142 宿屋 7
「な……。それじゃ、何にもならんだろうが!」
尤もな主張をする大将。
しかし、ポーリンは動じた風もなく平然と答えた。
「いえ、説得が無駄ならば、物理的に追い詰めるしかありませんよ。もうあの宿屋には何の価値も無く、宿屋やお金目当てで寄って来ているのではない、と分からせないと、何を言っても無駄でしょうから。
あ、でもまぁ、本当に潰れる寸前まで追い込むだけにしておきましょうか。『潰れたも同然』か、『潰れるのは時間の問題』ということになれば、話を聞く気になるかも知れませんからね」
黙り込んだ、大将と女将さん。
そしてメーヴィスが、当然の質問をした。
「で、ポーリンの作戦を信じるとして、具体的にはどうやって追い込むんだい? さすがに、力尽く、というわけには行かないだろう? そんなことをすれば、それこそ恨みと憎しみを一身に背負うことになるし、この宿の評判が地に落ちるだろう?」
だが、勿論ポーリンがそのような初歩的な問題を見逃すはずがなかった。
「『レニーちゃん作戦』です」
「え……」
「向こうが『可哀想な美少女3姉妹』を売りにするなら、こっちもやればいいんですよ、全く同じことを」
「「ええ……」」
「ウェイトレスの仕事に加えて、レニーちゃんにやらされていたあの接客を、更に強力にしたやつを私達でやります。
母国を追われた、『可哀想な4人の美少女』が必死で働く、料金が安くて料理が美味しい宿屋。
全ての客を、戴きです!」
「「「「「えええええええ!」」」」」
こうして、悪夢の日々が始まった。
「変ねぇ……」
『乙女の祈り亭』を経営する3姉妹の長女、メリザは首を捻っていた。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
厨房から出てきた次女のラフィアが、姉に近寄り、そう尋ねた。
「うん、何か、昨日から食事のお客さんの数が伸びないなぁ、と思って……」
ラフィアも、勿論それには気付いていた。
何しろ、注文された料理は全て自分が作るのだ、気付かないわけがない。
「う~ん……。それは確かにそうだけど、客商売は波があるのが普通だし、そんなに気にしなくてもいいんじゃあ……」
メリザは長女であり、両親が残した、先祖代々伝わるこの宿屋、そして妹たちを守らねばならないという重荷を背負っているためか、ちょっとしたことでも気になり、心配する。
それは立場上仕方のないことであり、いつもその小さな胸を痛めている。……年齢的なものを指すのではなく、物理的に『小さな胸』を。
メリザ、16歳。美人で社交的。スレンダー、と言うと聞こえが良いが、言い方を変えると、微乳で寸胴、ということであった。
ウェイトレス兼会計兼客の応対担当。料理の才能は皆無である。
次女のラフィアは、13歳ながら厨房をひとりで仕切り頑張っているが、料理の腕は、まぁ、ごく普通の少女の域を出ることはない。
だが、そこが良い、という男性客が多いのも、また事実であった。
そういう男達は、恐らく、美味しい料理を食べたい時は別の店で食べ、恋人や娘に作って貰った料理を食べている、という妄想に浸りたい時にこの店に来るのであろう。そういう観点から見れば、確かにラフィアが作る料理は完璧であった。たまに失敗作が出てくることも含めて。
ラフィアは、父親が亡くなるまでは快活で元気な少女であったが、今は少し翳りがあった。
年齢相応の普通の体型なので、身長はレーナくらいである。勿論、胸はレーナより、そして姉のメリザよりもある。
今は姉妹の居住区画でお昼寝をしている三女のアリルは、出来た料理を運ばせるのは少し心配なため、専ら食べ終わった食器を下げることとテーブルの片付け等を担当している。
実戦力というより、仲間外れにされて寂しがらないようにと少し手伝わせているだけであるが、客の同情を引く、という作戦には大きく貢献していた。
『乙女の祈り亭』3姉妹、完璧な布陣であった。
そう、来生家3姉妹や八木沢3姉妹、そしてかしまし娘にも引けを取らない、鉄壁の3姉妹っぷりである。
そして翌日の夕方。
「明らかに変よ。食事のお客さんがあまり来ないし、宿泊客もほとんど来ない。
それどころか、しばらく滞在すると言っていたお客さんまでチェックアウトしてるし……。
絶対、何かあるわ!」
『乙女の祈り亭』と自分達の邪魔をする者は許さない!
