235 アスカム子爵領 4
「どういうことだ!」
司令官は、現場にいた各大隊の士官達に食って掛かった。
「侵入した敵に火を掛けられたのであれば、まだ分かる。いや、そんなことを許した警備態勢については色々と問い詰めることになるが、それはまだ、理解できる。
しかし、これはいったい、どういうことだ!」
そう、膨大な物資を、誰にも気付かれることなく全て運び出すことなど、不可能である。
目立つ荷馬車を使うことなく全ての物資を運び出すには、何人の作業員が必要となることか。
それを、周囲の者達に気付かれることなく、僅かな時間で行う。そのようなことが、できるわけがない。
「……まさか、お前達……」
司令官が何を考えたかを悟り、顔色を変える各大隊の士官達。
「と、とんでもありません! 選りに選って、前線で物資の横流しをするような馬鹿はおりません! そんなことをすれば、軍法会議に掛けられる前に、そもそも生きて国に帰れませんよ!」
生きて帰れないのは、物資不足でまともに戦えず、敵に殺されるからか。それとも怒り狂った部下達に寝首を掻かれることになるからなのか……。
司令官も、さすがにその説明には納得せざるを得なかった。
「では、いったいどういうことなのだ……」
「たっぷりと戴けましたね、軍需物資……」
ホクホク顔のポーリン。
「しかし、あんたの収納は、どれだけはいるのよ……」
呆れた表情のレーナ。
「まぁ、マイルだからねぇ……」
もう、考えるだけ無駄、という様子のメーヴィス。
「あはは……」
そして、笑って誤魔化すマイル。
「しかし、反則でしょ、あんなの……」
そう、レーナが言う通り、反則であった。
不可視フィールド、音声遮断、臭気遮断、気配遮断を重ね掛けしたマイルが、てくてくと歩いて行き、アイテムボックスに物資を収納し、そしててくてくと歩いて戻る。とても簡単なお仕事であった。
輸送部隊は、荷馬車や荷車には常に輜重兵か輜重輸卒が張り付いているか、もしくは乗り込んでいるため、たとえ野営時であっても、密かに物資を徴発することはできない。なので、下手に人的被害を拡大しないように、昼間の移動中を狙ったのである。
街道の前後を火魔法や土魔法で塞がれて側方から攻撃を受ければ、動けず恰好の的となる荷馬車からは飛び降り、荷車の引き手は荷を放置して街道脇へと退避するから、その後で安心して火魔法を打ち込める。
……そう、帝国の輸送部隊襲撃も、物資集積所の謎の消失事件も、全て『赤き誓い』、……いや、『赤き血がイイ!』の仕業であった。
そして、輸送部隊と物資集積所を襲うという、敵の補給を断つことを提案したのは、前世での読書や戦争物の映画、海外ドラマ等を観てその重要性を知っていたマイルであるが、それに、ポーリンが更に一捻り加えていた。
「……どういうことだ!」
「それは、こっちの台詞だ!」
司令官の前であるにも拘わらず、緊急作戦会議が開かれている幕舎の雰囲気は非常に悪く、列席者達は互いに睨み合い、罵声を浴びせ合っている。
「うちの物資を、さっさと返して貰おうか! いくら同じ連隊とはいえ、配分された後で物資を敵に盗まれたなら、それは自己責任だ。勝手にうちの物資を持って行かせるわけにはいかん!」
「それはこっちの台詞だ! 第2大隊、第3大隊が全ての物資を盗まれて、第1大隊は被害なし。そして第4大隊と第5大隊が半分ずつ、というのは、明らかに不自然だろうが! これは、第2大隊から第4大隊までの物資を運び出した時点で時間切れか輸送能力の限界を迎え、敵の部隊はそこで撤退、その後物資を盗まれたことに気付いた第4大隊の者が大急ぎで隣の我が第5大隊の物資を半分、自分達の集積所に運んだに決まっているだろうが!」
「その言葉は、そっくりそのままそちらにお返しする!」
