第6話:広川CAMP研究基地
「お疲れのところ、申し訳ありませんが、少し付き合っていただけませんか。」
観月が沢村にそう声を掛けられたのは、ある日の勤務が終わり、第2班へと引継ぎを行った直後。帰り支度の最中だった。
「えっと、どちらに?」
昨晩は出動こそなかったが、深夜に半ばクレームじみた電話があったりして、一同少しばかり寝不足だった。それで、観月も少しためらったのだ。
「それは着いてからのお楽しみですが、いいネタになると思いますよ。」
いいネタ、その言葉の効果はてきめんだった。
そして、いま二人は沢村の運転する車でどこかへ向かっていた。沢村は法令を順守するマナーのよいドライバーだった。
「ジャーナリストの方をお誘いするには、少しばかりアンフェアでしたかね。いいネタ、って文句は」
「いえ、そんなことは(あると思います)」
「急な話で申し訳なかったんですが、僕の方に話が来たのも昨日の夜だったもので」
申し訳なさそうに言い訳をする沢村。観月は気になっていたことを聞くことにした。
「ところで、どこに向かっているんですか。いい加減教えてくれてもいいんじゃないですか。」
観月の問いに、沢村はアッサリと肯いた。
「そうですね。観月さんは取材初日に駐車場でした話を覚えていますか。」
肯いたものの、アッサリ教える気ではなさそうだ。とはいえ、特に不都合があるわけでもない。観月はとりあえず話に乗ることにした。
「あの日は、安楽死についての説明をしていただきました。」
「ええ、あの日、観月さんは安楽死を実際に目の当たりにしました。だから、今日は『保護』の実態を見ていただきたいと思っています。」
この言葉で、観月はピンときた。一方でそれがありえない予想だとも思う。なぜなら、観月が予想したその場所は、何度も取材申請を行い、そのたびに申請を却下された場所だったからだ。しかし、車が向かう方向も確かにそちらの方面である。
「心当たりがあるみたいですね。一応言っておきますが、中では撮影禁止。記事にするときも具体的な名前は一切出さないでくださいね。今日は非公式の話になりますので。」
観月の心を読んだわけではないだろうが、沢村は満足げに肯いた。
「テーマは『保護されることは果たして幸運か』とでも、しておきましょうか。」
目的地の予想に気をとられていた観月は、沢村の最後の言葉を危うく聞き逃すところだった。だが、その内容はどう考えても聞き流せない。
「沢村さん、今のどういう意味ですか。」
沢村は一瞬、不思議な表情で観月を見た。
「それは取材の後で説明しますよ。もうすぐ到着ですし。」
車窓からは既に目的地が見えていた。恐らく間違いないだろう。ちょうど訓練が行われているのか、空を戦闘機が2機飛んでいった。爆音が通り抜けていく。
「広川CAMP研究基地」
自衛隊基地に併設された中部地方随一のCAMP研究施設。そして、ここには今現在、1名の変異者が保護されていた。
自衛隊基は訓練で使用するので観月も同行したことがあったが、研究基地側の駐車場に停めるのは初めてだ。
駐車場に降り立った観月に、沢村が声を掛けた。
「今さらですが、一応聞いておきます。観月さん、保護された変異者を見る覚悟はありますか。」
観月が肯くのを確認すると、沢村は先に立って歩き出した。入口の守衛は二人に身分証明の提示とサインを求め、代わりに外部者用のIDカードを手渡した。
施設の入口へ向かって、沢村の後ろを歩きながら、観月は未だに半信半疑だった。何度も取材を申し込んで駄目だった基地に、何故こうもスムーズに入っているのか。
「あの、沢村さんって一体、何者なんですか。」
当然の疑問だったが、それに対する答えはあっけらかんとしたものだった。
「実は僕は、元々研究畑の人間でして。以前はここに勤務していたんですよ。今回、ご案内できるのもその伝手があればこそです。」
建物の入り口では一人の男が二人を待っていた。白衣を身に着けているが、細身で研究者然とした沢村とは違い、大柄で骨太な印象を受ける中年の男だ。
男は観月に対して頭を下げると「主任研究員・堤」と名乗った。観月も自己紹介と挨拶を返す。
「久しぶりだな、沢村。連絡が遅くなって悪かった。ちょっと手続きに手間取ってな。」
「とんでもない。今日は無理なお願いを聞いていただいてありがとうございます。」
「気にすんな。お前の名前出せば、所長もそんなに煩くないからな。それより、まだ戻ってくる気にはならんのか。所長も俺も首長くして待ってるんだぜ。」
「すいません。まだ、もうしばらくは今の場所にいるつもりです。」
堤の言葉には本心から沢村を惜しむ響きがあった。きっと、優秀な研究者だったのだろう。
挨拶が済むと、堤は二人の先に立って歩きだした。
他の職員とすれ違うこともなく、長い廊下を何度か曲がった後。一つの大きな扉の前で足を止める。
銀行の超大型の金庫を思わせる分厚い金属の扉。
堤は振り返ると観月に対して説明を始める。
「ここが保護された変異者の病室です。名前は田中友幸、発症時14歳。半月前に保護されて基地に搬送され、以来、ずっとここで治療を受けています。」
堤が扉の横のパネルを操作すると。重々しい見た目に反したスムーズな動きで扉が開いた。堤に先導され、観月達も中に入る。
「お、大きい」
