第2話:出動
一気に緊迫の度を増した車内に、無線が鳴り響いた。
その音声は観月の想像よりもクリアで聞き取りやすかった。声はおそらくオペレーターの斉藤のものだろう。無線越しにも緊張感が伝わってくる。
<こちら橋倉支所、こちら橋倉支所。橋倉1号車応答せよ。>
<こちら、1号車沢村。>
沢村が無線のマイクを手に取り応答する。真田もいつの間にか、もう一つのマイクを手に取っていた。
<支所より、1号車へ伝達。管内で変異現象発生。現場は桜見町字池下××-△、水野方。車載誘導システムに位置情報送信しました。>
これには真田が応答した。
<1号車より支所。位置情報確認した。2号車と現場の状況を説明願う。>
<2号車は現在、出動準備中。乗員は西野と吉村の2名。現場は一軒家の民家で、変異信号より変異者は同家の3歳娘。母親から消防へ通報有。現在、現場には母親のみで、通報によれば変異は手足末端より進行している模様。>
<了解。これより急行する。>
「沢村、運転を頼む。」
「了解」
二人はすばやく席をかわる。そうしながら、頭にヘルメットとハンズフリーのマイクとイヤホンを装着した。観月も真田に渡されたヘルメットを何とか被る。
運転席に座った沢村が車を発進させると、助手席に移った真田が回転灯とサイレンを設置し、それぞれ起動させた。続いて再び無線に呼びかける。
<こちら1号車、2号車応答せよ。>
2号車から、数秒遅れて応答があった。
<こちら2号車。>
喋っているのはおそらく吉村。真田はおそらく意識的にであろう、ゆっくりとした口調で指示を出す。
<現場の位置からして、おそらくほぼ同時に到着するはずだ。そちらが先着した場合は変異者の確認と母親の排除を行い1号車の到着を待て。ただし、緊急の用アリと判断した場合は西野の指揮で専行を許可する。>
<了解。先着した場合、変異者の確認と母親の排除を行い現場を保持。ただし、緊急の場合は西野の判断で活動します。>
それで通信は終わったのか、真田が後部座席の観月に向き直った。
「観月さん。あなたについては基本的には全ての取材が許可されています。当然、これから向かう現場についても同様ですが、あえて言わせていただきたい。」
その眼には敵意と言っても過言でないような光があった。観月の声も自然と固くなる。
「なんでしょうか。」
「これから先は何も言わず、何もせず、黙って部屋の隅で見ていてください。あなたに構っている余裕はありません。それから、もし興味本位の物見遊山気分が少しでもあるのなら、車を停めますので今すぐ降りてください。」
失礼ともいえるこのセリフに、観月の闘志が燃え上がった。同時に真田は仮想敵に認定。
「分かりました。では、部屋の隅から取材させていただきます。それから、今の台詞はかなりインパクトがあっていいので、記事にするときには使わせていただきます。」
そう言ってやると、真田は舌打ちを我慢するような表情になった。逆に沢村は珍しいものを見たような表情だ。
「現場では撮影禁止でお願いします。特に処置の最中は絶対に撮影しないでください。」
この沢村の注意に観月は肯いた。
現場には、真田の予想通り2台の車がほぼ同時に到着した。1号車と同じように2号車も途中で赤色灯とサイレンを切ったのだろう。2台とも静かにやってきて、現場の家から2軒ほど離れた家の前に停車した。
そうすることの理由を、下調べの段階で既に観月は知っていた。
対策庁の実際の業務内容と、そこから生じる悪いイメージのせいで、接近を悟った家族が変異者を逃がしたり、匿ったりするケースが少なくないのである。通報自体がされないケースも、まれにではあるが存在するという。
観月は先ほどの真田との約束通り、沈黙したまま事態を見守っていた。
真田たちは2号車に乗ってきた2人も含めて、全員車外に降りていた。
<真田より、支所へ。1号車、2号車ともに現着。只今より処置に入る。>
<各車両現着。支所了解。>
真田が支所へ報告を行う。見れば全員が真田と同じイヤホンとマイクを装着していた。
「信号受信から現着まで26分か。どうする。」
これは西野だ。それを受けて真田は各員に指示を出した。
「処置は俺と沢村で行う。吉村は母親を確保して現場より排除。西野は車両で待機して不測の事態に備えておいてくれ。」
「了解」
「既に現場のため、略式で装具点検を行う。拳銃。弾薬。遅滞薬。射出式注射器。…、」
真田の声に合わせて、他の3人もそれぞれ装備を点検し、「よし」の声を返す。
ほんの1分もせずに確認を終えると、真田が堅い声で宣言した。
「行動開始。」
西野を除いた3人が現場の家に近づいていく。大きめのスーツケースを抱えた沢村以外は手ぶらだ。観月も一番最後に続く。
玄関のドアにまで来ると真田はおもむろに呼び鈴を押した。吉村がドアの横に立っている。
「水野さん、消防署です!」
相手の応答も待たず、真田が中に聞こえるように大きな声で呼びかけた。待ちかねていたのだろう、すぐさま足音がしてドアが勢いよく開かれた。
