307 命の輝き 1
「な、何を……」
護衛リーダーが止める間もなく、メーヴィスは数歩前へと進み出た。
そして、剣を構えたまま、何やら精神を集中させているらしき様子。
いや、それ自体は、別におかしくはない。戦いにおいて、剣士が精神統一を行うことなど、ごく普通のことであった。
……もし、その者が、何やらぶつぶつと呟いてさえいなければ……。
「巡れ、我が『気』よ。体内を越えて、その外へ……。我が周囲を巡り、全ての動きを我に伝えよ……」
そして、メーヴィスは、そっと眼を瞑った。
多数の敵を前にして眼を瞑るなど、正気の沙汰ではない。
「……馬鹿か?」
そう怒鳴る敵達も、自信に満ちたメーヴィスに不気味なものを感じたのか、取り囲んだままで動きを止めていた。
そう、メーヴィスは、総掛かりの訓練に行き詰まりを感じて悩んだあの日、今までのマイルの言動を全て思い返し、反芻して、何か良い策はないかと考え尽くしたのである。そしてその結果、マイルの技を『気』の力で再現することを思い付いた。
剣の速度や威力は、一朝一夕に大きな進歩を遂げることはできない。それは、長い年月に亘る、日々の努力と研鑽の賜物である。メーヴィスの、『神速剣』のように……。もしあれを誰かに一晩で身に付けられたら、多分、死にたくなる……。
ならば、多数の一流剣士相手の戦いにおいて勝利するには、どうすれば良いか。
勝つためには、どうすれば良いか。
……そう、負けなければ良いのではないか?
では、負けないためには、どうすれば良いのか?
……敵の剣を喰らわなければ良いのでは?
では、どうすれば敵の攻撃を全て躱し、こちらの攻撃を当てられる? 急激な剣速や威力の増加なしで?
そして思い付いたのが、マイルの『探索魔法』であった。
遠くの敵や獲物を正確に発見し、その状況を把握できるという、反則技。
あんな魔法を使われたのでは、奇襲もクソもない。
もしあれを、至近距離だけでも、完全に模倣できたとすれば?
背後の敵も、敵の後ろや物陰の敵も、そして味方の状況も。一定範囲内の、全ての情報を完全に我が物とできたなら……。
マイルは、言っていた。
『私の国には、「結界」という概念がありましてね。そしてそれには、ふたつの種類があるんですよ。ひとつは、敵や、敵の攻撃を全て撥ね返す、防御結界。まぁ、私や、レーナさんに伝授した「ばりあ」の類いですよね。
そしてもうひとつは、敵の侵入も攻撃も素通しなんですけど、その中における全ての生殺与奪の権利を術者が握る、概念としての結界です。完全なる、自分の間合い。相手の動きは、全て把握済み。これを、「制空権をおさえる」と言います』
マイルの、あの探索魔法を、超至近距離で濃密に展開すれば。
そして、魔力がないメーヴィスがそれを行うには、どうすれば良いか。
マイルが魔力波を放射してその反射波を拾うというならば。……ならば、魔力がないメーヴィスにできるのは、『気』の力を使うことのみ!
そして、メーヴィスは試行錯誤を繰り返した。
自分の意思を、『気』の力を剣に流し込み、剣身から『気』の力を全周囲に向けて放つ。
しかし、真っ直ぐに放射しただけでは、何の感触も得られなかった。
ならば、自分の周りをぐるぐると回転させれば?
円を描くように?
