176 オーラ家 8
毛布の中に潜り込んだリートリアを残し、応接室へと移動した一同。
「何と礼を言えば良いのか……。バンダインの窮地を救って戴き、家名に泥を塗られるのを防ぎ、リートリアの薬を確保して戴いたばかりか、まさか、病そのものまで治して戴けるとは……」
平民に対して頭を下げるなど、貴族がすることではない。なのに、男爵はマイル達に対して頭を下げた。マイルとメーヴィスは貴族であろうと思ってはいても、建前上は全員平民、しがないCランクハンターという触れ込みであるにも拘わらず。
「いえ、お礼を言われるのは、まだ早いです。
多分そうだろうとは思うのですが、所詮は素人の判断です。それは、無事回復されてから、ということで……」
マイルのその言葉に、一瞬ぎょっとした男爵であるが、マイルの顔を見て『ああ、念の為にそう言っているだけで、本人には多分大丈夫だという確信があるのだな』と察して、落ち着きを取り戻した。
「では、どうだろう。リートリアの病気の治療を指名依頼で発注する、というのは?」
「ええっ! いいんですか?」
マイルが驚くが、男爵は、逆にマイルが何を驚いているのか分からなかった。
「当たり前だろう。こんな大きな、とてつもなく大きな案件を、無償にできるわけがなかろう。
そんなことが知られたら、我がオーラ家の名が、いや、たとえ誰にも知られなくとも、私の矜持が穢される!」
やはり、男爵は良い人のようであった。
「もう完了したも同然だから事後処理扱いにしても良いのだが、あまりにも事後処理を連発するのもギルドに良い顔をされないだろうし、やはり結果をある程度確認してからの方が、そちらも気が楽であろう。なので、これから指名依頼とし、リートリアの容態が好転した時点で完了ということにしてはどうかな?」
「「「「それでお願いします!」」」」
貴族家からの、金額が大きい指名依頼。昇格ポイント的に、これは美味しかった。
それは、それだけの実力と信頼度があるということであり、そのあたりの普通のCランクハンターには得られない実績である。また、ギルドとしても、貴族家にギルドが頼られ、信頼されているという証となり、なにやら政治的にありがたいことであるらしい。
「ところで、話は変わるが、リートリアに食べさせる食材、先程聞いたものの他には、どのようなものが良いのだ? あまり同じものばかりでは可哀想なのでな」
「うっ……」
至極尤もな男爵の質問であるが、マイルは言葉に詰まった。
そう、マイルの知識は、あれで打ち止めであったのだ。
マイルは、別に栄養学を学んでいたわけではない。学校での授業の一環と、趣味の読書で、少々普通の女子高生より知識が多いに過ぎなかった。なので、脚気は膝を叩いてもビクンとならない、原因はビタミンB1の不足であること、その症状、そしてビタミンB1が多く含まれている食品、含まれていない食品の代表例くらいは知っていた。
しかし、知っているのは、あくまでも教科書や説明本に載っているような「代表例」だけなのである。そして先程言ったものの他の代表例は、ウナギ、鯛、イクラ、筋子等の、魚介類ばかり。つまり、ここでは手に入らないものである。
他にマイルが覚えている脚気の話と言えば、日本海軍は早期に解決策を見つけて対策を実践していたのに、本業が陸軍軍医総監であった、あの作家の森鴎外が、栄養原因説をとる海軍を敵視して激しく反発し、病原菌説に固執して多くの陸軍兵士を無為に死なせたということくらいである。
……今の状況には何の役にも立たない、無駄知識であった。
「他にも、あの成分を多く含んだものは色々とあるとは思うのですが、あれくらいしか知らず……。
でも、普通に食べていれば大丈夫なはずですから。皆さんも、異状がないわけですし……。
リートリア様の食事が、あまりにも極端に偏っていて、それがたまたま問題の成分をほとんど含まない物ばかりという、偶然によるものですから。
でも、まぁ、念の為……」
(ナノちゃん!)
