529 戦いの肖像 2
ここ、小さな町クロトは、丘の上にある。
なので、町外れに行くと、丘の下が広く見渡せる。
といっても、見渡す限り岩の多い荒れ地が広がり、農業や牧畜ができるような場所ではない。
この町は、人間が暮らすにはあまり適したところではなかった。
なのに、なぜ昔からこの丘に小さな町があるのか。
(……もしかして、見張り台の名残かなぁ……。
遥か昔からの、お役目。
もう、誰もこんな不便な場所に住まなければならない理由など知らないというのに、それでも『ここに住まなければならない』という先祖からの言い伝えに従って……。
古竜の里がこの国にあるのも、遺跡が多いのも……)
そんなことを考えるマイルであるが、それが合っているのかどうかは分からない。
あまりにも長い刻の流れは、全てを摩耗させ、消し去ってゆく……。
そして、丘の下、その向こうに広がる荒野、その遙か向こうに見える山脈。
まだ陽が昇らず薄暗いため、地上の様子は見えない。
しかし、高性能なマイルの眼は、丘の下で蠢くものを捉えていた。
「……にん……げん……?」
そう、それは確かに、人間、いや、『ヒト種』の者達の姿であった。
「どう……、して……」
まだ日の出は迎えておらず、荒野や遠方は薄暗いものの、丘のふもとは徐々に明るくなりつつあった。そしてそこに浮かび上がる数百、いや、千を超えるであろう、ヒト種の群れ。
眼を凝らしたマイルは、そこここに立てられている旗や幟を視認した。
「あれは、アルバーン帝国軍の旗? そして、幟の文字は、……せい、じょ……、聖女様親衛隊いぃ?」
「あ~、アルバーン帝国軍の中にできた、部隊の垣根を越えた者達の集まりらしいぞ。
何でも、アスカム領侵攻作戦の時に聖女を名乗る少女達に救われた者達の集まりだとか……。
それと、他国との国境線に張り付いていた部隊が全部こっちへ来たらしい。
なので、それに対峙していた他国の部隊も国境を越えて、全部こっちへ来たとさ。
更に、各国に残っていた治安維持のための部隊も、王宮警護の近衛軍も警備兵も、全部来たらしいぞ」
「なっ……」
さすがAランクハンター、事前に色々と調べていたらしい、『ミスリルの咆哮』のグレン。
しだいに明るくなり、他の者達にもふもとの兵士達が視認できるようになってきた。
他の者達も眼を凝らしているが、さすがにマイルのようには詳細を判別できないようである。
(ナノちゃん、光学的な操作で目標を拡大できない?)
【お任せください! 画像の拡大と、音声の伝達経路を形成します。皆さんとお知り合いの方々をピックアップして……】
『ダクト』というのは、気温、水温、密度変化等のために電磁波や音波が反射や屈折により狭い範囲に閉じ込められ、低い減衰率により遥か遠方まで伝搬するという現象のことである。
そしてマイル達の前方に大きな画像が現れた。
……それくらいのことで、今更驚くような者はいない。
「……あの旗は、ブランデル王国の近衛の……。王宮の護り、近衛軍を出したと?
えっ、あれは王族旗?
げえっ、モレーナ王女殿下と女性近衛分隊! どうしてこんなところへ!!」
モニカの叫びに、マルセラとオリアーナが冷静に答えた。
「最後に送った手紙が悪かったのかしらね……」
「あの、『異状なし、皆元気。我ら、友のために命を捧げんとす。さらば!』ってやつですか?」
『あ! あああああっっ! あなた達、ふざけんじゃないですわよっっ!