「そう言われるならば、第2、第3と盗んで、わざわざ第4を飛ばして第5から盗む理由をお聞かせ戴けるのであろうな? 我が第5としては、2、3、4と続けるのが自然であること、第1は手付かずであることから、両端は見つかる可能性が高いから避けたのであろう、という、ごく自然な理由を御提示致しますがな!」
「ぐぬぬ……」
第5大隊長の言葉がしだいに丁寧になっていくことが、逆にその怒りの度合いを示していた。
そして、残り、第1、第2、第3大隊長達は……。
「どういうことですかな? 我々第2、第3大隊の集積所は空っぽなのに、どうして第1大隊の物資は、逆に3割も増加しているのですかな?」
額に青筋を浮かべ、頬をぴくぴくさせている、第2、第3大隊長。
「知らぬ! 心当たりはない、本当だ!」
あらぬ疑いを掛けられ、普通であれば激昂してもおかしくない立場の第1大隊長であるが、今はいささか状況が悪い。物的証拠もさることながら、食料を始めとする物資の全てを失った第2、第3大隊の立場を思うと、被害を免れた自分があまり強い言葉を吐くのも申し訳ない気がしたのである。
しかし、その弱気な態度が、ますます第2、第3の両大隊長の疑惑を深める結果となっていた。
いくら大隊ごとに分かれているとはいえ、一緒に戦う仲間同士であり、臨時編成とはいえ同じ連隊、同じ侵攻部隊なのである。物資を失ったとあれば、供出や再配分にも快く応じた。
しかし、こっそりと物資を盗んで知らぬ顔をしたり、逆にこちらに罪を擦り付けようとしたりする者に甘い顔を見せて、舐められるわけにはいかない。謝罪と物資をいったん返却して貰うまでは、納得することはできない。
そう主張する大隊長達に困り果てた司令官は、その点に関する究明は放棄した。どのような結果が出ようとも、信頼関係の修復や士気の回復は無理そうであると諦めたのである。
「ここまで物資が不足しては、このままアスカム領に侵攻し補給を邪魔される可能性が更に上がるのは危険である。よって、次の補給部隊が来る時にはこちらからも迎えの護衛を出す。その物資を受け取り、再配分した後に移動を開始する。良いな!」
司令官の決定である。不満があろうが無かろうが、もう、覆ることはない。5人の大隊長達は声を揃えて返事した。
「「「「「はっ!」」」」」
「よし。次の補給部隊の到着は?」
「次は護衛を増やして、襲われた2回分も含めて、一挙に大量の物資を運ぶそうです。なので、少し日が開きまして、4日後となる予定です」
「よし、では5日後の朝、侵攻を開始する。くそ、奇襲部隊などに期待して、無駄な日数を費やしただけか……」
そして、その日の夕方。幕僚のひとりが、蒼い顔をして司令官用のテントに現れた。
「し、司令官! しゅ、集積所の物資が……」
「何事だ! ちゃんと報告せんか!」
「物資が、全て消えています!」
「何だとおおおおぉ!」
そして慌てて司令官が駆け付けると、集積所には昼間見たままの物資があった。食料やその他のものがはいった木箱も、水樽も。
え、という顔をした司令官に、幕僚が説明した。
「……箱だけです。空の木箱に、空の樽。昼間確認した時には、確かに中身がありました。間違いありません!」
「…………」
わけが分からない。
だが、これだけははっきりしていた。
「補給部隊を待っている余裕はなくなった。食料も無しで4日も待つのは危険過ぎる。これが全て敵の仕業であれば、我々が一番弱っているところを狙って向こうから襲ってくる可能性があるし、ここまでやったなら、いくら多くの護衛が付いていようと、次の補給部隊も襲われるかも知れん。それも、奴らの全力でな。もしそうなれば……」
幕僚が、ごくりと息を飲んだ。
「明朝、アスカム領への侵攻を開始する。進路は、まず川に向かい、水を補給してから領都を目指す。皆に伝えよ!」
慌てて駆け出す幕僚。
そして、彼らが知るのは、川に着いてたくさんの空樽に水を補給しようとした時である。
全ての樽の箍が微妙に緩められた上、木のパーツが少しずつ削られていて、どんなに頑張っても水漏れを防ぐことはできないということに……。