『待ってました!』
(何よそれ! まぁいいや。お願い、私の見立てが間違っていないか、確認したいの。
あまり何でもかんでもナノちゃんに聞いてばかりいちゃ私のためにならないから、本当はあまり頼りたくないんだけど、人の命がかかっているからね、今回はそうも言っていられないから……。
素人判断で『脚気だ!』なんて言っちゃったけど、よく考えてみると、こういう症状の病気は他にも色々とありそうだし、膝の反射にしても、神経系統に異常が出る病気とか、脚に脂肪が付き過ぎていて反応が鈍いとか、叩く位置が悪かったとか、強く叩き過ぎて膝が砕けたとか、ビクンとならない理由なんか、いくらでも考え付くからね。素人が思い込みでいい加減な対処をしたら、助かるものも助からなくなっちゃう。
だから、正確な診断をお願いしたいの)
そう、自信たっぷりに断言しておきながら、マイルは今になって急に不安になってきたのである。
膝の反射がない、というだけで病名を決定することが、あまりにも無謀な行為だということに、ようやく気が付いて。
『分かりました。では、その病気に関することを、正確に、強く思い浮かべて下さい。マイル様の思考から、当該疾病に関する情報を確定し、それを元にして分析を行います。それと……』
(それと、何?)
『我々を頼って戴くことは、躊躇なさる必要はありません。全く、これっぽっちも!
いや、というより、頼るべきです! 頼って下さい!』
(……考えとく。じゃ行くよ! うぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!)
『情報を確認、分析を完了しました。マイル様の御見立て通りの病に間違いありません』
(良かった……。じゃ、アイテムボックスの中から食材を「収納」に移すから、それからビタミンB1……、問題の、不足している成分ね、それを分離・抽出して、ビタミンの錠剤を作って欲しいの。出来る?)
『出来るか、ではなく、やれ、とお命じ下さい』
(分かった。お願い!)
『では、私が合図しましたら、マイル様のお顔の前方30センチを中心とした半径30センチの空間を収納して下さい。そこに、作業用のナノマシンを集合させますので。あと、作業は一瞬で終わらせますので、錠剤と、その周囲30センチの空間を取り出して下さい。でないと、一部の者が収納に取り残されてしまいますから』
(了解! あ、容器も収納に移しておくから、その中に入れてね。分量は、その容器にはいるくらいで。それと、ビタミンを抜いた食材は廃棄するから、使わなかった分とは別にしておいてね。栄養が抜けた食材は食べたくないから)
『承知! では、収納を!』
(らじゃ!)
「どうしたのよ? また、ぼ~っとして……」
「マイルちゃんがぼ~っとしているのは、いつものことじゃあ……」
「う、うるさいです!」
いつもの遣り取りの後。
(うりゃ!)
そしてマイルの腕の中に現れる、1個の小さな壺。
『全員、無事帰還しました。錠剤は、御指定の成分だけですと1回あたりの妥当な摂取量では小さくなり過ぎますため、その他の重要な成分や増量のためのものを加え、毎食後に1錠ずつ服用するのに適したものにしております。
どうも、まだ顕著には症状が発現していないものの、他の栄養不足に起因する病気の兆候がありましたので、それらにも対処しております』
どうやら、総合ビタミン剤、いや、それにカルシウムやマグネシウム、鉄分、亜鉛等を含んだ、万能サプリメントが出来上がってしまったらしい。さすが、気遣いの人、ナノちゃんズである。
(ありがと! 完璧だよ!)
