131 地獄を避ける者、自ら突っ込む者
「じゃあ、そろそろ吐いて貰おうかしら」
「え?」
森に着いてすぐに、マイルの肩をポン、と叩いたレーナの言葉に、キョドるマイル。
「あんたが、自分の料理用に溜め込んだ香辛料を渡して依頼完了、なんてことをするはずがないでしょうが!
さぁ、何を企んでいるのよ? 探知魔法でトウガラシの群生地でも見つけるの? それとも、盗賊を襲って、奪われた香辛料を取り戻すの?」
メーヴィスとポーリンも、マイルがどちらを選ぶのか、ワクテカして見守っていた。
「どっちもしませんよ! 大体、このあたりにそんな群生地があるわけないし、盗賊も、どこでどんな盗賊に襲われたかも分からないのに、捕まえられるはずがないでしょうが!」
……尤もな主張であった。
「「「なんだ……」」」
そして、落胆する3人。
かなりマイルに毒されていた。
「というわけで、香辛料を作ります」
「「「えええええ~っっ!」」」
しかし、まだ毒され方が不十分なようであった。
「じゃあ、ポーリンさん、このお鍋の中に、『ウォーターボール・ウルトラホット』をお願いします。溢さないように、そうっと、ですよ、気を付けて……」
そう言われ、マイルが収納から出した大鍋に向けて、慎重に魔法を出すポーリン。
「ウォーターボール、ウルトラホット……」
たぷん
大鍋いっぱいに満たされた、どぎつい赤色の液体。
つぅん、とした香りが漂ってくる。
「さて、これをどうやって分離するか、なんですけど……」
マイルは、考えついたのである。
匂いから、明らかにカプサイシン系と思われる、ウルトラホット系の魔法。
その魔法により現出した液体は、物質として存在する。ということは、カプサイシン成分を分離すれば、香辛料として使えるのではないか、ということを。
この物質が、分子変換により生成されたのか、どこかから転送か何かで持ってこられたのかは分からないが、今現在ここにあるのだから、深くは考えない。
香辛料の辛味成分は、唐辛子、ハバネロ系のカプサイシンの他、わさび、辛子、ニンニク系のアリル化合物等もあるが、アリル化合物は揮発し易いため料理での使用場面は限られる。
また、香辛料には、その他にもナツメグ、ショウガ、桂皮、クミン、コリアンダー、山椒、シナモン、セージ、タイム、ミョウガ、ローリエ等、様々なものがあるが、恐らくあの店主が求めているのは、主にカプサイシン系であろう。それさえ充分あれば、他のものは何とでもなる。
そう考え、ポーリンにウルトラホットの魔法を使わせたマイルであったが……。
「煮立てれば、いくらアリル化合物とは違って揮発性がなく化学的に安定しているとはいえ、多少は辛味が落ちるかも。それに、熱を加えて蒸発させていては、時間がかかるかも……」
大量生産のためには、鍋に数杯程度では僅かしか採れず、沸騰・蒸発による精製では効率が悪いかも知れない。そう考えたマイルは、知恵を絞った。
そしてついに、画期的な方法を思いついたのである。
「そうだ! 昔読んだ近世・近代物理学の本に載っていた、あの方法なら!
『ラブプラスの悪魔』! あ、いや、あれは違う方か。あれは『全てのプログラムを知っているような知性的存在がいれば、その恋愛シミュレーションゲームの結果は全て予測される』云々、だっけ。それじゃない方!
そう、確か、『生温いコーヒーをふたつに仕切って、その仕切りに開閉できるシャッターを付ける。そしてそのシャッターの開閉を万能の悪魔に任せ、運動速度が速い分子が右から左へ行く時と、運動速度が遅い分子が左から右へ行く時だけシャッターを開ける、という指示を与える。そうすれば、何らのエネルギーを与えることなく、熱いコーヒーと冷たいコーヒーに分かれることとなり、エントロピーが減少するという現象が生起する』、この原理を利用すれば……。
あ、そうそう、確か『マックスウェルコーヒーの悪魔』だったっけ、この理論……。
まぁ、実際には情報の消失、ということでエントロピーは増大するそうだけど、そんなことは関係ない! 何せ、作業は、悪魔ではなくナノちゃん達がやってくれるのだから……」
ざわっ
ざわ……ざわ……
何やら、付近の空間がざわついているような気がした。
しかし、マイルは気にせず、魔法を行使しようとした。
「鍋の一部をナノマシンによる薄い膜で仕切り、水分子とカプサイシン分子を見分けてシャッターで分離……」
ぎゃああああぁ~!
……何か聞こえた。
「……するのはやめて、ナノちゃんたちの好きな方法で、カプサイシンを分離して。
あ、水分は要らないからね、捨てちゃっていいよ」
シュン!
次の瞬間、大鍋の水分は姿を消し、鍋の底には少量の赤い粉末のみが残っていた。
(そんなに嫌だったのかなぁ、あの分離方法……)
首を傾げるマイル。
当たり前であった。そんな気の遠くなるような方法、さすがのナノマシンでも、音を上げるであろう。
ちなみに、カプサイシンは白い粉末結晶であるが、それでは辛味のイメージに合わないと考え、ナノマシンが自分達の判断で赤い色素成分も残してくれていた。さすがであった。
「さっきから、何、わけの分からない独り言言ってんのよ!
……で、これがその、魔法で作った香辛料、ってわけね?」
そう言いながら、レーナは鍋の底からひと摘まみして、ぺろりと舐めてみた。
「ぎゃああああぁ~~!!」
カプサイシンの純粋な結晶である。辛さを表す数値、スコヴィル値は約16,000,000。
ちなみに、普通のタバスコが、スコヴィル値2,500~5,000であり、その約3,200~6,400倍である。とても、人間に耐えられる辛さではなかった。
勿論、マイルは慌てて止めようとしたのであるが、一歩遅かった。
「……! ……!! …………!!」
最早、声も出せずに悶絶寸前で、地面を転げ回るレーナ。
自分も味見しようとして手を伸ばしかけていたポーリンは、蒼白になって固まっていた。
「レ、レーナさん、口を開いて! 舌をいっぱいに突き出して下さい!」
レーナは、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、気力を振り絞ってマイルの指示に従い、思い切り舌を突き出した。
「アイス・ウォーター!」
マイルは、レーナの舌に魔法で出した水流を当てた。
カプサイシンは、舌の温度を感じる部分と痛覚神経を刺激するため、とりあえず冷水で冷やして感覚を鈍化させると共に、強い水流で洗い流すのである。そして次に。
「加熱!」
カプサイシンは水には溶けにくい。しかし油には溶けやすいため、アイテムボックスから取り出した食用油を温めて、それで舌を洗う。そして最後に。
「これで、舌を洗うようにしながら、ちびちびと舐めるように飲んで下さい!」
そう言って、アイテムボックスから取り出した、温めたまま入れていたホットミルクをレーナに手渡した。
そして連続したマイルの処置により、なんとか最悪の山場は越えたものの、まだまだ苦しみが続くレーナであるが、さすがにマイルに文句を言うわけにも行かず、ひとりで苦しみに耐え続けるのであった。
そしてそれを見ていたマイルは、とある少年探偵の話を思い出していた。
ぺろり
「むっ、これは青酸カリ!」
ばたり