157 メーヴィス・フォン・オースティン
「興奮剤か何かか? そんな物を飲んだところで、種族の違い、男女の差、そして鍛錬に費やした長き年月の差がどうにかなるとでも思っているのか?
人間の、それも年端も行かぬ小娘としてはなかなか見所があると思っていたが、安易に薬物に頼るとは。所詮はその程度か……」
魔族の剣士レルトバードは、興が削がれた、と言わんばかりの顔で、剣を構えた。
「つまらん。来い、さっさと終わらせるぞ」
そして、メーヴィスが吶喊した。
「EX・真・神速剣、1.4倍だあああぁ~~っっ!」
ひゅん!
「な!」
がきぃ!
ぎん!
きぃん!
きんきん、きぃん!
「ば、馬鹿な! 俺より速いだと! 人間が、それも、こんな小娘が!
あり得ん! あり得るものかあっ!」
レルトバードは、平静を失った。
それも、無理はない。魔族である自分が、魔術師ではなく剣士としての道を選び、長年の修行を行ってきたのだ、自信も、自負もある。それが、生まれて20年も経っていないと思われる、脆弱な人間の少女に及ばない。
信じられるはずがない。そして、許せるはずがなかった。
相手を、ではない。自分自身と、そして、この現実を、である。
「うおおおおおぉ!」
速度で及ばないのであれば、斬撃の威力で圧倒すればよい。
そうすれば、体勢が崩れ、次の動作への繋がりが乱れる。
そう思い、渾身の力で剣を振るう。
「……馬鹿な!」
そして、剣戟を中断し一歩後退るレルトバード。
「何故だ! 何故、俺より速く、そして俺より斬撃が重い!
高々20年も生きていない、ひ弱な人間の女が! 何故だあああああぁ!」
叫ぶレルトバードに、メーヴィスは静かに答えた。そう、いつものように、マイルの決め台詞のパクリを。
「何故? それは、私の心が燃えているからだ!」
「くそおおおおぉ!」
レルトバードは、剣士としての矜持をかなぐり捨てた。
自棄になったわけではない。既に自分達が2敗している以上、絶対に勝たなければならない。己の剣士としての矜持より、魔族としての義務を優先した。それだけのことである。それに、人間の小娘相手に魔族が3連敗、などという汚名を被れるはずがなかった。
そして、鋭く踏み込んだレルトバードは、魔法名のみの詠唱省略魔法を放った。
「ファイアー・ボール!」
「くっ!」
放たれた火球を避けて体勢が崩れたメーヴィスに、レルトバードの斬撃が放たれる。
それを何とか躱したものの、メーヴィスは圧倒的な不利に立たされた。
「剣の道を選んだが、俺は別に魔法が使えないというわけではない。……あまり得意ではないがな。
だが、出来得れば、剣の腕だけで戦いたかった。その点は、恥ずべきことだと思っているし、済まないと思う。だが、己の誇りを穢してでも、勝たねばならぬ時があるのだ。済まぬが、分かってくれ!」
そう言って、ファイアー・ボールと斬撃を交互に放つレルトバード。
どうやら、魔法と斬撃を同時に、というのは、難しいらしい。だが、交互に放たれるだけで、メーヴィスには攻撃の余裕が全くなく、ジリ貧状態であった。このままでは、メーヴィスの敗北は時間の問題であろう。
(考えろ! 考えるんだ、メーヴィス・フォン・オースティン!
どうすれば勝てる? もう1本『ミクロス』を飲むか? いや、多少速度が上がっても、魔法と剣撃の両方に対処していては反撃に転じるのは難しい。そして、『ミクロス』2本分を身体能力強化に充てれば、古竜戦の時のように、身体が保たずに自滅するだけだ。
何か、何か方法は……)
そしてメーヴィスは、マイルとの過去の会話を思い起こした。
そう、とんでもない案、イコール、マイル。『赤き誓い』の常識であった。今は、常識を弁えた人間にどうこうできるような場面ではない。
そして、死の間際の走馬燈のように、過去のマイルとの会話がメーヴィスの頭の中を駆け巡る。とてつもない速さで。
速さに慣れればいいんですよ
気の力で筋肉が強化されて
痛みは単なる危険信号です。だから、『それはもう分かったから!』って言って無視すりゃいいんですよ
心に棚を作りましょう!
いや、違う、それじゃない……
速度は威力の向上に
回転力というものはですね
猫っていいですよね
それも違う
気には、内気功と外気功があってですね
ドラゴンブレスって、魔法かなぁ、気功砲の一種かなぁ……
それだ!!
魔法は使えない自分であるが、気の力はある程度操れるようになっている。ならば!
そして、後ろへと飛びすさり、戦いを一時中断するメーヴィス。
レルトバードが先程下がった時に、メーヴィスは攻撃を待ってくれたのだ。なので、レルトバードも攻撃の手を止めた。
「どうだ、諦めて降参する気になったか?」
「寝言を言うには、まだ時間が早いと思いますが?」
レルトバードにそう言ってにっこりと微笑み、メーヴィスはポケットから2本の金属カプセルを取り出した。そしてそのフタを捻り開ける。
「頼んだぞ、ミクロス!」
そう言って、その2本の中身を飲み干すメーヴィス。
それを見たマイルは、一瞬何かを言いかけたが、そのまま観戦の体勢に戻った。
前回、3時間くらい説教したのだ。メーヴィスからマジで泣きが入るまで。なので今は、メーヴィスを信じることにしたのである。
「また、興奮剤か。そういうものは、たくさん飲めば効果が上がるというものではないぞ。使い過ぎは、却って心身のバランスを崩し、自滅を招くものだ」
メーヴィスは、レルトバードの言葉など聞いてはいなかった。
その頭の中は、気功砲のことで埋め尽くされていた。
(私は、撃てる。気功砲を。
火。焔。炎。私は、炎の使い手。炎を操る者なり!)
そしてメーヴィスは、お腹がぽおっと暖かくなるような気がした。
『緊急事態発生! 緊急事態発生!
腹部に高熱源体が発生、エネルギー急速上昇中! このままでは、自爆する!
発熱行為を行っている者は、直ちに胃の中心部に移動せよ。その他の者は、胃壁に沿ってシールドを形成、身体を保護せよ!』
大事な時に使用される特別な役目に抜擢されたというのに、その自分達が、魔法行使者を、本人の意図に反して害し、死なせるなど、ナノマシンの名折れ! 何としてでもその身体を護らねば!
(我と炎は一心同体。我は炎。炎は我。灼熱の炎よ、我が意志となれ!)
メーヴィスは、『私』から『我』に言葉を変えてみた。その方が、『力ある言葉』になりそうに思えたので。
しかし、ならば、もっと偉そうな言葉の方が良くはないだろうか。たとえば、皇帝のような……。
『食道部から口蓋部にかけて、反発フィールド展開! 口腔部と顔面に、反射コーティング展開!』
(余が、炎。余が、余が……)
ナノマシンがようやく防護措置を完了させた時、メーヴィスは、叫び声と共に、その口から炎の塊を発射した。
「余が、炎の化身である!」
『赤き誓い』も魔族達も、口を開けて、呆然としていた。
竜種ならばともかく、未だかつて、自分の口から火炎弾を発射した者など、人間にも魔族にも居はしなかったのであるから、当たり前である。
レルトバードも、必死で炎弾を躱した後、同じく、呆然としていた。
そしてさすがのマイルも、驚愕に眼を見開いていた。
「に、人間が吐く息で、炎を……。
ぶ、ブレスとファイヤー?」