「消防士さん!?う、うちの子が、」
とび出してきた母親の手首をドアの横から吉村が捕まえた。真田は開いたドアが閉じないように押さえてから、母親に向けて口を開いた。
「『児童超常変異現象対策庁』です。『特別措置法』に基づき処置に参りました。」
それだけを言って家の中に足を踏み入れる。沢村と観月も一緒だ。吉村は母親の手首を握ったまま、彼女が家に戻るのを邪魔するようにドアの前に体を入れていた。
「お母さんはここにいてください。」
そう言われて、初めて母親は事態を正確に飲み込んだようだった。
「対策庁、処置?…消防署じゃ。まって、まってよ!!お願い、殺さないで!!ヒナタ、ヒナタ逃げて!!」
暴れだす母親。細腕からは想像もできないような力を出す彼女を、吉村は必死に押しとどめる。
対策庁の仕事を知らない人間はいない。消防、警察、どこに通報しても、CAMPに対しては対策庁が出動することも。
それでも、親の多くが通報を行うのは、信じられないからだ。自分の子供が変異を起こしているなどと。そして、苦しむ我が子を何とか助けたいからだ。
真田たちは、そんな母親の思いを振り切るように歩を進める。
「班長、変異者の位置は?」
沢村の質問に真田は家の奥の一室、ドアが開け放たれた部屋を視線で示す。背後では母親が絶叫していた。先頭を行く真田の手には既に拳銃が握られている。
「この状況で、冷静にドアを閉められる母親はいない。あの部屋だ。」
「マスクはどうします。」
「母親は今まで娘の近くにいたはずだが、元気だ。ガスなどの生成はされていない。」
真田の言う通りだった。寝室と思われる部屋のベッドの上に彼女は寝かされていた。表情は苦しそうにゆがみ、時折うめき声を漏らしている。細い髪が汗で額に張り付いていた。
真田と沢村は油断のない動作で部屋の中に侵入した。
<真田より支所。変異者を発見。四肢の触手状器官への変異を確認。続いて変異進行度の確定に入る。>
<支所了解。>
ベッドの上を緩慢に這い回るイバラのような触手。それに触れないように慎重に、真田は取り出したハサミで少女の寝巻を裂き、胸部および腹部の状況を確認した。
最中、触手の一本が真田の足に巻き付き、締め付けてくるが、真田の表情はピクリとも動かなかった。
<真田より支所。下腹部の一部に変異痕を発見。遅滞処置を無効と判断。>
<沢村より支所。班長真田と同様に変異痕確認。遅滞処置を無効と判断します。>
その判断は決して一人だけでは下されない。常に2名以上の職員が状況を確認したうえで行われる。
<ただちに安楽死を実行する。>
宣言するように言葉を発した真田は、どこまでも冷静だった。刺激しないようにだろうか、ゆっくりと足に巻き付いた触手をはがし、わずかに後退する。
<…支所、了解>
「前回は班長が処置しています。今回は僕が」
そう言った沢村を真田は短く制した。
「いや、俺がやるよ。」
その手に鈍く光る、オートマチック拳銃。男はよどみのない動作で拳銃を構えると3回、引き金を引いた。胸に2発、頭に1発。
昼食の前でよかった。こみあげてくる吐き気を必死にこらえる観月の頭に、そんな見当違いな考えがよぎった。
沢村が少女に近づき、確認を行う。真田はまだ油断なく銃を構えている。
<沢村より、支所。呼吸、心拍ともに停止。触手状器官不活性化。処置完了しました。>
<本部、了解。>
オペレーターの短い返答。室内には硝煙のにおいが立ち込めて、いままさに行われた行為の雄弁な証人となっていた。
「ヒナタ!!」
そんな室内に女性の絶叫が響き渡った。母親が吉村の制止を振り切って、そこに立っていた。その眼はすぐさま変わり果てた娘の姿をとらえた。
瞬間、彼女の中で何かが折れたように見えた。おぼつかない足取りでベッドに駆け寄り、汚れるのもかまわず娘を抱きしめる。それを止めるべき男たちも気圧されたように動けないでいた。
「あ、ああ、そんな。嘘よ。だって、朝も、あんなに元気で。お、おかわりまで」
聞き取れたのはそこまでだった。後は言葉に尽くせぬ慟哭、嗚咽。その中で、何度も呼ばれる少女の名前。観月は息をするのも忘れて立ち尽くしていた。
そんな中でも、男たちはすぐに冷静さを取り戻していた。
「スイマセン。すごい力で、振り切られました。」
母親に続いて部屋に入ってきて、謝る吉村に真田は肯き返す。見れば吉村の顔にはひっかかれたらしい傷が何本も走っている。
「いや、十分だ。西野のところで手当てを受けたら、ストレッチャー回してくれ。あとは次の出動に備えて準備して、野次馬散らしだ。」
「了解しました。」
吉村が去ると、真田は今度は沢村に向き直った。
「母親が泣き疲れたところで、引き離して変異者を搬送する。それまで二人から目を離すなよ。」
「了解。撤収は僕と吉村でいいですか。」
「ああ、俺と西野が2号車で変異者を搬送するから、撤収作業後に1号車で帰って来てくれ。観月さんも一緒にな。」
「了解」
泣き叫ぶ母親とあくまで事務的な態度の男たち。それは観月の目にグロテスクなほど不釣り合いに映った。