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第3話:悼む資格

 観月が真田に詰め寄ったのは、帰所後のことだった。

 すでに夕方といっていい時刻。事務処理を行っている真田の前に観月は仁王立ちした。ただならぬものを感じたのか。他の班員たちの視線が集まる。

「ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか。」

 観月がそう切り出すと、真田は書類から顔を上げた。もう癖になっているのだろう。相変わらず眉間には皺が寄っている。

「私に答えられることなら。」

 そう言われ、観月はいきなり本題を切り出した。

「今日の出動。何故、安楽死を選択したんですか。」

 問われた真田はまったく落ち着いていた。いっそ、ふてぶてしいとさえ見える態度だ。

「質問の意図が分かりかねます。変異が進行していて『保護』は困難だった。だから、安楽死を選択した。なにか問題が?」

 観月も退かなかった。本当なら取材の初日で波風を立てるべきではないかもしれないが、言わずにはいられない。

「とぼけないでください。今日のケース、変異はそれほど進行していなかった。遅滞薬と拘束具で保護を試みるべきだったはずです。」


 変異者への処置は2つある。1つはその場で安楽死を行うこと。2つ目は遅滞薬と拘束具で身体の自由を奪い『保護』すること。変異の進行が遅い場合などは保護をすべきとされている。


 二人の間の空気にいたたまれなくなったのか、吉村が横から割り込んできた。

「み、観月さん、それはですね。」

「吉村、彼女が質問してんのは俺だよ。」

 だが、そんな彼の試みも班長である真田に一蹴される。静かに断言され吉村はすごすごと引き下がった。

 真田が立ち上がった。真正面から観月を見据える。いや、睨むといった方が適当だったかもしれない。態度、物腰はあくまで落ち着いていたが、目の奥にはハッキリと観月に対する怒りが揺れている。

「観月さん、とりあえず貴方に言いたいことは5つです。」

 真田の言葉に、観月も受けて立つというように相手を睨みつけた。

「はい、なんでしょうか。」

「1つ目。まずは、その話を現場で、特に母親の前でしなかったことは評価できます。

 2つ目。貴方がCAMPとその対策について、よく勉強されていることも分かりました。

 3つ目。それでも現場での対応は班を率いる班長が決定します。

 4つ目。そして班長は私であり、貴方は所詮聞きかじっただけのド素人です。」

 ここまで話して真田は一旦言葉を区切った。観月は顔が赤くなっているのを自覚したが、目線はそらさなかった。

「そして最後に、貴方個人には思うところはありませんが、私はマスコミというモノが嫌いです。次から質問は他の者にして下さい。」

「言われなくてもそうするよ。何様だ、この野郎!!」

 と、いう台詞を観月は何とか飲み込んだ。相手はと言えば、言うだけ言ったらもう用はないとばかりに再び書類に向き直っている。

「分かりました。そうさせていただきます。」

 なんとかそれだけ絞り出すと観月は事務室を後にした。外の空気を吸って気分を落ち着けるつもりだった。


「あぁぁ、やっちゃった~。」

 駐車場に出て、自分の軽自動車の脇で深呼吸。少し落ち着いた後で、観月はそうこぼしてうなだれた。

 初日から取材対象と喧嘩してどうするというのか。これから長い取材期間があるというのに。しかし、今日のケースは明らかに「保護」すべき事案だったはずだ。それでもせめて聞き方に気を遣うべきだったか。

 そんなことをグルグルと考えていた観月に話しかける者がいた。

「観月さん、ちょっとよろしいですか。」

 目を上げると、そこには沢村が立っていた。なんの用だろう、といぶかる観月に対して缶コーヒーを差し出してくる。微糖とブラック、観月が微糖を選ぶと沢村は残ったブラックを開けた。

