140 宿屋 5
いつもの駄弁りでしばらく時間を潰し、そろそろいい頃合いかと、1階の食堂へと向かう『赤き誓い』一行。
階段を降りると、食堂の灯りは最低限に絞られ、厨房では洗い物や片付けを終えた大将と女将さんが、明日の仕込みを終えて最後の点検をしているところであった。
「ん? 何か用か?」
「あの、『乙女の祈り亭』についてお聞きしたいんですけど……」
厨房から出てきた大将に、マイルは直球ド真ん中を投げ込んだ。
「何? お前達、あそこと何か関係があるのか? それとも、誰かに頼まれたのか?」
少し怖い眼をする大将と、話を聞きつけて慌てて厨房から出てきた女将さん。
「何も関係ないし、誰にも頼まれてないわよ。ただ、面白そうだから事情を知りたいだけよ」
「何だそりゃ……」
あまりにも身も蓋もないレーナの言葉に、がっくりと肩を落とす大将。
しかし、何か思惑があるのなら、こんなあけすけな言い方はしないだろうと思い、本当にただの子供の好奇心かと、警戒心は緩んだようである。
「無関係の者にぺらぺらと喋るようなことじゃない。そっとしておいてやれ」
そう言う大将であるが、勿論、それで簡単に引き下がるような4人ではなかった。
「あの店の関係者か、と言われれば『関係者ではない』と答えますけど、この件に全くの無関係で、事情を知る必要のない者か、と言われれば、否、と答えますよ」
「何……」
そう言ったポーリンの方を向く大将。
「だって私達、あそこに1泊して、バカ高い宿泊費と食事代を払ったのですからね。充分関係者で、理由を知る権利がありますから!」
ムキになったポーリンの言葉に、苦笑する大将と女将さん。
そこに、マイルが口を挟んだ。
「『乙女の祈り亭』のこともお聞きしたいのですが、その前に、聞いておきたいことがあります!」
「な、何だよ?」
「どうして、そんなに若くて美人の奥さんが貰えたんですか?」
「う、うるさいわ!」
色々とぐだぐだして、結局、根負けしたのか、大将達は『乙女の祈り亭』について話してくれた。
そして大将の話によると、経緯は次のようなものであった。
2軒の宿屋は、ずっと昔から今の場所で営業しており、ライバル店ではあるが、関係は良好であった。
同業者なので、悩みや困る点がほぼ同じであるため、互いに相談したり助け合ったりして、両親の世代も、そして祖父母の世代も、ずっと仲が良く、良き友人同士として付き合ってきた。
そして大将と『乙女の祈り亭』の息子ディラス、そして近所の雑貨屋の三女アイラの3人は、歳が近いこともあって、子供の頃から幼馴染みとして仲良くしていたらしい。そう、結婚適齢期になるまでは……。
「で、その雑貨屋の三女、アイラさんが、女将さん、と……」
「いや、違うぞ」
マイルの言葉を即座に否定する大将。
「そんなはずないでしょうが! 純真な子供の頃から刷り込んでおかなくて、あんたがこんな美人に結婚して貰えるはずがないでしょうが!」
「どこまで失礼なんだよ、お前ら!」
レーナのあんまりな言い様に、さすがの大将も呆れ果てていた。
「リリーゼは、まだ宿の経営は俺の両親がやっていた頃、俺が食材と薪を取りに行った森で出会ったんだよ。そこで、魔物に襲われていたリリーゼを、俺が命懸けで助けたのが切っ掛けだ」
「やはり、出会うのは森の中なのですね。クマだから……」
「うるさいわ!」
マイルの茶々入れに、吠える大将。
「おお、それは素晴らしい! 大将さんは、まさに、女将さんにとっての騎士だったわけですね!」
そして、称賛するメーヴィスに、少し恥ずかしそうに鼻の頭を掻く大将。
「で、その魔物は何だったのですか? ゴブリン? コボルト? まさか、オークというようなことは……」
続けられたメーヴィスの言葉に、うっ、というような顔をして視線を逸らす大将。
皆が怪訝な顔をしていると、大将の代わりに、横から女将さんが答えてくれた。
「あの、『角ウサギ』という、獰猛な魔物だそうで……。
あまり大きくないし、角にさえ気を付けていればあまり危険はないのかと思い、近くにいた1匹の角ウサギをあまり気にしていなかったのですけど、『危ない! それは「猛毒凶暴地獄角ウサギ」です、気を付けて!』と叫びながら駆け寄って、命懸けで退治してくれたのが、主人でして……」
