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白のサクリファイス  作者: のらくも
第1話 『女の子』、はじめました。
3/8

1.『女の子』、はじめました 【その2】

──ヴァンセットさん。

 この人を簡単な言葉で形容しようとするならば、『近所に住んでいる気さくなお兄さん』という言葉ほどしっくりくるものはないと思う。


 年齢は20代後半くらいだろうか。

 少し野暮ったく見える艶のない黒髪に無精髭。

 ちょっと猫背気味で一見するとわかりにくいけど、身長は180cmを優に超えていそうで、シルエットはとってもスマートである。しかも、ただ痩せているというのではないらしく、首の辺りだけ見ても相当に筋肉質だと言うことが分った。テレビで見た格闘家のそれによく似ているかもしれない。ただ、素人目ではあるのだけど、僕からするとヴァンセットさんの方がずっと鍛え上げられて引き締まった筋肉をしている様に思えた。


 そして、なによりも。

 にこにことした温和な笑みが印象的で、それがとても良く似合う人。


 それが僕のヴァンセットさんに対する、この短い間で抱いていた認識だったのだけれど……。


「──あの……その……」


 ヴァンセットさんから向けられる笑みの中に感じた、ちょっとだけ怖い雰囲気。

 それに気づいてしまった僕は、特に後ろめたい事もないのに、思わずしどろもどろになってしまう。


 どうして今、そんな一面に気づいてしまったのか。

 それは、こうしてヴァンセットさんの顔を間近で見つめいていたせいかもしれない。


 意外なことに。

 ヴァンセットさんの顔のパーツ自体は、それぞれにかなり剣呑なものがあった。

 笑みに細められた目、鋭く通った鼻筋、少し痩けた頬。──それらには滲み出る様な凄みの様なものがあって、しかも、それが彫りの深い顔立ちにバランス良く配置されているのだ。どちらかと言えば、強面の分類に入るかもしれない……そんな顔だった。

 なのに、今の今までこうして接していてもそんな風に感じていなかったのは、ヴァンセットさん自身の人柄の様なものがそれらの尖ったモノを包み込んでいたからなのだろうか。


「──あー……怖がらせちゃった、かな?」


 まるで怯えた様に──いや、実際かなり怯えていたのだろうけど。──明らかに狼狽えはじめる僕を見て、ヴァンセットさんは困った様な表情でぽりぽりと頬をかく。


「いや、何も難しい事が聞きたいわけじゃないんだ。ただナルミちゃんは、何処から来たのかなぁってさ」


 ヴァンセットさん曰く。

 エリスティアにある裏路地で倒れていた僕を見つけたのが、二日前。

 身元を調べようにもそれらしい物は持っておらず、尋ねようにも本人は寝込んだきり。第一発見者としてはまさか放り出すわけにもいかず、いささか困っていたところだったという。


 一体、何処から来たのか。

 何処へ行くつもりだったのか。

 そういったことが分かれば、場合によっては手助けすることもできるかもしれない。

……それがヴァンセットさんの尋ねたい事だったらしい。


 聞いてみればなんてことはない、ごくごく当然の事だった。

 いや、ごくごく当然の事ではあるのだが……それでもこちらとしては、返答に困ってしまう現状に何ら変化はないのだけれど。


 だって、そうだろう。

 状況的に「日本から来ました」なんて言っても、ヴァンセットさんにポカンとされる可能性が高い。なんせ自分が「ここはエリスティアです」と言われてポカンとしてしまったのだから。

 これ以上、裏路地で倒れてたというだけでも一般的に考えて怪しさ爆発なところに、そこへ電波に受け取られない事を言ってさらに怪しさの上塗りをするのだけは避けたかった。素性もしれない人間を手厚く介抱してくれるヴァンセットさんだが、その優しさにも限界はあるだろう。

 ここでこの人に、ドン引きされ、見放され、追い出されでもしたら……僕はこのファンタジーめいた街で完全に路頭に迷う事になる。しかも、こんな体で、だ。


 異世界。


 そんな単語が再び僕の脳裏に、より強く鮮明さを増して蘇る。

 そうだ……これじゃあ、まるで本当に別の世界に飛ばされでもしてしまったようじゃないか。


「──ナルミちゃん?」


 上手い答えの見つけられないまま、ぐるぐると同じ場所を巡る思考。

 どうやら長いことそうして俯き、黙り込んでしまっていたらしい。かけられた声にハッとして顔を上げると、眉をハの字気味に、少し心配そうな表情のヴァンセットさんがこちらを見つめていた。


