「870」
その姿は正に、風のように。
とある青年がいつの間にか書いていた手記。
「The Novelty Kingdom "外伝"」その1。
義姉さんとは、7年前あの部屋で初めて出会った。
義姉さんは俺よりひとつ年下だ。でも気は義姉さんの方がずっと強いから、尊敬の念を込めてそう呼ぶようにしたんだっけ? よく覚えていないな。
やってきたのがたまたま同じ頃だったから、俺に割り当てられた独房は義姉さんの斜向かいにあった。
毎朝起きると鉄格子を挟んで挨拶して、白装束の奴らが来るまで暫く見ぬ外の世界のことを話し合う。
奴らが来て独房の鍵を開けて俺と義姉さんをそれ…れ別の場……連れ……く …日拷問の…うに…そう…
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誰も俺たちの存在なんて知らない。知られていないから何をしたって良い、ということか。「罪人」と呼ばれているから、どんな苦しみも罰として認められるのか。扉が閉まる寸前まで俺の舌は止まらなかった。話し足りなかったから。もう義姉さんに会えないかもしれない、と毎日のように思っていたから。
白装束の怪しい奴らに何やら変なことを何回かされた後、俺の体の何かが変わった。
その場にいるだけで周りに風が吹くということにはすぐ気がついた。ちょっと力を入れると、柔らかめのものならすぐ切れる風も起こせた。お陰であの部屋に置いてある本もろくに読めやしなかった。俺は魔導士の家系に生まれたわけじゃない。だから、こんな風魔法のような芸当はできないはずだったのに、奴らは俺の体に何をしたんだ。
ただ沐浴後の女性陣には「髪の毛がすぐに乾く」と好評だった。だからってあんな格好で俺の周りを取り囲むのだけは勘弁して欲しかった。あれは正直目のやり場に困る。「沐浴が終わったから」とわざわざ俺を独房から毎晩連れ出しに来るあの看守もどうかしていた。
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ランスにはとても感謝している。あいつは俺たちを地獄の底から救ってくれたんだ。もう一生出られないと思っていた。檻から解放された義姉さんが俺の名前を呼んで抱きしめてくれたこの日を、初めて義姉さんにこの手で触れられた瞬間を、俺は忘れない。
今、アンスールの国境線を越えるところだ。
とりあえずジュリエーザに逃げてみようと思う。あの隠れ家、まだあるかなあ。
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時間というものはとても早い。アンスールから脱出してもう半年経った。
義姉さんの様子が少しおかしい。
都にいては義姉さんの体が持たないかもしれない。こんな汚い場所にいられるはずがなかったんだ。ごめん、義姉さん。咳をして苦しそうにしている義姉さんの姿は見たくない。笑っている義姉さんがいちばんだ。
今日、とても小さな野原をみつけた。そこだけジュリエーザから切り取られたように緑があふれている。知らなかった。鉄と汚れた霧しかないと思っていた国にこんな場所があったなんて。
花も草も木もある。そこでなら義姉さんも少しは楽にいられるかもしれない。
義姉さんを置いて行きたくはなかったけれど、周りを見てみればそこしか安全な場所がなかった。
本当に小さな野原だから、いつ消えてしまうかもわからない。
時間がない急がなくちゃいけない。
義姉さんが安心して暮らせる場所を探す。きっとそれが俺の使命。
俺の記憶が正しければジュリエーザの国境線を抜けてすぐ、サンライズ王国の外れに大きな森があったはずだ。あそこに住むエルフは寛容な種族らしいし、義姉さんもきっと幸せに暮らせるだろう。
俺の力は人を傷つけるために与えられたものだとあの野郎は言っていたけど、絶対に認めない。一方的に力を与えた奴も、きっとそのつもりだったのかもしれない。
俺が生粋の平和主義者だって気付かなかったのがお前らの敗因だ!!!
この力も誰かを守るために使えるってことを証明してみせる。そして俺をモルモット扱いしやがった白装束共を見返してやる。
義姉さん。全部が終わったら俺、義姉さんに…
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だめだ
抑えられない
止まらない
やめてくれ
その娘には何の罪も
「お前さえいなければ…!!!!!!」
えっ
俺今なんて言った?
違う
俺じゃない
お前は誰だ
助けて 義姉さん
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気を失いそうだ
ごめん 義姉さん
なんで
お前
皆の光になるって
言ってたじゃないか
一体何があったんだ
どうし
て
ど
う
し
て
「なんで裏切ったんだよ…」
俺の言葉、多分お前に届いてないんだろうな。
ランス
「870号」観察結果詳細
印字部位:左肩
危険度:★★★
魔力の消費なしで魔法に匹敵するほどの風を生み出す。無意識に周囲の気圧を急激に低下させるが、戦闘においては全く問題なし。
副作用として時折、幻覚・幻聴などが生じるのか研究員たちの手に負えなくなるほどの暴走状態に陥る。意識を奪うことで鎮静化できるが、原因は不明。
収監前は名無しであった。現在仲間内では「低気圧」と呼ばれていることが判明した。本人は気に入っている様子。