253 辺境の都市 3
森へ入って、数時間。2度の中休止と何度かの小休止を挟み、そろそろ本日の行程は終わりである。昼食は、時間を喰うので無しであった。その分、朝、がっつりと食べている。
このあたりはまだ隣国による魔物追い払いの影響が出ていないので、今までは何もせずにただ進むのみであった。隣国側の住処を追われた魔物達と出会うのは、明日になってからである。
通常の状態であれば、わざわざこの人数の兵士やハンターの集団に襲い掛かるような魔物や獣はいない。いくら魔物や獣とはいっても、そこまでの馬鹿ではない。
今日はこのまま野営し、本格的な仕事は明日からであった。
「そろそろ野営にしよう。そう急ぐ必要はないから、まだ明るいうちに設営してゆっくり休み、明日に備えた方がいいだろう」
小隊長の言う通りであった。既に充分森の深部に来ているので、隣国側から追われた魔物といつ出会おうが、時間的なことはあまり関係ない。出会う時期より、その場所の地形や、皆の体調の方が余程重要である。そして今いる場所は、丁度木々がまばらな草地となっており、野営には丁度良かった。
「全員、停止~! このあたりで野営するぞ!」
上級下士官が前後に向かって叫び、皆が集まってきた。
大声を出しても、別に構わない。どうせこの大人数で移動しているのだから獣や魔物にはバレバレであるし、50人以上もの戦闘集団に向かってくるような馬鹿はいまい。それに、食事の支度を始めれば、広範囲に匂いが広がる。元々、こそこそと存在を隠そうとしても無駄であった。
野営といっても、戦闘要員ばかりの集団で森の深部に入り込むのに、テントとかを担いでいるわけがない。皆、少し草を刈って敷き、その上にマントを敷くか、あるいはマントに包まって寝転ぶだけである。うまくすれば3泊4日、悪くとも4泊5日で戻れるのだから、それで充分である。
兵士達は皆、それぞれで場所を確保し、草を刈り始めた。幾人かの周りが不自然に開けられているが、おそらく、寝相が悪いかいびき、歯ぎしり等が酷い者達なのであろう。
そして、ハンター達も寝場所の準備を始めた。
兵士達と、ふたつのハンターパーティの動きが止まった。
そして、広がる静寂。
「「「「「「…………」」」」」」
「そ、そそそ、それは何かね?」
自分の寝床の用意は部下達に任せて作業を傍観していた小隊長が、メーヴィスにそう尋ねた。
「え? ただのテントですけど?」
小隊長が何に驚いているのかが分からなかったため、メーヴィスは少し入り口の部分を捲ってみせた。そしてそこから見えたのは、4台のベッド、簡易テーブル、4脚の椅子、みんなの着替えを入れた小型のチェストであった。ベッドは、さすがに天蓋付きのお嬢様用とはいかず、簡易ベッドであるが。
「い、今、一瞬のうちに……」
「あ、はい、いちいち分解したり組み立てたりするのは面倒なので、いつもこのまま収納に……」
「「「「「そんな馬鹿なあああああぁっっ!!」」」」」
周囲から、一斉に大声が上がった。周りで聞いていた兵士達が上げた声である。そして当然、その中には小隊長の声も含まれていた。
「し、収納魔法は、確か収納物の重量と体積の相関関係によって入る量が決まるのではなかったかね?」
収納魔法の使い手は少ない。
しかし、適性に大きく依存する収納魔法は、年齢を重ねれば使えるようになるというものではない。だから、若くても適性と才能に恵まれた者であれば、使えても別に不思議ではない。貴族や商人達から引っ張りだこの収納使いが、危険で稼ぎの少ない底辺職であるハンターなどをやっているのが不思議ではあるが、それは個人の自由である。しかし……。
「そんなに容量の無駄遣いをするくらいなら、テントを畳んで、もっと色々なものを入れろよっっ!!」
周囲の兵士達が、小隊長の叫びに、こくこくと首を縦に振っていた。
こんな容量の無駄遣いをするくらいなら、事前に大容量の収納使いだと知ってさえいれば、色々なものを……、そう、毛布とか肉とか野菜とか、色々なものを運んで貰うことができた。水も、生活魔法レベルの水魔法が使えるふたりの兵士に頼り最低限の飲用のみに制限することなく、料理用にも使えたはずである。そう思い、少しむかつく気持ちが湧き上がる小隊長。
別に『赤き誓い』が悪いわけではなく、それは充分に分かってはいるが、飲食の条件が大きく改善されたはずの機会をみすみす逃したというのは、指揮官として忸怩たる思いであった。
「入ってますけど?」
「え?」
横から掛けられたマイルの言葉に、間の抜けた声を出してしまった小隊長。
「いえ、だから、入ってますけど。他にも、色々なものが……」
そう言って、調理台、かまど、大鍋、調理器具、そして肉や野菜等を次々と収納から取り出すマイル。
「よっと!」
どん!