 まずい。

 このままでは変に思われてしまうかもしれない。

 とにかく、なんとかこの場を上手く切り抜けなくては。こんな状況だし、それらしい嘘でもなんでも並べ立ててやろう、そうしよう。


「え、えっと……」


──そう思いこそするのだがその意に反して、なかなか僕の口から言葉は出てこない。

 言葉を押し留めているのは、ヴァンセットさんの親切に対する罪悪感だった。

 こんなに良くしてもらっていて、しかも手助けまで考えてくれているヴァンセットさんの好意に対して嘘で応える事。それは僕にとって、ひどい裏切りの様に思われた。

 もちろん、だからと言って黙っているわけにもいかない。

 どうすべきか。

 言葉にできない言葉がつっかえて、喉の奥を圧迫するようにぐりぐりと痛む。

 心配そうなヴァンセットさんの表情と沈黙が、ずっしりと重たく心にのしかかってくる。


 そんな諸々が、僕の中で限界を迎えそうになった時──


 きゅるるるるる。


 おそろしく間の抜けた音が、僕とヴァンセットさんの間で鳴り渡る。


「うえ?!」


 思わず、僕は自分のお腹をがばっと両腕で抱き込むようにして押さえる。しかし、もちろん手遅れだ。小さな女の子の体に相応しい、可愛らしいお腹の音はしっかりと相手にも聞こえているだろう。


「う、あ……あああ……あの……す、すみません……!」


 なんでこのタイミング!

 そんな雰囲気じゃなかっただろうに……我が体ながら豪胆というかなんというか。

 ちらりとヴァンセットさんを見やる。


「くっ…………くくく、くく」


……うあー、めちゃくちゃ笑われてる。

 声こそ上げて笑ったりはしてくれてないものの、明らかに笑い声を押し殺すようにして身を震わせていた。

 これなら、いっそ大笑いしてもらった方がまだ良い。

 カッと顔が熱くなるのを感じながら、恥ずかしさに俯いてしまう。多分、耳の先まで真っ赤になっていた事だろう。

 そんな僕の肩を、ヴァンセットさんの大きな手がぽんぽんと叩く。


「ごめんごめん、気がつかなくて。そりゃ二日も寝てればお腹も空くよね、うん」

「あ、あはは……」

「ところでナルミちゃん、立てるかい?」

「は……はい。もう大丈夫です」


 大人の気遣いが、今は逆にちょっとだけ心に痛い。

 そんな苦笑いを零す僕を、ヴァンセットさんはゆっくりと手を引いてその場に立たせる。


「さて、それじゃあ僕は何か食べる物を用意するから。その間、隣の部屋で待っててもらえるかな?」


 そう微笑みかけてくれるヴァンセットさんの言葉にこっくりと頷きを返し。

 ヴァンセットさんに促されるまま、僕はその部屋を後にすることになった。


◇◇◇◇◇


──ヴァンセットさんに案内されたその部屋は、僕が今まで寝ていた部屋とは随分と趣きが違っていた。

 それこそ、同じ階にある部屋だとは思えない程に。


 その部屋を例えるなら、いわゆる『探偵事務所』と言うのがしっくりくるんじゃないかと僕は思う。さらに言うなら、シャーロック・ホームズとかそういう探偵の事務所だ。

 大きなデスクにコートハンガー、応接テーブルに二人掛けのソファー。年季の入った大きな本棚が壁を覆う様に幾つも並び、その中にはこれまた古めかしい本がぎっしりと詰まっている。

……そうとだけ他人に伝えると、わりとお洒落な部屋だと感じる者もいるかもしれない。僕だってなかなか素敵な部屋だと思う──その尋常じゃないくらいゴチャゴチャと散らかっている事に目を瞑れば、だけど。


「お待たせー……と言っても、大した物はなかったんだけど」


 二人掛けのソファー。

 その上にどっさりと堆積していた本をバサバサとその辺に放り出し、ヴァンセットさんが無理矢理感たっぷりに作ってくれたスペースに座って待つ事しばし。

 ふにゃりと笑いながら部屋へと戻って来たヴァンセットさんの手には、小振りなバスケットが抱えられている。

 中に入ってるのは……パンとリンゴ、だろうか?

 実際のところはどうであれ、見た目は日本にいた頃のそれによく似ていた。どんなものが出てくるのか若干不安に思っていたところだったので、内心でホッと胸を撫で下ろす。


「パンとリンゴだけのなんとも寂しい食卓だけど……まぁ、碌な買い物もしてなかったし、今はちょっとだけ我慢してもらえると助かるよ」

「いえ、介抱してもらった挙句に食べ物まで……ありがとうございます」

「気にしなくていいよ、本っ当に大したもんじゃないからね」


 やっぱりパンとリンゴだったんだ……でも、今まで異世界ムードたっぷりだったのに、急に知ってる名前が出てくるとなんか妙な感じだ。

 いや、それはさておき。

「気にしない気にしない♪」と明るい鼻歌交じりに、テーブルを挟んだ向こう側へと腰掛けたヴァンセットさんは、取り出したナイフでバスケットに入っていたパンをザクザクと1cm位の厚さに切り分けて行く。音からして、けっこう堅めのパンみたいだ。色も僕の知っているパンと違って、とても濃いココア色をしていた。


