297 口裏合わせ
「……この辺りのはずですよね……」
マイルが、星明かりの中でそう呟くと……。
「お待ちしておりました」
「ひゃっ!」
突然後ろから声を掛けられて、思わず小さな叫び声を上げてしまったマイル。
「あ、すみません、驚かせてしまい……」
そう言って、木の陰になっていた場所から現れたのは、あの、昼間ギルド支部でマイルとお見合いをしていた男性ハンターであった。
あの後、ナンパの振りをして近付いてきたこの男性が、他の者の目を盗んでそっとマイルに渡した紙切れに書いてあったのが、この場所と時間であった。そしてマイルは、とりあえず話を聞くべく、レーナ達が寝静まった後、例によって消音魔法やら振動遮断魔法やらを駆使して宿を抜け出してきたのであった。
……とにかく、口を塞ぐ……というと物騒であるが、口止めをするために。
「Cランクハンターの、ライクスと申します。女神様におかれましては、御機嫌麗しゅう……」
「ひええ! や、やめて下さいよ、そういうの……」
今までに何度も女神の振りをしているマイルであるが、面と向かってそう言われると、背筋がぞくぞくするというか、さぶいぼができそうというか……。とにかく、そんな呼び方をされては、耐えられそうになかった。それに、秘密保持の観点からも、問題があった。
「私のことは、エルと呼んで下さい。……あ、普段は偽名を名乗っていますから、人前では決してこの名で呼ばないように。また、偽名の方は、私の正体と関連付けて使うことのないように!」
「はい、女神エル様……」
「…………」
その後、頑張って説得し、ようやく『エルさん』と呼んで貰えるところまで持ち込んだ。どうやら、これが限界のようである。
「では、め……エル様……さんは、御身分をお隠しになられ奉り賜れまして……」
「あああ、無理しておかしな敬語を使おうとしないで下さい! まともな言葉になってませんよ!」
「あ、やっぱり? じゃ、普通に喋らせて貰います」
どうやら本人も、少し無理があると自覚していたらしかった。
「で、私を呼び出された理由は何でしょうか?」
マイルの質問に、その男性、ライクスが詳しく説明してくれた。
最初はこの街のハンター達も国軍に雇われて魔物の押し出しに参加していたが、国軍はギルドを通さずハンターを直接雇う、いわゆる『自由契約』を行うため、報酬は安くギルドの功績ポイントも無く、怪我や死亡の場合もギルドは支援してくれない。なので次第に国軍に雇われる地元ハンターの数は減り、今では王都で雇ったハンターや、ハンターですらないごろつきとかも連れてくるらしい。
しかし、地元の者がひとりもいないのでは道案内をする者がいなくなること、余所者ばかりの集団が森にはいると何をしでかすか分かったものではないことから、ギルドマスターに直々に頼まれて、ライクスが同行していたらしい。
勿論、軍からの依頼料と、それに加えて、ギルド支部からも報酬が出る。
「いやぁ、魔物の群れが暴走して向かってきた時には、もう駄目だと観念しましたけど、エルさんのおかげで命拾いしましたよ! お礼代わりに、何でも協力しますよ! ……あ、いや、恩義がなくても、女神様の言われることには従いますけどね、勿論!」
慌てて、そう付け足すライクス。女神様相手にしては、結構馴れ馴れしい。
そして、ありがたく、片っ端から質問しまくるマイル。
「え、もう、この街のハンターは誰ひとりとして魔物押し出しには協力しない? ああ、ライクスさんが今回の件をギルドに正式に報告した上、思い切り噂をバラ撒いたからですか……。
え、噂だけじゃなく、森の縁辺部に残った2個小隊はボロボロで、森に進入した2個小隊はほぼ無傷、そして無傷の方の兵士達の挙動不審な態度、指揮官からギルドマスターに伝えられた『絶対に魔物を隣国側へ押し出す形になるような行動をするな、いいか、絶対だぞ!』というかなり強い口調……、いや、命令権はないから要望の形であるものの、殆ど命令というか、懇願にも近い言い方での指示をして急いで王都へ向かって発った、ということが、ライクスさんの言葉に信憑性を与えた? う~ん、そうですか……」
そして、そのあまりの必死さに、ギルド側も『越権行為だ。ギルドが国軍からそのような命令を受ける謂われはない!』などと言い出すこともできず、頷くしかなかったらしい。
「……で、身分をお隠しになってこの町に来られた理由は、やはりアレですか……」
「え?」
暗い顔で、マイルにそう尋ねるライクス。
そして、ライクスが何を言っているのか分からず、きょとんとするマイル。
「お願いです! この町にも、心正しき者が50人以上いるはずです! だから、滅ぼすのは……」
「ソドムとゴモラですかっっ!!」
そして、何とか説明して、誤解を解いたマイル。
「仲間達も私のことは知りませんので、余計なことは言わないで下さいね!」
「は、はい、分かりました! ……ところで、今回わざわざお越し戴いた理由ですが、急ぎお伝えせねばならないことが……」
「最初にそれを言って下さいよ!」
ライクスの段取りの悪さに、思わず声を荒らげるマイル。最初にちゃんと防音結界を張っておいたので、少々騒がしくしても、人が集まってくる心配はない。
「実は、今回の件を調査するため、王都から人が来るという噂で……」
「え? でも、調べられることなど、何もないのでは……」
そう、女神本人に会えでもしない限り、『こちら側』で調べられることなどないであろう。せいぜい、農地の被害状況の確認と、森の外縁部にいた国軍を突破した魔物を止めるために緊急依頼で集められて戦ったハンター達の証言が聞ける程度であり、「森から溢れた魔物を止めるために戦った」以外の話が聞けるとも思えない。森にはいった者達は、ライクス以外は皆、王都から来た者達ばかりなのだから。
「……そうは思いますが、ま、事が事ですからねぇ。裏も取らずに、現場の報告だけで今までやっていたことを取りやめるには、面子とか矜持とかいうものが邪魔をするんでしょうよ」
ライクスの説明に、まぁそんなところか、と納得するマイル。
どうせ、『マイル』としての自分には関係のない話である。関わらなければいいだけのことであった。
(……しかし、それじゃあ、『事実を証明する証拠なし』ということになって、魔物の押し出し行為が止まらないかも。上の方が命令したら、いくらあの時の指揮官さんが反対しても無駄だよね。
それに、次は他の部隊に命令されれば、あの人にはどうしようもないだろうし……。
マズいなぁ。小隊長さんやギルドの人達に、『次はないでしょう』なんて偉そうなこと言っちゃったよ。どうしよう……)
しかし、あの件に関しては、レーナ達も同罪である。みんなで相談して決めたし、みんなで『次はない』と吹いたのだから……。
(うん、みんなと相談しましょう!)
「分かりました。わざわざの御報告、ありがとうございました。では、今夜はこれにて。くれぐれも、普段の私は普通の新米ハンターだということをお忘れなく……」
「勿論です! 命をお救い戴いたこと、決して忘れません!」
実は、その『命の危機』自体がマイルのせいなのであるが、それを知らないライクスにとって、マイル、いや、『女神エル』は、まさに命の恩人なのであった。なので、裏切ったり、約束を破ったりすることはあるまい。
いや、『命の恩人』以前の問題として、女神に喧嘩を吹っ掛ける者はいない。少なくとも、この世界には。そう考えたマイルは、ライクスについては特に心配していなかった。呼び出しの伝言メモを見た時には焦ったが、好意的な理由での接触だったので、ひと安心であった……。
(……でも、何とかしなきゃならないか……)
そう考え、少し憂鬱そうな様子のマイルであった。