酷い詐欺を見た。
汚物を見るような眼で大将を見る、メーヴィス。
呆れ果てた顔のレーナとマイル。
そして、『なかなかやりますね……』と、少し感心したかのような顔のポーリン。
「見たところ、女将さんはお前より10歳以上若そうではないか! 当時、いったい何歳だったというのだ! そ、それを……。
き、貴様、それは犯罪行為では……」
メーヴィス、既に大将をお前、貴様呼ばわりである。どうやら、一度は感心しただけに、許せなかったらしい。
しかし、今にも立ち上がって大将の襟首に掴み掛かりそうなメーヴィスに、女将さんからフォローがはいった。
「いえ、最初から分かっていましたよ、勿論。
王都に住む深窓の御令嬢じゃあるまいし、このあたりに住んでいて、角ウサギのことを知らないはずがないでしょう。
あ、機転の利く、面白い人だな、と思いまして……。それと、どうしても私と話す切っ掛けが欲しかったんだろうな~、と思うと、本気なのか冗談なのか分からない、そのあまりにもお馬鹿な口実が、何か、可愛く思えたもので……」
「な、なっ! お前、気付いて……」
「当たり前でしょうが、お馬鹿なクマさん!」
ふふっ、と微笑む女将さんと、愕然とした大将。
そして、互いに見詰め合うふたり……。
「うがああああぁ~~! そういうのは、後で、ふたりきりになってからにしなさいよぉ!」
他人のイチャイチャなど、見たくもない。特に、クマのは。
皆、レーナの叫びに、心から賛同していた。
「話が逸れちゃったじゃない!
で、大将が嫁を自力調達したということは、あとのふたりがくっついたワケね?」
レーナの指摘に、こくりと頷く大将。
「それぞれが結婚しても、俺達の仲は変わらなかった。仲良しの3人にリリーゼが加わり、子供も生まれ、順調な暮らしだったんだ、……5年前、アイラが流行病で亡くなるまでは。
俺達夫婦も、子供の面倒を見たり、色々と手助けはしたんだが、やはり色々と大変だったみたいでな……」
「「「「…………」」」」
「そして、昨年、ディラス、彼女達の父親も亡くなった。
長女のメリザちゃんが15歳、末っ子のアリルちゃんはまだ7歳だったというのに……。本当に、あの馬鹿野郎が……」
大将は、悔しそうな、そして悲しそうな顔で言葉を絞り出した。
「そして、それだけじゃ済まなくてな……。
アイラが亡くなった後、まだ幼かった3人の面倒を見ながらひとりで宿の仕事ができるはずもなく、ディラスはそれまで雇っていた若い料理人に加えて、近所のババアをウェイトレス兼会計係として雇ったんだ。
子供達は長女のメリザが店の手伝い、次女のラフィアが手伝いと妹のアリルの面倒を見て、何とかやっていたんだが、ディラスが亡くなった後、あいつらがやりやがった。
両親が残した店を守るためと、自分達が離ればなれにならずに一緒に暮らしていけるようにと、何とか店を続けられるように姉妹が悲しみに耐えて懸命になっている時に、ババアが店の金を使い込んで、その上、運転資金を持ち逃げしやがった。
そして、苦境に立った姉妹に、雇われ料理人が姉妹を自分のものにして店を乗っ取ろうとして、手を出そうとしやがった。3人全員に……」
「「「「うわぁ……」」」」
昨日から何度もドン引きの4人であるが、最大のドン引きであった。
((((せめて、長女だけにしておくべきでは……))))
そう思う4人であったが、勿論、そういう問題ではなかった。
「ババアは捕まったけど、お金は戻らなかったし、料理人は姉妹と馴染み客のみんながボコボコにして追い出した。
そして人間不信になった姉妹は、もう人を雇うことはなく、自分達だけで宿と食堂を続けることにしたんだ。
必死で頑張る姉妹に、事情を知った街の者達がそれとなく助けてやったり、商業ギルドも宿屋を担保にして破格の条件で融資してやったりして、まぁ、姉妹が普通に暮らしていける程度の稼ぎは出せるようになったんだが……」
「なったんだが?」
マイルの合いの手に、大将が、少し顔を顰めながら答えた。
「……調子に乗った」
「「「「あ~……」」」」