227 閑話 婚約破棄大作戦 3
翌朝、オースティン家から少し離れた森の中に、昨日の夕食会のメンバーが揃っていた。
侯爵一家は伯爵に「日課の散歩に出る」と説明し、メーヴィスはその案内役を買って出たのである。メーヴィスが侯爵家の皆と仲良くなっている様子なのを喜んだ伯爵は、ふたつ返事でそれを了承したのであった。
「では、まず最初に、『銅貨斬り』をお見せします。銅貨を山なりに投げて戴けますか」
「うむ、分かった」
マイルの頼みに、侯爵は巾着袋から取りだした銅貨を投げてくれた。
「はっ!」
いつものように十文字斬りをし、手の平の上の4つの欠片を見せるマイル。
「「「…………」」」
次に、模擬戦で真・神速剣を使ったメーヴィスを軽くあしらい、その後、是非にと頼まれてジャスフェンと、そして侯爵と手合わせし、あまり一方的にならないように手加減したものの、侯爵達には手加減されていることが丸分かりであった。
その後、マイルはレーナが放つ攻撃魔法を防いで見せたり、無詠唱で強力な攻撃魔法を放って見せたりして、侯爵一家を呆然とさせたのであった。
「……マ、マイルちゃん、き、君、本当に婚約者とかはいないんだよね?」
「はい、婚約者も恋人もいませんし、うちは両親が結婚相手を押し付けたりはしませんから、お相手は自分で見つけなきゃならないんですよね~」
本当のことである。両親は既に鬼籍にはいっているから、押し付けられようはずもない。
そして息子とマイルの遣り取りを聞いていた侯爵夫妻の眼が、ぎらりと光った。
長い散歩から戻った侯爵一家は、オースティン伯爵からのお茶の誘いも辞退して、与えられた部屋に籠もり、何やらぼそぼそと話を続けていた。
そしてやってきた、昼食会において。
「この度の話は、無かったことにして貰いたい」
「え……」
ウォイトダイン侯爵のいきなりの宣言に、意味が分からず呆然とするオースティン伯爵。
「いや、済まない! 本当に済まないが、ここは黙って了承して戴きたい。伏してお願いする!」
そして、侯爵夫妻と息子のジャスフェンが立ち上がり、頭を下げた。
しばらく固まっていたオースティン伯爵は、ようやく状況を理解し、真っ赤な顔をして立ち上がった。
「ふざけるな! む、娘を、オースティン家を馬鹿にするおつもりか!!」
格上の侯爵家に対しての無礼な言動であるが、それを咎める者はいるまい。それくらい、侯爵が言ったことは非礼であった。完全な、相手の貴族家に対する侮辱行為である。
しかし、どうやら悪意や故意の侮辱ではないらしい。全面的な謝罪の態度からそれを察したオースティン伯爵は、少し気持ちを落ち着けた。ほんの少しだけ、である。
「理由を伺おう!」
まだ赤い顔をしてぶるぶると身体を震わせているオースティン伯爵に、ウォイトダイン侯爵は、ただただ頭を下げるばかりであった。
「済まぬ、それは勘弁してくれ! ただ、理由は全てこちらの勝手、いくら罵倒してくれても構わぬし、相応のことはさせて戴く。頼む!」
まだまだ怒りの収まらぬオースティン伯爵であるが、先方にその気がないなら、縁談を進めても仕方ない。ゴリ押ししても娘の幸せには繋がらないし、このような侮辱を受けてまで話を進めるつもりもない。
「……我が娘への侮辱、安く済むとは思わないで戴こう」
「済まぬ……」
再度深く頭を下げたウォイトダイン侯爵家一同は、その後、そそくさとオースティン家を後にした。そしてメーヴィスは、俯いたまま自分の部屋へ戻り、そのまま閉じ籠もっていた。
「メーヴィス……」
沈痛な面持ちのオースティン伯爵。もしここに3人の兄達が居たら、ただでは済まなかったであろう。本当に、侯爵一家を殺しかねなかった。皆がそれぞれの仕事で不在だったのは、幸いであった。
そして、自室に閉じ籠もったメーヴィスは……。
「凄い! 何もしていないのに、ポーリンが言った通り、むこうから破談の申し入れをしてきた!
これで、私の危機は回避できたし、更に侯爵家に貸しが作れた。何というマジック!!
よし、後は予定通りに……」
「父上、何とかなりましたね!」
マイル達が滞在している宿屋へと向かう馬車の中で、侯爵家の3人が話をしていた。
「うむ、オースティン伯爵とメーヴィス嬢には申し訳ないが、後日、何らかの便宜を図って詫びはする。それよりも、マイル嬢だ! あの子を我がウォイトダイン家に迎え入れるぞ!」
「「はい!」」
夫人とジャスフェンの声が揃った。
何しろ、他国の子爵位継承者である。ウォイトダイン家は当主が持つ侯爵位の他に、子爵位も保有している。それは次男であるジャスフェンが貰う予定であるが、爵位があって困るわけではない。他国の爵位であっても、妻がその爵位を持ち、後に夫婦の第2子に継がせれば良い。そうすれば、ウォイトダイン家の傘下に他国の爵位と領地が加わることになる。
将来爵位持ちとなる女性と結婚する機会など、そうそうあるものではない。何しろ、男子がいない貴族家というものがそもそも少なく、その中で、女子はおり、その長女である女性が年頃で、更に婚約者がいないなど、そんな条件の女性がいったい何人居るというのか。もし居たとしても、跡取り以外の貴族の子弟がどれだけ群がり寄ることか。
「あのマイル嬢に婚約者がいないというのは、どのような奇跡か……。
いや、婚約の申し込みが殺到するのを防ぐため、『お相手は本人が選ぶ』という口実を設け、そして本人には会わせない、という策を取ったのか! 成る程……」
ひとりで納得している、ウォイトダイン侯爵。
「爵位もあるが、本題はそれではない。子爵位の後継者というだけであれば、オースティン家に唾を吐くような非礼をするつもりはなかった。特に、こちらから是非にと申し込んでおきながら、メーヴィス嬢を傷付けるような恥知らずな真似は……。
だが、マイル嬢のあの知恵と知識、剣技、そして魔術師としての能力。必ず我がウォイトダイン家に取り入れ、その能力を我が血統に!
