171 オーラ家 3
勝負は決まった。
ここは商店街なのだ、観衆の中には商店主も大勢いる。
そして商店主というものは、急な事態に備えて、いつも巾着袋とは別に金貨の1~2枚くらいは身に付けているものである。そう、先程の商会主のオリハルコン貨のように。
なので、金貨10枚など、簡単に集まる。
もしそれで足りなければ、追加募集をすれば、いくらでも集まるだろう。
最早、商会主に勝ち目はなかった。
「金貨、28枚!」
執事は僅か1枚レイズしただけであるが、もう、勝負は見えている。あとは、やるだけ無駄であった。
「……降りた」
さすがは大店の商会主、潔く負けを認めて、諦めたようである。
「やられましたな。完全に、私の負けです。いやぁ、参った参った……」
笑顔でそう言いながら、店先の台の上に積み上げた自分の金貨を回収し、懐に収める商会主。
「では、また、楽しみましょう!」
予想外にも機嫌が良さそうに立ち去る商会主に、ぽかんとした顔の『赤き誓い』の面々と執事。
「何か企んでいそうね。用心した方が……」
去りゆく商会主の後ろ姿を睨み付けながらそう言うレーナに、近くにいた観衆のひとりが声を掛けた。
「その心配はないよ」
「え?」
怪訝な表情のレーナに、その男性が説明してくれた。
「あの人は、あくどい商人だけど、根はいい人なんだよ」
「な、何よそれは!」
その、「でっかいミニ四駆」とか、「正直な嘘吐き」並みの矛盾した言葉に、わけが分からず叫ぶレーナ。
「あ~、つまり、商売上の規則を破らない範囲ギリギリのことをやるんだけど、決して理不尽なことや規則違反はしないんだ。そして汚いやり口も、それで相手に勉強させてやろうとしたり、自分が楽しんだりするためにやってるんだよ。
だから、多分、オークションで勝ったとしても、精々金貨数枚を上乗せした価格でそこの執事さんに売ってくれたと思うよ。薬種屋の御主人だけが大儲け、ってわけだ。まぁ、それも……」
男性は、そこでちらりと薬種屋の店主の方を見て、その先は言葉を濁した。
「まぁ、そういうわけで、今回はかなり楽しんだみたいだから、敵対して悪だくみどころか、あんた達、かなり気に入られたみたいだよ。多分、何かの時には助けてくれるんじゃないかな。羨ましいこった!」
そう言って、笑う男性。
観衆の中の、商人っぽい人達のうちの一部はそれを知っていたらしく、一緒に笑っている。
そして、愕然とする、『赤き誓い』と執事。
「「「「「え……」」」」」
「で、でも、じゃあどうして、あなたは融資に協力して下さったんですか? それを知っていたなら、放置しても……」
ポーリンの言葉に、その男性と同じく融資に協力してくれた商人らしき他の男性から声が上がった。
「そりゃ、俺達、商人だからな。あっという間に金貨が2倍になる機会を見逃すわけがないだろ?