父親が亡くなってから、人を信じず、宿と妹たちを守るためならば多少のことは躊躇わないメリザは、きっ、とまなじりを決して立ち上がった。
「ラフィア、お店をお願い。ちょっと出てくるわ」
「え……、あ、うん、分かった」
姉の急な態度に驚いたラフィアであるが、客があまりいないため、自分とアリルだけで充分であり、別に問題はなかった。妹のアリルも、8歳なので会計くらいできるし、値段の高いこの店にわざわざ来る客が、会計を誤魔化すようなことをするはずがなかった。
そういう者は、もっと安くて量があって美味しい店に行くから、元々この店には来ないのである。
……そう考えて、少し落ち込むラフィアであった……。
店を出たメリザは、勿論、『荒熊亭』へと向かった。
他にも飯屋や居酒屋はあるが、『乙女の祈り亭』の敵といえば、『荒熊亭』。メリザの頭の中では、その公式が成立していたのである。そして食事客だけでなく宿泊客まで減少したとなれば、『荒熊亭』を疑うのは当然であった。
僅か徒歩20秒の距離である。すぐに『荒熊亭』の入り口に着いたメリザは、そっと入り口の扉の外から聞き耳を立てた。
「はい、望まぬ縁談を薦められ、貯めていたお小遣いと、護身用にと1本の剣を掴み、その他は着の身着のままで家を飛び出して……」
「後妻と連れ子に苛められ、邪魔者として殺されそうになったため、必死で逃げ出して……」
「盗賊に行商人である父を殺され、その後お世話になったハンターの人達も護衛任務中に全滅し、身寄りがなくなって……」
「盗賊に父を殺され、お店は盗賊を雇った番頭に奪われて……」
「みんな、苦労したんだねぇ……。でも、もう大丈夫だよ! この町にいる限り、俺達が守ってあげるから、もう何の心配もないよ!」
「そうだとも! 安心して、ずっとここで働いていればいいからな!」
「いや、ずっと、はないだろう。誰かと結婚するまで、だよな?」
「ちげぇねぇ! わはははは!」
「「「「あはははははは!」」」」
(な、何じゃそりゃ~~!!)
中から聞こえてくるのは、数日前までは毎日のように『乙女の祈り亭』に食事に来てくれていた常連連中の声であった。
(う、裏切り者……)
そう思いながら、メリザがそっと、ほんの少しだけ扉を開けて隙間を作り、そこから中を覗いてみると、数日前に『乙女の祈り亭』に宿泊した少女達の姿があった。
(あ、あいつら……。ぐぬぬぬぬ……)
自分の不幸をネタにして人気取りとは、ゲスの極み!
そう思ってギリギリと歯噛みしていて、ふと気が付いた。
(……私達と同じだ……)
愕然とするメリザ。
自分達がやっていることを、それによって割を食っている者の立場で突き付けられた。
それも、自分達より遥かに手際よく、効率的に。
「マイルちゃん、さっきの『岩トカゲのカラアゲ』、もう1皿!」
「馬鹿、それ注文すると、マイルちゃんが厨房に引っ込んじまうだろうが!」
「あ……。いや、でも、アレ美味しいから食べたいんだよ、エールにメチャ合うだろ?」
「確かに……。しょうがない、じゃ、カラアゲ頼みたい奴は、今、一度に頼め! そうすれば、マイルちゃんの手間が省けるだろう?」
「じゃ、俺も!」
「俺も!」
「俺、2皿!」
そして次々と注文が続き、マイルと呼ばれた、ラフィアより年下らしき少女が慌てて厨房へと去っていった。
ラフィアより年下の、料理が得意らしい少女。
ラフィアと同じくらいの年齢の、客の頭を叩いている、元気そうな赤毛の少女。
自分と同年齢くらいで、商人らしき客と何やら難しそうな話をしている、きょ、巨乳の女。
そして、ハンターの剣士達と剣技について話し込んでいる、男装の麗人。
……勝てない。
愕然としたメリザは、そっと扉を閉め、ふらふらと力ない足取りで『乙女の祈り亭』へと戻るのであった……。