
驚くレティシアとカトラスの声に、ラフィリアとレギィの声が重なり──
「「あ、『ちぃとすきる』で倒せるの? じゃあ楽勝だねー」」
なんか納得してしまったレティシアとカトラスは、それぞれの武器を構えた。
「脱走者と侵入者を捕らえられない場合は、これで潰せ、と言われている。あなたたちはオレが無力化し、『呪い』の地に放り込んだあと、じっくりと何者か調べさせてもら──」
「『炎の矢』ですぅ!」
「発動であります! 『伸縮槍フェトラ』!」
ラフィリアの声がして、誰もいない草むらから『炎の矢』が飛んだ。
さらにカトラスが『インスパイア・ヒュドラ』に向けた槍を、一気に伸ばした。穂先が弾丸のように飛び出し、魔物めがけて飛んでいく。
だが──
ぱしゅっ。かきん。
「ふはは、無駄だ! あのヒュドラは硬質の身体を持つ魔物だ。皮膚も肉も、水晶を変質化させたもので──」
「物理的な防御でありますな。皮膚と肉としては認識されてるようであります」
「あの結晶体が魔力を吸収している。ということは、あれが動力だと考えるべきですわね」
「……と、いうことをマスターに伝えたら、作戦が来ましたよぅ」
『ならば、やってしまえ! エルフ娘よ!』
チートスキル持ちの相手は慣れている。
あっというまに分析を済ませたレティシアチームは、動き出す。
レティシアとカトラスが武器を手に、『教官魔道士』に向かって。
そしてラフィリアは『光学迷彩』を解除し、弓を構えた。
「忌々しい──貴様が声の主か」
「急ぐので話はあとですぅ。発動! 『豪雨弓術』プラス『身体貫通』!!」
ひゅーん
ラフィリアが放った5本の矢が、宙を飛んだ。
「あの魔力結晶! 一気に壊させてもらうです!」
「ばかな。あれの皮膚と肉は硬質化している。あんな矢で貫けるものか!」
「皮膚と肉は貫かないですよぅ」
『光学迷彩マント』をひるがえして、ラフィリアは『かっこいいポーズ』を決めた。
「ただ、無視するだけですぅ」
さくっ。
『身体貫通』効果を与えられた矢が、『インスパイア・ヒュドラ』の頭部にめり込んだ。
『魔力結晶』を、矢が貫いた。
ぱきゃっ。
結晶体が、砕けた。5個、いっぺんに。
『ヒィアアアアアアアアアアア』
『インスパイア・ヒュドラ』の身体が、崩れ落ちた。
ガラスが砕ける音が響き渡る。派手な音だった。
これなら、海辺まで響いただろう。そう思って、レティシアたちはうなずきあう。
彼女たちの目的は『研修会場の人たちの注意を引くこと』、成果としては十分だ。
「あとはこの女の子を、安全なところに連れて行くだけですわね」
「はいであります。大変だったでありますね、脱走の研修生さん。ボクの背中におぶさってくださいませ」
「マスターに魔道士さんの情報を伝えたです。セシルさまの分析によると、『魔力』を自在に操る能力持ちらしいですよぅ」
『研修生どもの魔力を吸っておったのはその力か。ふむふむ』
レティシアは『教官魔道士』に向かって剣を構えた。
カトラスと『脱走研修生』の少女に肩を貸し、
ラフィリアはレギィと話しながら、レティシアの後ろで警戒態勢を取る。
「わたくしが背後を守りますわ。カトラスさんはその子を、安全なところへ」
「なんなんだお前らは!」
『教官魔道士』が叫んだ。
「こんなことはありえない! 侯爵に認められ『研修』の教官であるオレが……脱走者を捕まえることもできないなど、あってはならない!!」
「頭が固いですわね! 世の中には、あなたの予想もつかないことがありますのよ!」
レティシアは魔剣レギィを抜いた。
「『強化』『両脚』『加速』──捕縛する!」
『教官魔道士』が呪文を詠唱し、地面を蹴る。彼の両脚が、光を放つ。
「マスターとセシルさまの分析通りですぅ! この人、魔力を身体の一部に集めて『強化』する『ちぃとすきる』を持ってるです!」
「承知ですわ! 迎撃します!」
「援護するです。『炎の壁』!!」
ラフィリアが叫び、『教官魔道士』の前に燃えさかる壁が生まれる。
だが──
「『強化』! 『レジスト上昇』『耐火』!! 『剣』に魔力を集中!」
『教官魔道士』は剣を振り、『炎の壁』を切り裂いた。
「──武器に魔力を集中して強化? 魔法を斬ったですとぉ!?」
「この能力ゆえにオレは教官の任を与えられている!!」
さらに『教官魔道士』が剣を振る。
魔力のこもった剣で、炎の壁を消し去り、レティシアに肉薄する。
「勇者となるため、失敗はできないのだ! 覚悟!!」
「勇者ならばあいさつくらいなさい! 発動『強制礼節』!!
