411 妹 2
剣を振りかぶって突進してくる、悪鬼のような形相のマイル。
それに続く、同じく剣を抜いたメーヴィスと、その後ろで攻撃魔法らしき呪文を唱えているレーナとポーリン。
……逃げた。
少女の腕を掴んでいた男が真っ先に逃げ出し、それに続いて他の連中も逃げ出した。脱角兎の如く……。
追いかけて、叩き斬ったり、攻撃魔法をぶち込むことは簡単であったが、事情も確認せずに手を出して、少し、……ほんの少し、『やり過ぎてしまった』場合、マズいことになる可能性がある。実は少女が犯罪者であったり、恋人との痴話喧嘩であったりした場合とか……。
いや、その確率はかなり低かったが、相手を潰すことくらい、いつでもできるので。
人口が密集しているわけではない、こんなド田舎であれば、マイルの探知魔法を使えば簡単である。
それに、もしあの連中がただの通りすがりの強制ナンパ野郎でなかったならば、どうせまたすぐにこの村に近寄ってくるはずである。そこを、『ぷちっ』とやれば済むことであった。
まぁ、10歳くらいの少女をナンパするおっさん、というのは、あまりいそうにないが。
……ちなみに、現代日本における『幼女』の定義は、『小学校入学前の、幼い少女』というものが主流であるらしいが、マイルにとっては、もう少し上まで含まれるようであった。
「……というわけなんです……」
マイル達が助けた、その10歳くらいの少女の話によると、どうやら少女を連れ去ろうとしていたのは、しょっちゅう村に来て強請り集りを行っている連中らしい。
最初は、人を殺したり大怪我をさせたりというような無茶はせず、ちょっとした暴力や盗み、強奪とかをやっていたらしい。
しかし、こんな小さな村に、そんな連中を食わせていけるだけの余剰食糧があるわけがない。いや、たとえあったとしても、そんな連中にくれてやる謂われはないし、連中がギリギリの食料で我慢するわけがない。食料、酒、金、……そして女。連中が求めるものは、次々とエスカレートしてゆき……。
そして遂に、さすがに耐えかねた村人達が要求を拒み始めたらしい。
すると、少女が捕らえられそうになった、と……。
おそらく、人質にして色々と要求するつもりだったのであろう。もしくは、人買いに違法奴隷として売り飛ばすつもりだった可能性もある。
「それって、立派な盗賊じゃないの! どうして最初にさっさと対処しないのよ!」
レーナがそう言って噛みつくが、こんな小さな子供にそれを言っても仕方ない。大人達に言わないと……。
そして、マイルがポン、と手を叩いた。
「あれですよ、あれ、『茹でガエル理論』! 熱湯に投げ入れたカエルはすぐに逃げ出すけれど、水とカエルを入れた鍋を火にかけてゆっくりと温度を上げていくと、逃げるタイミングを失って茹で死んでしまう、ってやつ! ……いえ、あくまでも経済学とかで使う喩えであって、実際には勿論逃げますけどね、カエル……」
マイルは、まだ動転し混乱した状態から完全には戻っていなかったが、何とか少女の話を聞いて分析できる程度にはなっているようであった。
先程の、マイルらしからぬ動転と逆上には、勿論、理由があった。
「なるほど、最初はただの集り程度で、領主に泣き付いたり、大金を払ってギルドに依頼したりするほどのことではないと思わせておいて、その後、少しずつ状況が悪化していくわけか……」
「元々盗賊で、最初は大した悪党じゃない、という振りをしていただけ、と?」
どうやら、メーヴィスとポーリンも理解した模様である。
そして、今までは子供にはあまり手出ししなかったらしいのに、10歳前後の少女を捕らえようとしたということは。
……おそらく、そろそろ『刈り取り』、つまり、根こそぎ収穫して、次の村へ移動するつもりなのであろう。なので、村を襲い食料や現金、その他のお金になりそうなものを奪い尽くし、邪魔をする村人達は皆殺し。
次に狙われた村の者達は、『ああ、ごろつきが寄ってきたけれど、あの村のような、いきなり襲われて皆殺し、というような極悪盗賊団に狙われたのでなくて、よかった……』とでも考えるのであろう。
そして、同じことの繰り返し。
よくあることであった。
そして、村人達が現状に甘んじ、抵抗も、領主に助けを求めることも、そしてハンターギルドや傭兵ギルドに依頼することもないのであれば、『赤き誓い』には関係のない話であった。
いくら『赤き誓い』の面々がお人好し揃いであっても、物事には、限度というものがある。
自ら立ち上がろうとせず、助けを求めもせず、ただ、いつか誰かが助けてくれるだろうと思って待っているだけ。……それは、俗に言うところの、『女神が救うに値しない者達』であった。
なので当然、『赤き誓い』も、そして、いくらお人好しだとはいえ、さすがにマイルも……。
「助けましょう!」
「「「やっぱり……」」」
そう、当たり前であった。
少女が落ち着いて事情を説明してくれるまでにはかなりの時間が掛かったのであるが、それは、少女以上に、マイルが錯乱して騒いでいたからである。
経緯子、どうしてここへ!
