317 トリスト王国
「しばらく、この街に滞在ね」
レーナの言葉に、皆が頷いた。
お嬢様の件も片付き、いつものように、宿を取る前にハンターギルド支部に顔を出した『赤き誓い』一行。
美味しい依頼があれば、即、食らい付くために、宿を取るかどうかは依頼ボードを確認した後で決めるのである。……まぁ、そんな依頼がこんな時間に残っているわけがないが、『赤き誓い』はアレである、『赤い依頼でも、面白そうであれば食らい付く』という希有なパーティなので、何か、そういう類いの依頼であれば残っている可能性が無くはない。
かららん
別に、どこかの街のギルド支部のように、喧嘩に巻き込まれてドアベルが壊されるようなことはなかったらしく、いつもお馴染みの、ハンターギルド統一規格の音であった。そして……。
じろり
ギルド内の全ての者の視線が注がれ、その内の3分の1はすぐに視線を外し、3分の1は視線を外した振りをして観察を続け、そして最後の3分の1は、無遠慮に視線を注ぎ続ける。……そう、いつもお馴染みのパターンであった。
((((落ち着く……))))
あまりにも定番の反応なので、まるで定宿に戻ってきたかのような安心感。これ以外の反応だと、何かあるんじゃないかと思い、不安になるのである。
「ティルス王国王都支部所属、『赤き誓い』。修行の旅の途中です」
中に入ってすぐにメーヴィスが部屋全体に向かってそう挨拶すると、おぅ、とか、あぁ、とかいう声がいくつか上がり、軽く片手を挙げて応えてくれる者も何人かいる。カウンターの受付嬢達は、軽く会釈してくれた。
この挨拶をした者に絡む者はいない。
修行の旅に出るということは、Cランク以上。なので、「けっ、お嬢ちゃん達にハンターの仕事なんかが……」とか言って絡む者がいるはずがない。そして、修行の旅の途中の者が、旅先で舐められて、ただで済ますわけがない。
他国で、自分達の名が貶められる。それは、自分達のパーティ名だけでなく、自分達が所属するギルド支部の名を貶めることになる。なので、修行の旅の途中のパーティをからかうということは、意地になった相手からの全力の反撃を招くことになり、それで大怪我をしても、皆に『馬鹿』と言われるだけである。ギルド職員も、冷たい眼で一瞥するだけで、誰も助けてはくれないだろう。
今まで『赤き誓い』がギルドでちょっかいを掛けられていたのは、主に魔法の実力と、マイルの収納目当てである。それらが無ければ、メーヴィス以外は『彼女にするには、ちょっと若すぎる』面々であり、ポーリン以外は『彼女にするには、ちょっと小さすぎる』面々であった。……ナニが。
そう、向こうからコナを掛けてきたのであれば拒みはしないが、自分の方からがっついて飛び付く程の相手ではない。ここの連中にとって、まだ本性を現していない『赤き誓い』はそういう評価を受けていたのである。
なので、皆、『赤き誓い』のことは、ただの同業者としてしか見ていなかった。これもまた、いつもの通りであった。
そしてこの後、『赤き誓い』のことが知れ渡るにつれて、次第に厄介事が増えてゆくのが、いつものパターンなのである。
「面白いのは無いわね……」
これまた、いつもの通りである。そうそう、面白い依頼があるわけも、そういう依頼が受注されずに残っているわけもない。
「とりあえず、今、急いで受注するのは無しね。今日はゆっくり宿を選んで、美味しいものを食べて、早めに休むわよ」
「「「了解!」」」
そして、『赤き誓い』の4人はギルド支部を後にした。
「ここなんか、どうかしら」
いくつかの宿屋を見て廻り、Cランクハンターが泊まる宿としてはやや上等な宿屋の前で立ち止まったレーナ。
新米Cランクパーティとしてはあり得ないくらい予算に余裕があり(但し、ポーリンが締めているため、無駄金は使えない)、若い少女ばかりである『赤き誓い』は、無駄な揉め事や不快な思いをしなくて済むよう、あまりにも底辺層の人々が利用する宿は避けている。さすがのポーリンも、それは必要経費と認め、文句を言うことはない。
