第7話:沢村玲次、かく語りき
手前味噌になりますが、大学時代、僕はかなり優秀な学生でした。教授の信頼も厚かったし、論文に対する外部の評価も悪くなかった。
そんな学生が一番に志望する、今もっとも熱い研究分野が分かりますか?
「CAMP、ですか。」
そう、CAMP関連分野の研究です。治療法の発見は世界的な緊急課題で、成果を上げれば正に歴史に名が残るでしょう。さらには付加価値までついている。
変異者の引き起こす不可思議な現象がそれです。
例えば、先ほどの田中友幸君。彼は保護されて以降、一切の栄養を与えられていない。通常ならとっくの昔に餓死しているはずです。しかし、各種の薬品以外は摂取していないにもかかわらず、実際に彼の体は肥大化し、その体内には高温を発する機関が存在することが確認されています
無から有を生み出すごときこのメカニズムが解明されれば、それはすなわちエネルギー分野をはじめとした幅広い技術を革命的に進歩させるでしょう。
「それは、そうかもしれませんね。」
そう言う現場に野心にあふれ、自信満々な若造が乗り込むわけです。「俺ならやれる。いや。俺にしかできない。」なんて思いを抱えながらね。
僕は研究に没頭しました。
既に安楽死させられた変異者から組織を採取、そして分析。さらには実験。毎日、朝から晩までね。
その繰り返しの中で、少しずつ何かが麻痺していくことにも気づかずに、僕は愚かにも充実感を感じていたんですよ。
そんなある日、研究基地に一人の変異者が保護されてきたんです。体内で高圧電流を発生させる能力を持った少年だった。
当時はちょうど保護された変異者が少なかったようです。実際、僕が入所してから初めてでした。そのため彼が来た日は研究所が一気に活気づいた。
僕は一層研究に取り組んだ。無我夢中だったといってもいいでしょう。組織を採取し分析、実験を立案し、会議にかける。徹夜も珍しくなかったが、眠気なんか感じなかった。
初めての生きた変異者。CAMPの対処法、新時代の発電方法。すべてを自分の物だと。
問題が難しければ難しいほど、その先にある栄光の輝きを証明しているようにも思われた。
「それで、どうなったんですか。」
少年が保護されてきて1月ほどが経った日曜日でした。僕はその日も研究所基地に籠ってました。勢いよく始まった研究も成果がなく、少年の変異も進行して安楽死の検討までされるようになっていた。
流石にそのころになると最初のゴールドラッシュのような活気はなくなって、僕以外には当直の班がいるだけ。
僕は今までの実験のデータを見直しながら、なにか見落としに気づかないか。天啓のようなアイディアが沸かないものかとウンウン言っていた。
とは言っても、そんなに都合よく起死回生のアイディアが出るわけもない。行き詰って、気分転換にコンビニにでも行こうと思ったんです。
散歩がてらちょっと離れた店まで行こうと外に出ると、門のところで誰かが騒いでいる。
見ると、女性が一人。門のところで守衛に止められている。何を言っているのかまでは分かりませんでしたが、今にも縋りつかんばかり。守衛はといえば乱暴にするわけにもいかず、少々困っているようだった。
声を掛けたのは、ほんの気まぐれです。
守衛は露骨に「助かった」って顔をしていましたがね。
それで、近くで女性の顔を見て驚きました。彼女は僕たちが担当している変異者の母親だったんです。資料の写真よりも少し痩せてはいましたが。
どこからか息子の消息を知り、一目会いたいとやってきたと言う。本来なら許されることはありません。
でも、僕は面会させてあげることにしました。日曜で職員は少ない。それに、もしバレても、精々が訓告どまりだと計算していたからです。
どう思います?
