236 アスカム子爵領 5
「動いたようね……」
「予想通りですね」
レーナとポーリンの言葉に、マイルが突っ込んだ。
「そこは、こう、にやりと嗤って、『計画通り……』とか、『想定の範囲内だ』とか、『兵士が、ゴミのようだ!』とか言わないと……」
「「「…………」」」
落ち込んでいたんじゃないのか、と、ジト眼でマイルを見る3人。
(まぁ、わざとはしゃいでいるんだろうな……)
そう考えるメーヴィスであった。
どうやらメーヴィスは、まだまだ『マイル』という生物のことがよく分かっていないようであった。
「書簡は、もう届いている頃ですね」
ポーリンが、ぽつりと呟いた。
そう、マイル達はアスカム領軍の兵士に接触して、指揮官への書簡を託していた。
内容は、『帝国軍は、食料、水を含む全ての物資を喪失。以後の補給も、全て妨害する。物資が帝国軍に渡らないようにし、引き延ばしを図られたし』というものである。
差出人の名は書いていないが、書簡を届けた兵士が、その外見を伝えるであろう。そう、銀髪の少女の外見を……。
「じゃ、そろそろ行きますか!」
「「「おお!!」」」
「……何だと?」
「は、全ての水樽から少しずつ水が漏れており、現在、全ての樽がほぼ空に……」
部下から報告を受けた司令官は、激昂した。
「どういうことだ!」
「は、樽の箍が緩んでいたり、組んである木材が僅かに削れていたり……。水をいれてすぐに分かる程ではなく、じわじわと漏れていくため、汲んだ時には気付かず……」
「それで、川から半日近く離れた今になって気付いたというのか!」
いくら司令官に怒鳴られても、どうしようもない。
「……すぐに樽を補修し、水を汲みに行かせろ!」
司令官の命令に、部下が言いにくそうに報告した。
「そ、それが、箍を締め直せる職人もおらず、それぞれのパーツが微妙に削れていたり、切れ込みがはいっていたりして、素人がパーツを組み直して補修できるようなものではなく……」
「では、どうすれば良いのだ?」
「…………」
部下の男は、答えられず、黙り込んだ。
樽以外の手持ちの容器、つまり数少ない手桶や、木製の食器等を掻き集めても無駄である。そんなものに水を汲んでも、ごく僅かしかはいらないし、半日も掛けて運ぶうちに、全部溢れてしまうだろう。それにそもそも、容器自体が僅かしかない。そしてそのようなことは、問うまでもなく、当然司令官も知っていた。
「……樽をすぐに取り寄せろ。樽くらいなら、本国まで行かなくとも占領地で集められるだろう。勿論、食料もできる限り掻き集めろ。種籾だろうが種芋だろうが、全て徴発だ。平民が新たな支配者のために全てを差し出すのは当然の義務だからな。行け!」
元々、樽ごと奪われたものが多く、樽自体が不足していたのだ。ついでなので、大量の樽を確保すれば良い。空の樽ならば、大量の樽を早く運べるだろう。そう考えた司令官は、部下にそう命じた。そして、慌てて司令部幕舎を飛び出す、補給担当の男。
「くそ、どうしてこう、次から次へと……」
周りの幕僚達は、顔色が悪かった。
誰にも気付かれずに、多くの樽の箍を緩め、木を削る。それも、警戒が厳しくなった中で……。
確かに、既に全ての物資が失われたため、空の木箱や空樽しかない集積所を厳戒態勢にしていたわけではない。しかし、敵が自由に駐留地に出入りしている可能性があるため、それなりに厳しい警備態勢を敷いていたのである。その中での、この事態である。
敵が、いつでも自由に樽を削りに来られるなら。
誰にも気付かれることなく、自分達の寝首を掻き切ることもできるのではないか? それも、ごく簡単に。
いくら圧倒的な兵力を率いていても、夜のうちに司令部要員全員の首が切り落とされたら。
……そんなことを想像するくらいなら、自軍兵士達の中に敵と通じた裏切り者がいて、その者達の仕業、と言われた方が、まだ数百倍マシであった。
そして、問題は、他にもあった。
各大隊間の仲が、非常に悪い。いや、最悪であった。
兵士が劣悪な環境に耐えて戦場で命を懸けて戦い、そして実力を越えた能力を発揮できるのは、祖国を、家族を守りたいからである。しかしそれ以上に、共に戦う仲間達を守りたい、死なせたくないという強い思いが、最大の力となる。
