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344 面倒事ホイホイ 6

 そして夕方、夜1の鐘(午後6時頃)の少し前。

 商業ギルドに、零細商店『アリトス』の店主の妻と、商会主、その金融部門の担当者、そして護衛の者達の姿があった。

 商業ギルドは、かなり混み合っていた。

 この時間帯は、狩りや採取から戻ったハンター達が獲物や採取物をハンターギルドに売り、それが商業ギルドに卸されてくる時間帯であり、最も混み合う時間帯なのである。

 ……そう、勿論、だからこの時間帯を指定したのである。


 かららん……


 ドアベルが鳴り、皆が反射的にドアの方に眼をやると、『彼女達』が入ってきた。

 ここ数日、ハンターギルドで急速にその名が広まりつつある若手女性パーティ。

 しかし、商業ギルドにおいては、土竜の素材と共に名が広まっているのはAランクパーティである『ミスリルの咆哮』の方であり、一緒に居ておこぼれにあずかっただけと思われている新米パーティについてはあまり知られていなかった。

 なので、もしその名を聞いたことがある者がいたとしても、特に気にもしなかったであろう。

 そして『赤き誓い』の面々は、そのまま真っ直ぐに店主の妻や商会主達がいるテーブルへと向かった。


「お待たせしました。アリトス商店さんにお譲りした飛竜のウロコの引き渡しに参りました」

 今回は、パーティリーダーのメーヴィスではなく、最初からポーリンが交渉を担当している。どうせ、相手には誰が『赤き誓い』のリーダーかということは分かっていないし、もし分かっていたとしても、そんなことは気にしないであろう。

「いえいえ、まだ夜1の鐘の前ですからね。では、契約書のサインと交換が終わるのを確認してから、現物を出して下さい。

 飛竜のウロコの現物を引き渡した時点で、契約は成立です。もしその時点でウロコが偽物とか傷物とかであった場合には、その場でその旨を宣言して下さい。その場合は、ギルドの鑑定士に依頼して確認、こちらに非があった場合にはギルドの規約に従って契約は無効、ということでよろしいですね?」


 店主の妻の台詞の後半部分は、商会主に向かっての確認である。

 そして勿論、商会主に否はない。

 先に現物を出さないのも、商会主にとっては都合が良い。……というか、契約を交わしてから現物を確認する、と言い出したのは、商会主の方である。勿論、そうしないと、契約を交わす前に周りの商人達が騒いで、ウロコの価値が相手にバレてしまうからであった。

(ふはは、騙されないようにと色々考えたつもりが、却って自分の行動を取り返しのつかないものにする。自分が遣り手だと思っている間抜けがよく陥る落とし穴だ。小賢しく立ち回ったつもりでも、所詮は、女の浅知恵よのぅ……)

 商会主は、心の中で、ほくそ笑んでいた。

 ……そう、普段であればもっと注意深く考えるであろうが、自分が相手を嵌めようとしている最中であり、しかも相手がそれに完全に引っ掛かっている今の状況では、自分の罠の事ばかりに注意が集中し、他のことにはあまり考えが廻らなくなっているのであった。


 本来は個室で行うべき取引をこのような衆人環視の中で行うという異例のこと、そして先程から何度も聞こえてくる『飛竜のウロコ』という言葉。更に、取引をしているのが、片や悪名高いメルフクト、片や商店主ではなくその細君。どう考えても、普通の取引とは思えない。

(((((騙そうとしてやがるな……)))))

 周りの者達は皆、そう思っていた。

 しかし、他の商人の取引に口を挟めるわけがなく、気の毒そうな顔で被害者の女性を見ていることしかできなかった。その耳に全神経を集中して、取引の内容を聞き漏らさないようにしながら。