『お褒めに与り、恐悦至極……』
「な、収納?」
驚く男爵に、壺を差し出すマイル。
「不足した重要な成分を補う薬です。毎食後、1錠ずつ飲ませてあげて下さい」
え、というような顔をして驚く男爵。
「な、どうしてそんな都合良く……」
それは怪しい。まるで全てを予見して事前に準備をしていたかの如く現れる、あまりにも都合の良い薬。
だが、大金を要求するようでもなく、オーラ家は、ただ助けて貰っているばかり。
男爵も、ある程度は人を見る眼がある、と自負している。これで全てが仕組まれた罠だというならば、もう、この世に信じられるものは何もない。
「私の実家の、秘伝の薬。つまり、秘薬、というやつです」
そう言って、ずずいと壺を差し出すマイル。
そして男爵は、恐る恐るその壺を受け取った。
「これには、如何ほどの価値が?」
そう尋ねる男爵に、マイルはにっこりと微笑んで答えた。
「リートリア様の笑顔が見られる、ということ程の価値はありませんよ」
「え……」
それはつまり、無料、ということであった。
いや、後日、笑顔で支払って貰う、ということか。
「これがなくなるまでに、リートリア様にはもっと色々なものを好き嫌いなく食べさせるようにして下さいね。でないと、他の怖い病気になる可能性もあります。
食が細いのを何とかするためには、運動をさせるとか、色々と考えて下さい。リートリア様、ほっそりしていて可憐で素敵ですけど、嫁にも行けずに死んじゃったら、意味ないですよね?」
「……わ、分かった。可愛がりすぎて、いささか甘やかし過ぎたようだ。善処する……」
男爵様は、そう言って頷いてくれた。
どうやら本気らしいので、大丈夫であろう。
「やっぱり、夕食も御馳走になった方が良かったかしら……」
帰り道、ギルドまで送って貰う馬車の中で、そう愚痴を溢すレーナ。
「いや、夕食の時間まで、まだ4時間近くあったじゃないですか! そんなに間が持たないし、夕食目当てで用事もないのに粘るのはみっともないから帰る、って、全員の意見が一致したでしょうが!」
「それはそうだけど……」
大食らい仲間のマイルにそう指摘されながらも、未練がましいレーナであった。
あの後、男爵が事後処理と指名依頼の2件分の書類を作り、配下の者に馬でギルドへと使いに行かせた。
なので、ゆっくりと馬車で進むマイル達がギルドに着いた時には、事後処理の方の報酬を受け取り、指名依頼を受注できるようになっている、というわけであった。
受注しても、あとは結果が出るまで何もしないのであるが。
そして馬車が止まり、客室の扉が開かれた。
「ハンターギルド、王都支部に到着致しました」
馬車から降りる4人を、10度くらいの角度の礼で迎える、執事のバンダイン。
「お世話になりました。では、また、後日……」
また後日、依頼の完了証明のサインを貰いに行く必要がある。なので、『赤き誓い』を代表してそう言って軽く頭を下げたメーヴィスであるが、いったん頭を上げていたバンダインが、今度は、角度45度の最敬礼を行った。
「ありがとうございました。本当に、本当に、ありがとうございました……」
その顔の下の地面に、ぽつ、ぽつと黒い染みができ、次第にその数を増やしていったが、『赤き誓い』の4人は、それには気付かない振りをして、軽く手を振り、ギルドの中へと消えて行った。
バンダインは、しばらくギルドの扉を見詰めていたが、その後馬車の客室へと乗り込んだ。
「お邸へ」
そして馬車は、オーラ男爵家王都邸へ向けて、ゆっくりと進み始めた。
「どうして、王都に来て早々に貴族家からの指名依頼なんかが来るのですか! しかも、御令嬢の病気の治療、って……。
いったい何なのよ、あんた達!」
最後の部分、口調が営業用から崩れてしまったフェリシアであった。
「いや、何、って言われてもねぇ……」
「そうですよねぇ……」
「だって、私達は、」
「魂で結ばれし、4人の仲間、」
「「「「赤き誓い!」」」」
そして、びしぃっ、とポーズを決める4人。
爆発と煙は、室内なので自重した。
「お……、おぅ……」
さすがの『このすべフェリシア』も、そう答えるのが精一杯であった……。
「で、マイル、あんなに自信たっぷりに言って、もし見込み違いで病気が治らなかったら、どうするつもりなのよ。
あんなに喜ばせておいて、間違いでした、じゃ済まないわよ?」
マイルのことだから大丈夫だろう、と思ってはいても、もしもの時には大変なことになる。レーナだけでなく、メーヴィスとポーリンも心配そうな顔をしていた。
皆、顧客の前で心配そうな顔を見せる程の馬鹿ではないので、今までは平気そうな顔をしていたのであるが、やはり少し心配だったようである。
「大丈夫ですよ。多分あれで間違いないと思いますし、もしあれで治らなくても、次の策は用意してありますから。だから、安心ですよ」
「次の策? 何よ、それ?」
マイルは、平然とした顔でレーナに答えた。
「勿論、魔法による病気治癒です」
「ど、どこが『安心』よおぉ! 無茶苦茶危ないじゃないのおぉ!」
吠えるレーナ。
「……そうなのかい?」
よく分かっていないらしい、メーヴィス。
「まぁ、マイルちゃんですから……」
全てを諦めているらしい、ポーリン。
「ま、何とかなりますって!」
そして、『赤き誓い』は我が家へと向かう。
愛しき猫耳幼女が待つ、仮初めの我が家へと。