305 強 化 4
「ふふふ、みんな、ビックリするだろうな。さて、どんなタイミングでお披露目するのが、一番カッコいいかなぁ……」
にやにやと、少々だらしない表情で街道を歩くメーヴィス。
マイルがいないためテントやベッド、毛布等はないが、元々、普通の旅人はそんなものは持ち運ばない。……特に、ベッドとかは。
そんなもの、マントがあれば、必要ない。たかが1泊2日である。水と食料は、肩に掛けたバッグに入っているもので充分である。途中に、給水できる場所もある。
……ちなみに、背負い式のバッグは、奇襲を受けた時にすぐに降ろせず、戦いの邪魔になるので使用しない。魔術師であればあまり問題はないが、剣士にとってはかなり影響する。
メーヴィスが、色々と楽しい計画を考えながら歩いていると、焦ったような、切羽詰まったような声が聞こえた。
「しっかりなさって下さい! 馬車が通りかかれば、乗せて貰えるよう頼みますから! そうすれば、次の街まで……。街へ着けば、医者の手配ができますから、今しばらくのご辛抱を!」
街道には、人影はない。メーヴィスが、声が聞こえた方向に目をやると……。
街道脇の草むらに座り、木にもたれかかった15~16歳くらいの少女と、その周りを囲む3人の男性達の姿があった。男性達は、皆、30代半ばくらいであり、剣を佩いている。おそらく、少女の護衛なのであろう。ハンターらしくはないので、金持ちのお嬢様とお抱えの護衛達、といったところか……。
メーヴィスは、急な病気か何かかと思ったが、病気であれば、自分にできることはない。3人も連れがいるならば、自分の出番はないだろう。そう思って、そのまま通り過ぎようとしたが。
ふっと鼻腔に届く、血の匂い。
反射的に眼に力が入り、体内のナノマシンにより視力が強化された。『真・神速剣』の肉体強化が、無意識のうちに発動した形である。そして、その眼に映ったのは……。
(血?)
そう、少女の衣服に付いた、赤黒い血の色であった。
「どうかなさいましたか?」
立ち止まり、街道脇の4人に声を掛けたところ、男達が反射的に剣の柄に手をやり、身構えた。
(あ~、失敗したかなぁ……)
いくら自分も剣を佩いているとはいえ、街道を普通に歩いてきただけの、女ひとりである。そんなにおかしな身なりをしているわけでもなく、悪党顔でもない、……と思う。
なのにこんなに警戒心バリバリということは、アレである。
自分達に後ろめたいことがあるか、……あるいは、敵に追われているか。
そして、多分、後者である。
メーヴィスがひとりであること、そしてどうやら彼らが想定している敵とは明らかに異なると判断されたのか、一瞬走った緊張が緩み、男達の手が剣の柄から離れた。……但し、油断した様子は欠片もなく、いつでも抜剣できる体勢は崩れていなかった。
「すまぬが、血止めか痛み止め、もしくは何か傷に効きそうなものをお持ちではないだろうか。もしあれば、是非譲って戴きたい。勿論、充分な礼はさせて戴く!」
3人の護衛らしき者達のうちの、リーダーらしき者からそう乞われたが、生憎、メーヴィスにも薬の類いの持ち合わせはなかった。凄腕の治癒魔法の使い手がふたりもいる『赤き誓い』には、高価な医薬品を用意する必要はないし、無駄な出費はポーリンが許可しなかったのである。
「申し訳ない、私も薬の持ち合わせは……、あ!」
何やら思い付いたのか、メーヴィスは、自分で驚いたかのような顔をした。
「少し、傷を見せて戴いても?」
若い女性の素肌である。もし男性であれば拒否されていたかも知れないが、メーヴィスが女性であり、そして先程の、何やら方策があるらしき態度。藁にも縋る思いで、リーダーの男性が頷いた。
歩き寄り、少女の衣服をそっと捲るメーヴィス。
「うっ……」
先程、護衛のひとりが『馬車で、街まで』とか言っていたが、それでは到底保ちそうにない。そしてこの傷は、アレであった。
「……短剣による、刺し傷。直前に避けたか、誰かが介入して、致命傷は回避したか……」
護衛達が目配せをし合っているが、困惑しているだけであり、特に何かをするという様子ではない。なので、メーヴィスは思い付いたことを実行することにした。そう、メーヴィスは、少女を見殺しにできるような人間ではなかった。
