248 『赤き誓い』、東へ
「『赤き誓い』は居るか?」
「どなたですか?」
「『赤き誓い』の連中だ」
「いえ、私が伺っているのは、あなたのことです」
突然現れた見知らぬ男に女性宿泊客のことを尋ねられ、素直に情報を提供するような宿屋の従業員はいない。勿論、レニーちゃんを含めて。
「……この街のハンターギルド支部の、ギルドマスターだ。『赤き誓い』の奴らは……」
「あなたがギルドマスターだという証拠はありますか? 若い女性達の情報を、見知らぬ男性に軽々しくお教えするわけには……」
そう、いくらハンター達の間では知らぬ者がいないとはいっても、ギルドマスターは宿屋の店番をしている幼い少女にまで顔と名が売れているというわけではなかった。
「う……」
思わず顔を顰めたギルドマスターであるが、少女が言っていることは正論であった。街中の子供達が自分のことを知っているはずがないし、職業倫理としては、この少女の言い分は正しかった。ギルドの職員や若手ハンター達にも見習わせたいくらいである。
「おい、頼む」
ギルドマスターがそう言うと、後ろに控えていた男性がギルドマスターの横に歩み出た。
「ハンターギルドのサブマスターです。この方は、確かにハンターギルドティルス王国支部のギルドマスターに間違いありません。この私が保証致します」
これで問題はないな、という顔をしたギルドマスターに、レニーちゃんはにこやかに答えた。
「で、この方がサブマスターだという証拠はありますか?」
「「え……」」
当たり前であった。ギルドマスターの顔すらハンター以外の一般人にはあまり知られていないというのに、サブマスターが知られているわけがなかった。
「じ、じゃあ、ここに泊まっているハンターに証明を……」
「では、誰をお呼びすれば? 勿論、『誰か適当に』などという条件を出されましても、私共は宿泊しているお客様方のお名前を漏らしたりはしませんし、たとえあなた方がギルドの方だということが証明されたとしましても、だからといって職業上知り得た女性宿泊客の居場所や行動予定を、御本人達の許可も得ず勝手に無関係の人に教えていいはずがありませんよね?」
「う……」
またまた、正論であった。
10歳そこそこの店番の少女を怒鳴りつけて情報を吐かせるわけにもいかない。そんなことをすれば、ギルドの名が地に落ちる。しかも、今回は明らかに少女の方が正しい。本人達に伝言を頼まれてでもいない限り、この宿の者が客の情報を漏らすことはないであろう。そしてまだ幼い娘でさえこれなのだから、主人夫婦が喋ることなどあり得ないだろう。
しかし、『赤き誓い』が不在だということは分かった。この少女の言い方だと、会いたい相手を名指しすれば、取り次いではくれるらしい。それをしないということは、つまり『赤き誓い』は不在だということだ。
「……伝言は頼めるのか?」
「口伝てだと間違いがあるかも知れませんから、重要なことであれば、手紙にして戴けるなら」
「それで頼む。少し席を借りるぞ」
そう言って、ギルドマスター達は食事用のテーブルを借りて手紙を書き始めた。
借りた筆記具は無料であったが、紙代はしっかり取られた。紙も、無料ではない。この大陸では、羊皮紙程ではないが、紙は結構高いのである。
「では、彼女達が戻ったら、渡してくれ」
「はい、承りました。『赤き誓い』の皆さんがこの宿に戻られましたら、お渡し致します」
……それが何カ月先になるかは分かりませんが、という言葉は、発せられることがなかった。
そして、ギルドマスター達は帰っていった。
長期間の遠征から戻って休暇を取っているなら、まだしばらくは仕事は受けないはず。
仕事を再開する時は、久し振りの王都なのだから、遠出ではなく近場の仕事を受けて周辺の状況を再確認するはず。そう考えて、王都をぶらつく『赤き誓い』が何度かギルドに立ち寄って、その時に護衛依頼を受けたことを確認しなかったギルドマスター。
ギルドマスター達の思惑を知らない受付嬢が、いくら名物パーティとはいえ、一介のCランクパーティのありふれた護衛依頼の受注を、いちいちギルドマスターに知らせるはずもない。
