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第七話 医務室

 チトセは起き上がってケントを見たが、彼は端整な眉を顰めており、どうやら困惑しているように見えた。そして試合を見ていた生徒たちも唖然とした様子であった。


 剣技の技量の差が大きかったわけではない。それはケントも分かっていることだろう。しかし試合はすぐに終わってしまった。恐らく、ケントはチトセが手を抜いたのだと思っただろう。


 しかしチトセは先ほどの試合で見せた、ケントの突進を防ぐ術が思い当たらなかった。それは技術的な問題ではなく、単純な身体能力の差だ。同程度の身体能力ならばケントにも勝てるだろう。しかし、先ほどの盾による突進を受けたとき、その場に踏みとどまることはおろか、勢いを殺すことさえ出来なかった。


 もしかすると、ジョブレベルが低いだけで、本体のレベルはかなり高いのかもしれない。それに対してチトセの本体のレベルは1のままだ。身体能力の差は歴然としていてもおかしくはない。


 やがてチトセは起き上がって、試合を眺めている生徒たちの中に戻った。


「チトセくん、どうしたの?」

「いや、どうもしないけど……」


 暫くカナミの言った意味が分からなかったが、それは他の生徒たちの試合を見ているとようやく理解できた。


 この世界の住人は、誰もが身体能力に優れている。ジョブレベルが低くクラス内で下の方にいる生徒でさえも、激しい打ち合いを繰り広げていた。剣の扱いはそれほど上手いというわけではないが、力任せに振るだけでも威圧感がある。


 チトセは思い悩んだ。この世界で生きていくには、自分のスキルを生かしていけばいいと思っていた。だがしかし、身体能力でははるかに劣っているのだ。作戦や技術ではどうにもならない、差がそこにはある。


「カナミ・セイリーン。ルイス・バーナー。前へ」


 そうしていると、カナミの名前が呼ばれた。


「あ、じゃあ私行って来るね!」


 カナミは笑顔で立ち上がった。それから木剣と盾を手に、相手であるルイスと対峙した。その相手は男子生徒の一人。ケントと一緒に居た茶髪の少年だ。


 そして試合が始まる。


 カナミはルイスへと急襲したが、その一撃は盾によって受け止められる。それだけで空気の振動が伝わってくるほどの気迫があった。


 ルイスはすぐさまカナミへと切り返すが、それは盾で遮られる。互いの剣と盾が交わり合い、にらみ合いになる。二人は時間が止まってしまったかのように、ぴたりと動かなくなった。拮抗した状態から、先に動いたのはカナミだった。盾で相手を押し出して体勢を崩し、そこから怒涛の剣戟を繰り出す。


 剣が盾に打ち付けられる音が響き渡る。何度も何度も繰り返されるそれは激しく、ルイスは次第に押され始めた。彼は後退を続けているうちにじりじりと端に追い詰められていたが、しかし落ち着いていた。


 疲労からかカナミの剣が大振りになったところをルイスは見て、剣が勢いづく前に自ら盾を押し当てることで衝撃を軽減し、そのままカナミに圧し掛かるようにして押し倒さんとする。


 しかしカナミは自ら体を引き、そしてルイスの空いた胴体へと蹴りを入れた。それは力強く、彼の体を宙へと押し出した。ルイスは宙に浮いたせいで、身動きが取れない。カナミはそこに遠慮なく剣をぶち込んだ。


 カナミの勝利が決まった。悔しげな表情を浮かべるルイスの隣で、彼女は嬉しそうな笑顔を見せていた。

 

「えへへ、チトセくん、勝ったよ!」

「おめでとう。カナミはすごいな」


 チトセは純粋に称賛していた。粗削りな技術はきっと磨けばもっと上手くなるだろうし、彼女は能力的には優れている。どうやっても自分では勝てない、彼女が遠く感じられた。


 それから試合は昼すぎまで続いた。チトセは、朝はクラス内1位だったのが、11位まで落ちていた。十試合ほど行って全敗。それが初めての授業の結果だった。


 今日の授業はそれで終わったので、チトセは医務室に向かっていた。他のクラスメイトたちは皆昼食に向かったが、それに同行する気になれなかったのだ。


 向けられていた期待が、段々と変わっていく。カナミは特に気にしてはいなかったが、何ら親しくはないクラスメイトは彼のジョブについて疑問を抱いたようだった。経歴だけからすごいと思って勝手に過剰な期待を抱き、やがて実物を見て大したことが無いと失望する。そんなところだろう。