それに……」
「「「「貴族の御令嬢に、握手して貰って、お礼を言われたい!!」」」」
周りから挙がった声に、がっくりと肩を落とすポーリン達であった。
しかし、ポーリンの立ち直りは早かった。彼女には、まだ、やるべきことがあった。
「店主さん。その金貨、どうなさるおつもりですか?」
「え……」
台の上に残された、執事が積み上げた金貨の山。
それを見ていた薬種店の店主が、ポーリンの言葉に、きょとんとした顔をした。
それはそうだろう。どうなさるおつもりも何も、オークションで得た、自分のお金なのだから。
「貴族家からの予約を受けていながら、横入りした者を断ることなく競合させて、値を釣り上げて6倍近い価格で商品を売りつける店。これだけの観衆を前にしてそういう既成事実を作って、これから先、この店に発注する者がいますかねぇ?」
「え……」
店主、愕然。己のしでかしたことを、ようやく理解したようである。
衣類や食料品等の競争相手が多い商品を扱う商人は、場慣れや客慣れしており、海千山千の者が多い。しかし、薬種店は、豊富な専門知識とこまめな商品管理能力があれば、木訥な人柄であっても問題はない。あまり声を嗄らして客の奪い合いをするような業種ではないからである。
そしてこの店主も、そういうタイプであった。
……つまり、商人としては、人心の機微に疎かった。
「そ、そんな……。私は、そんなつもりは……」
「そんなつもりがあろうと無かろうと、あなたがやったのは、そういうことですよ。
それも、知らなかったとか、ついうっかり、とかの過失ではなく、状況を全部知っていての、横入りの受け入れと競合、ですからね。つまり、あなたはそういうことをやる人で、この店は、儲けるためならば平気でそういうことをやる、そういう営業方針の店だということですよ。
20枚少々の金貨と引き替えにあなたが何を失ったか、よぉく味わうのですね」
観衆達も、有力商人である商会主の圧力を恐れて拒絶できなかったということは、ある程度酌量してくれるかも知れない。しかし、商会主が去った今、結果的に当初の予約者から23枚の金貨を余計に取るという事実のみが残り、それを他の商人や一般客達が是とするかどうかというと。
「「「「「…………」」」」」
店主に注がれる、冷ややかな視線。
金貨23枚など、信用と顧客を失い店が潰れることに較べると、はした金である。
店主の顔が蒼白になり、その頬に汗が伝った。
先程説明してくれた男性が言葉を濁したのは、これを見越していたからである。
商会主は、自分が駆け引きを楽しむだけではなく、この店主にもまた、試練を与えていたというのであろうか……。
「な、何を言っておられるのでしょうか? 商業ギルドの重鎮を怒らせるのはうちの店の存続に関わるので強くは出られませんでしたが、勿論、最終的には生薬は執事様の手に渡るようにするつもりでしたし、オークションは、ただ単に勝負をつけるための方法に過ぎず、販売価格は当初の提示価格に決まっているではありませんか! 嫌ですねぇ、当たり前でしょう!」
気弱そうな店主にしては、やけに雄弁であった。
無理もないか。ここで下手を打つと、確実に店が潰れるのだから。
「ああっ、そうでしたか、これは失礼を! すみません、変なことを言いまして……」
「いえいえ、お気になさらず。ははは……」
「あはは……」
「「あはははははは!」」
清々しいまでの、茶番であった。
しかし、観衆を含め、この店主が悪い人間だと思っている者はおらず、皆、苦笑してスルーしてあげるだけの優しさを持っていた。
「この度は、本当にありがとうございました。
あの男性や店主はああ言っておりましたが、本当にそうなったかどうかは分かりません。最悪の事態もあり得たところ、皆さんのおかげで生薬も無事手に入り、そして男爵家の家名が傷付くこともありませんでした……」
台の上の金貨を、当初の価格である5枚を残して回収した執事が、そう言って『赤き誓い』に感謝の礼をした。角度45度の、最敬礼である。この執事にとって、『赤き誓い』は、現人神にも、そして英霊にも匹敵するのであろう。
「いいんですよ、私達が、好きで勝手に口出ししただけなんですから。
さ、執事さん、早くお薬をお屋敷に……」
ポーリンに執事さん、と呼ばれて、執事は、自分がまだ名乗っていなかったことにようやく気が付いた。
「ああっ、まだ自己紹介すらしておりませんでしたな! 恩人の方々に、何という失礼を……。
私、オーラ男爵家で執事をしております、バンダインと申します!」
「あ、私は、Cランクハンター『赤き誓い』の、ポーリンと申します」
「同じく、メーヴィスです」
「レーナよ」
「三波春夫で……、いえ、マイルです」
レーナにどつかれそうになり、慌てて言い直すマイル。
しかし、そのマイルの頭の中では、激しい突っ込みがはいっていた。
(お、オーラ家執事、バンダイン!!)