229 潮 時
「そろそろ、潮時かしらね……」
レーナの何気ない呟きに、皆が頷いた。
そう、潮時。
そろそろ、次なる街への旅立ちの頃ではないのか、ということである。
この街のギルドの様子も分かったし、少し大きな仕事もやって、そこそこ名も売れた。
いくら居心地が良くなっても、同じ街に留まっていたのでは「修行の旅」にならない。居心地が良くなった時こそが、旅立ちの時なのであった。それが、『修行の旅』。安住の地を求めての旅ではないのだから。
中には、途中で気に入った街に腰を下ろすハンター達もいる。しかし『赤き誓い』には5年間の滞在義務の大半がまだ残っているし、地方の街で落ち着くには、まだまだ若過ぎた。そして、みんなの胸にある野望も……。
「決まりね。じゃあ、ギルドへの報告と、『女神のしもべ』とオーラ男爵家への挨拶、そして宿への出立の通知、ね」
「「「…………」」」
皆、微妙な表情である。
絶対、引き留められる。そして、一番最後のは……、ネコミミとの別れを意味していた。
「何だと! いや、修行の旅の途中なのだから、当たり前か……」
ギルドマスターは、当然理解してくれた。しかし、理解することと、自分の都合とは別問題である。
「で、もう少し、何だ、滞在を延ばすことは……」
下手をすると、前途有望なハンター達を失っていたかも知れない案件。
不可能と思われる任務を次々と、しかも無傷で楽々こなす、異常な美少女達。
(欲しいいいいぃ~~! 才色兼備のうちの看板パーティとして、欲しいいぃ!!
くそ、若い男達は、何してたんだ! さっさと粉をかけて、モノにしておけば……、って、無理だよなぁ……)
無茶な要望だったと、反省するギルドマスター。
「いえ、もう、充分に長居しました。そろそろ、頃合いかと……」
メーヴィスの言葉に、自分も若い頃は修行の旅で各国を廻り、楽しかった想い出があるギルドマスターは、それ以上の引き留めはできなかった。
それに、先日の盗賊退治の件で、何かの事情で隠していたのであろう身分を公表せざるを得なくなったとの情報が入ってきている。その情報が広まる前に旅立ちたいのであろうと考えると、無理も言えなかった。あの依頼を指名依頼で押し付けたのは、自分なのだから。
「……そうか。残念だが、仕方あるまい。皆の、更なる活躍を祈っている。旅が終わったら、是非、またこの街を訪れてくれ」
「「「「ありがとうございます、お世話になりました!」」」」
作法通りの挨拶をして、ギルドマスター室を後にする4人。
(……面白い奴らだったなぁ。短い間だったが、暴風雨のように突然やってきて、突然去っていくか……。いつの日か、戻ってきてくれないものか……)
そう期待するギルドマスターであったが、一時的な訪問であればともかく、彼女達がこの街を拠点にしてくれる可能性は無さそうであった。
「『女神のしもべ』以外のハンター達には黙って行くわよ」
こくこく。
レーナ達にも、学習効果というものはある。下手なことを喋ると碌な事にならない、ということくらいは既に学習していた。
「……というわけで、そろそろ次の街を目指そうかと……」
夕方頃、常時依頼を終えて戻ってきた『女神のしもべ』をギルドで捕まえて、宿の自室へと連れ込んだ。ギルドの飲食コーナーで話したりすると、全てのハンター達の目と耳が彼女達に集中するので、他に選択肢はなかった。すぐ終わる話にわざわざどこかの店にはいる程のことはないし、そもそも、店で話せば、ギルドで話すのと同じことになるだけである。
「……そう。あなた達には、色々と勉強させて戴いたわね。修行の旅、頑張ってね」
『女神のしもべ』のリーダー、テリュシアがそう言って微笑んだ。他のメンバー達も、口々に別れの言葉を口にした。そしてリートリアは……。
「頑張って下さい! いつか、どこかで再会できる日を楽しみにしています。それまでには、私も一人前になっていますから!」
何と、縋ったり引き留めたりすることなく、普通の態度であった。
「……どういうことなんでしょうか? テリュシアさん達に懐いたから、もう、私達には執着しなくなった?」
「僅かな期間で、人間的に成長したとか?」
「それはないだろう……」
マイル、レーナ、メーヴィスの3人が不思議そうに話していると、ポーリンが、にっこりと微笑んだ。
「こんなこともあろうかと、私が、前々からテリュシアさん達にお願いしておきました。リートリアちゃんに、ハンターの修行の旅とか、しばらく会わなかった友達に成長した自分を見せて驚かす話とか、再会の時の感動的なエピソードとか、そういうのを思い切り脚色して、感動的なお話に仕立て上げて……」
「「「ああ!」」」
それは、新進気鋭の某小説家がよく使うパターンであった。どうやら、レーナだけでなく、ポーリンも愛読者らしかった。
「じゃあ、次はオーラ男爵家ね」
「残念だが、君達のためには必要な旅なのだろうな。色々と世話になった。
機会があれば、是非また立ち寄ってくれ。そして、何か困ったことがあれば、遠慮なく我がオーラ男爵家を頼ってくれ。あの謝礼金や報酬程度で、オーラ家が受けた恩義を返せたなどとは思っておらん」
そして男爵は、言葉を続けた。
「最後に、ひとつだけ言っても良いか?」
「あ、はい、どうぞ!」
メーヴィスの了承の言葉を受け、男爵が叫んだ。血を吐くように。
「どうして、あんなにハンター稼業が楽しそうな話をしたんだよ!
