135 裁定
さすがに、『赤き誓い』の名も、他国までは広まっていないようであった。
まぁ、卒業検定やら、その他色々で若干やらかしはしたが、所詮は新米のCランクハンターである。他国まで名が広まっている方がおかしい。国内ですら、直接卒業検定を観た者が多い王都でならばともかく、地方の街では、殆どの者は『赤き誓い』の名など知らないだろう。
まだ、『ミスリルの咆哮』のリーダーを破ったベイルの方が、少しは名を知られている可能性がある。そう、マイルの計画通りに……。
そして、いよいよ店主の処遇である。
常識的なことや定常作業ならばともかく、こういう話となると、レーナやポーリン、そして勿論メーヴィスも、苦手であった。
なので、全てマイルに任せることにした。元々、香辛料関連は全てマイルの裁量の範囲内であったし。
そしてマイルは、少し考えた後、店主に向かって言った。
「……金貨12枚です」
「「「「「「え?」」」」」」
マイルの言葉に、皆、呆気にとられた顔をした。『赤き誓い』の面々以外は。
「……今、何て言った?」
「いえ、ですから、金貨12枚、と」
「「「「「…………」」」」」
護衛ハンターのリーダーの問いにマイルがそう答えると、沈黙が広がった。
「どうしてだよ!」
そう怒鳴るリーダーに、マイルは自分がそう決めた理由を説明した。
「だって、店主さん、根っからの悪い人じゃないみたいですから……。
たまたま、どうしても欲しい香辛料が手に入るチャンスが目の前にあったから、魔が差しただけで……」
「普通の、真っ当な人間なら、そこで魔が差したりしないんだよ! 今回魔が差したなら、もしまた同じようなことがあったら、次回も魔が差すんだよ、そういう奴は。
そして次回は、今回の経験を生かして、正規の依頼じゃなくごろつきを雇うかも知れないし、狙われた被害者はお前達のように強くはないかも知れない。それこそ、ごろつき連中の拷問に晒されたり、冤罪で犯罪者に仕立て上げられたりするかも知れないんだぞ。分かってんのか、そのあたりのことを!」
確かに、その通りであった。
しかしマイルは、リーダーのその言葉を一蹴した。
「大丈夫ですよ。店主さんは、充分反省しているようですから、二度とおかしなことは考えませんよ。
それに、この特殊な香辛料は、私が収納に入れて持ってきたものですから、このあたりでは仕入れられませんし、店主さんが生産者から購入することも、絶対にできませんから。
それに……」
「それに?」
「またこんなことをすれば、私達がやってきます。そして、この香辛料を店主さんの口に押し込みます。今、木桶に入っているのと同じだけの量を……」
それを聞き、ガクガクと震える店主。
それは精神的にも肉体的にも『死』を意味しているので、当たり前である。
護衛のハンターのリーダーも、それを見て苦笑していた。
「もう二度とこんなことをしないと誓うならば、まぁ、いいんじゃないかな、って。
店主さんを警吏に引き渡しても、盗賊じゃないんだから褒賞金も出ないし、香辛料も売れないしで私達は儲けにならず、そしてこの街は1軒の食堂を失うだけで、誰も得をしませんからね。
それくらいなら、少しペナルティを与えて、見逃してあげてもいいんじゃないかと思うんですよ」
「ペナルティ?」
「はい、たとえば、皆さんが依頼料の他に金貨をひとり1枚ずつ、合計5枚、迷惑料として受け取る、とか……」
「「「「「おおおっ!」」」」」
「じゅ、充分反省しているなら、み、見逃してやるのもいいかも知れないな、確かに!
