73 伯爵対お師匠様
今度は、イブニングドレス仮面……、マイルの方から仕掛けた。高速戦闘である。
瞬時に間合いを詰め、相手の左脇腹へと素早く叩き込まれる模擬剣。そしてそれを自分の剣で受け、撥ね上げるようにして弾き返す伯爵。その撥ね上げられた剣をそのまま袈裟斬りで振り下ろすマイル。
その後は、激しい剣戟が続いた。
但し、グレンとの戦いのように走り回り動き回りのメチャクチャな打ち合いではなく、伯爵はあくまでも騎士としての堂々とした真っ向勝負を選んだため、マイルもそれに付き合う形となっていた。
あまり移動せず、一カ所に留まっての激しい打ち合い。それは機動戦を旨とするハンターにとって不利であるかと思えたが、マイルにとっては関係がなかった。元々、ハンターとしての剣技もお粗末であったため、どのような戦い方であっても大差なかったからである。速さと力。マイルの取り柄は、ただそれだけであった。
延々と続く打ち合いに、伯爵はしだいに焦りを感じ始めていた。
それは、対戦相手の技術が非常にお粗末だからであった。
ある程度剣技を身に付けた者は、非常に優れた剣士には、まず勝てない。技術で上回り、速度で上回り、判断力で上回り、自分の手を読み尽くす相手になど、そうそう勝てるものではない。
しかし、素人は思わぬ動きをする。常識ではあり得ぬ判断、正気であれば選択するはずのない剣筋。技術と速度で劣るため勝てる確率は低いが、それでも、思わぬ一撃が当たる可能性は常にあり、ベテランにとっては先が読めないため気が抜けない相手となる。
それが、この相手は、熟練者を上回る速度と威力で、素人の剣を振る。
危険であった。とんでもなく危険な相手であった。
一瞬の油断が致命傷になる、全く動きが読めない強力で高速の連撃。全精神力を集中させ続けなければならず、それは伯爵に異常なまでの消耗を強いた。
普通であれば、危険な素人にはさっさと一撃を喰らわせて始末する。それが、いくら攻撃しても当たらない。避けられるか、受けられるか、捌かれる。そしてそれに続く動作で反撃が来る。こちらも捌けないわけではないが、戦いはいつまでも続き、終わりが見えない。伯爵はしだいに疲労が募り、焦りが高まり始めていた。
(このままでは、互角として……、いや、本当にそうか?
この女、本当にこれで全力なのか?
こちらの攻撃を平然と捌くあの反応速度であれば、もっと素早い反撃ができるのではないか?
しかも、疲労や焦りの様子は欠片もない。
ま、まさか、まさか、私が遊ばれ……、馬鹿な、そんなことがあるはずがない!)
焦りと疲労は剣の乱れを生み、そして隙をつくる。
がちゃり
「う……」
刃の根元に近い部分を打たれ、剣を取り落とした伯爵は呆然としていた。
弾き飛ばされたのではない。それまでとは一線を画する速さと重さの一撃を叩き込まれ、剣を落とした。落とされたのである。
群衆から湧き起こる、割れんばかりの歓声。
騎士として、なんたる失態。なんたる屈辱。
顔の紅潮と、腕の震えが止められない。
「早く拾って下さい」
「な……」
さっさと勝ち鬨をあげて勝利を宣言すればよいものを……。
馬鹿にするにも程がある。
普通であれば、馬鹿にするなと模擬剣を蹴り飛ばして立ち去るところであるが、今回はそうするわけには行かなかった。
この戦いには、大事な娘の命がかかっているのである。このまま危険なハンター稼業を続けさせるわけには行かないのだ。絶対に。
息子の勝利を疑うわけではないが、たとえ千分の一、万分の一であっても、娘の命を危険に晒す可能性を看過することはできない。いくら部下や民衆の前で恥を晒し見苦しい姿を見せようとも、少しでも勝利の可能性が残されている限り、勝負を捨てるわけには行かない。
そして伯爵は剣を拾い、再び構えた。
そして30分後。