 これからそれほど期待されることは無いだろうが、学園デビューとしては最悪だ。散々打たれた背中はずきずきと痛んだ。


 厚生棟に辿り着くと、一階の奥まったところにある医務室の扉をノックした。どうぞ、と返事が返ってきたので中に入った。中は広く、ベッドは二十床ほどあったが、使われているのはそのうち一つだけだった。


「どうしたの?」


 まだ二十代と思しき若い女性が尋ねた。こうしていると、チトセは保健室の先生を思い出した。面倒な授業をさぼるために、よくお世話になったものだ。


「ちょっと打たれた背中が痛くて」

「ああ。今日は模擬戦の日だっけ」


 彼女はそう言って納得し、ちょっと見せてねとチトセの衣服を捲り上げた。


「あー。腫れてるね。僧侶持ちの友達とかいなかったの?」

「まず友達と呼べる人がいませんよ」


 そう言うチトセに苦笑しながら、彼女はヒールのスキルを使用した。ずきずきとした痛みが引いていく。寮に戻ってから自分でかけても良かったのだが、何となく事情を知らない誰かと話したい気分であった。


「あ、そうだ。私は隣りの部屋にいるから、何かあったら呼んでね。ベッドも勝手に使っていいから」


 そう言って彼女は隣りの部屋に入っていった。ドアの隙間から見えたそこには薬品などが置かれていた。しかしチトセに使うために行ったわけではないだろう。


 チトセは健康体でベッドを使うのもどうかと思ったが、今ここから出ていくと昼食を終えたクラスメイトたちと鉢合わせそうで、それが嫌で大人しく寝ることにした。窓際のベッドは使われているようで、カーテンが閉められている。


 どこでもいいのだが、何となく詰めた方がいいのかなという気がして、その隣のベッドを使うことにした。カーテンを閉めて、寝転がる。そうしていると、今日一日のことが思い出されて、嘆息するのであった。


「はあ、散々な一日だった」


 それはただの独り言だった。誰かに聞いて欲しくて言ったわけではない。


「何があったの?」


 しかしカーテン越しに、女性の声が返ってきた。どう答えたものかと思ったが、無視をするわけにもいかないので、素直に答えることにした。


「今日は模擬戦があったんだけど、十試合全敗してさ。そのたびに、周りの見る目が変わっていくんだよ。悔しいやら情けないやら」


 初対面どころかまだ顔も知らない相手に、泣き言をいうのは情けない。しかし何となく吐き出したい気分であり、それを受け入れてもらえるような気がした。


「じゃあ私と一緒ね」

「一緒って?」

「私は体が弱くて、留年しちゃったの」


 そういう彼女の声音は、少々悲しそうな響きを含んでいた。しかし二人の間のカーテンは、その表情を知ることさえ許してはくれなかった。


「ジョブなんて持っちゃったから、変に期待されちゃって。初めは頑張ろうって思ったんだけど、やがて期待が失望に変わっていくの。こんなことなら何も持っていなかった方が良かったな」


 チトセは何も言えなかった。弱音を吐こうと思っていたのが、いつの間にか聞かされる方になっており、しんみりとしてしまったせいだ。


「あ、ごめんね。こんな話をするつもりじゃなかったんだけど。私友達がいないから、話し相手になってくれるのが嬉しくて」

「医務室に来る人とかいないのか?」

「そうね。大抵僧侶の友人に直して貰うから」


 チトセは友人が見舞いに来ないのかという意味で言ったのだが、彼女はそれどころかこの医務室に人が訪れないということを告げた。


「じゃあこれからも来るよ」

「ほんとう?」

「ああ。明日も模擬戦だから確実に来ることになるさ」


 チトセが笑っていると、彼女はカーテンを開けた。

 そこにいたのは、少し大人びた印象の少女だった。艶やかな黒髪は腰まであり、艶やかな睫毛を携えた茶の瞳は、凛とした雰囲気を感じさせる。大和撫子、そんな言葉が似合うだろう。


「私はアオイ・キサラギ。あなたは?」

「千歳。水明郷千歳。よろしく、アオイ」

「えっと……チトセくん。よろしく」


 少し恥ずかしそうに、アオイはチトセの名を呼んだ。

 もしかすると、先ほどの先生はアオイは友達がいないことを心配して、彼をここに残したのかもしれない。チトセはここに来て良かったと思うのだった。



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