第5話:もみの木
次の日、勤務を終えて解散した後。再度、集合した観月と吉村は、吉村の案内で彼の育った児童養護施設「もみの木」を訪ねた。
訪問を約束した時と比べ、心なしか吉村の表情がすぐれないように見える。おそらく昨日の夕方、所長の渡に言われたことが関係しているのだろう。
昨日、作業から帰所した吉村は渡と真田に所長室へと呼ばれた。観月も同席をさせてもらったのだが、そこでされたのは次回の出動で吉村がメインで処置を行う旨の予告だった。
つまりそれは、子供に銃口を向けて引き金を引く可能性が高いということである。
もちろん、この仕事を選んだ以上、覚悟はしていたはずだ。それでも、改めて突きつけられた現実に、吉村も平静ではいられなかったようだ。
それ以降、なにか考えるように黙ることが目立つ。常に陽気でおしゃべりな吉村には珍しいことだった。
「もみの木」は住宅街の中の、ごく普通の一軒家だった。小さな庭を挟んで通りに面した格子状の門には、小さく標識がかかっている。
そこに吉村はズカズカと入っていく。まさに勝手知ったる自分の家だ。玄関を開けて靴を脱ぎながら、奥に声を掛けた。
「かーちゃん、ただいまー。」
観月も挨拶をしようと口を開きかけたが、それよりも早く奥の部屋から一人の女性が顔を出した。
「はーい、おかえりー。って、あらー!?」
年の頃、40代後半だろうか。短く切りそろえらえた髪がはつらつとした印象だ。笑顔で吉村を迎えた女性は、観月に気が付くと目を丸くした。すぐさまスリッパをパタパタさせて近づいてくる。
「初めまして、観月文香と申します。」
観月がどうにか自己紹介すると、女性は満面の笑顔で応じてくれた。
「はい、私はここの施設長をしてます。水瀬加奈子です。」
それから吉村の方へ向き直ると、嬉しくてたまらないといった様子で口を開いた。
「信介、やるじゃない。こんな綺麗な娘連れてくるなんて。せっかくの休みもここに来て皆の世話ばかりしてるから、心配してたんだけど。よけいなお世話だったみたいね。」
どうやら、観月のことを吉村の恋人か何かと勘違いしているようだ。
「ち、ちげぇーよ。そうじゃなくて、この人はジャーナリストで俺の職場に取材に来てたんだけど」
「まあ、それがなれ初めってわけね。ちょっと待って、こんなとこで聞いちゃもったいない。いまお菓子出すからゆっくり聞かせてちょうだい。」
慌てた吉村が否定に入るが、加奈子は聞いちゃいない。それどころか二人を引っ張っていくように、食堂に通すと瞬く間にお茶の準備を整えた。
「なーんだ、そうだったの。ぬか喜びしちゃったわ。」
加奈子の誤解が解けたのは、しばらくしてからのことだった。
「まったく、先走りすぎだって。そもそも、俺にはまだそんな気はないんだよ。」
「そんなこと言って強がっちゃって。観月さん、どうです?頭と顔はよくないけど、そんなに悪い男じゃないですよ。面倒な親戚づきあいとかも発生しようがないし。」
「だぁあああああ。やめんか。はずかしい!!」
ここに来るまでの深刻な表情とは一転。加奈子のテンションに引きずられて、吉村の調子もいつも以上になっている。
「ま、冗談はこの辺にしておいてあげようかしら。」
そう言って肩をすくめた加奈子は今度は観月に向き直った。
「それで、観月さん。取材したいってことだけど、私は別に構わないわ。この家に見られて困るようなものは何にもないから。」
「ありがとうございます。」
観月は頭を下げた。加奈子は「そのかわり、仕事はちょっと手伝ってね。」と付け加える。
洗濯に風呂掃除といった仕事を手伝ったり、撮影しながら話をしたところ。現在、この「もみの木」には小学1年生から6年生までの5人の子供が入居しているらしい。職員は夕方からの通いの人が1人いるとのことだった。
観月を驚かせたのは加奈子の年齢で、聞けば既に還暦を迎えているとのことだった。一回りは若く見えると率直な意見を伝えると、彼女は「老け込んでる暇がないからかしら」と言ってカラカラと笑った。
