第八話 糸口
チトセの前には、一人の少女がいた。模擬戦最後の相手だ。彼女のジョブは魔法使い。身体能力におけるこれといった加護が無く、剣を用いた試合では全くと言っていいほど、ジョブ無しと変わりがない。
体格の差を考えれば、チトセの方が頭一つ分は大きい。それを生かして攻め続ければ、そこに勝機はあるはずだ。
やがて教員の合図で試合が始まる。
チトセはすぐさま相手へと距離を詰め、そして先制攻撃を仕掛ける。小さく振りかぶって当てるだけの動作だったが、少女はそれに過剰な反応を示した。彼女が掲げた盾に、剣を当てる。
軽い音が響いて、しかし彼女が怯むことは無かった。単純な力の差が大きいため、牽制を繰り返しながら敵の剣に当たらないように逃げつつ、隙を見せたところに一撃を加える。それがチトセの導き出した結論だった。
しかしチトセの両手の剣が振るわれるたびに、少女は怯えたように盾や剣でその軌道を塞いでしまう。攻撃する気はないのかもしれないが、反射速度が違うのかもしれない。どれほど隙があるところに仕掛けても防がれるのだから、チトセは攻めあぐねていた。
回り込んで側方から攻撃を仕掛けても、彼女はそれを容易く防いでしまう。チトセは更に剣の速度を上げてひたすら切り掛かるのだが、それも全て盾に弾かれた。
時間が経つにつれて、疲労が蓄積してくる。ゲームであったときにはなかったもので、そして片手で剣を扱う以上、筋肉の疲労も早い。
チトセは腕の筋肉の具合から、このままだとじり貧になっていくことを知る。ちらりと少女の様子を窺うと、乾坤一擲の勝負に出た。
一瞬で間合いを詰め、剣を振り下ろすことで相手に盾を使わせる。そこで盾の死角に入り、その下から剣を差し込んだ。
タイミングは完璧だった。これ以上ないほどのタイミングだったと言ってもいい。少々卑怯な感じがしないでもないが、急に盾の下から現れた木剣は少女へと命中するはずだった。
だが、一向に何かに当たる感覚はなかった。
そしてそのかわりに、盾が動いた。
剣に体重を乗せていたため、チトセは前のめりになる。そして盾がなくなった先には誰もいない。剣の攻撃を見切って、回避したということだろうか。
チトセは慌てて振り向いた。しかし、その直後。
ゴンッ。鈍い音と共に脳天に痛みが走る。少女は申し訳なさそうにこちらを見ていた。
教員は、試合の終わりを告げる。
チトセはこの瞬間、クラス内50位になった。クラスの人数は、50人なので最下位だ。もしかすると、全学年の中でも最下位になるかもしれない。
打たれた頭を撫でながら、チトセは観戦している生徒たちの中に戻った。そしてカナミは見当たらなかったので、適当なところに座った。この学園に入ってから数日が経ったというのに彼はカナミ以外の友人がいまだに出来ていなかった。
クラス内では軟弱な奴という印象がついており、あまりいい感情を持たれているとは言えない。そして自分から女子に話しかけるのもなかなか難易度が高く、今さらケントのグループに入る気もしなかった。
それから他の生徒たちを見ていると、憤懣やる方ない思いになった。自分はここで最下位だ。それも圧倒的な力量差がある。一人だけ、身分も境遇も、そして肉体も能力も、彼らとは違うのだ。
彼の心にあるのは孤独感。
彼の胸を焦がすのは嫉妬。
彼を酷く悩ませるのは、自尊心。
(このまま終わっていいのか、いいや、それはあり得ない。負けっぱなしで終わってたまるか)
長年このVRMMOに没頭してきたという、くだらない自慢。ようやく居場所を見つけたという期待。それらを打ち砕かれて、思うことは。
――誰よりも強くなる。
ただその一点であった。大抵のことは思い通りになるゲームであった頃の感覚は全て忘れる。そしてこの世界で生きていくのだ。
チトセは顔を上げた。そしてそこにいたのは、カナミとケント。
カナミはチトセとは対照的に、どんどんと順位を上げていった。ジョブレベルはさほど高くはなくスタートは真ん中より上という程度だったが、彼女は身体能力がとにかく高かった。チトセは、そんな彼女を羨ましく思いながら、戦いの行く末を見守る。
そして二人は一旦距離を取った。
ケントは疲労が見て取れるカナミに対して、まだ余裕があるようだった。
「何も負けて恥じることは無い。レベルは努力と才能の差を表す。それ故に負けたとしてもそれは当然の結果なのだから」