人間たるもの、慈悲の心を忘れちゃいかんからな!」
マイルの提案を聞くやいなや、リーダーも他のパーティメンバーも、態度を豹変させた。
そしてマイルが店主の方に目をやると、店主はこくこくと全力で頷いていた。どうやら、話は纏まったようである。
マイルが最初に出した木桶以外の香辛料を収納すると、店主が『あ……』という声を漏らしたが、マイルはそれをスルーした。さすがに、店主も追加購入を持ち掛けるほど心臓が強くはないようであった。
それに、マイル達がそれだけしか売る気がないのは、最初に木桶1杯分の香辛料しか出さなかったことからも明白であるし、店主達は、この香辛料はマイルが遠方の国で仕入れたものであり、簡単に補充することはできないのだと認識していたため、追加の申し出を自重するのは当たり前のことであった。
先程マイルが言った『このあたりでは仕入れられない』というのも、『収納に入れて持ってきた』というのも、決して嘘ではない。
自分達で作ったのであって他者から仕入れたわけではないし、森からここまで収納に入れて運んだのだから、全て本当のことである。それを聞いて勘違いした者がいたとしても、それはマイル達の責任ではない。
そして、店の奥にある隠し金庫から革袋を出してきた店主から、『赤き誓い』は12枚、護衛のハンター達は5枚の金貨を受け取り、依頼完了のサインを貰った。彼らの護衛依頼料は事前にギルドに供託されているので、依頼完了報告によりギルドで受け取ることとなる。
「……どうする?」
「どうしましょうか……」
あの食堂を辞した後、ギルドで依頼完了の報告をした『赤き誓い』のみんなは、依頼ボードの近くで相談をしていた。
当初は、この街には数日間滞在しようと思っていたのであるが、香辛料の件が終わった後、他に面白そうな依頼がないのである。
面白いかどうかで仕事を選ぶなど、他のハンターに聞かれれば怒られそうな話であるが、『赤き誓い』はお金には困っていない。そしてこの旅は、古竜の件もあるとはいえ、それはあくまでも『ついで』であり、主目的は、ランク上げのための修業とポイント稼ぎ、そしてみんなで楽しい日々を過ごすことである。
場合によっては、単調な下位の魔物討伐や採取等の依頼も受けないこともないが、できれば、何か変わった面白い依頼や、修業や経験になることをやりたい。
乙女にとって、時間は貴重なのである。無駄なことには費やせない。
そう、マイルが言うところの、アレである。
『普通の女の子に戻りたい!』
ではなく、
『私達には、時間がないの!』
というやつである。
そして。
「次の街へ行きましょうか……」
「ああ、そうしようか」
「そうですね」
「……早くこの国を出て、安心したいです」
全員の意見が一致して、国境を目指すこととなった。
ここは既にかなり国境に近く、隣国まではそう大した距離でもない。
「じゃ、一度宿に戻って、発つことを伝えてから、すぐに出発するわよ」
「「「おお!」」」
そして数日後。
香辛料の入荷が途絶え臨時休業となっていた『カラミティ』が営業を再開し、味はやや落ちたものの、香辛料をふんだんに使った新メニューと大幅な値下げにより、庶民にも手が届く料理店として大繁盛した。
但し、『たまたま香辛料を安く仕入れられたことによる、一時的なもの。今回の仕入れ分を使い果たした後は、元の味と値段に戻ります』との張り紙があり、これは期間限定であった。
そして他の料理店は、『カラミティが香辛料を格安で入手できたのは、ハンターに依頼したからだ』との情報を入手し、皆が一斉にハンターギルドに香辛料購入の依頼を出したが、その依頼を受けてくれるハンターが居ようはずもなかった。
そして他の料理店が『ひとつのパーティが納入した程度の量ならば、すぐに尽きて、正規の品が届くまで再び臨時休業になるだろう』と予想していたにも拘わらず、『カラミティ』の期間限定セールはなかなか終わらなかった。再発注したいつもの香辛料が、遠方からようやく届いた後も。
そう、それは、あの香辛料は粉末のまま料理に使うにはあまりにも強烈過ぎ、かつ危険であると思った店主が色々と試してみたところ、水には溶けにくいが油やアルコール、酢には溶けやすいということに気付き、それらに溶くことによって、使い勝手が良く、かつ使用量を減らすことができるようになったからである。
何しろ、カプサイシンの純粋結晶である。かなり薄めても、充分にその辛味を発揮した。そのため、かなりの長期間に亘って使い続けることができたのであった。
その後、高級食堂『カラミティ』の店主は、特殊香辛料の最後のひとつかみ分を小さな薬壺に入れ、大切に隠し金庫の中に保管した。そして、辛い時や誘惑に駆られそうになった時には、金庫から出したその薬壺をしばらく眺め、そして再び仕事に戻るのであった。
小さな壺を眺めている時に店主が何を考えているのか。それは、本人以外の誰にも知ることはできなかった。