658 帰 省 8
「あっ、領主様だ!」
「領主様!」
「「「「「「領主様ぁ〜〜!!」」」」」」
幼い子供達に纏い付かれ、笑顔のレーナ。
マルセラ達が見たら、『誰ですか、この人!』と言われそうなくらい、全くの別人みたいである。
子供達の前では、舐められないように虚勢を張る必要はない。
なので、ここでは素の自分でいられる。
レーナにとって、無防備な自分をさらけ出せる、心安まる場所であった。
……ここは、レッドライトニング伯爵領、つまりレーナの領地にある、孤児院である。
領主であるレーナが直接運営しているので、悪い院長が予算を中抜きして、などということは起こらない。
まあ、救国の英雄どころか、世界を救った4大英雄のひとりであり、御使い様の親友である、大魔導師レーナを騙したり裏切ったりする者がいるとは思えないが。
どんな悪党でも、女神に睨まれたくはないであろうから……。
そもそも、それ以前の問題として、領主を騙す、しかもレーナがとても大事にしている孤児達を食い物にして、などということをやらかせば、極刑は確実だと思われているため、そんなことをする者も、それに荷担したり見て見ぬ振りをしたりする者もいないであろう。
レーナは、領地に戻ってきてから、まだ領主邸にすら顔を出していない。
一番最初に孤児院に立ち寄るのが、レーナらしいところである。
トレードマークである赤髪をマイルの魔法で別の色に変えているレーナであるが、勿論、子供達はそんなことは気にしない。
おしゃれかイメージチェンジかな、と思う程度である。
「領主様、しばらく来ないから心配してた!」
「ご病気なら、わたしたち、お世話に行くよ!」
そして口々にそんなことを言いながら足にしがみつく子供達を順番に抱き上げてやりながら、安心させるために説明してやるレーナ。
「お仕事で、少し遠くへ行っていただけよ。
またすぐに出掛けるけれど、ちゃんと戻ってくるから、安心しなさい。
それまでの間、困ったことがあれば院長先生に相談するか、直接領主邸へ行って、代官にお願いするのよ」
院長はあくまでも建物の維持整備や子供達の世話という実務面の担当者であり、経理面は領主邸の財務担当者と代官が管理している。
なので、予算の中抜きや食費のピンハネとかで子供達がひもじい思いをすることはないはずであるが、それでも、念には念を入れるレーナ。
孤児をなくすことは、不可能である。
しかし、自分の領地では、ひもじい思いをする孤児の存在は許さない。
それが、レーナが領主などという面倒なことを引き受けている理由である。
……今は、全部代官に押し付けて、逃げ出しているが……。
レーナもまた、マイルの口癖である、『それはそれ、これはこれ!』、『心に棚を作れ!』とかいう戯れ言に精神を汚染された被害者なのであった。
マイルは、時たま、すごく良いことも言う。
そのため、それらに紛れて放たれる毒のある言葉もまた、何となく良い言葉のように受け取られてしまうのであった。……非常にマズいことに……。
* *
レーナは孤児達に読み書きと計算、そして法律や契約書というものについて教え、子供達が悪い連中に騙されないように教育している。
また、身体を鍛えさせ、武術の才能がある者には戦い方を、商才がある者には商売のやり方を、手先が器用な者には物作りを、……そして魔術師としての才能がある者には魔法を、それぞれの講師を招いて教えさせている。
一応、講師には給金を払うようにはしているが、休息日で暇なハンターや非番の兵士、休みの日にお金が掛からず時間を潰せるということに目を付けた……ということになっている、商家の手代とかが、孤児達を相手に遊びに来ていることが多い。
木剣での剣術ごっことか、魔法使いごっことか、数字遊びとかで……。
ただの子供好きが暇潰しに遊んでやっているだけ、ということで、無給である。
それどころか、食材やら日用品やらを持ってきたりする。
……この町にも、馬鹿が多いようであった。
レーナは、そういう連中のことは放置している。
彼ら、彼女らにも、子供だった時はある。
そしてその子供時代が、孤児院や廃屋、川べりの木の下で飢えに耐える生活だった者も……。
だから、何かをやりたい者がいれば、好きにやればいい。
それが子供達に有害でなければ、気にしない。
レーナ自身も、財力と立場のために少し規模が大きいだけで、彼ら暇な連中と大して変わりはしないのだから……。
そしてその後、代官のところへ顔を出し、思い切り叱られて、反省した振りをして、孤児院のことをしっかり頼み、……深夜に脱走した。
* *