ハンターって、もっと危険で、死にそうになって、金に困って、悲惨で陰鬱な底辺職だろうが! どうしてそんなに小綺麗な身なりで、怪我ひとつ無くて、楽しそうに楽々やってんだよ! そんな話をするから、リートリアが、リートリアがあああああぁっっ!!」
「「「「し、失礼しましたぁ~~!!」」」」
泣き崩れる男爵を後に、慌てて逃げ出す『赤き誓い』一行。
そしてその後ろでは、男爵を除くリートリアの家族と使用人達が、頭を下げて皆を見送ってくれていた。
「あ~、びっくりした……」
「でも、あれが男爵の本音だろうなぁ。いや、悪いことをしたなぁ……」
マイルとメーヴィスは、責任を感じているようであったが。
「知らないわよ」
「自己責任です」
レーナとポーリンは、気にした様子もなかった。
全て、自己責任。それは、ハンターと商人にとっては当然のことであったが、騎士を目指すメーヴィスや、「マイル」という括りの生物であるマイルには、あまり馴染めない概念なのであった。
「あとは、宿に出立を告げて、旅立つだけね!」
朝、5人で出掛けていったパーティが、夕方、3人しか帰ってこなかった。
荷物を預けたまま護衛任務で出ていったパーティが、予定の日になっても、そしてそれから何日経っても、帰ってこなかった。
そんなこと、いくらでもある。だから、宿屋の子は、幼い時から独特の死生観を持っている者が多かった。そして、ファリルちゃんもまた、その中のひとりであった。
「お姉さん達、行っちゃうの?」
「う……、うん……」
泣かれる!
そう思い、思わず身を引いたマイルであったが……。
「そうなんですか……。御滞在、ありがとうございました。次も、是非この宿をご利用下さいませ!」
「え……」
動じた風もない、年に似合わぬ落ち着いた営業トーク。
「えええええ、私の存在って、その程度だったんですか! ふたりで過ごした、あの熱い夜は、いったい何だったんですかあああぁ!」
「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇ!」
びしぃっ!
大将の怒鳴り声と共に、レーナのチョップがマイルの脳天に炸裂した。
「ファリルが傷物にされたみたいなことを大声で叫ぶんじゃねぇ! おかしな噂でも立ったらどうしてくれるんだよ!」
「え、でも、あの夜……」
「あれは、蒸し暑くてなかなか寝付けないからって、夜遅くまで昔話を聞かせていただけだろうが!」
「だ、だから、熱い夜を……」
「ふたりじゃなかっただろ! みんながいただろうが! それに、『熱い』じゃなくて、『暑い』だ!」
ファリルちゃんの父親である、宿の大将、激おこである。
「と、とにかく、世話になったわね」
「おう、こっちこそ、ファリルを助けて貰って、本当に感謝している。またこの街に来た時には、絶対にうちに泊まってくれよな」
「お世話になりました」
「じゃ、また、いつの日にか……」
「さようなら!」
それぞれ別れの言葉を口にして、暫しの住処であった宿を後にする5人。
「……ちょっと待て!」
それを、大将が呼び止めた。
「何か?」
「何、自然な感じでファリルを連れて行こうとしてやがるんだよ!!」
そこには、マイルとレーナに手を取られて宿から連れ出される寸前のファリルちゃんの、ぽかんとした姿があった。