私も……、私も「ワンダースリー」の一員ですわよ。私だけ置いていくなんて、許しませんよっ!』
「え? 双方向ですの、この映像! しかも、声まで……。
つ、次っ! 次に行ってくださいましっっ!」
マルセラの要望により、映像の対象が変えられた。
「向こうのは……、アスカム領主軍? 帝国との国境に近いから、東方には派遣されずに残されていたんだ……」
『お嬢様!!』
「ジュノーさん……」
ここで、マイルがジュノーに掛ける言葉は、これしかなかった。
「ジュノー、アスカムと、……そして世界を護りなさい……」
そして、次々と映像に映るのは……。
「各国に治安維持と防衛のために残されていた最後の戦力や、近衛軍、金持ち連中の私兵、傭兵、ハンター達だ」
グレンの説明に続き……。
「エルフの里の皆さん。第2次採掘場奪還部隊隊長以下、ドワーフ部隊の皆さん。そして獣人の村の皆さん……」
次々と映しだされる映像に、呆然と呟くマイル。
「当たり前でしょ。まさか、エルフ達が来ないなんて思っていたんじゃないでしょうね?」
そして、んふふ、と笑いながらそう告げるクーレレイア博士。
「数百……、いえ、数千はいますわね……。これならば……」
「はい、ひとり当たり500頭くらい倒せば、勝てますね!」
「あはは……」
マルセラとオリアーナの、あまりにも暢気で楽観的な会話に、乾いた笑いのモニカ。
そんなことができるのは、Aランク以上のハンターだけである。
そして周りが更に明るくなり、遠くの方もしだいに見えるようになってきた。
「え……」
そして、みんなの目に映ったのは……。
人。
人、人、人……。
広大な荒野を埋め尽くす、膨大な数の人の群れ。
そして更に、荒野へと向かう人々の列。
「何千、何万……、いえ、それどころではない人数……。
どうして……? 東方で戦った合同軍は、間に合うはずがないのに……」
目を見開いてそう呟くマイルに、グレンが尋ねた。
「お前、軍隊のうち、実際に武器を振り回して敵と戦うヤツがどれくらいいるか知ってるか?」
「え? ええ、まあ……。軍隊といっても、戦場まで食料や物資を運ぶ輜重輸卒、料理番、衛生兵、武器の整備員、伝令、その他様々な役目の人がいるから、一日中戦闘訓練をしている戦いに特化した戦闘員は、半分くらいかと……。
でも、支援員の人達も戦闘員の人達に随伴していますよね? 今、こんなところに現れるはずは……」
「ちっちっち! 話はまだ終わっちゃいねぇよ。
じゃあ、その軍隊10万人を擁する国の、国民の数はどれくらいだ?」
「え……。そりゃまあ、何も生産せずに消費するだけの軍隊なんて、平時であれば国民の2~3パーセント、有事であっても、せいぜい5パーセントくらいですよね。それ以上だと、国が保ちませんよ。余程のことがあっても、ごく一時的に10パーセント弱、っていうのがせいぜいでしょう。
だから、5パーセントとして考えると、全国民数は軍の20倍で、200万、……って、まさか!」
「……そうよ。あれは、5パーセントの軍人を引いた、残りの95パーセントの一般の人達。
そのうちの、一部だ。
農民、職人、商人、その他様々な人々が、農具を、工具を、包丁を、モップの柄を握り締めてやって来たんだよ。自分達の世界は自分達で護る、若い少女達を犠牲にして生き残るなんざ我慢できねぇ、って言ってな……」
「…………」
そして映像に、萎びた老人達の姿が映し出された。
「え? パン屋の常連のおじいさん、おばあさん達?」
そう、それはマイルのエクランド学園時代に、バイト先のパン屋にたむろしていた常連の老人達の姿であった。
「げえっ、元Aランクパーティ、『死神の鎌』の連中だ! まだ生きてやがったのかよ……」
グレンが、引き攣った顔で声を上げた。
『おお、アデルの嬢ちゃん、久し振りじゃのぅ……。
このまま老いさらばえて朽ちていくだけだと思っておったのに、まさかこんな楽しくてやり甲斐のある死に場所が用意されておったとは、何たる僥倖か……。
感謝するぞ、嬢ちゃんや……』
「……老人部隊の皆さんよ。
先に死ぬのは年寄りの仕事、若いのは生き残って未来を作れ、と言って先頭部隊に志願された、引退された元ハンターや傭兵、軍人だった人達よ」
テリュシアが、後ろからそう説明してくれた。
「……みんな、みんな……、馬鹿ばっか……」
「その中で、飛び抜けた馬鹿が、何言ってんのよ……」
呆れたような顔で、レーナが肩を竦めた。
そして、映像が流れ……。
「エクランド学園の校章旗……」
「ああ、学園連合だな。各国の学園の、戦える生徒や教師が……、って、何で地獄のエリスのババアがいやがんだよ! とっくに死んだはずだろうがっ!!」
「……寮監様?」
グレンが何やら騒いでいるが、学園連合の先頭に立っているのは、アデルがエクランド学園でお世話になった、あの寮監様であった。
『お久し振りですね、アデルさん。御立派になられて……』
そう言ってにっこりと微笑む寮監様に、マイルがとんでもない暴言を吐いた。つい、うっかりと。
「……老人部隊じゃないんだ……」
ぴしっ!
せかいに、ヒビがはいった……。
「ふ、ふふ、ふふふ……、面白いことをおっしゃいますのね……。
あとで、お話があります。この戦いが終わったら、エクランド学園の生徒指導室に来るように」
そう言って、静かに微笑む寮監様。
「「「「「「ぎゃあああああ~~!!」」」」」」
伝説のSランクハンター、『地獄のエリス』のことを知っているハンターやギルド関係者達から、悲鳴が上がった。