思わず、率直な感想が口から洩れた。それもそのはず、強化プラスチックかと思われる透明な板に遮られた先。そこには金属でできた巨大な恐竜が佇んでいた。全長で10メートルはあるだろう。体中から点滴のような管が伸び、コードも山ほどつながっている。
「大きいでしょう。彼が田中友幸君です。今見えているのは動きを封じるための拘束具ですから、実際にはもう一回りは小さいんですが。ちなみに、口から高温の熱線を放射する能力を持っています。」
とは堤の説明。続きは沢村が引き継いだ。
「彼は24時間体制で『治療』を受けています。この意味が分かりますか。」
質問の意味が分からず、観月は沢村を見返した。
「つまり、あらゆる薬物が24時間絶え間なく投与され、体組織はサンプルとして切除・採集され、さらには超高温から超低温、高圧電流に至るまで様々な刺激を与えられるという意味です。」
「え、」
思わず耳を疑い、言葉を失う観月。沢村はあくまで静かな口調で続ける。
「ひどいと思われるかもしれませんが、短い時間でできる限りのことをしようと研究者も必死なんです。」
「ちょっと待ってください。保護されたんですよ。そりゃ、永遠とは言いませんけど、時間はたくさんあるじゃないですか。て、いうかなんでそんなことをするんですか。『治療』でしょう?」
沢村はゆるゆるとかぶりを振った。
「治療、ね。治療法なんて、見つかってないのに?」
「あ」
観月も、自分の迂闊さに気が付いた。同時に、自分が『保護』の先に漠然としたイメージしか持っていないことにも。
しかし、観月が手に入れた資料には保護期間中の扱いなど、詳しい情報は存在しなかった。精々が「研究機関で研究と治療を受ける。」という程度の記載だったはずだ。
ショックを受ける観月に、沢村は追い打ちをかけるように口を開く。
「観月さん。政府の資料にある『保護期間』はどの程度の期間か、ご存知ですか。」
「確か、平均して3年程度だったと記憶しています。」
沢村は肯いた。
「2か月。それが保護された変異者が安楽死されるまでの平均期間です。」
静かな沢村の声が、病室に響く。
「最初の発生から10年余り。科学者は未だに変異の進行を止めることができないでいます。今、この間も彼の体は肥大化をつづけ、その能力は強大になっているんです。
あと数週間たてば、彼を安全に保護し続けるのは困難になるでしょう。つまりは、その時が」
余りのことに、呆気にとられる観月。ここに来て車内で沢村が語った言葉の真意がわかった。「保護されることが幸運かどうか。」それはつまり、その場で殺されることと、数か月実験動物となった後で殺されることの選択肢だったのだ。
震えそうになる声を、観月はどうにか抑えようとした。
「でも、そんなことはどんな資料にも書いてなかった。」
少なくとも、観月が目を通した資料には保護期間の平均は確かに3年と記載されていたのだ。
「誰も強いては聞かず、誰も強いて話さない。平均3年間とされる『保護期間』には死亡後の『研究期間』も含まれているなんてことは。」
「それじゃあ、保護って何なんですか。ただ実験動物を確保したいだけなんですか!?」
思わず、声が大きくなった。沢村はそれをやんわりと制す。
「その話の前に、場所を移しましょう。とてもそうは見えないかもしれませんが、ここは病室です。長居は失礼ですから。」
巨大な拘束具に囚われた少年が不意にうごめく、金属のこすれてきしむ音が室内に轟く。少年は、まだ生きていた。
一行は来た時と同様に、堤に先導されてその場を後にした。
「観月さん、良い記事書いてください。沢村、また今度飲みに行こうぜ。」
基地の出口で堤がそう言ってくれたが、病室で見たもののせいか、観月はその笑顔を純粋に受け取ることが出来なかった。
二人は基地から幾分離れた喫茶店に腰を落ち着けた。半端な時間の店内は割と空いていた。観月はブレンド、沢村はそのLサイズを注文。モーニングサービスの時間だったので、トーストと小鉢のサラダ、それにゆで卵がついてきた。
「さて、保護に意義はあるのか。という話でしたね。」
沢村はコーヒーに口をつけると、先ほどの話を再開させた。観月は肯く。
「もちろん、意義はあります。たとえ生存期間が短くとも、その間に画期的な治療法が見つかる可能性もあります。それに生きた変異者は存在自体が研究の大きな助けになります。だからこそ対策庁もできる限り保護を実行するんです。」
「でも、言葉を選ばずに言えば、あれは子供に対しての人体実験以外の何物でもない。意義があるとしても、素直には肯けません。」
観月は相手が怒るのではないかと思った、少なくとも気分を害するのではないかと。しかし、その予想に反し沢村は微笑んで見せた。
「その通りです。観月さんの健全で正直な感性は好感に値しますよ。」
「はぁ、ありがとうございます。」
拍子抜けした気持ちが、そのまま言葉に現れた。
なんとなく、はぐらかされたようになったので、観月は別の角度から尋ねてみることにした。
「沢村さんはどうして、研究所をやめて対策庁に入ったんですか。」
目の前の男は何故、現場に立つのか。安楽死も、保護も、行きつく先が同じなら、対策庁職員たちの職務にはあまりにも救いがない。
沢村は一瞬、虚を突かれたような顔をした。この男のこういった顔は初めてだ。その後で少し考える顔をした。
「そうですね。あまり、愉快な話ではありませんが、それでもよければ」
そう前置きをしたうえで、沢村は話し始めた。