170 オーラ家 2
「店主殿も、それでよろしいかな?」
商会主にそう尋ねられた店主は、こくこくと頷いた。
それならば、商業ギルドに大きな影響力を持つ商会主からも、貴族家からも、自分が恨まれることはないし、売り値が大幅に跳ね上がりそうである。文句など全くなかった。
「では、始めますかな。まずは、言い出した私から。金貨5枚です」
そう言って、巾着袋から5枚の金貨を取り出して、店先の台の上に置く商会主。
「金貨7枚!」
続いて、取り出した巾着袋の中に手を入れて、金貨を掴み出す執事。
こういうものは、あまりちまちまと上げていくより、思い切って上げた方が、相手が早く降りる。
「金貨8枚」
金貨1枚を上積みしただけの商会主に対し、執事は思い切って積み上げた。
「金貨10枚!」
そして値はどんどんとつり上がり、遂には金貨25枚を突破した。
しかし、執事の顔に焦りの色はなかった。
(あの巾着袋の膨らみ具合から見て、金貨は多くとも30枚を超えることはないはず。おそらくは27~28枚、そろそろ尽きる頃だ。
それに対して、私は生薬の入荷量が多かった場合に備え、旦那様から20枚の金貨をお預かりし、更に不測の事態に備えていつもお預かりしている10枚、更に私個人の手持ちが金貨3枚と小金貨5枚少々。向こうはそろそろ金貨が尽きるはず……)
商会主のせいで思わぬ出費となったが、金貨の20枚や30枚、いくら下級貴族とはいえ、男爵家にとってはどうということはない。
「では、金貨27枚……、ありゃ?」
商会主が更に金貨2枚をレイズした時、その巾着袋から出てきたのは、1枚だけであった。どうやら、金貨が底をついたらしい。
(……勝った!)
執事がそう思った時。
「ええと、確かもう1枚、巾着袋をすられた時に備えて、別にしていたはず……」
そう言って、商会主がごそごそと懐を探りだした。
(1枚や2枚増えたところで、こちらの勝ちに変わりはない)
執事はそう考え、安堵に頬を緩ませた。しかし……。
「おお、あったあった! では、これで、金貨27枚分です!」
そう言って、商会主は1枚の硬貨を置くと、台の上に積まれていた金貨の山から9枚を手に取り、巾着袋へとしまい込んだ。
「「「「「え…………」」」」」
執事も、『赤き誓い』の面々も、そして観衆達も眼を剥いた。
台の上に置かれた、1枚の硬貨。それは、オリハルコン貨であった。
この世界では、白金、つまりプラチナには、ほとんど価値がなかった。
銀に似ているが、銀よりも融点が高い白金は銀用の加工設備では溶かすことができず、「偽銀」としてクズ扱いだったのである。
そしてその代わりに珍重されたのが、聖銀と呼ばれるミスリル、そしてオリハルコンであった。
稀少な金属であるそれらで作られた武器は、ミスリル製はまだしも、オリハルコン製など、普通の人間の手が届くようなものではない。地球における、プラチナで作られた剣に相当するのだから、当たり前である。
そして、そのオリハルコンで作られた硬貨、オリハルコン貨の価値は、金貨10枚に相当した。
それは、普通、一般の街中での取引に使われるようなものではなく、持ち歩く者などいない……、はずであった。
「どうなさいました? 金貨27枚ですよ?」
にたり、と笑う商店主。
「こ、これでしたか……」
ポーリンがうなり声を出した。
商会主の罠の正体が、ようやく判明した。
しかし、それは非難されるような卑怯な手ではない。商人や旅人等が万一に備えて予備のお金を隠し持つのは、ごく普通のことである。執事の読みが甘かった。ただそれだけのことに過ぎない。
執事の顔が、驚愕と狼狽、そして苦悶に歪んだ。
今回の敗北が良い勉強になった、というだけであれば、それで済む。
しかし今回は、それが主の御令嬢の命に拘わることである。
また、それを餌にして、主家に無理難題を吹っ掛けられる可能性もあった。
決して失敗や敗北が許されない勝負。それに負けた。
執事の顔は、今は絶望一色に染められていた。
「どうなさいました? 降参ですかな?」
「う……、あ……」