 そして、2枚の同じ契約書が出され、それぞれがその両方に署名し、1枚ずつを手にして確認した後、それぞれの懐にしまい込む。

 普通ならば、契約書はテーブルの上に置いたままで現物を引き渡すのであろうが、どちらも、相手が真実を知って逆上、契約書を奪い取ろうとすることを警戒してのことである。

 それを見ていた者達は、『あ~、どちらも相手を全く信用していないな……』と、苦笑している。


「では、お願いします」

 零細商店『アリトス』の細君の言葉に、マイルが収納からふたつの包みを取り出し、そっとテーブルの上に置いた。

『収納だと!』、という、驚いたような小さな声がいくつか聞こえたが、大半の者達は、それよりも今の状況の方が気になるようで、固唾を呑んで見守っていた。


「……どうぞ」

 女性の言葉に、そっと包みを開いた商会主は……、

「何だ、これはっっ!!」

 思わず立ち上がり、大声でそう叫んだ。

 そう、それは、大きさを誤魔化すため……、いや、傷が付かないよう保護するために大きめの木枠に入れて梱包された、竜種のウロコであった。

 ……『飛竜』の。


「御覧の通り、飛竜のウロコですが?」

「どうして飛竜のウロコなんだ! 話が違うだろうがっっ!!」

 激昂して女性を怒鳴りつける商会主に、皆、わけが分からずにぽかんとしている。

 無理もない。つい先程まで、あれだけ何度も『飛竜のウロコの取引だ』といっておきながら、その質が悪いとかいうならばともかく、それが飛竜のウロコだから、という理由で怒鳴り散らすなど、意味不明であった。そして、やや離れた位置からではあるが、他の者達から見た限りでは、その飛竜のウロコはかなりの上物であり、とても不満を抱き文句を付けるような品ではなかった。


「え? 何を、おかしなことを……。私共は、最初から飛竜のウロコだと申しておりますが? そちらも、ずっとそう言っておられましたよね? そして契約書にも、『竜種、おそらく飛竜のものではないかと思われるウロコ』と明記されており、それを何度も確認されておりますよね? いったい、何を言われているのやら……。

 何でしたら、ギルドの者に鑑定して貰いましょうか?」

「な、なっ……」

 薄笑いを浮かべながらそう言う女性に、絶句する商会主。

 しかし、すぐに立ち直って……。


「お前達! お前達が昨日持ってきたウロコは……」

「え、小金貨7枚だと査定して戴きました、あの正体不明のウロコですか? 安い品だったようなので、知人に譲ったと言いましたよね、今朝……。一流商会主であるあなたが小金貨7枚だと査定された、あの安物のウロコが、何か?」

 ポーリンの返事に、ようやく周りの者達にも事情が分かり始めたようである。ああ、という納得顔がちらほらと見え始めた。


「ぐっ……」

 商会主は、言葉に詰まり、何も言えない様子である。

 言えるはずがない。大勢の商人や商業ギルドの職員達がいるここで、『古竜のウロコ、完全美品を1枚当たり小金貨7枚と査定した』とか、『古竜のウロコを、飛竜のウロコだと騙して買い取ろうとしていた』とか……。


 勿論、元々自分の評判が悪いことくらいは知っている。

 しかしそれは、『第三者が聞いていない、当事者だけでの会話』とか、『契約書に書かれている文言もんごんが、そう解釈できなくもない』とか、『そんなことは知らなかった』、『部下が勝手にやった』、『記憶にございません』、等の言い訳や、『あくまでも、双方が納得した上で交わした、正規の契約である』と言い張れば何とかなるものであった。


 だが、今回はこれだけの人数の前で、はっきりと『飛竜のウロコ』と言ってしまったし、小娘達が持ち込んだウロコを小金貨7枚などという、この取引よりも、そして勿論飛竜のウロコの相場よりも遥かに安い価格に見積もったことを盛大にバラされてしまった。これでは、『小娘達に事前に古竜のウロコを見せられて、優良誤認行為を行われた』と主張することもできない。

 なにしろ、自分がウロコを見分けられることは、たった今、皆の前で証明してしまったし、小金貨7枚のウロコがこの飛竜のウロコより遥かに高値だと主張することもできない。それらのどの選択肢もが、全て、自分の詐欺行為を自白することになってしまうのだから……。