「今から、我が一族の秘伝により、この少女の治療を試みたいと思います」
「「「おお!」」」
護衛達から、驚嘆と期待に満ちた声が上がった。
「か、かたじけない! 必ずや、この礼は……」
メーヴィスは、右手を挙げて護衛リーダーの言葉を遮った。
「但し、それには条件があります」
足元を見て、とんでもない額の報酬を吹っ掛けるつもりか。そう思ったのか、護衛達の顔が少し険しくなったが、メーヴィスはそんなことは全く気にしなかった。
「条件は、次の3つです。ひとつ、私を信じて、途中で口出ししたり邪魔をしない。ふたつ、この秘伝について、何も聞かない。みっつ、このことは、誰にも喋らない。……守って戴けますか?」
思っていたこととは全然違うその条件に、護衛達はこくこくと頷いた。
それは、条件というより、一族の秘伝を使って貰う者にとっては当然のことであり、常識であった。大事な主家の娘を助けようとしてくれた者に対して、裏切ることなど出来ようはずがない。
「神と、我らの名誉に誓って!」
その誓いの言葉を聞き、メーヴィスもまた、大きく頷いた。
「……では、始めます」
そう言って、メーヴィスは右手で剣の柄を握り、10センチ程、剣身を露わにした。そしてその刃に左腕をそっと当て、僅かに動かした。
西洋剣は切れない、と言われているが、それは、主に甲冑を身に着けた相手に対して使用する、馬上剣とかの話であり、それは『切れない』のではなく、『切れ味が良い必要がないため、そういう性能には造らない』というだけのことである。なので、普通の剣は、かなり切れる。
そして、腕を伝った血は、メーヴィスの掌を濡らした。
指や掌を切らなかったのは、剣を握るのに影響することを避けるためであった。
そして、メーヴィスは、次にポケットから1本の小さな金属製容器を取り出した。お馴染み、ミクロスである。
しかし、ミクロスは、あくまでもただの『ナノマシンがたくさん入った液体』に過ぎず、それ自体には何の効果もない。ポーションとは違うのである。なので、これを飲ませようが振りかけようが、怪我にも病気にも、何の効果もない。
そのミクロスを、メーヴィスは自分の口に含んだ。そして、額にシワを寄せてしばらく考え込んだ後、おもむろに少女の身体を抱き寄せた。
「「「なっ……」」」
反射的に、思わずふたりを引き離そうとしたひとりの護衛を、リーダーが肩を掴んで引き留めた。
「あのお方を信じ、任せると誓ったのだ。手出し無用!」
そして、メーヴィスは血に濡れた左手の掌を少女の脇腹の傷にそっと押し当て、顔を少女の顔にゆっくりと近付けて、……そっと口付けをした。
「「「えええええええ~~っっ!!」」」
「ま、待て、ちょっと待てええええぇ~~!!」
メーヴィスの肩を掴んで引き剥がそうとするリーダーを、今度は先程の男が押さえつけた。
「信じるのではなかったのですか!」
「い、いや、そうなのだが。……そうなのだが!!」
最初はびっくりして眼をまん丸に見開いていた少女であるが、顔が真っ赤に染まり、そしてしだいにその眼が閉じられていった。
「ああ! あああああああ!!」
そして、護衛リーダーの悲痛な叫びが響くのであった……。
「ぷはっ!」
護衛達にとっては永遠にも感じられる十数秒が過ぎ、ようやくメーヴィスが少女から顔を離した。
そして、真っ赤になって眼を閉じたままの少女。
やり場のない思いで複雑な表情の護衛達。
そして、微妙な雰囲気の中で、少女の傷に手を当てたまま、やけに説明的な口調でメーヴィスが叫んだ。
「口から流し込んだ、私の『気』を込めた秘薬と、血を経由して傷口から流れ込む『気』の力で、損傷した部分よ、治れ!」
勿論、そんな呪文の必要はない。治癒のための『気』は、先程、既に送り込んである。
ただ、この場の微妙な雰囲気に危機を感じたメーヴィスが、現状の説明のために唱えた呪文に過ぎなかった。
処置が終わって一段落すると、護衛達から一斉に詰問の叫びが上がる。そう予見したメーヴィスの、精一杯の自衛策であった……。
7月14日(土)、『平均値』8巻、発売です!(^^)/
今までで最大の加筆量、書き下ろし短編、そして初版特典のSS『鳥を見た』を加えて、メーヴィス・フォン・オースティン、参る!
レーナ「初の単独表紙だからって、浮かれてんじゃないわよ!」