そして最後に出てきたのは、大きな水タンク。
目が点で絶句するみんなに、ポーリンが声を掛けた。
「水、カップ1杯銅貨5枚。パン1個、銅貨5枚。肉野菜煮込み汁、1杯小銀貨5枚です!」
実は、兵士達の態度が悪ければ、自分達とハンターの分しか作らないか、兵士達には暴利で吹っ掛けようかと思っていたのであるが、予想に反して兵士達が皆いい人であったために良心価格にしたのであった。
銅貨5枚は約50円、小銀貨5枚は約500円くらいの感覚なので、水はともかく、その他はそう高くはない。街の食堂でも、それくらいはするであろう。
「……マジかよ……」
小隊長は、そう言うのが精一杯であった。
そして、数十分後。
かまどが設えられた『赤き誓い』のテント前は、多くの兵士達で賑わっていた。
調理の時から、既に見物客が多かったのである。
魔法で大鍋に水を満たし、そこにレーナがそっとファイアーボールを沈めて一瞬のうちに沸騰させる。
メーヴィスが枯れ木を一瞬のうちに剣で薪に。
そして再びレーナが火魔法でそれに点火。あとは、マイルが切った具材を投入し、収納から取り出した調味料で味付けをするだけ。香辛料とかもたくさん使うため、煮込みが小銀貨5枚なのは仕方ない。サービスしている方であった。
「「「「「…………」」」」」
ポーリンが、ふと気が付くと、兵士やハンター達、皆が自分の方を見つめていた。
マイル、レーナ、メーヴィスがそれぞれ見せ場を作ったため、自分にも何か芸を求められている。そう察したポーリンであるが、料理の方は、もう自分が手伝うことは残っていない。
しかし、自分だけ稼ぎに貢献しないというのも、何か面白くない。
むむむ、と考えた末、ポーリンが思い付いたのは……。
「治癒魔法、1回、小銀貨5枚です! 移動中に草や木でできた切り傷、足の痛み、訓練で痛めたところ、何でも承りますよ!」
馬鹿安である。
自分のところで治癒魔術師を抱えているところはともかく、引退した元ハンターの治癒魔術師がやっている街の治療院ではもっと高い。なにせ、魔力量には限界があるため、そう毎日大勢を治癒するわけにはいかないのだから、当然であった。
そして野外においては、魔力残量は魔術師にとって命綱である。無駄に魔法を使いたがる魔術師などいるはずがなかった。なので、大きな怪我以外は街に戻るまではそのまま、というのが普通であり、元々治癒魔術師が小隊ごとに付いているはずもない地方の領軍においては、戻ったあとも自然治癒に任せることが大半である。
「「「「「……マジか!」」」」」
ポーリンのところに殺到する兵士達。
ハンター達は出遅れて、ぽかんとしてそれを眺めている。
元々才能があった上に、魔法の真髄は教わっていないものの、マイルから効率的なやり方を教わったポーリンは軽い治癒魔法くらいであればごく僅かな魔力の消耗で連続使用することが可能であった。それにこの後は食事して寝るだけなので、多少の消耗は問題ない。
そもそもこの人数と、そして『赤き誓い』の仲間達がいて、何かが起こるとも思えない。この森は広さはあるが人跡未踏の秘境というわけではなく、せいぜいオーガくらいまでの魔物しかいないことは分かっているのだから。
遠征に出るならばともかく、森の深部に入って戻るだけなので、お金を使う機会があるはずがない。そう思って今回は巾着袋を持ってこなかった者が多かったが、そういう者達は、宿舎のチェストにお金を置いておくのをよしとせず巾着袋を常に身に着けている同僚や上官にお金を借りていた。
ここで僅かなお金を惜しんで、まともな食事や身体の不具合を解消する機会を逃すような馬鹿がいるはずがなかった。
そうこうしているうちに、マイルが担当している肉野菜煮込み汁も出来上がり、兵士やハンター達は思いもしなかった『輸送部隊の同伴なしでの野営における、まともな食事』にありつくことができたのであった。