 それに対して、向こうは首尾一貫して『これは飛竜のウロコ』、『大した価格のものではない』と考えていたということが明確であり、しかも契約書、納得していた金額共に、それをはっきりと証明している。


(やられた……)

 がっくりと肩を落とす、商会主。

 そして、何も知らない振りをする『アリトス』の経営者の妻と、他の者には見えないように、にやりと嗤うポーリンであった……。


 しかし、今回の件では、別に商会主は金銭的には損をしたわけではない。割高な価格で飛竜のウロコを買い取ったことになるが、それは『元金、利子、違約金等を全て含めた金額を棒引きすると、割高』というだけであって、元金と利子、つまり本来の回収分はしっかりと取れている。阿漕あこぎな稼ぎには失敗した、というだけである。


 零細商店『アリトス』も、借金関係は全て棒引きとなったものの、『赤き誓い』から飛竜のウロコを買い取った支払いがあるので、正規の返済額である元金と利子分は支出している。

 ポーリンが、自分達が関わったからといって支払うべき返済金を支払わずに済んだ、というようなことを許してはならない、と強く主張し、皆もそれに同意したからである。

 これは、今回のことはあくまでも自衛のためであり、このようなことでお金を儲けるつもりはなかったということの証明となり、商店『アリトス』に対する他の商人やギルド職員への心証も良くなるであろう。

 なので、商会主に渡した品はちゃんとした飛竜のウロコの美品であり、そこで傷物とか他のウロコ、たとえば岩トカゲのウロコを出すとかいうことはしなかったのである。

 そう、あくまでも、『アリトス』は約束を守る、誠意ある真っ当な商店である、ということなのである。


 そして『赤き誓い』は、手持ちの飛竜のウロコをそこそこ相場に近い価格で売れたので、別に損はなし。

 結局、3者共に、大した儲けも損もなく、何事もなく終わったのであった。

 ……金銭的には。


 商会主は、多くの商人や商業ギルドの面々の前で醜態を晒し、『やっぱり、やってやがった……』として更に評判を落とした。

 零細商店『アリトス』の奥さんは、何ひとつ嘘を吐くことなく、正々堂々と老獪ろうかいな悪徳商会主に立ち向かい、そして相手をやり込めた女傑として名を上げ、それは店の知名度と信用となった。

 そして『赤き誓い』は、何やら面白い連中、しかも収納魔法の使い手付きの美少女揃い、として名を売った。




「……でも、飛竜のウロコがマイルの収納に入っていて良かったわよねぇ……」

「はい、これも、ロブレスちゃんのおかげですよね」

「「あはは……」」

 レーナとポーリンの言葉に、笑いで応えるマイルとメーヴィス。

 そう、あの、最初の古竜との戦いでロブレスが撃墜された後。

 ドラゴンブレスの貫通と、木々が茂った場所に墜落したため負傷したロブレスに治癒魔法を掛けてやる時に、取れ掛かっていたウロコを千切り取って傷口を綺麗にしてから治療してやったのである。……勿論、『治療の事前準備のために取った、中途半端に取れ掛けていて邪魔だったウロコ』は、マイルが収納魔法アイテムボックスに入れておいた。……ゴミを放置するわけにはいかないので。


「みんな、損することなく、ほんの少しずつ儲かりました。めでたし、めでたし……」

「「「…………」」」

 暢気な様子で、そんなことを口走ったマイル。

 それには、あの商会主が受けた社会的な、そして精神的なダメージが全く考慮されていない。そう言いたかった3人であるが……。

(いえ、さすがに、分かっていて言ってるわよねぇ……)

(悪党の被害など、考慮する必要もない、ということですか。……マイルちゃん、結構黒いですねぇ……)

(……素で言ってるよね? マイル、これ、素で言ってるよね?)

 そして、曖昧な笑みを浮かべるしかリアクションのしようのない、レーナ達3人であった……。

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[良い点] 窒素を含む有機化合物水溶液を飲み込んだ役人「この正直者め」ʬ
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