「そういうのは勝ってから言ってよね!」
気取って言うケントに対してカナミは噛み付かんばかりの勢いで返答する。
「あいつ俺に言ったのと逆のこと言ってやがる」
そんな独り言を言いながら、ジョブレベルは絶対じゃないとか言っていたのは誰だ、と内心で突っ込みを入れる。
しかし奴に自分で言うだけの努力と才能があるのは事実だろう。チトセは、何かやり返してやりたくなった。
やがて、ケントはカナミへと接近した。そして剣を振りかぶる。
振り下ろされた剣はしっかりと盾で受け止められるが、ケントは剣の力の入れ具合によってカナミを揺さぶる。
彼女の体勢が崩れたところに、ケントは剣を振りかぶった。カナミはすぐさま盾を構えるが、剣による衝撃は来なかった。ケントはその隙に側面に移動しており、剣を振り下ろさんとしていた。
あれでは防御は間に合わない。誰もが勝負は決まったと思っただろう。
しかしチトセは、これは奴にやり返す絶好の機会かもしれないと思った。
そして小声で呟いた。
「レンタル」
対象はカナミ。付与するジョブは剣士Lv43。
有効時間はたったの一秒しかない。それゆえに、ケントの攻撃を回避することくらいしか出来ないだろう。
しかし、カナミは付与された途端、体を捻った。
そして次の瞬間には、ケントの盾と剣が弾き飛ばされており、最後にはケント自身が吹っ飛んでいった。それには教員も反応できなかったようで、暫く呆然としてから試合の終わりを告げた。
「……まじかよ」
自分はとんでもないことをしでかしてしまったのではないか。そんな気がしてくる。きっかけはほんの些細な仕返しのつもりだった。しかしどうやらこのスキル【レンタル】は相当強力らしい。
この世界で成り上がる糸口を見つけたような気がした。
それからカナミは女子生徒たちに囲まれていった。人は得てして英雄を求めるものだ。誰しも、ダメな人間より優れた人間の方が付き合いたいと思うのは当然だ。
「カナミちゃんすごかったね! どうやったの?」
「え? えっとー。隠されてた実力って奴? あはは」
カナミはあれでも寂しかったのだろうか、クラスメイトに囲まれて浮かれていた。元々彼女は人好きする方だ。むしろ今までの方がおかしかったのだとも言える。
そんな彼女を横目に見ながら、チトセは誰にも気づかれることなく、訓練棟を出た。
「そんなわけで、今日50位になってきた」
チトセが向かったのは医務室だ。あれから毎日訪れているため、アオイとも随分打ち解けてきている。
お手上げだとでも言う様に肩を竦める彼に、アオイは小さく笑った。
「その割に堪えてないのね」
「一人でも愚痴を聞いてくれる人がいれば救われるものさ」
チトセはアオイの隣りのベッドに腰掛ける。この医務室に来る生徒はほとんどいない。たまに来る生徒も、先生のヒール一発で元気になってすぐに帰っていく。
そして気を使っているのか、チトセが来ると先生はどこかに行ってしまうことが多い。それゆえ、今は二人きりだった。
「クラスか……」
アオイは懐かしそうに何かを思い出していた。それが何であるかを聞くことは、無粋に思われた。
「行かないのか?」
「行きたいよ。でもやっぱり暫く行ってないと、行くのが怖いのよ」
彼女はそう言って、目を伏せた。自分がいない間に変わったことが怖い。自分が受け入れてもらえるかどうかが怖い。
チトセは彼女に共感を覚えた。クラスに行き辛いのは彼も同じだったからだ。
彼女は前に進めない。そして彼もまた、前に進むことが出来てはいなかった。
そんな二人の間に、ただ安らかな時間が過ぎていく。
どこまでも安楽で、どこまでも心安らぐ。そんな、一時しのぎの幸せを。
アオイは窓の外を見た。そこでは生徒たちが楽しげに駆けていく。一人の少女が過ぎていくと、その後を数人の少女が追いかけて行った。
「私は、あの中に混じることはできないから」
アオイは寂しげに言った。
チトセはこの数少ない友人に何とかしてやりたいと思う。それは打算や下心からくるものではなく、自分も彼女といることで救われた、その恩返しのようなものだ。
「いつか、一緒に走れたらいいな」
「ええ。そうね」
何気なく呟いたチトセに、アオイは肯定して笑った。
いつかきっと。彼女と一緒にこの部屋の外に行けたなら。
心から、そう願った。




