06 私は普通の女の子です 2
アデルの初バイトの翌日。
今日は、貴族の子女と一緒にクラス分け用の実力測定試験を受ける日であった。
貴族の子女と言っても、普通の貴族の子女は、義妹のプリシーが通う上級のアードレイ学園へ行っている。このエクランド学園に来るのは、かなり貧しい貴族の、それも跡継ぎになる可能性が絶対にない、政略結婚にも使えそうにないどうでも良い子供くらいなので、そこそこの商家の子供に較べて特に将来性があるわけではない。まだ、有力な商家とのツテを作って将来に備えたり、男児のいない商家の娘あたりに気に入られるよう努力すべき立場であった。
しかし、10歳前後の子供にそれを理解しろと言っても難しい。
特に、自分は貴族である、平民とは違うのだ、と、変に特権意識に凝り固まった子供には……。
試験会場に来たアデルは、自分が思ったより浮いていないのにホッとしていた。
義妹のプリシーが与えられていたものよりかなり質が低く、更に乗合馬車の旅でかなりヨレてはいるが、一応は貴族の娘用の衣服なので、貧乏な下級貴族の末子あたりの中では似たようなものであった。
それに、例の事件で、一応『水洗い』されていたので。
しわくちゃになっていないのは、着替えの服を貸してくれたお姉さんが馬車の中でせっせとしわ取りをしてくれたからである。
まず最初は、筆記試験。
簡単な国の歴史、王様や他の偉い人の名前、近隣国に関する知識、礼儀作法、算数、一般常識、等々……。
覚醒前のアデルの知識はかなりのもので、それを克明に思い出せる今のアデルにも問題はすらすらと解けた。…家族に無視されていたので、アデルには勉強くらいしかやる事がなかったのである。
そして算数など、前世の記憶から見ればそれこそ子供騙しであった。
アデルは全力で問題を解いた。一番上のクラスにならないと、授業レベルが低すぎて退屈しそうな気がしたためである。
勉強が出来る女の子というのは、『普通』の範疇である。試験というものは、必ず誰かが一番になるのだから。
実は、この筆記試験でほぼクラス分けが決まる。
座学というものは、学生のレベルが揃っていないとやりにくい。中学生レベルの者と高校生レベルの者が混じっていると、どのように授業の難易度を設定すれば良いのか困ってしまうだろう。
それに対して、実技はそうではない。素人ばかりのクラス、熟練者ばかりのクラス、共に教えるのが非常に難しい。全員に手がかかるからである。
これが素人レベルから熟練者まで混じっていれば、ある程度の者は熟練者に任せて教官は自分の指導が必要な者に時間をかけることができる。また、自分より少しだけレベルが上の者の訓練を見せる等、色々な授業方法が工夫できる。
つまり、魔法や武術は、練度別に分けない方が教官にとって都合が良いのである。ある程度熟練した学生にとっては、楽ではあるが自分の訓練としては効率が悪くて迷惑な話であろうが。
また、魔法を使えない者も、魔法の授業は受ける。
将来、魔術師を部下や従業員として使う可能性があるし、兵士ともなれば魔術師相手に戦うこともある。たとえ自分が使えなくとも、魔術に関する知識は必要だからである。
筆記試験の次は、運動能力測定。
別にスポーツ特待生で入学するわけではない。普通に健康であり、武術の授業に問題なく参加できるだけの身体能力があることを示せれば良いだけである。
アデルは、慎重に指示された項目をこなした。超真剣に。
ここでおかしな結果を出すわけには行かない、絶対に。
何しろ、アデルは『ごく普通の、一般的な女の子』なので。
だから、自分の前に並んでいた子の数値を参考にして、全ての項目においてその子に近い値になるように調整した。これで、『普通の子』だと思って貰えるはずである。
そして最後に、魔法。
魔法が少しでも使える者は、3割程度。その中で、それで食べて行ける者はその3分の1程度。つまり、全体の約1割前後であった。魔法が使える残りの3分の2は、かまどに火をつけるのに便利、水筒を持ち歩かなくて済むから便利、程度のものである。
覚醒前のアデルは、訓練すれば将来かろうじてその1割の中にはいれるかどうか、という程度であったが、それでもこの世界では恵まれた一部の者であった。何しろ、砂漠や荒野を旅する馬車にアデルが乗っていれば、何かが起こった時、生還出来る可能性が段違いなのだから。充分、メシのタネになる。
しかし、今のアデルの魔法は……。
安全のためなら、魔法は全く使わない方が良い。
しかし、それでは不便だ。せっかく魔法が使えるのだから、少しは楽がしたい。それに、全く使えない振りをしていた場合、何かの拍子でつい使ってしまった場合や、やむを得ない事態に陥った時とかでばれた場合が怖い。
やはり、以前のアデルくらいに使えることにした方が得策だろう。
そう考えたアデルは、今回も前の者が使う魔法をじっと見詰め、自分の番にはほぼ同等の威力を出すようにと慎重に調節した。
(威力は6800分の1で人間の平均値だから、1万分の1くらいにして、それを微調整して更に下げて、さっきのくらいの強さにして、と、えいっ!)
ばすん!