そこには、地面に両手と両膝をついたオースティン伯爵の姿があった。
もう、限界であった。立ち上がる力も、剣を握る握力すらも残ってはいなかった。
完敗。それ以外に表す言葉がなかった。
「私の勝ち、ということでよろしいですね?」
マイルの確認の言葉に、伯爵は黙って頷いた。
そして待機場所に戻るマイルと、飛んできた配下の者に肩を借りて反対側の待機場所へと戻る伯爵に対して、大きな拍手と歓声が上がった。
伯爵を笑う者など居はしない。
伯爵は強かった。そのあたりのBランク、いや、Aランクハンターですら勝てるかどうかという腕前であった。ただ、相手が悪かった。それだけである。
惜しみなくそそがれる拍手の中、しかし伯爵の顔は歪んでいた。
対戦相手に対する怒りや憎しみはない。逆に、あの体格でのあの強さを称賛する気持ちが強かった。恐らくまともな指導を受けたのはほんの一時期のみとしか思えぬ技術レベルでの、あの強さ。独学で、ただひたすら自己鍛錬を続けたであろうその努力。まさに、称賛に値する。
伯爵の怒りは己の不甲斐なさに対するものであり、また、自らの手で娘の安全を確保することができなかったことに対する自己嫌悪であった。
ようやくのことで待機場所に戻った伯爵は、信頼する息子に告げた。
「……絶対に勝て。決して油断するな」
「……はい!」
そして、オースティン伯爵家長男、ウェイルン・フォン・オースティン。
愛する妹のため、心を鬼にして、その妹本人との戦いに向かう。
ウェイルンは後悔していた。
男子が3人続いた後、ようやくオースティン家に産まれた娘、メーヴィス。
両親や祖父母が溺愛したが、3人の兄達もまた、それに輪を掛けた溺愛振りであった。
オースティン家のお姫様として、何不自由することなく育てられたメーヴィスは、3人の兄達が全員剣の訓練をしているのを見て、自分もやりたいと言い出した。
ひとりだけ仲間外れなのは嫌なのだな、と思い、形ばかりの練習をさせてやったところ、思いの外真面目に根気良く続ける上、なかなかの才能があり、兄弟3人、驚いた。そして、可愛い妹が男に襲われたりしては大変なので、必要な護身能力は持たせた方が良いと、兄弟の鍛錬の合間に時々指導をしてやった。そしてウェイルンがひとりの時にも「お兄様、一緒に訓練したいです」とやって来るメーヴィスを追い返せるはずもなく、長男の特権とばかりにふたりきりで色々と訓練を行った。……メーヴィスが弟達のところにも行っており、自分が思っていた3倍の訓練量をこなしていたと知ったのは、ずっと後のことである。
そして、眼をきらきらさせながら自分や弟達の騎士任官式を見詰めるあの憧れに満ちた顔は、騎士になれた喜びを何倍にもしてくれた。あの憧れが、騎士となった自分達に向けられたものであると思っていたので。
それがまさか、その憧れが『騎士』という職業自体に対するものであり、更に、自分が騎士になろうと夢見ているなどと、誰が考えるだろうか。
……失敗した。もっと早くそれに気付いていれば、メーヴィスの興味を他のことに向けさせたり、少なくとも家出は阻止できたかも知れなかった。大失敗である。
だが、今度は失敗しない。
必ずメーヴィスを家に連れて帰る。オースティン家長男の名にかけて。
「胸をお借りします、上兄様」
闘技場の中央で向き合う兄妹。
「8カ月振りかな、手合わせをするのは……。
だが、今日は手加減はしてやれないぞ。怪我はさせないよう気を付けるが、少し痛いかも知れん。おいたをしたお仕置きだ、我慢しなさい」
上兄様、ウェイルンの言葉に苦笑するメーヴィス。
「上兄様、私も、いつまでも子供ではありません。Cランクハンター『赤き誓い』リーダー、メーヴィス。その力、とくと御覧あれ!」
そう言うと共に模擬剣を抜くメーヴィス。ウェイルンも続いて剣を抜く。
「「いざ、勝負!」」