「よし、何とか逃げ切ったわ! 次はお墓参りに行って、その後、合流地点へ向かうか……」
レーナは、メーヴィスやポーリンとは違い、家族も親族もいない。
そしてハンターになるまでは父親とふたりで行商の旅をしていたから、幼馴染みというような者もいない。ハンター養成学校に入るまでは、顔見知りのハンターが何人かいる、という程度に過ぎなかった。
なので、『赤き誓い』の仲間達から離れてひとりで行くところなど、領地以外には、父親と『赤き稲妻』の仲間達のお墓参りくらいしかなかった。
そして、『赤き稲妻』と出会ったのは父親を亡くした時なので、父親と、そこを拠点としていた『赤き稲妻』のお墓は、同じ町にある。
その、自分にとっては出会いと別れの町へとひとりで向かう、レーナであった……。
* *
『救国の大英雄、大魔導師「赤のレーナ」のご尊父の墓。参拝料、小銀貨3枚』
『レーナ煎餅、有り〼』
『レーナ饅頭、有り〼』
『「赤のレーナ」を育てたハンターパーティ、「赤き稲妻」の墓。参拝料、小銀貨5枚』
『稲妻煎餅、有り〼』
『稲妻饅頭、有り〼』
『「伝記・『赤き稲妻』と私~赤のレーナの半生~」有り〼』
「何じゃ、こりゃあああああ〜〜!!」
あまりにも変わり果てた墓地の様子に、愕然とするレーナ。
勿論、あの『対異世界侵略者絶対防衛戦』の後、お墓参りには来ている。
しかしあの時には、こんなことにはなっていなかった。
……まぁ、戦いが終わり、叙爵されて一段落した頃であったから、まだこういう計画がなかったのか、それとも水面下では計画が進んでいたのか……。
そしてレーナは、参拝料を徴収していた男の襟首を掴み、怒鳴りつけた。
「どうして私のお父さんと仲間達のお墓を見世物にして、勝手にお金を取ってるのよっ!!」
そう、それはポーリンであれば巨額の賠償金を請求するであろうことである。
いや、レーナはそこまでお金には拘らないが、それでも、自分の身内のお墓を勝手に見世物にされ、我が物の如く金儲けのネタにされては、面白かろうはずがない。
確かに、『赤き稲妻』の名が有名になり、歴史に残るのは嬉しい。
そのために書いた自伝であり、そのために目指したAランクなのである。
……しかし、それはそれ、これはこれ、であった。
無関係の者が、勝手に彼らのお墓を利用してあぶく銭を手にし、それで贅沢な暮らしをするのは、許せない。
そう思って、参拝料の徴収係を締め上げるレーナであるが……。
「……レ、レーナ……様……?」
突然少女に胸ぐらを掴まれ、動揺していた徴収係であるが、相手が誰かに気付いたらしく、慌てて弁明を始めた。
「ちっ、違う! 違いますっっ!!
俺はちゃんと雇われた、正規の徴収員ですっ!」
「どこの犯罪組織のシノギになってるのよ! 私が全部燃やし尽くして、キッチリと潰してあげるわよ!」
そう言って、言い訳をする男を締め上げ続けるレーナであるが……。
「だ、だから、違いますよっ! これはハンターギルドが『赤き稲妻』のメンバーの遺族達に持ち掛けて、町おこしの事業として始めたことなんです!
参拝料も出店から取る場所代も、その殆どは遺族の取り分と、EランクやFランクの新米ハンターやGランクの見習い達への援助金になってます!
だから、俺のこの仕事は、何も恥じることのない、胸を張れる立派な仕事なんですよっ!!」
「……え……」
それは、怒れない。
自分には何も知らされず、許可もなしに勝手に名前を使われたのは業腹ではあるが、『赤き誓い』の名を勝手に使った商品などいくらでもあるので、それは仕方ない。
それに、もしかすると領主邸宛てに許可を求める書簡とかが届いていたのかもしれない。
たくさん来るその手の書簡は、担当の者がふるい分け、領主であるレーナか代官に廻すもの、事務方が処理するもの、……そして返事をする必要すらないと判断して破棄されるものとに分けられる。
なので、届いたけれどレーナの目に触れることがなかったということは、充分に考えられる。
「ぐぬぬ……」
レーナは滅多にここへ来られないため、来た時には掃除や草むしりをするが、普段は草ぼうぼうの状態である。
しかし今は、お墓廻りの清掃や、花を供えたりと、ちゃんと管理されている。
それに、『赤き稲妻』の功績や父親の名が広まり、この地に、そして歴史に刻まれるのは、レーナの悲願であった。自伝の出版は、そのための手段のひとつに過ぎない。
ならばこれも、レーナの悲願達成に大きく役立つであろう。
しかも、利益は遺族や新米ハンター達のために役立てられている。
これは、文句も言いづらい。
「ぐぬぬぬぬぬぬ……」




