642 『ワンダースリー』+ポーリン 5
魔術師の多くが愛用する杖は、長いため他の作業を行う時には邪魔になるし、休養日に可愛い服を着て街に出る時には、持ち歩きたくない。
そんな時に、万一に備えて装備する、隠し武器。
自分は用意していない、不測の事態に備えた武器……。
「ポーリンさん、これを!」
そう言って、マルセラが自分のワンドをポーリンに差し出した。
自分が短剣とワンドを持ちポーリンが手ぶらとなるよりも、自分が短剣、ポーリンがワンドを持っていた方がマシ。冷静に、客観的に判断して出した結論なのであろう。
情けない思いはしても、ここでおかしな意地を張るのは馬鹿がすることであり、皆の足を引っ張るだけ。そう思い、黙ってワンドを受け取るポーリン。
マルセラが、自分の守りが弱くなるのを承知で渡してくれた武器である。
これで、ポーリンには皆の期待を裏切らないだけの働きをするしか自分の矜持を守る方法がなくなった。
マルセラが敵襲を警告したが、まだその姿は視認できていない。
しかし、ポーリンはマルセラの言葉を全く疑ってはおらず、頭の中で攻撃魔法の高速詠唱を始めている。
そして『ワンダースリー』の3人は、短剣やワンドを構えたまま、周囲に全神経を集中していた。
マルセラ達の無詠唱魔法は、ポーリンやレーナとは違って、頭の中で詠唱する必要はない。
なので、敵の姿を見た瞬間に、相手や状況に合わせた魔法を完全に無詠唱で即座に放つことができるため、事前にヤマを張ってどれかの魔法を詠唱しホールドしておく必要はない。
……それは魔術師として、絶対的なアドバンテージである。
そして、驚いたことに、3人組がマルセラの警告に対して疑いの言葉を発することなく、地面に座った状態からバネ仕掛けのように一瞬のうちに立ち上がり、腰に佩いた剣を抜き放っていた。
普通、何の根拠もなく未成年の少女が叫んだからといって、無条件に信じて指示に従うものであろうか……。
なので、初動においては3人組にあまり期待をしていなかった『ワンダースリー』は、少し驚いていた。
……いくら底辺層であろうとも、仮にもCランクハンターである。最低限の危険察知能力と生存本能は持っていたようである。
まあ、それも当然のことであり、別に驚くようなことではない。
ある程度歳が行ってからの中途転職組でありながら、死んだり大怪我をしたりすることなくCランクまで昇格したのである。それなりの能力と幸運を持っているに決まっている。
「敵、四足獣と思われる、30頭弱! 全周包囲された、狼系統の魔物か野獣の公算大。防衛隊形2の1!!」
夜襲に備えて、馬を外してコの字型に駐めてある3台の馬車。
その中心部に商人達を入れて固まらせ、四方を『ワンダースリー』+1が守り、開放部に3人組が立つ。
マルセラの指示で、馬車に囲まれた空間内に瞬時に組まれた防御陣形。
3人組も、なぜか文句も言わずに黙って従ってくれている。
狼型の魔物や野獣であれば、馬車くらい、幌の上を飛び越えることも、車体の下を潜り抜けることもできる。
なので商人達を後ろにして全員で前方に、というわけにはいかない。
馬車に囲まれた空間であっても、商人達の四方はハンターが護る必要があった。
それも、パワーファイターではなく、細かいところに気が回る、こまめな性格のディフェンダーによって……。
なので、敵の主力が来る正面、開放部分には、頼りないながらも職種的に、前衛職の剣士である3人組に立ってもらうしかない。
そして『ワンダースリー』+1は、商人達を囲んだ位置から、馬車の上や下から来る敵を警戒しつつ、3人組の後方から魔法による攻撃、支援、そして防御を行うのである。
「弱者判定された模様、包囲網を縮めてきた。……間もなく来る、攻撃魔法斉射用意……、さん、にい、いち、今! 撃てっ!!」
マルセラの号令で、『ワンダースリー』+1の攻撃魔法が斉射された。
『ワンダースリー』の無詠唱魔法は、ポーリンのように脳内で詠唱する『なんちゃって無詠唱』ではなく、マイル直伝の本当に詠唱を全く必要としないものであるため、指示を出していたマルセラも攻撃には何の支障もなかった。
せっかく全周包囲していながら、障害物がない開放部から一斉に襲い掛かるために正面側へと集まっていた敵……姿を現した森林狼……の群れのど真ん中へと降りそそぐ、攻撃魔法。
夜営用の空き地には立木はないため、火魔法も問題なく使える。
そのため、各自がそれぞれ得意な攻撃魔法を放つが、ホット魔法は前衛を巻き込みそうなため、自粛している。
そして、炎や氷礫、尖った石等を受けて数頭が倒れたり地面を転げ回ったりし、勢いを大きく削がれた森林狼の群れ。
割と揃っていた陣形が、大きく乱れている。
しかし、前衛の3人は飛び出したりはせず、持ち場から動かない。
これは討伐任務ではなく、護衛任務なのである。
なので、敵を倒すのではなく、護衛対象を守り抜くのが最優先事項。いくら敵が列を乱しており攻撃のチャンスであろうとも、持ち場を離れることはできない。
中途転職の底辺Cランクハンターではあっても、さすがに30代後半である。血気盛んな、考えの足りない若造ハンターとは違い、大事なところはきちんと押さえている。
どうやら、見た目の印象よりは、ずっとまともな連中だったようである。
「散られた! 前衛、下がって商人の護衛に加わって! モニカ、夜間攪乱2の2!」
「了解!」
時間が惜しいため、敬称は省略したマルセラ。本気、かつ余裕がないということである。
そして、下がった3人組と入れ替わるようにモニカと共に前へと進み……。
「「えぇ〜〜いっ!!」」
前方に向かって、それぞれが何かを大量に投げ出した……というか、射出した。何もないはずの空間から……。
そして、マルセラが詠唱省略魔法を発動した。
「点火!」
ファイアーボールや炎弾だと、目標物が吹き飛んでしまう。
なので、『点火』なのである。
狙ったのは、マルセラとモニカがアイテムボックスから出して前方へとバラ撒いた、大量の油塗れの木材である。
丸太ではなく、薄い板状に加工してあり、更に燃え上がりやすいようにそれを組んで釘で固定し、隙間におが屑や燃えやすい小枝、藁束等を詰め、トドメに油を染み込ませてある。
……それに点火したのである。
一瞬のうちに、大きな火柱が上がった。
パチパチと火花が弾け、轟々と炎が逆巻く。
オマケに、木材の中に何やら仕込まれていたのか、強烈な悪臭と、眼と鼻にツンと来るものが……。
「獣対策か! 夜目が利く敵の利点を潰し、炎によって空気の流れを乱し、悪臭と煙で嗅覚と視覚を痛めつけ、炎が逆巻き弾ける音で聴覚も乱す。
そしてそもそも、魔物も野獣も炎が苦手だ。
連中の夜間戦闘能力が大幅に低下し、士気もダダ下がりだぞ、こりゃ……」
3人組のひとりが、感心したようにそう言うが、勿論、狼達は戦闘能力が低下しただけであり、まだ全滅したわけでも、獲物を諦めたわけでもない。
まだ、戦力の2割程度を失ったにすぎない。
ここ数日間獲物にあぶれ、空腹を抱えた群れを養っていくためには、無力で簡単に狩れ、柔らかくて美味しい人間達、……この獲物の群れを逃す気は皆無のようであった……。




