175 オーラ家 7
聞いた症状だけでは、思い付きもしなかった病名である。
しかし、膝を叩いて足ぴくん、という脚気の診断方法は多くの者が知っているし、子供の頃に面白半分で膝を叩いた経験は、誰にでもあるだろう。海里も、妹と一緒にやったことがあった。
マイルはリートリアに服装を直すよう言い、あとはウィロミアに任せて部屋から出た。
「男爵様、次のお願いです!」
その声に、別室で待機していた男爵一家、執事のバンダイン、そしてレーナ達が現れた。
「料理長に会わせて下さい。そして、リートリアさんの食事を作る手順を教えて貰いたいのですが」
「え……。あ、いや、それは構わんが。分かった、ついて来てくれ」
そしてやって来た、調理場。
ずらりと並んだ男爵家一同(娘ふたりを除く)プラス『赤き誓い』を前にして、蒼い顔の料理人一同。
呼び付けられるならばともかく、主人が家族と客人全てを引き連れて突然調理場に乗り込んでくるなど、クレーム以外にあり得ない。それもこの構図からは、客人達から何か文句が出たとしか考えられない。
貴族が、招いた客に対して食事で恥を掻かされた。
それがどれだけ大変な事態であるかを、料理人達が理解していないはずがなかった。
「う、あ、あの……」
まともに喋れない料理長に、マイルが頭を下げた。
「すみません、リートリアさんの食事の作り方、教えて戴きたいんですけど!」
「「「え?」」」
料理人達の声がハモった。
「実際に作って戴く必要はありません。手順だけ、順番に説明して下されば、それでいいです。
ここで角切りにする、とか、ここで皮を剥く、とか、手順通りに説明して戴ければ……」
「あ、は、はい、分かりました!」
それくらい、お安い御用であった。特に、過失を責められるのではないかと恐れていた身にとっては、喜んで引き受けられる仕事である。
「……で、切った野菜をお湯で充分煮て柔らかくし、水切りをして、作っておいた出汁に浸して……」
「ふむふむ……」
「細かく切った牛肉を水で洗って……」
「ええっ、洗うのですか?」
「あ、はい、リートリア様はお身体が弱いため、綺麗に洗って、充分火を通したものでないと……」
「…………」
「私達の食事には豚肉が出たと思うのですが、どうしてリートリア様の方は牛肉だけなのですか?」
「あ、はい、実は以前領地から王都へと移動される途中に立ち寄られた村で豚を屠殺するところを御覧になってしまわれて、それ以降、豚肉はお食べになれなくなりまして……」
「成る程……。他に、リートリア様が苦手な、というか、リートリア様には出さないようにしている食材はありますか?」
「はい、ここは内陸なので魚介類は皆さんにお出ししていません。他には、リートリア様がお食べにならないのは、主食であるパン、とうもろこし、あとは味や匂いが強い、ニラやニンニク、ねぎ、玉ねぎ等ですね。お食べになるのは、少量の牛肉、野菜、玉子、マッシュルーム、ミルク等でしょうか……」
「ふむふむ……。分かりました、ありがとうございます」
そしてマイルは、皆を引き連れて調理場を辞した。
「……何だったんだ、いったい……」
わけがわからないが、とにかく、自分達に落ち度があって責められたわけではないということが分かって、ひと安心の料理人達であった。
そう思って安心していると、ドアから先程の銀髪の少女がぴょこんと顔を出した。
「あの、料理人の皆さんも来て下さい」
「「「ええええぇ~~っ!」」」
そして、ぎゅう詰めのリートリアの部屋。
ベッドのリートリアを含む、男爵家総員。執事のバンダイン。『赤き誓い』。そして3人の料理人。
執事と料理人は、立ったままである。
そして、椅子に座っていたマイルが立ち上がり、皆を見回した。
「さて、番組の最後の10分間。謎解きの時間です!」
番組、というのが何かは、その言い回しを何度も聞かされている『赤き誓い』以外の者には分からなかったが、皆、そこでそれを質問するような空気の読めない者達ではなかった。
「リートリア様の御病気が何か、分かりました」
「「「「「ええええぇ~~っ!」」」」」
驚愕の叫び声を上げ、眼を見開く一同。
「マ、マイル、あんた、医術の心得もあったの?」
「ま、まぁ、嗜み程度には……」