蒼白になり、だらだらと汗を流す執事。
「あの執事さん、このままでは、責任を取って腹を切りかねないですね……」
このあたりに「切腹」という風習があるのかどうかは知らないが、マイルがそう呟いた。
レーナ達は、マイルから聞いた『雇い主が王宮で殺人未遂を犯したため失業した者達が、逆恨みして被害者宅に押し入り惨殺した話』で、切腹というものについて説明を受けていた。
レーナ達がふと気が付くと、ポーリンの眼がぎらつき、頬がぴくぴくと引き攣っていた。
「……行くのですか?」
そして、マイルの問いに、こくりと頷いた。
「ちょっといいですか?」
再びのポーリンの参入に、もはや勝利が確定した商会主が鷹揚に頷いた。
「いいですよ。さっきのお嬢さんの言葉がヒントになってオークションを思いついたおかげで、問題が解決したのですからな。
で、今度は何の御用ですかな」
「あ、ちょっと待って戴ければそれで結構です。
マイルちゃん、遮音をお願い!」
「は~い!」
「え? それは……」
商会主の了承を得たので、ポーリンはマイルに頼んで遮音結界を張って貰った。これでポーリンと執事、商会主はそれぞれ別の結界に覆われ、互いの言葉は聞こえない。
商会主も結界で覆ったのは、ポーリンが執事と話をしている間に商会主が文句を言ったり勝手に話を進めたりしないようにとの、マイルの判断によるものである。ポーリンとしては、執事と内緒話ができれば、それで良かったのであるが。
皆の眼には、ぱくぱくと口を動かす商会主、そして何やら話し込むポーリンと執事の姿が見えるのみである。
そしてしだいに執事の眼が大きく見開かれ、何やら驚いた様子。
更に、ポーリンに対して腰を曲げ、お辞儀というよりは、軍隊の無帽時の敬礼に近い動作をする執事。深々と上体を曲げたその角度は、45度に近かった。
日本の自衛隊だと、普通の無帽時の敬礼は10度であり、45度の敬礼をする相手など、天皇陛下か殉職隊員の棺くらいしかないと聞く。ポーリンは、あの執事にとり、それだけの敬意を払うべき相手だとでもいうのであろうか?
そしてポーリンがマイルに向かって手首を曲げて見せた。遮音結界解除の合図である。
マイルは、それを見て、即座に結界を解除した。
「な、何だったのですかな、今のは……」
遮音結界など見たことも聞いたこともないであろう商会主が、不思議そうにそう聞くが、ポーリンはそれを無視した。商会主の気が変わってポーリンの介入を拒否する前に、さっさと状況を進めなければならないからである。
「皆さん!」
ポーリンは、周りを取り囲む観衆に対して大きな声で叫んだ。
「皆さん、状況は御存じですね。そこで、この執事さんが、主家であるオーラ男爵家の名の下に、皆さんからの融資を募ります!」
「「「「「えええええ?」」」」」
意味が分からず、混乱の声を上げる観衆達。
「つまり、今ここで、お金を貸して欲しい、ということです。
貸してくれた方には、この後すぐに屋敷からお金を取り寄せて、利子として同額を付けてお返しします。つまり、お金が、あっという間に2倍になるということです!」
「「「「「おおおおお!」」」」」
更にポーリンの話は続く。
「そして、そして! 皆さんの御協力のおかげで薬が手に入り、お嬢様が回復されたなら! 何と! 融資して戴いた方達全員を、お嬢様の快気祝いのパーティーに御招待致します!
恩人として貴族家のパーティーに招かれ、そして御令嬢から感謝の握手をして戴けるという、我々平民にとって夢のような機会が!
一生に亘って、何度も繰り返し話して聞かせられる、この栄誉!
とりあえず、金貨10枚分まで受け付けます、早い者勝ち!
さぁ、皆さん、このオーラ家に、ほんのちょっとずつだけ、現金を分けて下さい!」
「「「「「うおおおぉ!」」」」」
殺到する、人の波。
予想以上の反響に、顔を引き攣らせるポーリン。
慌ててポーリンの側に駆け寄り、ポーリンが人の波に飲み込まれて潰されないようガードするレーナとメーヴィス。
そしてマイルは、呆然として呟いた。
「げ、現金玉……」