374 商 売 1
「では、ここで店を開きます」
商隊が帝国領に入ってから、既に3日目である。
あまり国境に近いところでは新しい情報は入手できないため、今までは商売はせずに、ただ帝都を目指して進むだけであった。そして今回、この街で初めての商売を行うことにしたわけである。
商売と言っても、帝国の商人と大量取引をするわけではない。そんなことをすれば、数回の取引で売り物がなくなってしまうし、王国から持ってきた商品がなくなって帝国の商品を買い入れれば、帰路に就かずに帝国内をうろつく理由がなくなってしまい、怪しまれる。
帝国で買ったものを帝国内の他の街で売っても、それは少しは儲けが出るが、他国から来た商人がわざわざ帝国に滞在してやるようなことではない。景気の悪い帝国で商売をするより、自国や他の国で商売した方が、ずっと儲かるのだから。
あくまでも、一般の人達を相手にした小売りで時間を稼ぎつつ、市井の人達から浅く広く情報を集めるのが、この商隊の任務であった。
貴族や大商人とかを相手にした情報収集や工作は、そっち方面のプロが担当しており、この商隊の役割ではなかった。
「では、御者の皆さんは、馬を外してそのあたりの木に繋いで下さい。私達は、馬車の幌を外して店の準備をします。『赤き誓い』の皆さんは、作業の隙を狙った掻っ払いに警戒していてください。
私共の店の準備には手出しされませんように。危険ですし、色々とコツが必要ですから、却って邪魔……、迷惑……、いやいや、お手伝いいただくのは申し訳ないですから……」
本音ダダ漏れであるが、確かに、素人が下手に手出しすれば、却って迷惑であろう。商人達も、実は『なんちゃって商人』ではあるが、最低限のことは事前に練習しているはずである。ちゃんと、本物の商人や、この荷馬車の持ち主であった者達に教えられて……。
そう、この馬車は、荷台の中央部の荷は降ろして、広げたシートの上に並べて売るが、幌を外せば、商品の大部分は荷台そのものを展示台として使えるようになっているのである。その造りは、なかなかよく考えられていた。
実は、レーナはこのタイプの『変形型店舗馬車』についてはある程度の知識があるが、4人のうち自分ひとりだけが手伝わされるのもアレなため、黙っていた。
「皆さんは、私達が商売をしている間は、何かトラブルがあった時にはすぐに駆け付けられる状態でさえあれば、その辺りをうろついていても、軽く仮眠を取って休んでいて戴いても構いませんよ」
商人達のリーダーがそう言ってくれたが、勿論、『赤き誓い』、特にポーリンには、やるべきことがあった。……そう、アレである。
「移動商店『聖女屋』、開店準備です!」
「「「ハイハイサー!」」」
ここでは、ハンターとしての返事である『おお!』ではなく、にほんフカシ話でお馴染みの、とある魔神の台詞で応えた、マイル達。パワフル戦闘開始である!
付近の様子を窺うマイル。
まだ早朝であるため、人通りは少ない。こちらを見ている者がいない瞬間を狙って……。
「パパラパー!」
どん!
3台の荷馬車の隣、やや後ろに、お馴染みの大型テントが出現した。そしてその前方、荷馬車の位置に合わせた場所に、椅子と長机。
マイルはさっさとテントの中へと入っていった。おそらく、中で売り物を出すのであろう。人目から遮られた場所ができたなら、その中でゆっくりと品物を厳選しながら出せばいい。
商人達は、驚いた様子もない。既に野営の度に何度も見せられているので、今更であった。
しばらくすると、テントの中からマイルが何度も往復して、色々な木箱や袋を長机の後ろに積み上げ始めた。……悪いと思いながらも、その作業をマイルひとりに任せきりにするレーナ達。
いや、重いのである、アレは。
マイルは軽々と運んでいるが、腰を屈めてアレを持ち上げ、運び、下ろすのは、かなり腰にクる。女の子が腰を痛めたりすると、大変である。
……なので、マイルに任せる。適材適所。その分、マイルが苦手な分野で助けてやればいい。そう思って自分達を納得させる、レーナ達であった……。
マイルが荷運びをしている間に、レーナ達は長机に商品サンプルを並べていた。
商人達が様々な商品、つまり多品種少量販売なのに対して、『赤き誓い』は商品の種類を絞り、少品種大量販売を狙っている。効率的な展示台がなく、いちいち多くの商品の値段を覚えるのも面倒なので、そういう戦略をとったのである。
勿論、大量販売とは言っても、それは『各地で売る量を合計すれば』であって、一箇所で売るのはそう不自然ではない量、せいぜい荷馬車半分くらいに抑えるつもりであった。それくらいであれば、商人達の商品全てを合わせた量と荷馬車の積載量の不整合に気付く者などいないであろうし、そもそも、そんなことを気にする者がそうそういるとは思えない。