幼女を助けて死んじゃったの?
ふたりとも死んじゃったら、お父さんとお母さんが……。
等々、少女の肩を掴んでガクガクと揺さぶりながらレーナ達には理解できないことを喚き散らし、大変であったのだ。
皆で何とか引き剥がし、落ち着かせてから事情を確認すると、この少女がマイルの知り合い(とても大切な人らしい)にそっくりであり、本人だと思って動転した、とのことであった。
……しかし、転生したとしたら、見た目が変わっているのではないか。
事実、マイルも前世とは違う姿である。ならば、外見が少し似ているからといって、明らかに人種が違うのに、なぜマイルがそんな勘違いをしたのか。
落ち着いてゆっくり見ると、見た目もそうそっくりだというわけではなく、ホクロの位置も違うし、顔立ちや肌の色、髪や眼の色も違う。
……しかし、何というか、『身体全体から立ち上る、オーラというか、雰囲気というか、気配というか、何か、そういうもの』が酷似しているのであった。
まだ小さかった頃の、経緯子。
そう、まだ、自分の姉がぽんこつであることに気付いておらず、美人で優しくて頭のいい、自慢のお姉ちゃんだと思って慕ってくれていた頃の、可愛かった妹の雰囲気、そのものであった。
「あの頃は、幸せでした……。その後、姉ポジションを奪われるまでは……」
「どうして、急に涙ぐむのよ!」
そして、わけが分からず、狼狽えるレーナ達であった……。
と、まぁ、そんなわけで、マイルが完全にこの少女に入れ込んでしまったのは、3人には丸分かりなのであった。そのため、マイルがそう言い出すのを予想していない者はいなかった。
「仕方ないわねぇ。……じゃあ、とりあえず、その子を家まで送るわよ」
いくら村の周りが森だとはいっても、さすがに村のすぐ近くは山菜も薬草も採り尽くされているらしく、少女は村から少し離れたところまで来ていたものの、そう大した距離ではない。歩いて十数分程度ならば、念の為、送った方が良いであろう。先程の連中が待ち構えている可能性も、ゼロではない。
そもそも、マイルが完全にその気なので、このままここで別れる、という選択肢はなかった。
* *
「ええっ、何と! それはそれは、娘が危ないところを、ありがとうございました!!」
村の自宅へと少女……、メリリーナちゃんを送り届けたところ、御両親からすごく感謝された『赤き誓い』の面々。
まぁ、それはそうであろう。下手をすれば、玩具にされた挙げ句、どこかに売り飛ばされた可能性もあるのだから。
しかし、あまり何度も頭を下げられると、居心地が悪くなる。
「じゃあ、私達はこれで……」
両親に、ごろつき共に眼を付けられたかもしれないから当分はメリリーナちゃんから眼を離さず、絶対にひとりで家から出さないようにと念を押してから、そう言って辞去しようとしたレーナ達であるが……。
「いえ、そういうわけには! もう暗くなってきましたし、今夜は是非、うちにお泊まりください!」
父親からそう勧められたが、正直言って、『赤き誓い』の面々にとっては、初対面の人の狭い家で窮屈に過ごすよりも、いつものテントとベッドで快適に過ごす方が、余程ありがたかった。
それに、風呂は我慢するにしても、今更田舎のぼっとんトイレというのは気が進まない。マイル謹製の快適トイレに慣れてしまった身体には、宿屋のトイレですら苦痛であるというのに、こういうところのものは、ちょっと……。
人間、一度覚えた贅沢や快適さというものは、二度と捨てられないものなのである。
……そう、収納魔法も、美味しい料理も、携帯式要塞トイレも、そして携帯式要塞浴室も……。
勿論、『携帯式』とはいっても、持ち運べるのはマイルだけであるが。