「少し、誤解を解いておきたいと思ったもので」

「誤解、真田さんのことですか。」

 観月がそう返すと、沢村は苦笑をうかべながらかぶりを振った。

「さっきの班長のことは、言い訳しようがないですね。筋金入りのマスコミ嫌いですし、とてつもなく頑固です。まあ、出動の直後でピリピリしていたせいもあるでしょうが。」

「沢村さんは、すごく冷静ですね。」

 言ってから、自分の声の硬さに驚いた。まるで、八つ当たりの様に響く。沢村はそれを静かに受け止めた。


「冷静、ね。とても、昼時に3歳の子供を殺してきたようには見えないと?」

「スイマセン。気に障ったなら謝ります。でも、沢村さんも他の方たちもすごく普段通りに見えます。慣れ、っていうことですか。」

 沢村は再度かぶりを振った。しかし、その顔からは先程までの苦笑が消えている。

「慣れといえば、そうなのかもしれません。でも、引き金を引いた僕たちに、彼女の死を悼んで泣く資格があるかどうか。これは少しばかり難しい問題だとは思いませんか。」

 観月は返答に詰まった。


 既に夕闇の訪れている駐車場で、沢村の目の奥までは見通せない。それでも、そこに悲しみにも似たやるせなさがあるように感じた。

「水野日向。3歳。父母と3人暮らし。病弱で、4度の入院歴があり、1度は大きな手術もしています。幸いにも最近は健康状態が改善し、来年度からは保育園に入園予定でした。数か月前の医師との面談で好物は『おかあさんのおにぎり』と答えていたそうです。」

 噛みしめるように口にされた言葉の群れ。それの意味するところを察し、観月は震えた。

「それは、今日の?」

「人手不足の弊害の一つですね。分業が徹底できないので、事後処理の段階で自然と情報が入ってきてしまうんです。」

 それが、いいか悪いかは分かりませんが。と、そう続ける沢村。缶コーヒーが口をつけられることもなく、手の中で温もりを失っていく。

「フランス革命期の処刑人シャルル・アンリ・サンソンは自身を『公正さの原理によって動く国の装置』だと弁護しました。実際、その通りでしょう。裁判官が判決し、彼がギロチンを落とす。彼自身の意思はそこに介在しない。

 では僕たちはどうか。『保護』と『安楽死』の判断は現場に一任されています。つまり、僕たちはある意味で自分の意思をもって引き金を引いている。」

「でも、それはCAMPの危険性を考えればやむを得ないことだと。」

 話しているうちに、余裕を取り戻したのか。気づけば沢村の顔に最初浮かべていた苦笑が戻ってきていた。仕切りなおすように口を開く。

「スイマセン。つい、脱線してしまった。本当は今日のケースについて、『保護』すべきだったかどうかを話したかったんです。観月さんは、保護すべきだったと考えているんですよね。」

「はい、内閣府のガイドラインに従えば、保護すべきという判断になるはずです。」

 沢村は肯いた。そして、CAMPにおける保護と安楽死の判断基準を示した一説を諳んじて見せた。


「~内臓諸器官および脳が変異していない場合は指定された薬品、その他の器具を用いて可能な限り保護すべし。」


 観月も我が意を得たりと肯いた。

「今日のケースでは、手足は変異していましたが頭部は無事、胴体の変異もごく一部でした。保護すべき案件だったはずです。」

 沢村が観月を見た。兄が妹をさとす時のような表情だった。


「『内臓諸器官および脳が変異』しているかどうか。それ、分からないんですよ。」


 相手の意外な言葉に、観月は戸惑った。「え、でも」などとまとまらぬ声が出る。沢村はつづけた。

「CAMPの進行はケースごとに全く異なります。極端な話、千件あれば千通りの進行の仕方をします。脳から、内臓からというケースも少なくなく、そうした場合はほぼ例外なく遅滞薬が効きません。

 なぜなら、遅滞薬というのは変異そのものに作用する薬ではなく、まだ無事な人間の脳と内臓にダメージを与えることで、結果的に変異の進行を抑制するモノだからです。

 そして、対策庁職員の殉職は、ほとんどが保護の失敗が原因です。」

「でも、それじゃあガイドラインは建前ってことですか。変異者は問答無用で安楽死させるべきだと。」

 沢村はハッキリと首を横に振った。

「勘違いしないでください。もちろん、保護は最優先です。今日も進行が膝下まで、肘までなら試みたでしょう。ただ、現場ではより安全な選択肢をとらざるを得ないのだと、理解してほしかったんです。」

 沢村の口調は観月の間違いを指摘しているのではなかった。むしろ、正しいことを行えない自分たちを恥じるような、謝るような響きがある。

「分かりました。詳しい説明、ありがとうございます。」

 観月はそう言って、頭を下げた。沢村はホッとしたような顔をすると、思い出したようにコーヒーに口をつけた。

 取材の1日目はそんな風に過ぎて行った。

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