「素晴らしいことだと思いますけど。規則を破ったのはよくないかもしれないですが、親子を再会させてあげたんですよね。」
反応が、見たかったんです。
「え、」
あの時の僕は、その親子に欠片も同情していなかった。
ただ、肉親と対面することで、変異者に何らかの反応が見られることを。そこから得られるデータを期待していたんです。
それでも、僕の行いは素晴らしいものでしょうか。
「………」
続けますね。
面会をさせると言っても、息子の方は既に高圧電流の塊と化している。意識もなく、もちろん出力をコントロールすることもできない。当然、窓越しでの面会、インターフォンでのやり取りとなったわけです。
変わり果てた息子の姿。それでも母親はためらわなかった。一目散に駆け寄ると、何か必死に話しかけ始めた。僕は少し離れて変異者の様子と彼に取り付けられたセンサーの目盛りを気にしていた。
その時、母親がどんな話をしていたと思いますか。
「それは、やっぱり『愛している。』とか」
普通はそうかもしれないですね。でも、彼女は違った。彼女のしていたのはくだらない世間話でした。
隣の犬が子供を産んだ。とか、晩のおかずをうっかり焦がしてしまった。なんていうことを楽しそうに話していた。少々、意外に思ったのを覚えています。
ひょっとしたら、精神が不安定になっているのかも。とも思いました。だから、なにかあってもいいように、すぐに彼女を制止できる距離まで近づくことにした。
そこで気が付いた。
彼女の目から、あふれる涙に。
せめて、少年の前では笑顔でいようと決めていたんでしょう。明るい口調で、笑顔で、楽しい話を。
あんなに悲しい笑顔を見たのは、初めてだった。
我に返ると、僕は全身に滝のような汗をかいていた。思い出したんです。目の前にいるのが、モルモットと同じ実験動物ではないことを。人であり、年端もいかぬ子供であることを。
衝撃でした。大げさでなく、地面が崩れていくような気がしていた。
いつの間にか、僕は子供を使った人体実験を当たり前の行為として、受け入れていた。
そこは人間として、超えてはいけない一線のハズだったのに。必要悪として受け入れるとしても、悪であることは忘れてはいけなかったのに。
観月さん、僕はその時まで、自分が善良な人間だと思っていたんです。
「それが、間違っていたと?」
まるで、『ジキル博士とハイド氏』みたいでしょう。
誠実で勤勉な研究者が、いつのまにか人を人とも思わないマッドサイエンティストになっていたんです。
僕は自分の変身にも気が付かない、間抜けなジキル博士だった。
「その後、どうしたんですか。」
どうもこうも。母親は夕方に帰宅し、僕は研究をつづけた。少年は次の週には安楽死になった。
その後で色々と考えた結果、一度研究から距離を置くことにした。
「それで、対策庁に入ったんですか。」
ええ、自分には研究者の資格がないと思ったんです。そして、現場に立とうと。変異現象の最前線に。
「それは、また何故ですか。」
もう一度、研究者になるためです。
僕は、今までに29人の処置に関わりました。名前、年、家族構成、最期の言葉、すべて覚えています。忘れられるようなものじゃないですからね。
いずれ研究に戻ったとき、きっと彼らが僕の道を正してくれるはずです。
~店内には、有線放送だけが低く流れている~
沢村は語り終えると、最後に残ったコーヒーを飲みほした。皿の上では手の付けられなかったトーストが静かに湿っている。
「そろそろ、行きましょうか。」
そう言った沢村の声は、既に普段の温度と変わらぬものになっていた。
「沢村さん、最後にもう一つだけいいですか。」
「僕に答えられることなら。」
「初日もそうでしたけど、今日も取材を手伝ってくれたり、踏み込んだ話を聞かせてくれたり、どうして私に良くしてくれるんですか。」
既に彼の中には答えがあったのだろう。沢村はそれほど考えることもなく口を開いた。
「一言でいえば、世間はもう一度CAMPと向き合うべきだと考えているからです。」
「CAMPと、向き合う。」
沢村は肯いた。
「突然の発生から、今日まで。社会はCAMPから必死に目をそらせることで平穏を保ってきました。意図的に期間を長くした『保護期間』のトリックが良い例です。恐らく、それは最初の10年を乗り越えるのに必要だったのでしょう。」
「今は、もう必要ないと?」
「世界中の科学者が10年間も取り組んで、未だに治療の糸口さえ見つかっていない。長期戦は確実です。それを戦い抜くために、今一度、CAMPを真正面から見つめなおす時期に来ていると思うんです。そして、」
沢村は笑みを浮かべた。柔和でありながら、どこか強固な知性を感じさせる表情だった。
「それは、研究者や現場の職員ではなく、ジャーナリストの仕事だと。」
店内は、時間がたった分だけ客が減り、少しばかりガランとしていた。