657 帰 省 7
「やっと帰ってきました……。
ホント、久し振りですよね。
とりあえず実家に顔を出して、その後、商会の様子を見て指示を出し、代官に領地で問題が発生していないか確認して、そして代官に取り押さえられないうちに脱出、と……。
マイルちゃんと違って、私達はいつどこに現れようが問題ありませんからね。
……代官や王宮の手の者に捕まらない限りは……」
捕まるとは言っても、別に犯罪者だというわけではない。
家出娘を捕らえるとか、仕事を放り出して街へ遊びに行った領主を家臣が捕獲するとかいう意味である。
しかし、もし捕らえられたとしても、普通であれば見張りがついて逃げ出せなくなるであろうが、ポーリンならば簡単に逃げられるであろう。
魔法の腕もであるが、ポーリンが万一の場合に備えて秘密の脱出ルートを用意していないはずがなかった。
* *
「ただいま!」
「ポーリン!」
「姉さん!! ……生きていたんだ……」
髪の色は変えたままであるが、そんなことは気にした様子もない、母親と弟。
……そして、残念そうにそう言った弟のアランに、笑顔でグリグリと『ウメボシの刑』を執行する、ポーリン。
アランも、冗談で言っただけであり、決して自分がポーリンの爵位を継げることを期待していたわけではない……と思いたいであろう、ポーリン。
アランは現在、ベケット商会の跡取りとして、女商会長である母親に色々と教わりながら仕事を手伝っている。
以前は、従業員や他の商店主達から『跡継ぎは、元大番頭から店を取り返したポーリン嬢の方がふさわしいのではないか』と言われたりもしていたが、ポーリンが貴族になった……しかも、ここの領主……上、自分で新規に商会『聖女屋』を立ち上げて稼いでいる現在、そんなことを言う者はひとりもいなくなっている。
ポーリンがベケット商会の商会主となれば、次男か三男を入り婿に、とか考えていた者達も、新規商会の商会主というだけであればともかく、この町を含む周辺地域の領主である女伯爵、そしてオマケに救世の4大英雄のひとりである大聖女様とあっては、到底自分達には手が届かない雲上人であると考え、そんな野望はとっくに諦めている。
そして今はただ、領主様兼商会主であるポーリンと、その実家であるベケット商会と良い関係を、と願っているだけである。
……ということは、つまり、母親と弟、そしてベケット商会は安泰、というわけであった。
そして母親と弟は、ポーリン達は長期の特別任務に就いている、と王宮側から説明されていたため、その任務が終わったか、もしくは任務の合間に里帰りしたかと思うだけであり、特に疑問を抱くことはない。
ポーリンも、王宮側がわざわざ『ベケット女伯爵が出奔した』などと触れて廻ることはないであろうと考えていたため、実家に顔を出すことに関しては何も心配していなかった。
あとは、自分の商会である『聖女屋』に指示を出し、その後代官に『遊び終えて、戻ってきたのだな』と思わせて、領主として色々な指示を出し、……そして代官の油断を衝いて、脱出。
完璧な計画であった……。
* *
自分の商会『聖女屋』に顔を出し、大番頭と数人の番頭達を集め、状況報告を受けたポーリン。
商会の者達も、ポーリンの不在の理由については母親と弟が聞かされていたのと同じように教えられていたため、おそらくは国の機密事項であろうと思われるその理由を問い質すことはないし、疑問に思うこともない。
商会の運営については特に問題はなく、簡単な業務指示と、従業員への昇給の指示を出した後、ポーリンは商会主の執務室、つまり自分の個室へと向かった。
……ポーリンはお金には細かいが、従業員への給金をケチることはない。
物事には、節約していいものと、節約してはいけないものがある。
そして人件費は、絶対に節約してはいけない部分である。
労働には正当な対価が必要である。それをケチれば、良い人材は去っていく。
そして、ある程度の忠誠心はお金で買えるし、裏切りの確率を下げることもできる。
まあ、領主様であり女伯爵であり、そして『救世の4大英雄』のひとりである『大聖女、ポーリン』を裏切ろうなどと考える者、絶対の忠誠を捧げない者など、存在しないが……。
ポーリンは、領民に対しては惜しげもなく治癒魔法を行使するし、怪我だけでなく、本来は非常に危険であるはずの『病気に対する治癒魔法の行使』すら行うのである。
そんな者に敵対しようとする者など、いるはずがない。
人間は誰しも、自分も、そして家族や親族、友人達も、いつ怪我を負ったり病気になったりするか分からないのだから……。
自分の部屋へ入ったポーリンは、周囲に人気がないのを確認した後、床下の隠し金庫に金貨とオリハルコン貨を入れ、床板を元に戻した。
今、金庫に入れたお金は、出奔した時にポーリンが持ちだしたのと同じ額である。
……勿論、あの時持ちだしたのは、領の予算や商会の資産とは別の、『赤き誓い』として以前に貯めていたポーリンの個人資産である。
出奔に際して資金として持ちだしたが、その分を、隠し金庫に戻す。
それはつまり、新大陸においては昔稼いだお金は使わず、ゼロからやり直す、という気概の表れである。
レーナとメーヴィスも、同じく持ちだしたお金は置いてくると言っていた。
……マイルだけは、神殿に置いておく気にはなれず、そしていつも全財産をアイテムボックスに入れっぱなしにしているため、そのままであるが……。
「よし、あとは代官に会って話をして、そのまま脱出ですね……」
勿論、代官はポーリンが出奔したということを王宮から知らされている。
最大の関門であった……。
* *
「領主殿!!」
驚きに目をまん丸に見開いた後、口から怒りの言葉が迸る、代官。
「いったい、どこに雲隠れしていたのですか!
完全に領主権限をお預かりして代行する普通の代官とは違い、私は領主殿に領主教育を行うために赴任している、サポート役なのですよ!
そっ、それを、逃げ出して昔のお仲間達と遊び回るなどと……。
元『赤き誓い』のメンバーで唯一、最年少でありながら自らの義務を自覚して、職場から逃げ出すことなく神殿でお勤めを果たされているマイル様に、恥ずかしくないのですかっ!!」
「あ~……」
一緒になって遊び回り、自分が一番やらかし続けている、マイル。
(……全く、恥ずかしくないですね……)
そう思ってはいても、勿論それを口に出したりはしない、ポーリン。
マイルやレーナとは違うのである。
「ごめんなさい……。
でも、もう用事は終わりました。これからまた、よろしくお願いしますね……」
代官も、ポーリンが憎くて怒っているわけではない。
救世の4大英雄のひとり、大聖女ポーリン。
心から敬い、尊敬している。
しかし、それはそれ、これはこれ。
敬愛しているからこそ、立派な貴族、立派な領主となっていただくために、心を鬼にして『叱っている』のである。
他の、様々な座学や淑女教育等の教師や、ダンスや楽器の指導教官達も、皆、同じ思いであろう。
ポーリンの謝罪の言葉に安心する、代官。
……勿論それは、皆を安心させて油断を誘い、逃げ易くするための、ポーリンの策略なのであるが……。
そしてポーリンは、不在の間の報告を受け、領主として決裁すべきことを処理し、……領主の決裁権限の一部を代官に委譲して、自分がかなりの長期間不在であっても領地運営に支障がないようにした。
代官は、自分のサポート権限が強化されたため仕事がやりやすくなったと喜び、反省したらしく殊勝な態度であるポーリンを疑うことはなかった。
(計画通り……。
早速、今夜遅くに脱出ですね……)
ポーリンは、代官からは見えないように、邪悪な嗤いを浮かべた。




