第1話:児童超常変異現象対策庁・橋倉支所
「えーと、このあたりのハズなんだけど」
軽自動車のハンドルを握りながら観月文香はつぶやいた。カーナビが「目的地付近です。」とのメッセージを残して沈黙したのが数秒前。ややスピードを落として左右に目を配る。
お目当ての建物はすぐに見つかった。消防署を思わせる白い建物。看板や表札の類は設置されておらず、シャッターの空いた車庫には5ドアの乗用車と大型のバン、それにゴツゴツとした四輪駆動車が止まっている。
児童超常変異現象対策庁・橋倉支所。それが観月の目的地だった。
駐車場の隅に車を止める。車外に出ると、朝の冷気に体が震えた。まだまだ春は遠い。
玄関を入ると、透明なアクリルボードで仕切られた受付。その向こうに灰色のデスクが並べられた事務室の風景が見えた。まだ早いからだろうか、事務室に人影はない。
手元の呼び出しボタンを押す。
しばらくすると、奥の扉が開いて一人の男が出てきた。やや痩せて前髪の後退した中年、くたびれた中間管理職と言えばしっくりくる風貌だった。
「おはようございます。本日はどのようなご用件でしたでしょうか。」
受付越しに愛想のよい笑顔を浮かべる男に観月は元気よく頭を下げた。
「はじめまして、本日よりこちらで取材させていただくことになっております。観月文香と申します。よろしくお願いします。」
そう言うと、男は思い当たることがあったのか大きくうなずいた。
「ああ、貴方が。本庁より話は伺っております。」
男は身分証の提示を求めた後で受付横のドアのカギを開け、事務室の隅に置かれた応接セットへと観月を案内した。
「どうも。私は所長の渡と申します。」
自己紹介とともに男が差し出した名刺には「所長・渡哲夫」の文字。観月も慌てて名刺を出す。こちらには「ジャーナリスト・観月文香」と記されている。
「只今、引継ぎの最中でして。間もなく、本日当務の第一班のメンバーが参りますので、ご紹介させていただきます。」
そう言うと渡は一旦席を立ち、しばらくしてからコーヒーを持って戻ってきた。
そのまま二人でコーヒーを飲む形になったが、落ち着く間もなく奥のドアが開くと何人かの男が室内に入ってきた。
いずれも戦闘服を思わせる濃い灰色の上下に編上げのブーツを身に着けていた。
「所長、引継ぎ完了しました。第一班5名、只今より勤務に就きます。」
一番初めに入ってきた背の高い男がキビキビとした口調で渡に報告した。癖になった眉間の皺と服の上からでも分かる厚い胸板が鬼軍曹を思わせた。
「了解しました。第一班5名、勤務を開始してください。」
渡も背筋を伸ばして男に応じた。その後ろでは4人の男が観月を物珍しげに眺めていた。
「あれ、女の子がいますよ。誰ですか。」
そう言ったのは二番目に入ってきた小柄な男だ。短髪を逆立てて、目は丸い。すばしっこそうな印象だ。いたずら小僧をそのまま大きくしたような風貌で、恐らく一番若いだろう。
「取材の記者さんだろう。前の勤務の時に所長が言っていたじゃないか。」
そう応じたのは続いて入ってきた細身の男。セルフレームの眼鏡が知的な印象を醸していて、研究者かなにかの様だ。言われた小柄な男は「そうでした?」などととぼけている。
「しかし、こんな綺麗な方とは思いませんでした。さすがに少々驚きましたね。」
そう言ったのは4番目に入ってきた男だったが、彼は少々強烈だった。背格好は中肉中背なのだが、その顔はなぜか白い覆面で覆われていたのだ。観月は口を突いて来ようとする疑問を何とか飲み下した。
「いいじゃないか。むさくるしい男所帯も多少は華やぐってもんだ。」
そう締めくくったのは最後に入ってきた年かさの男だった。所長と同じくらいの年だろうか、スーツよりもニッカポッカで土方仕事をしている方が似合いそうな男だ。親方とでも呼びたくなってくる。
全員が室内に揃ったところで所長の渡が改めて観月の紹介を行った。
「こちらは記者の観月文香さん。今日から3か月、君たちの当務を中心に取材されるから失礼のないように」
「観月文香です。よろしくお願いします。」
観月が頭を下げると、男たちも順番に自己紹介を始めた。
「第一班、班長の真田鋼一郎です。」
最初は鬼軍曹。イメージ通り口調もかたい。しかし、観月を見る目にわずかに険があるように見えるのは気のせいだろうか。
「どうも、吉村信介です。よろしくお願いします。」
こちらはいたずら小僧。元気いっぱいの笑顔で大げさにお辞儀をする。
「沢村玲次。吉村と同じ処置担当です。よろしくお願いします。」
吉村の言葉の不足を補いつつ、スマートにお辞儀したのは研究者風の男。笑顔も爽やかだ。
「オペレーターの斉藤春夫と申します。顔に大きな傷があるものでこんな格好で失礼します。」
そう言ったのは覆面の男だ。顔は分からないが、声は思いのほか柔らかい。
「回収担当の西野政史だ。よろしく。」
親方が無骨だがどこか素朴な調子でこう言うと、5人は各々のデスクに着いた。すぐに鬼軍曹、真田が立ち上がり本日の業務についてブリーフィングを開始する。