丁度良いくらいの火の玉が飛び出し、アデルは安堵のため息を吐いた。とても攻撃魔法とは言えない、ショボい火種、という程度である。
……が、教官を含めたみんながアデルを凝視していた。口を半開きにして。
「む、無詠唱、だと………」
(……あ、呪文詠唱、忘れてた………)
実際には思念波の放射さえ出来れば呪文詠唱など関係ないが、発現する現象を論理的に、つまり分子の運動量だとか化学変化とか酸素の供給だとかいう観点でイメージを瞬間的に想像できない者達には、『炎よ渦巻け、集まり塊となって敵を打ち砕け!』等の発現の流れを思念波とする必要があり、そのためにはそれを声に出すのが簡単であり確実であった。
勿論、無詠唱として頭の中だけで念じることも可能であったが、そうするとどうしても思念が内にこもってしまい放射威力が大幅に落ちる上、頭の中でも同じような流れで言葉を念じているため発動にかかる時間的にはあまり変わらず、奇襲くらいにしか使われない。
それを、アデルは発現現象をそのままイメージしたため、表情も変えずに瞬時に発動させた。前の者とほぼ同じ威力で。
そしてそれは、同じ『無詠唱』であっても、この世界の者が言うところのそれとは全く意味が違った。
見ていた者にはそこまでは分からなかったのは幸いであったが、それでもアデルが年齢を遥かに超えた使い手であることを知らしめるには充分過ぎた。
(ありゃ~、やっちゃったかな……。
いや、でも、無詠唱で魔法を使える人はいくらでもいる。みんな無詠唱はあまり使わないだけで……。私はたまたま火の玉の魔法が得意で、それだけが無詠唱でもそこそこ使えるだけの、ただの普通の女の子! うん!)
新入生達は互いに初対面であり、まだいきなり話しかける程の関係ではないためにヒソヒソと話されることもなく、教師達は、試験中ということもあり、驚きの表情を浮かべながらもスルーした。色々と聞く時間はこれからいくらでもあるので。
何やかやで、特に問題もなくクラス分けのための実力試験は終わり、生徒達は訓練場で現地解散となった。アデルも寮へと戻って行った。
そして訓練場には、ひとりの少年が残っていた。
貧乏男爵家の5男、ケルビン・フォン・ベイリアム。
ベイリアム家は貧乏であった。貧乏なのに、お盛んである男爵は妻との間に3男1女を儲けた後、侍女に手を出して更に2男1女を儲けた。
男爵は、女性関係にはだらしなかったがそう悪い人物ではなく、子を産ませた侍女にはちゃんと手当を出して厚遇したし、子供達も邸に住まわせて自分の子として育てた。正妻やその子供達もそれらの者に辛く当たることはなく、弟妹として結構可愛がってくれた。
しかし、如何せん、お金が無かった。
正妻の子達は貴族の子として上級のアードレイ学園へ行かせたが、侍女が産んだ子供の分を出すのは厳しかった。
長男は跡取り。次男は、長男の身に何かあった場合の予備。三男は騎士団か近衛、もしくは高級官僚にでもなれれば儲けもの、あわよくば男子のいない男爵家か子爵家あたりの婿養子にでもなってくれれば、との期待がある。
女の子は、器量が良ければ貴族家の跡取り息子や大商人の息子とかの嫁に行ける可能性がある。その可能性を少しでも高めるためには、無理をしてでも上級の学園へ行かせる必要があった。
そういう訳で、下級であるエクランド学園へ行くことになるのは、四男である兄と自分のふたりだけとなる。そのはずであった。
だが、何と四男には魔法の才能があった。
充分にその道で食べて行けるだけの、いや、事によっては宮廷魔術師や魔法師団にさえはいれるかも知れないだけの才能が。
急遽四男も上級のアードレイ学園へ行くこととなり、結局、下級であるエクランド学園に行くこととなったのは、五男であるケルビン唯ひとりとなったのであった。
七人兄妹で自分だけ。
なぜ! どうして!
ケルビンは、世の理不尽を恨み、荒れた。
だが、心の中では分かっていた。仕方がないのだと。
子供を上級の学園に通わせるには、貧乏貴族には決して軽くない金銭的負担がかかる。
高額な入学金を始め、3年分の授業料、教材費、食費、寮費、衣服代、その他諸々。それが7人分。とても出せるものではない。恐らく、予定外の四男の学費でかなりの窮状に陥ったことだろう。
それでも、いくら上級の学園に較べれば費用が10分の1くらいで済むとは言え、下級ではあるが学園に入れてくれた。侍女が産んだ子である自分を。
正妻である奥様も、文句を言うことなく、逆に済まないと謝ってくれた。それに文句を言っては罰が当たる。
よし、ならば自分は、ここでトップとなる!
最強の狼となって、安穏と暮らした上級学園出身の奴らを蹴散らしてのし上がってやる!
兄さん達に鍛えて貰ったこの身体にはいささかの自信がある。まずは、入学時の実力試験で俺の力を見せてやる!
ケルビンはそう思っていた。なのに……。
自分が最高の走りを見せたあと、それをじっと見ていたあの女は同じ記録を出しやがった。
懸垂で限界まで頑張ったのに、それをじっと見ていたあの女は同じ回数をこなしやがった。しかも、まだ余裕たっぷりに見えたのに急に疲れた振りをして、同じ回数で止めやがった。
槍投げも。走り幅跳びも。腕立て伏せも。
全部、俺の記録に合わせて止めてきやがった。まだまだ余裕があるくせに。
しかも、魔法まで使えるだと!
クソッ! クソクソッ!!
舐めやがって!
必ず越える。あの女を超えてみせる!
ケルビン・フォン・ベイリアム。
学園生活3年間の目標ができた瞬間であった。