こんにちわ! ごあいさついたしますわ────っ!!」
炎の壁を突っ切ってきた『教官魔道士』に、レティシアは軽く頭を下げる。
『強制礼節』は、あいさつした相手に対して、強制的にあいさつを返させるものだ。
だが──
「……オ、オレの身体が勝手にあいさつを返す、だと……ならば……『全魔力をレジスト値上昇に注入』!!」
ぐぐっ。ぐぐぐっ。
『教官魔道士』の全身が光を放つ。
彼は、剣を手にしたまま硬直する。上半身をわずかに傾けた状態で、止まる。
「「『『強制礼節』をレジスト(ですかぁ)(で、あります)(じゃとっ)!?』」」
「動けないなら同じことですわ! ていっ!」
レティシアは『魔剣レギィ』を振った。
「──ちぃっ!!」
『教官魔道士』が後ろに飛ぶ。
『魔剣レギィ』の刃は、奴の腕に小さな傷をつけただけだった。
「……許さねぇ。オレに傷をつけたな。究極の大魔法をくらえ!」
『まずいぞ……貴族娘よ』
レティシアの手の中で、魔剣のレギィが震えた。
『たった今、奴の腕を切ったとき、我は『体調変化斬り』を発動しておった。だが、奴は魔力全開で抵抗力を高めておる。そのせいでルーレットもスカばかりじゃった。一番弱い効果しか与えられなかったのじゃ……』
「効いただけましですわ。それで、どんな効果を?」
『「くしゃみ」じゃ』
「いくぞ! 『我が残留魔力を全集中くしゅん』『我が右腕を肥大化させ、破壊槌とくしゅん』『さらに爆炎と黒煙を』──くしゅんくしゅんへっぷしっ!!」
詠唱が途切れ、『教官魔道士』が集めた魔力が、飛び散った。
「な、なんだこれはああああああ──へっくしっ!」
『教官魔道士』は口を押さえた。
「く、くしゃみが──止まらぬ。こんなくだらぬことで我が魔法が!?」
「その状態で魔法を詠唱するのはあぶないですよぅ」
「うるさい! 貴様ら、全員──くしゅん──ふきとばしてへっぷしっ!!」
緋色のローブをひるがえし、『教官魔道士』は両腕を天に掲げた。
「『来たれへっくしょんっ』!──『天空よりくしゅん破壊槌くしゅん』! 『ほろびくしゅん』! ええい! こうなったら早口で──発動せよ『我が残留魔力を右腕に集中し破壊のくしゅん力をくしゅんすべての敵にくしゅんを与えて灰となさん。とく精霊よくしゅんへっぷしへっぷしくしゅくしゅんっ!!!』」
どごおおおおおおおんっ!!
『教官魔道士』の魔法が暴発した。
不完全な詠唱で行き場をなくした魔力が渦を巻き、緋色のローブの魔道士を吹き飛ばす。
魔道士は地面を転がり、木の根元に当たって停まった。
「……こんな……ばかな……くしゅん」
『教官魔道士』はそのまま、気を失った。
「……詠唱は正確にやらないと危ないですからねぇ。特に巨大魔法は」
「……とりあえずこの人、縛っておくでありますね」
『……あとでメイド娘に、記憶をどうにかしてもらうとしよう』
ラフィリアがロープを取り出し、レティシアが手早く魔道士を木にしばりつける。
「……いったい、なにが……みなさん、研修を受けてるわけじゃ……ない、ですよね……?」
一連のできごとを『脱走研修生』の少女は、呆然とながめていた。
身体の震えは、もう止まっている。
カトラスの背中にしがみついて、少女はただ、ぽかん、と口をあけているだけだった。
「できれば今起きたことは、ないしょにして欲しいでありますよ」
『脱走研修生』の少女に、カトラスは問いかける。
「ボクたちはただの通りがかり。あなたが自由を求めていたから助けた。それでいいのであります」
『安全なところまでお送りしますわね』
空中から降りてきたフィーンが、少女の隣に並ぶ。
同時にフィーンはカトラスに報告する。
海岸に『研修生』と教官らしい人たちが集まってきている。作戦の第2段階を発動する環境は整った、と。
『あとは、あるじどのの出番でしょうね』
「ボクたちはそのサポートでありますな」
カトラスたちの役目はまだ残っている。
とにかく、この場を離れて、安全な場所に移動しよう。
「……あ、あなたたちは、いったい……?」
カトラスの背中で『脱走研修生』の少女がたずねた。
「ボクたちは『ただの通りすがり』で、ありますよ」
そう言って、カトラスは笑った。
「ボクたちはしたいことをしているだけであります。ただ、この世界がもうちょっと優しい場所になればいいな、とは思っておりますが」
『あたくしたちも、ちょっと前まで、無理をしておりましたからね』
「……そうなん……ですか」
「だから、心配しなくていいであります。今はゆっくり、休むといいであります」
カトラスは背中の少女に笑いかける。
「落ち着いて……自分の名前を思い出せたら……少しだけ事情を話してくれると助かるであります。それだけでボクたちにとって、あなたはすごく価値のある方なのでありますから、ね」
いつも「チート嫁」を読んでいただき、ありがとうございます!
書籍版7巻はただいま発売中です! 「謎の美少年」カトラス(性別はあらすじと帯に書いてあるのですが)をめぐる秘密と秘宝のお話です。こちらもあわせて、よろしくお願いします!




