146 宿屋 11 絶望するは我にあり
「な、なな、ななななな……」
血走った眼で、身を震わせるメリザ。
何事かと驚く宿屋勢と、全てを悟った『赤き誓い』の面々。
「あの、他にお子さんは?」
さすがのマイルも、あまりにも分かりやすいメリザの反応に、状況を察していた。
そして、そのマイルの質問に対する大将の答えは、『赤き誓い』の皆が予想していた通りのものであった。
「娘がひとりいるが、もう嫁いでいる。息子は、このふたりだけだが?」
「「「「あ~……」」」」
……終わった。ひとりの少女の、幸せな夢が。僅か数分で……。
しかし、両親が残した宿屋を守り、妹達を幸せにするという夢は叶いそうなのであるから、もっと喜んでも……、と思いはするが、『赤き誓い』のみんなは、それを本人に言える程の勇者ではなかった。
いちゃいちゃする2組のカップル。
状況が分からず、ぽかんとする大将夫婦。
そして、既に動きを止め、真っ白に燃え尽きたメリザ。
((((い、居たたまれないいぃ~!))))
夜2の鐘が鳴り、夕食の客が帰り、宿泊客もそれぞれの部屋へと戻った後。
「お邪魔します!」
元気な声と共にはいってきたラフィアと、それに続く笑顔のアリル、そして未だに呆けた顔でふらふらとふたりに続くメリザ。
……重症である。
しかし、それも無理はなかった。
宿屋と妹達の将来の心配がほぼ無くなり、張り詰めていた気が抜けたこと。
そして、一度は手に入れたと思った薔薇色の未来が、あっという間に自分の両手からすり抜けたこと。
更に、13歳と8歳の妹達に先を越され、いい男をふたりとも掻っ攫われて、ただひとり取り残された、16歳の自分。
これで、呆けるなという方が無茶である。
自分の今までの苦労は、いったい何だったのか。
妹達には、最初から幸せへの道が用意されていたのではないのか。
……では、自分のは? 自分の、幸せへの道は?
「ううううう……」
妹達に気遣わせてはならない。
そう思いはしても、怨嗟の唸りが抑えきれない。
一方、妹達も姉の心中に気付いてはいた。
しかし、さすがに自分の想い人を譲る気にはなれない。何しろ、何年もかけてやっと両想いになれた上、3年間も待ち続け、ようやく迎えたこの日なのである。
全ては、あの兄弟を自分より年下のチビと見下して、将来を見据えず子供扱いしていた姉の、自業自得なのだから。
((ごめん、お姉ちゃん。そして、見る目が無くて、ありがとう!))
そう、もし姉が本気を出して、『ひとつ年上の、素敵なお姉さん』を演じていたら、美人で口の立つ姉に対して、ふたりに勝ち目は無かったかも知れない。全ては、間抜けな姉のおかげであった。
ラフィアとアリルは、心から姉に感謝していた。
そして、自然に、ふたりの顔に笑顔が浮かんだ。
……にやり。
(((うわああああぁ! 怖ぇ! こいつら、怖ぇ!!)))
ラフィアとアリルの嗤いを見てしまい、恐怖に戦慄するメーヴィス、レーナ、そしてポーリン。
ポーリンをビビらせるとは、かなりの手練れである。
そして3人は、何も気付かずににこにこしているマイルが、今回ばかりは少し羨ましかった。
兄弟の修業終了のお祝いに集まったのは、両方の宿の者と、『赤き誓い』の面々のみである。
大将の簡単な挨拶の後、みんなで乾杯し、自由に飲食しながらの歓談……なのであるが、長男エラスンとラフィア、そして次男バイストとアリルが、それぞれ格子力バリアに匹敵しそうな結界を自分達の周りに張り巡らせていた。
そしてテーブルの上には、食事客の最後の注文が終わってから大将と女将さんが作った料理と、成人を迎えた兄弟にと提供されたお祝いのお酒。
マイル達とラフィア、アリルは、別にこの国には飲酒の年齢制限があるわけではないが、紅茶や、果汁を水で薄めたものしか口にしていなかった。
しかし、そのお酒をどんどん飲むメリザ。
ようやく事情を察したらしい大将夫婦を含め、誰にもそれを止めることはできなかった。
……危ない。
メリザ本人と結界に包まれた4人以外は、皆がそう直感していた。
「……あの、この町に『いい男』っていませんか? 若くて、カッコ良くて、稼ぎが安定していて、メリザさんのことを気に入るような人が……」
マイルが小声で、ほとんど諦めにも似た表情で大将にそう囁いた。
「いるぞ?」
「「「「えええええ~~っ!」」」」
まさかの返答!