昼ご飯は朝食の残りと、野菜の味噌炒めだった。観月もご相伴にあずかった。加奈子は残りものに恐縮していたが、しばらく外食続きだった観月にとっては家庭の味を感じさせてくれる料理は殊の外おいしく感じられた。
昼食の後片付けをし、少し休憩をとっていると入居者の中で唯一の1年生。中田剛が帰ってきた。
元気な声の「ただいま」の後、嬉しそうな顔で吉村に駆け寄っていく。同時に普段と違う人間、観月の存在に気が付いて不思議そうな顔をした。
「ツヨシ、こちらは観月文香さん。いま、俺の仕事を取材に来ている記者さんだ。」
吉村がそう言うと剛は顔を輝かせた。
「しゅざい?シンスケにいちゃん、かっこいいー。」
きっと、ここの子供たちにとって、吉村は尊敬出来て頼りになる格好いい兄なのだろう。剛が吉村を見るまなざしはどこまでも純粋だ。
観月はせがまれるままに剛の写真を何枚か撮った。それで取材には満足したのか、今度は吉村と遊びたがる。吉村も気軽に応じると二人は手をつないで外に出ていった。
「さてと、それじゃあ一つ掃除でもしますか。」
そう言って立ち上がる加奈子。観月もそれを手伝うことにした。
「あの子の、吉村の職場で何かあったんじゃないですか?」
掃除も半ば終わったころ、加奈子が不意に尋ねてきた。思わず彼女の方を見返した観月に、困ったような微笑みを返してくる。
「昔から、元気じゃない時ほど元気にふるまうのよ。それにさっき剛と手をつなぐとき、なんだかぎこちなかった。だから、」
観月は言うべきかどうか迷った。CAMP対策庁の業務のほとんどには厳しい守秘義務が課せられている。特に誰が処理班に所属しているか、どの事件の処置にあたったかなどは特に取扱いに気を払わねばならない事柄だ。
観月が答えを見つけられないでいるうちに、加奈子は再度口を開いた。
「ごめんなさい。答えられないわよね。」
相手を気遣う声だった。台詞はそのまま続けられる。
「あの子が処理班なのはわかっているの。対策庁で24時間勤務の3班体制なのはそこだけだから。」
家族にしてみれば、自明の事でもある。近い距離で見ていれば、言わなくても分かってしまうことは多いのだろう。
「多分だけど、あの子は昨日人を撃ったか、それとも近いうちに撃つことになるんでしょう。」
思わず目を見開いた観月の表情を読んだのか、加奈子は「やっぱり」とつぶやいた。観月は何か言わなければと思っていたが、思いとは裏腹に舌が張り付いたかのように動かなかった。
「この仕事をやってきて、今までに1回。子供がCAMPに発症するところ立ち会ったわ。安楽死の案件だった。」
その子供のことを考えているのだろうか。加奈子の表情にわずかに影がさす。
「不思議ね。前は発症した子の顔しか思い出せなかったんだけど。あの子が、信介が対策庁に入ってからは処理した職員の顔も思い出せるの。歯を食いしばって、眉間にしわを寄せて、なんだか必死に自分の体を支えているようだった。」
その言葉に、観月の脳裏に一人の職員が浮かんできた。誰あろう、班長の真田である。常に眉間にしわを寄せた難しい顔をしている男。彼もまた、先日の出動の際には歯を食いしばった必死の形相をしてはいなかったか。
「観月さん」
名を呼ばれ、逸れかけた意識が引き戻される。加奈子が、まっすぐに観月の目を見つめていた。
「世間では、対策庁の処理担当職員を血も涙もない冷血漢として扱ったり、ひどい時には殺人鬼の様に非難したりする。でもね、現場に立って苦しむ子供を撃つしかない、親御さんの悲しみをぶつけられるしかない職員も人間なのよ。傷ついて、悲しんで、苦しんでしまう人間。それを、皆に教えてあげてほしい。ジャーナリストである貴方に。」
そこで言葉を切ると、加奈子は深々と頭を下げた。チノパンにエプロンという格好にもかかわらず、その姿は決しておろそかにできない厳粛さがあった。
「どうか、お願いします。」
観月は自分の背筋が自然と伸びるのを感じた。答える言葉は自然と口から出てきた。かすれた声だった。
「どれだけ力になれるか分かりませんが、全力を尽くします。」
加奈子が微笑んだ。
その日、観月がご馳走になった夕飯は甘口のカレーだった。