一方で観月は渡に取材について確認を受けていた。
「さて、事前にお話しさせていただいているとは思いますが、説明しますね。まず、取材については機密に該当しない事柄であればすべてご覧いただけます。ただ、それとは別に撮影の可否は職員の判断を仰いでください。現場では、特に一般の方のプライバシーに深くかかわる場面もありますので。」
観月が肯くのを確認して、渡は話をつづける。
「それと、現場では勝手な行動は厳禁です。訓練を受けた隊員でも殉職するものが出るのが『児童超常変異現象』の現場です。くれぐれも職員の指示に従って慎重に行動してください。」
重々しく説明を締めくくると、今度は建物内を案内し始める。所長直々の案内はいささか恐縮ではあるが、もしや暇なのではなかろうか、という疑いが観月の脳裏をよぎることとなった。
使用するデスク、仮眠室、トイレに風呂などを案内され、最後に更衣室。用意されたつなぎに着替えるように指示を受ける。迷彩柄でこそないが、軍隊の戦闘服を思わせる灰色の上下。職員たちが来ていた物と同じだ。
「特殊防刃繊維の作業着です。取材中は必ず身に着けておいてください。」
という渡の説明に、観月は対策庁の本質を垣間見た気がした。
5分後、手早く着替えと準備を終えた観月は事務室へ出て行った。格好はつなぎの上に取材用のベスト、さらにリュックとウェストポーチを着け、一眼レフカメラを提げている。
吉村が観月の重装備に目を丸くしている。沢村が眼鏡の下に微笑みをうかべて話しかけてきた。彼が観月の担当ということだろうか。
「今日はこれから、僕と班長が外に『遅滞薬』の管理作業に出て、他のものは事務処理をしつつ待機という形ですが観月さんはどうされますか。」
「それなら作業に同行させていただきたいです。撮影はしてもよろしいですか。」
「撮影禁止の際はこちらから言いますので、それ以外ならどうぞ。では、外に車がありますので乗ってください。」
観月の着替え中に準備は終えてあったのだろう。沢村に続いて車庫へのドアをくぐると、5ドアの乗用車の運転席には既に班長の真田が座っていた。
沢村が助手席に入り、観月が後部座席に腰かけると車は滑らかに車庫から滑り出した。同時に沢村が説明を始める。
「観月さんにとっては釈迦に説法かもしれませんが、児童超常変異現象の発生率はおよそ100分の1。この橋倉市では年に40件弱発生します。」
「だいたい、10日に1度のペースですね。」
観月の相槌に沢村は笑顔でうなずく。
「僕たちが暇なのはいいことですが、出動のない日も遊んでいるわけではありません。訓練はもちろんですが、近隣に設置された遅滞薬の管理なども僕たちの仕事です。もちろん、専用の部署はあるんですが、対策庁はイメージが悪いこともあって慢性的に人手不足です。なので、現場でCAMPに対応する僕たちもできることはしなければならないんです。」
そう言っている間に最初の作業場所に着いたらしい。支所からほど近い市民館。駐車場の隅に車を停めると、真田と沢村は車から降りた。観月も続く。
二人はバックドアをあけてスーツケースを取り出すと、市民館の入り口わきに設置された遅滞薬のケースに歩み寄った。
『変異現象進行遅滞薬』、通称『遅滞薬』はその名の通りCAMPの進行を遅らせる薬である。一般人でも注射できる特殊な器具とともに市民館や学校、アミューズメント施設などに設置されており、CAMPの発生時には遠隔操作でロックが解除され使用が可能となる。
しかし、問題も大きい薬品である。効力にバラつきがあるのに加え、非常に強い毒性を有するのだ。
そのため、一般人向けの講習会では自分の避難が最優先。よほど余裕があるか、やむを得ない場合に限り使用するようにと説明されていた。
観月の構えたカメラの先で、二人はロックの動作や遅滞薬自体の品質などのチェックを慣れた手つきでこなした。所要時間は10分程度だろうか。それが済めば再び乗車し、次の設置場所へ移動する。
その作業を繰り返して午前中が過ぎて行った。
「ちょっと早いが、いいタイミングです。そろそろ飯にしましょう。観月さん、なにかご希望がありますか。」
11時をまわったあたりで、真田が口を開いた。業務関係のことをのぞけば初めてかもしれない。と、いっても今の発言も非常に事務的な調子ではあるが。
「いえ、まだこの辺りには詳しくないので、特には」
観月がそう答えると、代わりに沢村が希望を出した。
「この先にちょっと行くと、美味い海鮮チャーハンを出す店があるんですよ。この時間ならまだ空いてるだろうし、どうですか。」
観月が賛意を示すと、それで決まったようだった。
「じゃあ、そうしよう。沢村、道案内を頼む。」
真田がそう言った時だった。車内に突如として甲高い電子音が鳴り響く。真田と沢村の二人に緊張感が走り、車はすぐさま路肩に寄せられた。
事態を把握出来ていない観月に沢村が短く言葉を発した。
「エマージェンシーコールです。」
「それは、つまり…」
「ええ、管内でCAMPが発生しました。海鮮チャーハンはお預けです。」