143 宿屋 8 反撃
ふらつきながら『乙女の祈り亭』に戻ったメリザであったが、彼女はただの小娘ではなかった。
宿屋の経営者にして、父親が亡くなった日に、自分の命に代えてもふたりの妹を守ると決意した、修羅の少女。この程度のことで折れるような、やわな心は持ってはいない。
彼女は、即座に対抗策を考え出した。
「お、お姉ちゃん、やめようよ……」
夕方、客引きのために店先へ出ようとするメリザを、ラフィアが何とか止めようとしたが、メリザの決心は変わらなかった。
「これくらい、どうということはないわよ。これで、お客さんを取り戻す!」
そう言うメリザの恰好は、膝が出る程の、この世界の普通の成人女性の常識から考えると『常軌を逸した、破廉恥な丈』のスカートに、同じく胸の谷間が見える、正気を疑われそうな服装であった。
15歳未満の未成年の子供や、運動性重視の女性ハンター、踊り子、女給、春ひさぎの女等であれば、別に珍しくはない。
しかし、それ以外の普通の成人女性の服装としては、明らかに眉をひそめられるような恰好である。
だが、妹達のためならば命を差し出すことすら躊躇しないであろうメリザにとって、そんなことは何の問題にもならなかった。
扉に手を掛け、さすがに一瞬躊躇したものの、それは僅かに1~2秒。
勢いよく扉を開け、外に向かって一歩踏み出し、そして眼を剥いて固まった。
「……最後です! この服を着るのは、本当にこれが最後ですからね!」
真っ赤な顔でそう叫んでいる、あの巨乳女の姿を目にして。
ぱっつんぱっつんなのに、胸で押し上げられておへそが丸見えの上半身。
膝から下どころか、太腿の大半が剥き出しになった足。
食い込んで、はっきりと形が分かるお尻。
それは、お馴染みの、マイルの運動着を着たポーリンの姿であった。
(痴女かッッ!)
……できない。
さすがに、まともな神経を備えていたら、あのような破廉恥な恰好ができるはずがない。
敗北感に包まれてへたり込み、地面に両手をついたメリザに、巨乳女から怒声が浴びせられた。
「う、うるさいですよ!」
……どうやら、考えていたことが口から漏れていたらしい。それも、かなりの大声で。
すごすごと『乙女の祈り亭』に戻ったメリザは、頭を抱えていた。
さすがに、女性としての矜持も尊厳も捨てたあのような恰好に対抗することはできない。そして勿論、妹達にも、あんな真似をさせるなど、論外であった。
妹達の幸せのために頑張っているのに、その妹達の評判を地に落とすような行為をしては、本末転倒である。
客は、いつもアリルに構ってくれる老夫婦を含め、ほんの数組しかいない。それくらいならばラフィアひとりで充分なので、会計カウンター席に座って考え込むメリザ。
今の経営方針を考えた時、悩みはした。両親が、祖父母が、そしてご先祖様達が守ってきたこの宿を、そのようなやり方にしてしまって良いものか、と。
しかし、蓄えは父が亡くなった時の色々なことや長期休業でその大半を使ってしまい、更に従業員の使い込みと持ち逃げで運転資金を失い、商業ギルドからの融資を受けた。借金を抱えた身で、素人料理と人手不足の状態で『荒熊亭』に対抗するためには、卑怯な手を使わざるを得なかったのだ。
今にして思えば、それが良い方法だったのかどうかは分からない。だが、それはあくまでも『後知恵』であり、あの日、あの時の状態では、それが最良の選択肢だと思ったのだ。
事実、今まではうまく行っていた。借金も返せたし、僅かながらも緊急時に備えた蓄えもできた。
だから、反省はしても、後悔はしない。
今考えるべきことは、善後策だ。
……料金を昔の金額に戻す?
確かに、いつまでも今の状態が続けられると思っていたわけではない。
常連の若い男性達も、そのうち彼女ができて、結婚するだろう。妹達も成長し、そのうち一人前になって、同情で無茶な料金が通る、という状態ではなくなる。
しかし、同じ価格にしたところで、素人料理で『荒熊亭』に対抗できるのか?
あの破廉恥な恰好の乳牛や、凜々しい素敵なお姉様、そしてほんのちょっと可愛い、ラフィアと同年代の女の子達と張り合って?
それは、あまりにも無謀で、勝ち目の薄い戦いだ……。
駆け出しハンターらしいあの子達は、ハンターのお客さんとも話が弾んでいる様子だった。
……勝てない。
全ての面において、勝てる要素が全くない。
しかし、今、何とかしないと、このまま様子を見ていたらジリ貧になる。せっかく借金を完済したのに、また融資を受けるわけには行かない。
それに、商業ギルドが今のやり方を快く思っていないことは分かっているし、今度は業績を改善して確実に返済するという目処が立たない。これでは、とても前回のような低金利の好条件での融資は受けられないだろう。あれは、ほとんど同情による特別サービスだったのだ。
そして数組しかいなかった食事客達が帰り、戸締まりをした後、メリザはベッドの中で悶々とした眠れぬ一夜を過ごすのであった。
翌日。
昼食の時間帯が過ぎ、最後の食事客が引き揚げた。
客室の掃除やベッドメイキング等は午前中に済ませてあるので、これから夕食の準備を始めるまでの間、暫しの手空きの時間ができる。
そして『乙女の祈り亭』が手空きの時間帯、ということは、当然、『荒熊亭』も同様である。
メリザは、一晩中考え、そして昨夜、いや、正確には今朝の明け方頃であるが、遂に決心したことを実行すべく、意を決すると、それを行動に移した。
元々、食事に関しては、買い物以外は全てラフィアに任せきりである。メリザがいても、あまり役には立たない。その買い物ですら、ラフィアが自分で行うことが多い。
なので、ちょっと出てくる、というメリザを、何の疑問もなく見送るラフィアであった。
そしてやってきた、『荒熊亭』。
勿論カギなどかかっていようはずもなく、扉を開けてずかずかと店の中にはいるメリザ。
「「「「「「え……」」」」」」
突然のことに驚く、客のいない食堂で打ち合わせ中であった大将夫妻と『赤き誓い』の面々。
それをキッと睨み付け、メリザが叫んだ。
「ごめんなさい! もう勘弁して下さいぃ~~!!」
そして、見事に決められた、ジャンピング土下座。
(この世界にもあったんだ、土下座……)
そしてマイルは、どうでもいいことを考えていた。いつものように。
「「な……」」
驚く面々の中でも、特に激しく動揺しているのは、大将とポーリンであった。
「や、やめてくれ! いくら話を聞いて貰うためとはいえ、卑怯な手を使ったのはこっちだ!」
「う……」
それを聞いて、呻き声を上げるメリザ。
大将は、自分のその言葉が、『乙女の祈り亭』のやり方を「卑怯な手」と弾劾したに等しいことに気付いていない。しかしメリザは、はっきりとそれを認識していた。
「や、やめて下さい!」
そして、ポーリンの言葉が大将に続いた。
「せっかく、2番手、3番手の追い込み方法を用意してあるのに、こんなに早く降参されては困りますよっ!」
……台無しであった。
(よかった! さっさと諦めて降参することにして、本当によかったあああぁ~~っっ!!)
青い顔をしたメリザは、そう暑くもないのに、だらだらと汗を流していた。