レーナの質問に、素人とは言えず、かといって医学の知識があるとも言えず、適当に誤魔化すマイル。
「ほ、本当か! で、な、治るのか!」
「それは、これからの話をお聞き下さい」
血走った眼で食い付く男爵を、そう言って宥めるマイル。
「まず、病名は、私の国で『脚気』と呼ばれているものだと思います」
「脚気?」
「はい。これは、主に食べ物が原因で起こる病気です」
「な、何だと!」
「「「え……」」」
叫ぶ男爵。そして、蒼白になる料理人達。
「お、お前達、リートリアに、いったい何を食べさせたあぁっ!」
鬼の形相で叫ぶ男爵に、料理人達は、へなへなと床にへたり込んだ。
「言え! 何を企んで、何を食べさせた! どこの貴族家の差し金だ!!」
料理人達に掴み掛からんばかりの男爵を、マイルが手を伸ばして制した。
「待って下さい。その方達は、何もおかしなものをリートリア様に食べさせたわけではありません」
自分達を糾弾するつもりかと思われた銀髪の少女が、逆に擁護してくれるらしいと知り、縋るような眼でマイルを見る料理人達。
「逆に、食べさせるべきものを食べさせていなかった、とは言えますが……」
「「「「えええええ?」」」」
糾弾するのか擁護するのか、どちらなのか。
男爵にも料理人達にも全く分からなくなり、混乱する一同であった。
「では、順を追って説明します」
「最初から、そうしなさいよ!」
レーナの突っ込みはスルーして、マイルが説明を始めた。
「まず、人間が健康に生きていくためには、色々な物を、バランス良く食べる必要があります。それはお分かり戴けますよね?」
この世界では、まだ栄養素の分離等はなされていないものの、それくらいのことは経験則で当然知られている。なので、皆、こくりと頷いた。
「そして、色々な物を食べるわけですが、実は、野菜同士、また、肉同士であっても、その中に含まれている『人間に必要な成分』は、それぞれ違うのです」
「え? それでは、まさか……」
さすが、貴族家の当主である。男爵は、ここまで聞いただけで、既に結論を悟った模様である。
「はい。リートリア様の食事には、ある種類のものが殆ど含まれていないのです。
元々含まれている量が少ない素材ばかりの上、水に溶けやすい上に熱には弱いという、厄介なその成分は、執拗な水洗い、念入りな加熱、おまけに煮た汁は捨てる、等でほとんど残らず、しかもその成分の吸収を助けるネギ系統の物もお嫌いとか……。
なので、食生活を変えれば、御病気も回復するかと。他の御家族は何ともないのですから、しばらく特別食にして、御病気が回復した後は、皆さんと同じ食事にすれば問題ないのではないかと」
「おお! おおおおお! まことか、それはまことなのか!」
「はい、絶対、とまでは言えませんが、ほぼ間違いないのではないかと……」
マイルの説明に、滂沱の涙を流す男爵。夫人や兄、姉達も、目頭を押さえている。そしてベッドの上には、悪化の一途を辿り、死をも覚悟していた病が、自分の好き嫌いのせいであったと判明し、呆然とするリートリアの姿が。
「そ、そんな……。これが、この、徐々に身体が麻痺して力が抜けていく死病が、私の好き嫌いのせい……。私の、食べ物の好みのせい……」
「で、私達はどうすれば良いのだ、マイル嬢!」
掴み掛からんばかりの勢いで、マイルに対策をせっつく男爵。
「え~と、とりあえず、リートリア様の夕食の献立は、ええと、魚は無いから、豚肉、大豆、とうもろこし、パンも2切れくらいと、あと、玉ねぎ、ニラ、ネギ、そしてニンニクですね。肉は洗わず、野菜もサラダ等で加熱しないものを増やし、そして煮汁は捨てずに再利用して下さい。
それと、水にワインを入れるのもやめて下さい。殺菌効果なんてないし、アルコールはこの病気には良くないですから」
「分かった! 良いな、それで頼むぞ!」
「「「分かりました!!」」」
元気良く返事をすると、立ち上がって厨房へと駆けていく料理人達。
「えええええええ~っ!」
そして、マイルが並べた食材に、絶望の叫びを上げるリートリア。
「「「「「文句を言うな!!」」」」」
両親と兄、姉。家族全員に怒鳴られて、ふて腐れて毛布の中に潜り込む、リートリアであった。