234 アスカム子爵領 3
名乗りを終えると、早速攻撃に移る、4人の仮面の少女達。
剣技に、魔法にと、次々と倒されていく帝国兵。そして何よりも、先程のドタバタで流れが完全に断ち切られ、奇襲による混乱が収まったアスカム勢と、逆に、混乱の真っ只中の帝国兵。これでは、人数に劣る帝国側に勝ち目はない。すぐに帝国の奇襲部隊の面々はその全員が地に伏した。
謎の援軍が倒した者達は大きな怪我はしていないが、領軍の兵士達が倒した者達は、当然の事ながら、その多くが重傷か死亡している。戦闘において相手を生かして捕らえるなど、余程の余裕と実力差がない限り、そうそうできるものではない。そして、もしそれだけの実力差があったとしても、領軍の兵士達には、そんなことをするつもりは更々なかったであろうが。
自分達に手を出せば、容赦なし。侵略者に甘い顔を見せる馬鹿はいない。
「あ、あなた方は……」
全ての帝国兵を倒し、味方の負傷者の処置と、軽傷の敵兵の捕縛を部下に命じた後、指揮官のジュノーが自分達に加勢し助けてくれた少女達に向かって尋ねた。声を掛けた相手は、少女達の中で一番年長らしく、そして自分を助けてくれた、金髪の女性である。
「私達は、傭兵団『赤き血がイイ!』です。アスカム領の関係者に助けられたことのある者からの依頼を受け、他国から参りました」
「お、おお、それはかたじけない……」
受けた恩義を忘れずに恩返しをしてくれる者。そしてその依頼を受け、勝ち目の薄い戦いに馳せ参じてくれた者。共に、感謝すべき存在であった。たとえその名称が、いささか、いや、かなりアレであったとしても……。
そしてジュノーは、いままでよく見ていなかった、他のメンバー達に目をやった。皆、まだ若く、明らかに未成年と思われる者も……。
「え……」
ジュノーの身体が凍り付いた。
さらさらと輝く銀糸の髪。目元は仮面で隠されているものの、優しく人の良さそうな、そして何となく少し抜けたような印象を与える、その容貌。初めてお会いした時のままの、その姿……。
ジュノーの口から、思わず言葉が漏れた。
「メーベル……お嬢……さま……」
(ありゃ、おかあさまの名前? ……って、この人、多分領軍の指揮官だよね? 領軍の指揮官って、確か……)
マイルは、人の顔を覚えるのは苦手であった。しかし、記憶力は人並み外れて良い方であった。
なので、何年も前に数回遠目に見ただけのジュノーの顔など覚えてはいなかったが、祖父や母親との会話に何度も出てきた、『領軍の指揮官、ジュノー』、『私が12歳の時におとうさまが連れてきた、ジュノー』、『私達と領民を護ってくれる、ジュノー』という言葉は、しっかりと覚えていた。
母や祖父との会話を想い出したマイルは、優しく微笑み、何気なく呟いた。母がその男に初めて会った時に言ったという、その言葉を。
「ジュノー、アスカムを護りなさい……」
ぼろぼろと涙を溢す男を残し、『赤き誓い』の4人が姿を消したあと。
「あああああああああああああああああ!!」
悲しみの慟哭か、歓喜の咆哮か。領地軍が野営する森に、叫び声が響いた。
そしてその後、領地軍の兵士達は知ることとなる。
人は、生きたままで鬼神になることができるのだということを。
「マイル、さっきの人は、知り合いだったのかい?」
「はい、名前を知っている程度ですけど。多分、領軍の指揮官だと思います」
メーヴィスにそう答えたマイルに、レーナも不思議そうに尋ねた。
「私達が現場を離れた直後の、あの叫び声は何だったのよ?」
「さぁ? あ、あの人がお母様と初めて会ったのって、お母様が今の私くらいの時だったそうです。
何か、私をお母様と間違えてるみたいでしたから、その時にお母様が言ったという言葉を思わず呟いちゃいましたので、お母様を想い出したのかも……」
「「「悪魔かッッッ!!」」」
「え?」
「くそ、奇襲部隊は何をしている!」
帝国の侵攻軍司令官は、草地に設営された幕舎の中で、苛ついた様子で幕僚を怒鳴りつけた。
「は、敵の潜伏場所を見つけるのに手間取っているかと……」
もし奇襲に失敗したとしても、全員が、ひとり残らず殺されるということはあるまい。失敗が確定した時点で脱出するから、ある程度の人数は帰還し、報告が来るはずであった。それが来ないということは、まだ接敵していないということである。
「今しばらく、お待ち戴きたく……」
司令官は、仕方なさそうな顔で頷いた。
そこへ、ひとりの兵士が駆け込んできた。
「伝令! 今夜到着予定だった補給部隊が襲撃を受け、人員の被害は軽微なれど、物資は壊滅、とのことです!」
「何だとおっ!」
戦地における、物資の喪失。それは、大問題であった。……下級兵士達にとっては。