いや、先のこともあるが、あの知恵で我が領地を発展させ、あの剣技を領軍の精鋭達に伝授して貰い、そして、魔術師達に指導を……。
幸いにも、マイル嬢はお前のことを憎からず思っている様子。昨夜と今朝の様子から、それは間違いないだろう。侯爵家の名が効いておるのか、今まで男と付き合ったことがないため免疫がないのかは分からんが……」
「父上、それは私の魅力のせいだと言って下さいよ!」
「はは、そういうことにしておくか!」
「あらあら、ふたりとも……」
「「あはははは!」」
マイルが婚約の申し込みを断るなどとは考えもしていない侯爵達であった。
「そろそろかしらね?」
「そろそろでしょうね」
レーナとポーリンがそんなことを言っていると。
「お邪魔する」
宿の者に案内されて、侯爵一家がやってきた。さすがに相手が侯爵となると、待たせて平民である客に確認してから、というわけにはいかないようであり、そのまま案内したらしい。
「マイル殿、突然の話で誠に申し訳ないが、息子、ジャスフェンと婚約しては戴けないだろうか!」
「「「えええええ~~っ!」」」
口に両拳を当てて、白々しく驚きの声を上げるマイル達3人。
「で、でも、ジャスフェンさんはメーヴィスさんと御婚約を……」
「婚約の話は、先程破棄してきた」
マイルの指摘に、侯爵は少し後ろめたそうな顔で説明した。
「なので、何の問題もない!」
「大ありですよっ!」
声を荒げるマイル。
「パーティ仲間で親友の婚約者を奪えるわけがないでしょう! メーヴィスさんを裏切ったりできるはずがないでしょう!」
「いや、ちゃんとオースティン伯爵とメーヴィス嬢には了承を取っての婚約破棄だ、何も問題はない!」
「そっちに問題がなくても、こっちには大ありですよっ! メーヴィスさんと気まずくなっちゃうでしょう! それに、私はまだ13歳ですよ、当分結婚の予定はありませんから!」
予想外のマイルの反応に動揺する、ウォイトダイン侯爵。
今までの様子から、息子のことを嫌ってはいないと思っていたし、次男とはいえ侯爵家の者である。本家の後ろ盾があれば、伯爵家並みの家格となれる。また、ジャスフェン自身には子爵家の爵位を継がせることは、昨夜話してある。なのでマイル嬢が継ぐ爵位だけが目当てではないことは理解して貰えるはず。そう思っていたため、マイルの反応は予想外であった。
いくら年配であっても、ウォイトダイン侯爵は、やはり貴族であった。なので、「お相手は自分で決める」というのは、虫除けのための方便であると思っていたし、子爵家の娘が侯爵家からの縁談を断るはずがないと考えていた。
貴族の娘はお家のために嫁ぐものであり、たとえ自身が跡取りであったとしても、義父が、そして後には義兄が他国の侯爵であるということは、実家の、母国での立場がかなり上昇する。そして実家は、後々自分の第2子に継がせれば良いのだ。
御両親であれば、必ずやこの話を受けて戴けるはず。マイル嬢の能力であれば、伯爵家の跡取りあたりからの縁談があってもおかしくはないが、昨夜の話では、マイル嬢の実力は母国ではまだ知られていないとのこと。ここで本人から言質を取りさえすれば。そう思っていた侯爵は、更に押しに出た。
「いや、是非御両親にお会いして、正式に申し込みたい。御両親であれば、必ずや……」
「いませんよ?」
「え?」
マイルの言葉に、きょとんとする侯爵。
「だから、いません。両親も、祖父母も、誰も。みんな、鬼籍にはいっています。なので、間違いなく私は我が子爵家の後継者であり、爵位を受け継ぎました。私が、我が子爵家の現当主です。領地は、私が一人前になってその気になるまで、国王陛下が代官を立てて管理して下さっています」
「「「えええええ~~っっ!!」」」
嘘は一切ない。こと爵位関係においては、嘘を吐くことは、極刑もあり得る重罪である。
「なので、私の伴侶は私が自分で決めます。そして私は、仲間や親友の婚約者を奪うつもりは全くありません。女神様に誓って!」
侯爵達は、マイルの言葉に顔を蒼褪めた。
女神に誓うということは、絶対の意志である。それを翻すことは、余程のことがない限り、あり得ない。それこそ、人命に拘わるとかのレベルでない限り。
約束を反故にされた女神の怒りを買い、神罰を受ける覚悟が必要なのであるから、当たり前のことである。
もはや、マイルが婚約を受ける可能性は皆無となった。
「……失礼する!」
まだ呆けている婦人と息子の腕を掴み、急いで部屋を出るウォイトダイン侯爵。
そしてマイル達は。
「出立するわよ!」
「「おお!」」