それが、飢えと渇きの中で、他の大隊の者を盗人呼ばわり、裏切り者、卑怯者呼ばわり。これで、士気が上がろうはずもない。
自分達の食料を奪い、『再配分』という話が出るやいなや、ぬけぬけと『自分達も盗まれた』と言って再配分を逃れた、敵。そう、他者の命綱である食料や水を奪うのは、戦友ではない。それは、もはや『敵』である。
そして、他の大隊の兵士達を『敵』と認識した者達は、すぐにその対象を拡大した。
他の中隊。他の小隊。他の分隊。そして、自分が得るはずの食料と水を狙う、自分以外の全ての者達。
信頼のおける仲間達と共に、祖国のために戦って死ぬなら、納得できる。
しかし、盗人の屑達のために、どうして自分が飢えて死ななければならないのか。
無駄死に。犬死に。
そして、水や食料を盗んで生き残った連中が、生きて帰って手柄を独占する。
馬鹿馬鹿しい。誰が死ぬものか。必ず、生きて帰ってやる……。
そう考える兵士は、本気で戦わない。敵を倒すことより、自分の安全を優先するからである。
……そう、人、それを『弱兵』と呼ぶ。
「おお……」
駐留場所の外縁部の警戒に当たらせていた兵士が届けてきた書簡。
差出人の名も記されていないその書簡を読んだアスカム領軍指揮官のジュノーは、ぼろぼろと涙を溢した。
「おお、おお、おお!」
周りの者達が、何事、と訝しんでいると、ジュノーが大声で叫んだ。
「神命である! 我がアスカム子爵領軍は、これより女神様の直卒部隊として、その指揮下にはいる! 神軍である。我らは只今より、神軍となったのだ! 正義と神意、そして女神様の御加護は、我らにあり!!」
うおおおおおお!
領軍兵士達の間から、嵐のような歓声が湧き上がった。
指揮官のジュノーは、見え透いた嘘で煽るような男ではない。そして数日前の帝国軍の奇襲部隊を女神様とその僕達が退けた話は、皆が聞いていた。
……メーベル様が、領民達を守るために女神となって御降臨された。
そして、女神様に付き従う、3人の御使い様達。
勝てる。
いや、勝たねばならぬ。
女神様に率いられた神軍が悪に敗れることなど、許されるわけがない。
こうして、鬼神が増殖したのであった。
「では、女神様の命に従い、作戦を開始する。
帝国軍は女神様の神罰により、水、食料を始めとする全ての補給物資を失い、そして補給も絶たれた。我々は敵の現地調達を妨害しつつ後退、相手の疲弊と衰弱を待つ。
我々が戦うのは、少人数の偵察部隊や、単独行動の兵士のみ。女神様は領民の命を大事にされており、そしてお前達兵士も、領民のひとりなのだ。無駄に死ぬことは許されない。分かったか!」
「「「「「「「おおおおおおお!!」」」」」」」
再び上がる、兵士達の雄叫び。
「よし、では、奴らの食料となりそうな角ウサギやオークを狩りながら後退する。食べられそうな木の実や山菜も、できる限り採取しろ。では、移動準備にかかれ!」
領軍は、駐留地の撤収作業を開始した。
「……そういうわけで、全ての食料と樽を一時的に女神様にお預け戴きたいのです。後で必ずお返ししますし、このままでは、全てを帝国軍に奪われますよ。
全ての物資を失った帝国軍が、敵国の国民である皆さんのことを考えて、来年のための種籾や種芋とかを残していってくれると、本当にそう思いますか? 全てを奪われ、それどころか、物資を戦地まで運ぶ人員や、女性達も要求されるかも。まだ幼い子供達も含めて……。
物資を隠匿し、一時的に山中に身を隠す。それによって村の皆さんが被る被害はありますか?」
「「「「「「…………」」」」」」
国境に面しており、既に帝国軍に敗れたセスドール伯爵領の主要街道に近い、大きめの村を廻っている『赤き血がイイ!』の4人。
そして、小さな村々には、説得が終わった村の人々が伝令を出してくれている。『食料その他を隠し、身を隠せ』という伝言を携えて……。
アスカム領については、領軍に任せてある。送った書簡による指示に従ってくれるならば、同様の処置をしてくれているはずである。マイルのアイテムボックスはないが、それなりの対処をしてくれると期待している。
そして『赤き血がイイ!』のみんなは、領軍が指示に従うことを微塵も疑っていなかった。
ポーリンの発案により、書簡の末尾にこの一文が書き加えられていたからである。
『ジュノー、アスカムを護りなさい』
悪魔の所業であった……。