上層部にとっては、大したことではない。いくら物資が不足していようとも、自分達が飲み食いするものが減らされるわけではないし、剣や槍が主力の戦いでは、弾薬や砲弾が不足するわけでもない。せいぜいが、矢を少し節約せねばならないという程度であり、それも、圧倒的な兵力差があるならば、大した問題ではなかった。
そもそも、始めから同行している補給部隊が充分な物資を運んでおり、次の補給部隊が来るまで凌げるだけの余裕はある。もし多少の不足があったとしても、占領した地域で徴発するか、兵士達に我慢させれば済むことである。
では、なぜ怒声を上げたかというと……。
「敵軍が後方に回り込んだというのか! それとも、占領地の者による襲撃か!」
そう、戦闘面でのことを問題視しているのであった。
「それは、どちらとも……。しかし、後方から我が軍を襲撃したというわけではありません。おそらく、食料に困窮して、危険を冒して物資の略奪を企てたものかと……。
ならば、それがアスカム領の兵士の仕業だとすれば、向こうは相当追い詰められているということになります。何せ、せっかく我が軍の後方に回り込めたにも拘わらず、戦闘部隊を後方から襲うということをせずに補給部隊から物資を奪うことを優先するくらいですからな。
もう、向こうの士気は最低で、恐るるに足らず、ということですな! 次の補給部隊の到着を待って、領境を越えて侵攻してはどうかと……」
「ふむ、それもそうだな……」
幕僚のひとりが言った言葉に、司令官は機嫌を直した。
別に、この幕僚や司令官が馬鹿だというわけではない。戦争における兵站の重要性が完全に認識されるようになったのは、地球においても、比較的最近のことなのである。
第二次世界大戦においてさえ、補給物資は現地調達だとか言い出す者が大勢いた。やむなくそうするのならばともかく、最初からそれをアテにした作戦計画を立案していたのである。
日露戦争の頃に、補給要員を馬鹿にした、『輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち』などという戯れ歌が流行り、第二次世界大戦の時においてすら、それが一般兵の認識だったくらいである。
下級兵士の食料事情など考えたこともない指揮官が多いこの世界では、武器の整備や弾薬補給の必要性が少ないこともあり、補給に気を配る指揮官は少なかった。それに、ある程度の物資は当然蓄積・貯蔵してあるため、多少の補給の遅れは問題なかった。
そして数日後。とうとう奇襲部隊は誰ひとりとして戻らず、様子を見に行かせた者達も戻らず、司令官がイライラしている時に、その報告が届いた。
「補給部隊が襲撃されました! 物資は壊滅です!」
「またか! いい加減にしろ!」
司令官がキレた。
最初に大量の食料を運んできたし、戦闘において消耗した矢や医薬品等はそう多くはない。なので、補給が少々滞っても、軍の行動に必要な分としては、まだまだ余裕はある。しかし、これからアスカム領に侵攻すると、今以上に補給が困難になる可能性がある。そして、何より重要なことは、自分達のための酒や高級食材、生鮮品等の贅沢品が底をつき始めたことである。
「護衛は、何をしている! こちらから兵を出して、襲撃している者達を捕らえ……」
「伝令! 第2大隊、第3大隊の物資集積所が壊滅! 第4大隊、第5大隊の集積所は、物資のほぼ半分が失われました!!」
「なっ……」
物資集積所は、輸送部隊ではなく、布陣した自軍の一部である。そして、物資集積所の喪失は、今現在、その大隊に対する全てのもの、つまり食料や飲料水から何まで、全ての支給が停止していることを意味する。さすがにこれはマズいということは、司令官にも充分認識された。
「現場に案内しろ!」
約1000人から成る大隊5つ、つまり5個大隊で編成された、1個連隊としてはやや大規模な侵攻軍。そこに運び込まれた物資は、それぞれの大隊に振り分けられ、大隊ごとに集積・保管されている。それらが自軍に発見されることなく敵に襲われたということは、つまり敵はいつでも帝国軍のどこにでも襲い掛かることができるということになる。それが、たとえ司令部の幕舎であろうとも……。
そう考えながら各大隊の集積所に向かった司令官が見たのは、思いもしない光景であった。
「こ、これは……」
司令官は、破壊された物資集積テントや、火を掛けられ燃え尽きた物資の残骸を見ることになると思っていた。
しかし、眼の前にあるのは、何事もなかったかのように綺麗に並んだ物資集積テントの群れ。
……但し、何も残されていない、中が空っぽになったテントの群れであった。