「さ、どうぞ」


 ヴァンセットさんから、切り分けてもらったパンを受け取る。

……ずしり。

 その時の持った感触を言葉にするなら、そんなところだろうか。たった一切れの小さなパンなのに、重量感がすごい。なんというかこう、みっちりと詰まってるって感じだ。


「い、いただきます」


 パンから妙な威圧感が発せられている様な気がして、なんだか出鼻を挫かれたような感じもする。だが、気をとりなおすことにしてパンを一口。


 大事なのは味だ。こんな見てくれでもきっと味は……味は……うん。


 持った感触と同じで、何ともどっしりと重いパンだ。普通、パンと言うとふかふかしていてほんのり甘い……そんなイメージがあると思うのだけど、これはそれを真逆で行っている。ガチガチでミチミチで、ほんのり甘いどころか酸味がある……いや、これはもう酸っぱいと言ってもいいだろう。

 とにかく、癖の強い──もとい、癖しかない味だった。


「どう、食べれる?」

「ほ……ほいひいへふ!」


 手慣れた手つきでリンゴの皮をくるくると剥きつつ、こちらへと目だけを向けるヴァンセットさんに、僕は精一杯の明るい笑顔で応えた。自分で見れるわけじゃないのでアレだけど、なかなか可愛らしく笑えたんじゃなかろうか。……まぁ、口の中のパンがぜんぜん減ってないってところが、多少ネックだったかもしれないが。


「やー、そりゃ良かった。それってけっこう人を選ぶ味だから、どうかなーって思ったんだけど……保存食としては優秀なんだけどね──はい、リンゴもどうぞ」


 もごもごと笑顔を浮かべる僕へと向かってリンゴを差し出しながら、そんなことをおっしゃるヴァンセットさん。

……なるほど、保存食か。それなら保存に重きが置かれて、味が二の次になるのも分からないじゃない。

 リンゴを片手に、パンをじっと見つめてから試しにもう一口してみる。

 パンは相変わらずどっしりと酸っぱい。ただ、かんでいる内に次第に『美味しい』の要素が出てきたような気がしてくる。もちろん、気がするだけかもしれないけれど。


 その点、リンゴはいつもとほとんど変わらない味でホッとする。

 あのパンを用意してくれたヴァンセットさんには悪いが、このリンゴで口直しさせてもらおう。


「──さて。食べながらでいいんで、さっきの話の続き……いいかな?」


 傍目から見れば何かの小動物の如く一心にリンゴを齧っていた僕だったけれど、その言葉に思わずビクッと身を震わせた。途端に、口にしていたリンゴが味気を失っていく。

 出来ればずっとこのまま触れないでいてほしかったのだけど、やっぱりそうはいかないか。

 でも、うう……何をどう話していいものか。


 リンゴとパンをそれぞれの手に握りながら、先程と同じ様に挙動不審少年──今は少女か──と化す僕。

 しかし、そんな僕をヴァンセットさんが掲げた手で制す。


「ふふ、どうかな? ここはひとつ、俺が君の心を当ててお見せしよう」


 僕の心を……あてる?

 突然の事にキョトンとしてしまう僕をよそに、それこそ名探偵か何かを真似る様な大仰な仕草を交えながら、芝居めいた様子で考え込むような素振りを見せるヴァンセットさん。すぐにその鋭げな瞳が真っ直ぐに僕の方へと向けられた。


「今、君はこう考えている。『自分は今、見たことも聞いたこともない場所にいる。見るもの全てが異質で、まるで悪い夢か何かを見ているような気さえしてくる。これではまるで異世界に迷い込んでしまったようだ』……なんて、どう── 」

「ど、どどど、どうしてそれを?!」


 テーブルを叩く様にして立ち上がり、その上へと身を乗り出す様にして。

……思わず食い気味に言葉をかぶせてしまった。

 でも、今の状況でそんな事を言われたら誰だってこんな反応になると思います、はい。


 僕の豹変ぶりに目を丸くするヴァンセットさんだったが、すぐにその表情が穏やかな微笑みへと変わる。


「やっぱり、そうか。いや、もしかしたらなーなんて思ってただけなんだけど、その反応からすると間違いないみたいだね」

「で、でも、どうして『もしかしたら』なんて……?」


 言葉で答える代わりに。

 ヴァンセットさんの大きな手が、テーブルについた僕の右手を握る。

 それに何故かちょっぴりドキッとしてしまって……なんて、そんなことはどうでも良くて。


 握った手をちょうど僕の目線くらいまで掲げたヴァンセットさんは、もう一方の手でなぞる様に僕の手の甲を示す。


──今の今で気づかなかったのだけれど。そこには見慣れぬ、綺麗な幾何学模様で構成された黒い刺青の様なモノがあった。


「これはおそらく『召喚印』……召喚術によって呼び出された召喚獣だけが持つ、被支配の刻印だよ」

「召喚、印……」


 召喚印、召喚術、召喚獣。

 またも増えてしまった謎のキーワード、それらに頭の中を混乱されつつも。


 この黒い紋章が、かつての日常に戻る為の鍵になるに違いない。──そんな根拠の無い期待が自身の中で高まるのを感じながら、僕はしばらくそれを見つめ続けていた。



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