「い、いるのですか、そんな人が!」
自分で聞いておきながら半信半疑のマイルと、レーナ達。
「メリザの奴、昔から『ハンターは食い詰め者の集団』、『いつ死ぬか分からない、やくざな稼業』とかいって、客としてはともかく、結婚相手としてはハナから相手にしていなかったからなぁ。
でも、そういった奴らばかりじゃないってことは、あんた達が一番よく知っているだろう?」
そう、ハンターの多くは「他の仕事に就けなかった者」、「身体ひとつでのし上がり、立身出世を目論む者」……ちなみに、若き貴族のAランカーとなって騎士に、という道を目指しているメーヴィスも、これに含まれる……等、メリザが忌避するタイプの者達である。
しかし、中には、親の跡を継いで退屈な人生を送らねばならない者が、若い間だけでも自由に、と、比較的安全な依頼だけを受けるパーティや、親の力で揃えられたベテラン揃いのパーティで大事に守られたりの、俗にいうところの『坊ちゃんハンター』、『接待パーティ』とか呼ばれる種類のハンター達もいるのである。決してそう多くはないが、かといって、そう少なくもない割合で。
また、店を持つための資金稼ぎとか、健康のために週に1日だけ薬草採取に、とかいう、本職は他にあり、ほとんど趣味でハンターをやっている、とかいう変わり種もいる。
もし、それらの者達の事情を知らず、メリザがただ『ハンターだから』という理由だけで交際相手の候補から外していたとしたら。
それ以外の条件、つまり、面食いらしいメリザのお眼鏡に適う外見で、しっかりしていて誠実な男が、実は『乙女の祈り亭』の常連の中にいたとしたら。
「ほ、本当にいるのですか?」
「ああ、いるな。メリザの奴は多分知らないだろうが、小さいが一応は店持ちの商人の跡取り息子だとか、ハンター仲間としてみんなと馬鹿騒ぎするのが好きでDランクハンターを名乗っているが、ハンターとして活動するのは週に1~2日だけで、他の日は貴族の子女に勉学を教えている奴とか。
他にも、金には困っていないからハンターは完全に趣味でやっていて、面白い依頼しか受けない奴とか、他にも、ま、色々いるわな」
「「「「……」」」」
考えてみれば、それもそうである。
日々の暮らしがカツカツの食い詰めハンターが、割高の『乙女の祈り亭』に毎日通えるわけがない。それも、昼食と夕食の時間帯、それぞれずっと……。
おまえら、いつ働いてるんだよ、というやつである。
「な、ならば……」
「ああ、妹ふたりに男ができたとなりゃ、メリザも焦るだろ、……というか、焦りすぎだわな、ありゃ」
そう言って、かぱかぱと酒を飲むメリザにちらりと目を遣る大将。
「では、結婚したらハンター稼業は辞めて落ち着くらしい、と聞けば……」
「ああ、あれでメリザは結構人気があるからな。本業に専念する、という条件を呑めばメリザが付き合ってくれるとなれば、そうする奴は多いだろうし、そいつらの本業を知れば、メリザも靡く可能性はある。
というか、こんな安宿の経営者よりずっと条件がいい奴がいるから、現金なメリザなら、絶対に食らい付くだろうな。何せ、追い込まれて後がないからなぁ……」
そう言って、お酒を飲み続けるメリザと、宇宙人の侵入も許さないE.T.フィールドに包まれた4人を見る大将。
昔から、姉妹と自分の息子達が、と考えなかったわけではない。
しかし、いざそれが現実味を帯びて目の前に突き付けられると、そしてまさかの長女スルーの悲劇を見せつけられると、複雑な心境の大将夫婦であった……。
「……年齢か? 年齢が問題なのか?
それとも、胸なのか? 胸が問題なのか?」
パーティの中で最高齢、かつ年齢的にそろそろ『身長ではない部分』の成長が打ち止めと思われる、『微妙な胸』のメーヴィスが、ひとりで焦っていた。
そして、それを聞いて、身長も胸もこれで打ち止めでは、との不安を抱いていたレーナが、カップと酒瓶を引き寄せてどぼどぼと注ぎ、一気に飲み干した。
「レ、レーナさん、無茶飲みは駄目ですよ!」
そう忠告する、ひとり余裕のポーリンを睨み付けながら。
そしてマイルは、暢気に構えていた。
自分には、まだ時間がある。
身長も胸も、まだまだ成長する。自分はまだ13歳になったばかりなのだから、と。
……知らないということは、幸せであった。本当に。