そして、その結果……。
「どうして『赤き誓い』の連中が来ない!」
翌日の夕方、再びギルドマスターが宿に現れた。今回はひとりだけのようである。
「いえ、私に言われましても……。今は食事時で忙しいですから……」
困り顔のレニーちゃんと、何事かと視線を向ける宿泊客と食事客達。
かなり機嫌が悪そうなギルドマスターは、周囲の視線にも構わず、言葉を続けた。
「ちゃんと手紙を渡したんだろうな! 奴らが来ないのは……」
「渡してませんよ?」
「え?」
一瞬、レニーちゃんの言葉が理解できなかったのか、ぽかんとした顔をするギルドマスター。しかしすぐにその言葉が頭に染み込んだのか、顔色を変えた。
「な、何だと! ちゃんと渡すと言っただろうが!」
「あ、はい、『赤き誓い』の皆さんがこの宿に戻られましたら、というお話でしたよね? だから、まだ渡していませんけど?」
「え?」
「それが、何か?」
「えええええ? では、奴らは……」
「はい、まだお戻りになっていませんけど?」
焦るギルドマスター。
「い、いつ戻る!」
「存じません。それに、たとえ知っていたとしても、お客様の情報を漏らしたりはしませんよ。拷問にかけられたら、喋る前に舌を噛みます!」
「「「「「「「おおおおおおお!!」」」」」」」
強面のギルドマスターを真正面から見据えてのレニーちゃんの啖呵に、客達から感嘆の叫びが上がった。そして、物騒な娘の啖呵を聞いて、慌てて厨房から飛び出してきた主人。その手には、使っていた肉切り包丁が握り締められたままである。
まずい。
さすがに、今の状態が非常にまずいということだけは理解した、ギルドマスター。
全然悪気はなかったのに、何か、極悪人ポジションになってしまっている。ハンターや旅の商人達の前で。……これはまずかった。非常にまずかった。
「……邪魔をした」
そう言って、逃げ帰るのが精一杯であった。
ギルドマスターが帰った後、普段は偉そうなギルドマスターの悄然とした様を見られたことと、小さな子供ですら身体を張って客を守ろうとするこの宿に惚れ直した客達が気勢を上げて、酒や料理を注文しまくった。
「レニーちゃん、ちょっとこっちへ来なさい! 感心な子には、お姉さん、御馳走してあげる!」
「いえいえ、こっちよ! 一番高いジュース奢ったげるよ!」
それは、賄いでは絶対に飲ませて貰えないやつである。レニーちゃんの心が揺れた。
「こっちだこっち、おれの膝の上で……ぐはっ!」
誰かが、女性客に殴り飛ばされて吹っ飛んだ。
「カウンターはもういいから、お言葉に甘えて、奢って貰いなさい」
いつの間にか母親がやってきて、レニーちゃんにそう勧めてくれた。そして、小声でそっと囁いた。
「なるべく高いものを注文しなさい。それだけ、うちが儲かるからね」
さすが、レニーちゃんの母親であった……。
「おい、『赤き誓い』は、今、何か依頼を受注しているか!」
ギルドに戻るなり、夜勤直の職員にそう怒鳴るギルドマスター。そして、慌てて書類を確認した職員が報告した。
「はい、マーレイン王国への商隊の護衛依頼を受けて、既に出発しています」
「何だと……。くそ、無駄足だったか! あの小娘も、最初からそう言やいいんだよ!」
マーレイン王国への商隊護衛は、ここでは定番の仕事である。待っていれば、向こうでここ、ティルス王国行きの商隊の護衛依頼を受けて、すぐに戻ってくる。無駄に恥を晒しただけであった。
しかしそれも、宿に行く前に職員に確認すれば済んだこと。自分が『まだ休養中だろう』と勝手に決めつけて、確認のための僅かな手間を惜しんだがための、自業自得であった。誰に文句を言うこともできない。
「くそ……」
苦虫を噛み潰したような顔をして、ギルドマスターは2階の自室へと向かった。
こうして、ギルドマスターや国王達が真実を知る日は、更に遅れるのであった。
* *
「『赤き誓い』は、どこですか!」
そして更に数日後、ひとりの少女が宿を訪れた。
(また来たよ……)
さすがに、少々うんざりしてきたレニーちゃんであった。