しかし、線では感触が……。
帯にすれば? 『気』の力を、点や、点で描く線として認識するのではなく、帯状のものが周囲を幾重にも囲み、回転し、飛び回り、それが触れた圏内のもの全ての情報が、反射情報として届き、空間内の映像が頭の中で再構成されるように。全方位、360度に亘って……。
ただぐるぐると円を描くだけでは、効率が悪い。もっと複雑な動きを。
しかし、複雑な動きを制御するには、それに集中力を持っていかれる。それでは、剣の方に集中できない。何とか、無意識で複雑な動きを……。
『この細長い紙を、こう、半回転分、捻ってですね……。そして端同士を貼り合わせると、ほら、表と裏が繋がって、表裏がない不思議な輪っかに……。この輪っかの名前はですね……』
再び、マイルの言葉が脳内を巡る。
マイル、何て役に立つ奴なんだ……。
そして今、お師匠様と兄弟子達のおかげで完成した、この技を披露することができる。
眼を瞑ったままのメーヴィスの脳内には、自分を中心とした半径数メートル圏内での敵味方の動きが、影絵のように認識されている。
カッコいいことが大好きなメーヴィスは、ここで、アレをやらずにはいられなかった。マイルの影響をもろに受けてしまった『赤き誓い』の3人であるが、特に、メーヴィスとレーナには、その影響が顕著に表れてしまっていたのである。
しかし、さすがにフカシ話に出てきたあの盲目の凄腕剣士の口調をそのまま真似るのは場違いなため、自分なりの口調に変えての口上である。
「あなた方は、何でしょうか? 私をお斬りになろうというお積もりなのでしょうか? おやめになった方が良いと思量致しますが……」
やはり、あの剣士の口調でないと、しっくりこない。
そう思い、少し残念そうなメーヴィスであった……。
「くそ、小娘が、偉そうに……。おい、やるぞ! 娘には傷を付けるな。他の者は殺しても構わん」
勿論、『娘』というのはメーヴィスのことではなく、お嬢様のことである。致命傷に近い傷を負わせていたのに、今回は方針を変えたようである。
尤も、前回は『逃げられるくらいなら、殺した方が』ということであり、今回は『絶対に逃げられる心配がないから』、というだけのことかも知れないが……。
そして、今、ここで殺す気がないとしても、それは将来もそうであるとは限らない。間違いなく本人であることを雇い主が確認してから殺すとか、拷問したり凌辱したりしてたっぷりと楽しんだ後で殺すとか、色々とある。まだ、ここであっさりと殺された方がマシだったと思えるようなことがあるかも知れない。なので、『殺すな』というのは、何の気休めにもならなかった。
敵は、大木を背にした護衛達の方に3人、そしてメーヴィスに3人を振り向けた。
ぴったりとくっついた3人に6人全員が向かったのでは、ぎっちりと詰まりすぎて、まともに剣が振れない。それに、そんなことをすれば、後ろからメーヴィスに襲い掛かられる。ここは、少女を護るためにその場から動けない護衛達を各々ひとりずつで牽制し、動きを押さえるだけにして、まずはメーヴィスを残りの3人という圧倒的な戦力で瞬殺。その後、6人でゆっくりと3人の護衛達を削れば済む話である。それが最も簡単かつ安全であり、間違いのない方法であった。
そして、敵の指揮官が攻撃の指示を出そうとしたとき、メーヴィスが決めの台詞を呟いた。
「無駄なことは中止するよう、勧告致します。死んでしまっては、花実が咲きはしませんよ?」
やはり、あの口調でないと、あの渋さが表現できない。
かと言って、若輩者の自分があの口調で喋っても、滑稽なだけである。
それが無念で堪らない、メーヴィスであった……。
「うるさい! 掛かれェ!」
指揮官の命令と共に、くわっと眼を開くメーヴィス。さすがに、眼を瞑ったまま戦うつもりはなかったようである。
しかし、所詮はDランクかCランクの、新米ハンター。多少腕に覚えがあろうとも、正規軍の熟練兵士や騎士に敵うわけがない。1対1でも問題外なのに、それが、3対1である。盗賊相手であれば何とかなったかも知れないが……。
皆がそう思った時。
「メーヴィス・円環結界!!」
どしゅ、ガツッ、ドスッ!
「真・神速剣!!」
「「「「「「「え……」」」」」」」
いくら真・神速剣であっても、相手が盗賊ではなく正規軍の兵士、それも熟練兵士相手では、そうそう無双できるわけではない。……しかし、鎧袖一触。
ひゅん!
護衛達の方へと向かった敵のうちのひとりが、背後からメーヴィスに斬り掛かった。
卑怯ではない。敵の隙を突くのは、当たり前。お遊びや決闘ごっこではないのである。自分の命とお金と立場と未来が懸かった、非情のビジネスなのである。
がしぃ、どすっ!
「……無駄だ。私には、死角はない!」
そして、崩れ落ちる敵兵。
「……馬鹿な! そんな馬鹿なああああぁっっ!!」
残った敵兵が絶叫するが、既に指揮官を含む4人が倒れ、今や、戦力比は2対4。しかも、相手の4人のうちのひとりは、自分達の仲間4人を瞬殺した化け物である。……勝てるわけがなかった。
そして、敵がふたりとなった今、少女の護衛のために張り付いている必要はなかった。飛び出した3人の護衛達により、動転し、メーヴィスの方に気を取られていた残りふたりの敵は、あっけなく叩き伏せられた。
そして、メーヴィスに注がれる、3対の畏怖に満ちた視線。
残り1対の視線は、何だかキラキラと輝き、星を散らしていた……。