「もし外れなら、1泊だけで宿を替えればいいですからね。ここにしましょうか」
予算を握っているポーリンからOKが出たので、ぞろぞろと宿にはいる4人。
「4人部屋、空いてるかしら」
「いらっしゃい! 大丈夫です、空いてますよ!」
レーナに返事してくれたのは、受付カウンターに座っている16~17歳くらいの少女である。メーヴィスよりは身長が低いが、ポーリンよりはやや高い。胸は、同じくメーヴィスとポーリンの間くらいである。
「……チッ、外れですか……」
マイルのとんでもない呟きに、慌ててその口を塞ぐメーヴィス。
前世の海里であった時の思慮深さはどこへ行ってしまったのか、最近、あまりにもフリーダムになりすぎた様子のマイル。
マイルが言うところの『外れ』とは、受付が幼女でも少年でもなく、エルフ耳もケモ耳も付いていないという意味であって、決して受付の少女に何らかの問題があるというわけではない。なので、こんな台詞が少女の耳に入ったら大変であるが、幸いにも聞こえてはいなかったらしく、受付の少女には変わった様子は見られない。
……いや、聞こえていて、スルーしてくれただけかも知れないが。
受付をやっていると、この程度のことは日常茶飯事であろう。
尤も、普通は酔ったおっさんとかに言われる言葉であり、自分よりずっと年下の少女に言われることは、さすがに滅多にない経験であろうが……。
ポーリンが食事時間とかを確認しながら前渡し金の支払いを済ませている間に、レーナが、いつものように杖でマイルの頭をゴツゴツと小突いていた。
「あんたは、どうしていつもは無欲で物事に寛容なくせに、宿の女の子にはそう拘るのよ……」
「痛っ、痛いですよ、レーナさん!」
仕方ない。それがマイルという生物であり、前世での、海里であった時からの、心の中での本当の望みだったのだから……。
そして、その想いを口にするマイル。
「もう、人に迷惑を掛けない範囲で、己の欲望に忠実に生きることにしたんですよ!」
「充分、迷惑よっ!!」
しかし、レーナに斬って捨てられた。
「さ、部屋に行きましょう。2階です、ほら、歩いて歩いて!」
さすがに少し恥ずかしかったのか、支払いを終えたポーリンに急かされて、階段の方へと追いやられるマイルとレーナ。
受付の少女は、肩を竦めて苦笑いをしていた。やはり、ちゃんと聞こえていたようである。
「ま、そう悪い宿じゃないわね。お風呂がないのは仕方ないし、部屋やベッドも悪くない。食事が不味ければ外食すればいいし。おかしな客に絡まれるようなことがなければ、ここに滞在しましょ」
皆、それに同意して、こくこくと頷いた。
みんなのハンターとしての所属登録場所であるティルス王国の王都のように、定住したり長期滞在したりするわけではない。たかが数日間のことなので、多少のことはどうでもよかった。どうしても我慢できないことがあれば、宿替えすれば済むことである。
「明日は朝1の鐘(午前6時頃)の前にギルドへ行って、新しい依頼が貼り出されるのを待つわよ。それでいい依頼が無ければ、常時依頼の採取と討伐でこのあたりのことを勉強。ついでに、メーヴィスが会得したっていう新しい技を、ちょいと試してあげようじゃない」
「え~……」
にやにやと笑いながらそう言うレーナに、メーヴィスが少し嫌そうな顔をするが、仲間の技量を把握しておくことは、パーティ仲間としては当然のことである。それに、元々みんなに少し自慢したいという気持ちがあったメーヴィスも、本気で嫌がっているわけではない。照れ隠しのようなものである。
「じゃ、それで決定! 今日は早めに休むわよ!」
さすがに、いくら馬車に便乗させて貰ったとはいえ、旅は疲れる。街に着いた最初の夜は、ぐっすりと眠るのが恒例であった。
テントの簡易ベッドで眠る『赤き誓い』が「旅は疲れる」などと言えば、テントも無く、マントに包まって草の上に横たわるだけの他のハンター達に袋叩きにされそうであるから、守秘義務が発生する相手以外には決してバレないようにしているが……。
そして、宿の食事は充分満足できるものであり、ゆっくりと休むマイル達であった……。