それに、それは『商人達の商品との重複を避ける』、『高価な贅沢品ではなく、帝国の平民達の助けになるような品がいい』という意図も含まれている。
勿論、安めのお酒とかの嗜好品も含まれてはいるが、『赤き誓い』は小麦や大麦、塩とかを売り物のメインにしている。一般的な商品であれば、あまり客と会話をしなくて済む。
あくまでも、情報収集をするのは商人達であり、『赤き誓い』が受けた依頼にはそんな任務は含まれていない。商品販売はあくまでも『赤き誓い』の自由意志であり、商人達にとっては『客寄せになってくれれば、ラッキー』という程度のものであった。
レーナ達は、商人達のことを、『公務員で研究畑の連中なのに、ちゃんとお客さんから色々な世間話を聞き出せるのだろうか』と心配していた。しかし、それくらいは『上の者達』も分かっているだろう。研究者が、みんながみんなコミュ障の陰キャだというわけではない。それなりの者が選抜されているはずである。
「よし、準備完了です! 販売開始!!」
気合い充分なポーリンの掛け声と共に、商品の販売を開始した『赤き誓い』。商人達の方も、掛け声はなかったものの、既に販売を開始していた。
そして、客の入りはと言うと……。
割と多い。
金回りが悪くて購買力が低いのに、その割には、大勢の客が商品を物色している。
……しかし、見るだけで、あまり積極的に質問したり値引き交渉をしたりする者はいないようである。
おそらく、この街の相場より安いお買い得商品がないかとか、碌に娯楽がないため珍しい物を見て楽しもうという、ウィンドウショッピングのようなつもりなのであろう。
だが、そういう客も、実際に商品を買ってくれる者達を含む『母集団』の一部であるし、いつかは買ってくれる日も来るかもしれない。なので、そういう『今回は買わない客』も大事にするのが、商人というものである。
それに、今回は『客と、商売以外の世間話をする』というのが主任務なので、商人達は無理に商品を勧めるようなことはせず、客達を楽しませるよう、他国での流行や噂話、その他色々な情報を話して聞かせてやり、客の方からも様々な話を引き出していた。
「……驚きだわね……」
「人は見かけによらないねぇ……」
「まさか、あんなに客あしらいが上手いとは……。研究者、侮れません……」
「さすが、選ばれた人だけのことは……」
ごつん、ごつん!
「痛っ!」
「何するんですか、レーナさん!」
レーナにいきなり杖で頭を叩かれ、悲鳴を上げるポーリンと、文句を言うマイル。
「言っちゃ駄目なこと、注意したわよね?」
「「あ……」」
確かに、自分達だけの時でも不用意なことを言ってはならない、と取り決めていた。しかも、今の会話は聞こえていなかったであろうが、すぐ近くに街の人達がいる。レーナとメーヴィスが言ったことは許容範囲内であったが、『研究者』とか『選ばれた人』とかいう単語は、完全にアウトであろう。
「ごめんなさい……」
「軽率でした……」
素直に自分達の非を認め、謝罪するマイルとポーリン。
最初は、長机の上に見本の小麦や塩、酒、その他の品をいくつか置いているだけの『赤き誓い』の方には客の姿はなく、皆、面白そうなものが雑多に並べてある商人達の荷馬車やシートの方へと群がっている。
当たり前である。いくら必需品とはいえ、小麦も塩も酒も、別に珍しいものではない。
確かに不足してはいるが、全く無いというわけではなく、金を積めば手に入る品々である。そして他国の商隊がわざわざ何日も掛けて高低差の大きな悪路を運んできたということは、その分の輸送費や手間賃が加算されており、特に重いもの、嵩張るものは高くなる。
人件費、護衛の雇用費、馬や馬車の減価償却、何度かに一度は盗賊や魔物によって全てが失われるというリスクに備えた割増し金。
それらの加算分により、他国から運ばれた商品は数割もの価格上昇となってしまう。いくら他国の方が現地での販売価格が安くとも、輸送のために価格が5割増し、6割増しとなっては、何の意味もない。
なので、まずは掘り出し物や面白いもの、珍しいものがないかと群がる人々にスルーされるのは当たり前であった。
……しかし、『赤き誓い』の4人に、焦ったような様子はなかった。
多分、勝算があるのであろうが、もしここで売れなかったとしても、何の問題もない。
このままアイテムボックスに入れておいて、仕入れ値より高く売れる場所に行った時に売ればいいだけのことである。それに、いつかは天候不順で凶作になったり、戦争で兵糧が高騰する時もあるだろう。
……収納したものが劣化しない、アイテムボックス。反則であった……。